33.潜入(part3)
二十名ほどが机の上で資料を広げて何やら調べている、不気味なフロアを堂々とぶった切り、奥の扉を開く。
先ほどの二人の職員の言う通り、五メートルほどの長さの廊下があり、右手側と突き当たりの壁に扉がある。
突き当たりの方が、デュザの部屋とのことだった。
流は扉のノブを掴み、そっと引くが、当たり前のようにロックがかかっていた。
しかし、扉には鍵穴が見当たらない。ノブの上に宝石のようなものが嵌め込まれているだけだ。
流は一つ深呼吸し、デイバックから小瓶を取り出した。
蓋を開け、中の液体を右手のひらに微量垂らすと、石鹸のように右手中に満遍なく塗りたくった。
光沢を持った手のひらで、再びノブを握る。
――開いてくれ。
祈りながら、流はノブを引いた。
ガチャリ。
と音がして、扉が開く。
流は微かに息を漏らし、ドアノブをハンカチで拭った。
小瓶の中身は、ルッツェルに作ってもらった秘密道具だ。
流の推測が正しければ、今の扉に付いていた宝石のようなものは、ノブ付近のヴェノの振動をキャッチする特別なアイテムなのだろう。
最初に流が扉を開けようとしたときに失敗したのは、ノブを掴んだ手が周波数を乱したからだ。
要するに、認証を持っていない手がノブを掴むと、ロックが発動してしまうのである。
流はアルフィと融通屋に訪れた際にみた、『幻の壁』と同様のシステムが黒の棟に導入されている可能性を強く感じていた。
そこで、ルッツェルに障壁破りのアイテムを用意してもらったのだ。
ルッツェルが言うには、小瓶の中の液体には、体内のヴェノが空気中のヴェノへ干渉してしまうのを、カバーする効果があるらしい。
それを塗りたくった手でノブを掴むことで、宝石らしき受信機が異常な周波数をキャッチするのを防いだ、というわけである。
『何で通常の状態が、ロック状態じゃねえんだよ?』
という流のツッコミに、ルッツェルは遠い目をしたものだった。
『障壁が展開されている状態を、どうしても持続できないのさ。実現させた研究者がいれば、会って話を聞いてみたいな……』
流は開けた扉から中に入る。
情報が正しいのなら、ここがデュザの部屋だ。
そこは、おそらく執務室なのだろう。見た目立派な作業机が窓際に鎮座しており、壁には本棚が並んでいる。暖炉、そして来客用の机にソファ。
電灯が点けっぱなしであることから、デュザはすぐに戻るつもりかもしれない。
流は急いで作業机周りから調べることにした。
だが、流が資料に手をつけ出した途端、廊下から外の扉が開く音が聞こえた。
――マズイな。
流は資料を机の上に置き、デイバッグを前に抱えるようにして暖炉の中に忍び込む。
幅の狭い煙突を、脚と背で身体を支えながら、気取られない高さまでよじ登った。
煤やら埃やらで、流はあっという間にドロ塗れである。
ガチャ、と執務室の扉が開かれた音が、流の耳まで届く。
もう少し行動が遅ければ、見つかっていただろう。
流は息を潜め、相手の気配を探っていると、その人物は作業机の椅子に腰掛けたようだった。
ギィ、と椅子が軋む音が聞こえた。
心中で舌打ちをする。せっかくここまで侵入したのに。
もっと時間があれば、中をくまなく探ることができたはずだった。
しかし、泣き言を垂れても一文にもならない。もちろん、このまま煙突から脱出しても同様だ。
隙をみてデュザを襲撃するか、彼が再び部屋から出て行くのを待つしかない。
もちろん、選べるなら後者だ。
ただ、それまで流の体力が持つかという問題がある。
幸いにして身体はウィルクのものなので、かなりの時間粘ることができそうだが、もしこちらの体力が尽きそうなら相手に突っ込んだ方がいい。
――危険すぎる。
流は冷静に思考を巡らせた。
もう一つの選択肢。
棟の外側からこの煙突へのショートカットを何とかして造り、明日また忍び込む。
これは妙案と思われるが、そもそもショートカットを造れるかどうかという難題に加えて、明日までそれが維持される保証がない。
いずれにせよ、しばらくは煙突の中で様子をみるほか、なさそうである。
――暖炉に火点けるなよ、頼むから。
煙突に身を隠し、体感で二十分は経過しただろうか。
ウィルクのスタミナは全く衰えず、脚と背で身体を支える格好でも苦にならない。流にとっては不幸中の幸いだった。
作業机の気配は相変わらずだが、いくらデュザとて、もう数時間もいないだろう。
そう流が考えたときである。
ガチャリ、と扉が開く音が聞こえた。
だが、これは部屋から出て行ったのではない。誰かが入ってきたのだ。
混乱する暇もなく、その声は聞こえた。
「そこは、私の席のはずなんだがな……」
「勝手に待たせてもらったよ。デュザ」
呼び掛けた方はデュザの声だ。
煙突の中からでは、少し声が変わって聞こえるが間違いない。そして、答えた方の声は相手を『デュザ』と呼んだ。
つまり、今まで作業机に座っていたのは、デュザではなかったのだ。
――んじゃ、一体誰だ?
流の頭に浮かぶ、当然の疑問。
今までデュザの机に居座り、自分の邪魔をしていた不貞不貞しい輩は一体誰なのか。
などと考えてから、盗人猛々しいと自分で思った流である。
「用件は何だ? サレイネ」
「“器”の様子はどうだね?」
サレイネと呼ばれた人物が尋ねた。
その声は流には若々しく聞こえ、デュザに対する話し方が不釣り合いなほどだった。
「わかるだろうが、“アレ”の変化はよく読み取れん。だが、預言ではもう既に起こっているか、間もなく起こるか、だ」
「それは当たり前だろう」
とサレイネの苛立った様子の声。
「確かめる方法はないのか?」
「何かトラブルでもあったか?」
「先ほど、ここの裏帳簿が参照されたという報告があった。誰の駒かはわからんが、おそらく≪現身≫の仕業だ」
「私が管理する会社だ。当然、報告は受けている。――まさかとは思うが、今更勘繰られて焦っているのか?」
デュザの声は嘲笑しているように聞こえた。
「まさか。焦るわけがなかろう。騎士団の管理畑は勿論、調査局、各監査部。加えて王立兵もほぼ掌握している。そもそも、ここで何をしているかが露呈したところで、私は痛くも痒くもない」
「たかが国務大臣が、よくそこまで根回しできたな」
「私はもう、一人ではないのでね……」
今、自分はとんでもない会話を聞いてしまっている。
そう自覚すると、流は心臓が大きく暴れる錯覚に陥った。
――落ち着け。
ビリビリッ。
流は目を細め、口元に笑みを作ると、声に集中した。
「ならば、そう急く意味などあるまい。事前の実験は成功を収めたというのに、妙なことをしてアレを台無しにしたいのか?」
「あまり目立つと、私の居心地が悪い。辞官して十二連盟へ籍を移す、と噂が立っているのでね。それに、万が一、教会に目をつけられれば少々面倒だ」
サレイネは盛大にため息を吐いたようだった。
「いいかね? 君達の実験には充分な投資をした。それが世界的革命の第一歩であることを理解しているからだ」
「自分一人だけの金ではないのだろう?」
デュザが茶化すように言う。
「だが、私も人類の進歩の為だけに、君達に協力をしているわけではない」
「その先を見据えてのことだというのは、理解している」
――マジで言ってんのかコイツら。
流はまるで洋画でも観ているかのように、現実味を感じられないでいた。
『世界の革命』だの『人類の進歩』だの、信じられないような言葉が飛び出るが、全く馴染めず、流にはどこかチープにさえ聞こえる。
しかし、彼らは陰謀ごっこで遊ぶような身分ではない。
本当。
本当に彼らにはそのような計画があり、まさに今流の前でその話がされているのだ。
「ここにいるのは、≪摩天楼≫から寄越された、選りすぐりの人材ばかりだ。最善を尽くしている」
「≪摩天楼≫からの人員が、更に増えることは?」
「ない」
サレイネの問いに、デュザは即答した。
「ならば、都合が良い」
一瞬だが、流にはサレイネの声が、歪んだように聞こえた。
「あと一週間で、ここを引き払いたまえ」
数秒の間が開いた。
流には推測することしかできないが、おそらくデュザは渋い顔をしていることだろう。
下手をすれば、駄々をこねて更に揉めることになるかもしれない。
「いいだろう」
しかし、デュザの答えはあっさりとしたものだった。
「悪く思わないでくれよ」
とサレイネの声。
「いくらなんでも、それ以上、黒服組を置いておくことは難しいのでね。それに、私も今はまだハウネルの人間だ。王城の雰囲気を悪くして、病に伏してあらせられる陛下に宸襟を悩ませるような真似は、これ以上できないのだよ」
「よく言う……」
デュザの呆れ声が聞こえた。
「ここの設備がなければ不安なのはわかるが、どのみち≪摩天楼≫に持ち帰ってから検証するのだろう? そもそも、私は本番が上手くいってくれればいいのだ」
≪摩天楼≫? 検証? 本番?
抽象的な言葉が羅列され、もう流は話について行けない。
ここは、何らかのテストをする施設ということでいいのだろうか。
「用件は以上だ。まあ、一週間以内に結果が出てくれることを祈るんだな」
椅子が微かに軋んだ音が聞こえた。おそらく、サレイネが立ち上がったのだろう。
そのようなサレイネの締めくくりで、会話が終わる流れに入ったときだ。
――コンコンコン。
と扉がノックされる音が聞こえた。
また誰か来たのか。
一瞬緩みかけた流の緊張が、再び張り詰める。
ガチャ。と扉が開けられる音がする。
おそらく、認証を持つ第三者が開けたのか、デュザが無言で内側から開いたのだろう。
「失礼します」
慇懃に礼をする声が聞こえた。
「どうした?」
それに応じるデュザの声。
「次席。こちらに、お届け物はございましたでしょうか?」
――ヤバイ!




