04.そして成りすます
医師の思いやりのおかげで、ウィルクの立場を知ることができた。
ウィルクは王国騎士養成学校の卒業を、間近に控えているのだ。それも、成績トップ。
≪現身≫とは、話から察するに、騎士の中でもエリートが集まる部隊と考えていいだろう。養成学校を卒業すれば、流れからして、直後に騎士団に入団することになるはずである。
主席となれば、配属は≪現身≫とやらになるのが自然だ。事実、医師はそれが決定事項であるかのように言っていた。
「ありがとな。先生」
流は医師に礼を言った。
色々と情報をありがとう。そして、色々と気遣ってくれたことも、素直にありがとう。
「その『先生』っての、やめて……」
医師は複雑そうな表情で返事をしたものだった。
ともあれ、とんでもない少年に乗り移ってしまったものである。
流は心中で頭を抱えた。
王国騎士という肩書きは、ただでさえ胃の痛くなるような響きだというのに、その中でも精鋭の候補とは。
たかだか十七、八の少年に務まるものなのだろうか。もっとも、この状態が永劫続くなら、その仕事をするのは流なのだが。
――いや、それはダメだろ!
――マジで早く何とかしねえと、更にエラいことになるぞオィ……。
強い焦りを感じるが、流に今できることはない。ひたすら安静にし、『ヴェノの過剰摂取』とやらの回復を待つしかなかった。
「あ、そろそろ来るんじゃない?」
「何が?」
医師の言葉を聞き咎め、流は反射的に尋ねた。
「アルフィ」
間髪入れず、医師は答える。
「……だけじゃないだろうけど。もう訓練終わってる時間でしょ?」
医師は流に腕時計を見せる。針は十七時半過ぎを指していた。
「……ああ、そうだよな」
――ビリッ!
流の中で、一つの仮説が構築される。
そのとき、医師の予告が当たったのか、医務室にノックの音が響いた。
返事を待たず、扉が開く音がする。
流のベッドに足音が近づいた。
「やあ、アルフィ」
医師が明るい声で言う。
壁とカーテンの隙間から現れたのは、綺麗な少女だった。
ピンクの髪と整った目鼻立ちが、派手な印象を与える。ぱっちりとしながらも、切れ長の眼。
その蒼い瞳の奥に、強い不安の感情を宿しているのがわかる。
「ウィルク……」
覗うように呟いた彼女は、流の記憶にある例の少女と同一人物。
やはり、この美少女がアルフィで間違いない。
「大丈夫なの?」
「大丈夫。ヴェノで酔っただけだから」
心配そうなアルフィの声に、医師は笑って答えた。
しかし、アルフィは安堵の表情をみせるどころか、気の強そうな眉をつり上げる。
「ヴェノで酔ったって……。アンタ、どうして……!」
「まあまあ。病人にうるさく言わない」
声を荒げるアルフィを、医師は声だけで宥めた。
ヴェノとやらを大量に取り込むと、今のような症状が起こることは、だいたいわかった。
そして、今のアルフィの反応をみて、流はもう一つ気が付いた。
ヴェノが流の思った通りのものだとすると、課程のかなり早い段階で制御の方法を学ぶのではないだろうか?
つまり、流――ウィルクのこの体たらくは、主席が期待されている優等生にとって、あってはならない失態なのかもしれない。
それにしても、これだけはっきりとした目鼻立ちで、怖い顔をしないで欲しい。一筋縄ではいかなそうな少女だ、と流は感じた。ウィルクの苦労がしのばれる。
――それはそうと。
「あとどれくらい寝てりゃいい?」
流は医師に確認した。もちろん、流はただ時間を知りたいわけではない。
医師は『うーん』とうなったのち、口を開いた。
「小一時間は我慢してよ」
「腹が減るぜ」
おどけて言うと、医師は笑った。
「さっきより全然顔色良くなったし、もう食べても大丈夫だ。というか、寮に帰ったらいつも通りでいいよ」
その『いつも通り』がわからない。
流はこれからどこに行けばいいのか、何をすればいいのかわからないのだ。
ウィルクが通いだった場合、どうにか手を打たなければならなかったが、寮暮らしならばしめたものだ。
「さっきまであんなフラフラだったのに、部屋まで辿り着けるかね?」
流の言葉に、アルフィが顔をしかめた。
医師も目を丸くしている。
「珍しく、随分弱気だね?」
「そうか? こちとらゲロ吐いてぶっ倒れたんだ。悪いんだが、介助つけてくれねえか?」
医師がふっと息を漏らす。
「オーケイ。今日くらいは甘やかしてあげようか。適当に誰かに頼もう。ウィルクの世話なら、男共でも喜んでやりたがるだろうしね」
「不穏な発言だなオイ? 日頃の善行の賜物だと言ってくれ」
「ウィルク……」
アルフィの呟きによって、茶番は中断された。彼女に視線をやると、顔面が蒼白になっている。
「どうしたの、アンタ……? なに、その喋り方……?」
流石に、こればかりはどうしようもない。
流は表面化した難題に、心の中で舌打ちをした。ウィルクのキャラなど、流にわかるわけがないのだ。
最善の言い訳を、ほんの一瞬思案する。
「暇だったから水槽眺めてたら、めまいでコケちまってよ。打ち所が悪かったみたいだ」
流が選んだ“最善の言い訳”は、その場しのぎのすっとぼけだった。
「ウルス!?」
アルフィは激しい剣幕で医師をみる。
「いや、目を覚ましてから、ずっとこの調子なんだよ……」
ウルスと呼ばれた医師は、苦笑して肩をすくめた。
「ストレスが溜まってるのかな?」
彼らの反応から、どうも流には、ウィルクを演じることが難しいように思える。
ならば、もうこれは手詰まりだろう。
どう誤魔化そうと無駄だ。このままウィルクを続けるのは不可能。
――全部、正直にぶちまけるか?
今更の決断を、流は下そうとしていた。
『中の人が変わった』などと説明しようとするから、躊躇われるのだ。
“記憶障害”。そう説明すれば手っ取り早そうなものだ。
そうすれば、おそらく養成学校だの王国騎士だのといった、不穏な身分から解放される。
しかるべき施設に送られて、適切な処置がなされるかもしれない。
誰がどう考えても、解決への近道だ。
あるいは、こちら側では、こういったことは過去に何度もあったことで、すでに対処法も確立しているかもしれない。そんな希望的観測さえ抱ける。
もちろん、懸念がないわけではない。
逆に、こちらの常識では記憶の障害に対して、理解がないかもしれない。だとすると、偏見の眼差しが厳しいこともありうるし、最悪もっと酷い扱いを受けることも覚悟する必要があるだろう。
しかし、少なくとも、後ろめたさは感じずに済む。
先ほどのウルスとの会話のように、探り探りといった話し方をしなくていい。
何かを誤魔化す必要がなくなるのだ。誰かを欺いたり、試したりする必要も。
ならば、流はそれで良かった。迷う必要はない。
一択だ。とるべきは一択で、それが最善だ。
ただし、流にとって、の話だが。
「フゥー……」
流は大きくため息を吐いた。
「いつもの調子が戻るまで、喋り方のことは大目にみてくれ。頼む」
もう少し。
もう少しだけ、様子を見るべきだ。
それが流の答えだった。
もちろん、流はウィルクを演じ続けたいわけではない。
元の神坐流に未練はないとしても、異世界生活はまっぴらごめんだし、王国騎士など論外だ。
だが、ここで流が降参したら、ウィルクはどうなる。
どの程度か流にはわからないが、ウィルクは勝ち組だ。王国騎士。その中のエリート。
流ごときには想像もつかない、ついたとしても、それを遙かに上回る才覚と努力と幸運が、ウィルクを今日まで導いたはずだった。
流がここで記憶障害を告白すれば、流の安心と引き替えにウィルクの過去も未来もパアになる。
ウィルクの人生には重みがある。価値のある何かが。
その未来を迎えられる――ウィルクの意識が戻る可能性が、どれだけあるのか全くわからない。
全くわからないということは、明日にでも、もしかすると数秒後にでも戻る可能性はゼロではないということだ。
――パチパチッ、と軽い火花が目元で散った。
ウィルクの将来をフイにするのは、もう少しウィルクのふりを続けてからでも、遅くはない。
「さっきまでヒイヒイ言って死にかけてたのに、人の心配ってのは変な話だな、オイ」
呟き、流は薄く笑んだ。
――火花が散った。
流のスイッチが、どうやら入ったらしかった。