30.見上げる夜空
流が養成学校エリアから戻り、寮へ向かう途中、噴水の前に一人の少女が佇んでいるのが見えた。
月明かりに照らされた彼女の髪は、星屑を零すように煌めきを放っている。
中空を静かに見上げている彼女の表情は、まるで夜空に祈りを捧げているかのように神秘性を纏っていた。
レティシアだ。レティシア=ミゼル・ルケーノ。
初めてレティシアを図書館で見た後、何回か彼女と話す機会があった。
彼女は最終選抜試験選抜まで残った、唯一の貴族だ。
周囲の目を気にしない信念を持つアルフィとは違い、その在り方は周囲の模範となるべく、優雅でいて気高い強かさを携えていた。
流は彼女に声を掛けることにした。
作戦が上手くいけば、これが彼女と言葉を交わす、最後の機会になるかもしれないからだ。
レティシアは流の気配に気が付いたのだろう。顔をゆっくり流の方へと向けた。
「貴方ですか……」
レティシアは静かに言い、薄くだが微笑みをみせた。
「月でも見てたのか?」
と流は訊く。
「やっぱ、標高が高いと眺めが違うな」
夜空を見上げながら、レティシアの近くまで歩いた。
「そうですね。私が住んでいた屋敷は中層で……、ここに来るまでは、上層からみた星空がこれほど美しいとは識らなかった」
そう言って、レティシアは再び空を見上げた。
形の良い三日月と数多の大粒の星が、藍色のスクリーンに散りばめられたような絶景。
ただ噴水から溢れる水の音色だけが響く、冷涼感を伴う空気。
この異世界に来てから、流は多くのことを考えていて、このような美しい景色に見惚れる暇もなかった。
「いよいよ三日後ですね」
そうレティシアは語りかける。
「泣いても笑っても、たったの三日だ」
「こうやって、貴方と話すのも最後かもしれませんね」
レティシアは流の顔を見た。
「卒業後はバラバラになっちまうだろうしな」
内心では、是が非でもこれが最後であって欲しいと流は思う。
本来、卒業間際のこの光景をレティシアと共有するべきは、ウィルクのはずだった。
姿だけの偽物が相手とは、流は彼女に同情せざるを得ない。
「ウィルク――」
と彼女は控えめに呼び掛けて、『――アルバーニア』と諦めたようにファミリーネームを付け足した。
その潔の悪さに、流は苦笑いをしてしまう。
――いや、そこは頑張れよ。
「その……、あり……、がとう」
「何ですって?」
レティシアから出た言葉がにわかには信じることができず、流は思わず聞き返してしまった。
彼女の顔をみると、目元は涼しげなものの、視線はそっぽを向いている。暗がりの中、彼女の耳先が赤くなっているのを、月の光が証明していた。
「貴方と出会い、私は多くのことを識ることができました。主だっては、貴方たち平民位の人達についてです……」
レティシアの言葉に、『ああ』と流は納得する。
アルフィは彼女が選民主義者だったと言っていた。
ウィルクという人物を通じて、レティシアはそれが丸くなったと言いたいのだろう。
「私はずっと身分がある者こそが人を導き、世を動かすべきだと思っていました。正直なところ、未だにそうであって欲しい気持ちは捨てきれません」
『ですが』とレティシアは続ける。
「現実は違う。どのような位の者でも、それだけの力があるとは限らないし、逆に人の上に立てる者にこそ与えられるのが称号だった。貴方に敗けていなければ、私は履き違えた思い込みに目を曇らせたまま、ここに立つことさえできずに、無駄な年月を重ねていたでしょう」
「それはそれで人生だ」
淡泊に流は返した。
レティシアが考えを改め、そこに価値を見出すことができたなら、それで良かったのだろう。
だが、たとえ彼女がウィルクと出会わずに、上流意識をずっと抱き続けるような人生であれ、彼女らしい生き方ができたはずだった。
そんな流をみて、レティシアは少し笑う。
まさかとは思うが、ウィルクらしい言葉だとでも思われたのだろうか。
「……実は今、ルケーノ家は徐々に傾きつつあるんです」
「マジか。事業に失敗でもしたか?」
ルケーノはウィルクとアルフィの出身である孤児院に、結構な寄付をしているという。
それほどの恩義ある名家が大事に至っているとなれば、ウィルク達にとっても人事ではないだろう。
「権力のある世代の引退が重なって、上層、企業、教会、――方々への影響力が弱まっているんです」
彼女は『まあ、冬籠もりの時期ですね』などと付け加えた。
要は世代交代の頃合いになったが、引き継げるレベルの者がルケーノの思うよりも少なかったのだろう。先代が築いたものを、家族世襲せずに手放したというわけだ。
レティシアの様子からして、ルケーノの体力はまだ充分に蓄えてあるようだが。
「私は今のうちに力を付けなくてはいけません。いつかルケーノ家で優れた人材が孵化したとき、復活の旗振り役で在りたいんです」
そう語るレティシアの表情からは、悲壮感や決死の様子は覗えない。
誇らしく、満足そうに星空を見上げ、いつか訪れるであろうその時を夢描いているようだった。
「なんか、羨ましいな」
と流は気が付けば零していた。
「そうですか? 貴方も王国騎士になったら、……≪現身≫になったら、やりたいことはあるでしょう?」
「今は、目前の問題しか視ちゃいねえ」
事実だった。
明日、流は黒の棟に侵入する。
その結果如何によって、ウィルクの人生が大きく左右されるのだ。
「その……、貴方の努力はずっと見てきましたよ?」
自分の言葉が全く違う解釈をされ、流は思わずレティシアの横顔を見つめてしまう。
彼女の視線は、まだ夜空を彷徨っている。
「いつだって貴方は、それを結果という形で周囲に証明してきた。だから、今貴方が抱いている何かも、きっと上手くいく」
『私が――』とレティシアは流の顔をみる。
目が逢った。
それに驚いたのか、彼女の目は見開かれる。
しかし彼女は視線を逸らすことなく、
「――保証します」
と呆気にとられたような表情のまま、言った。
レティシアはしばらく流の瞳を見つめていたが、ついに照れが入ったのか、中空にその美しい顔を向ける。
「自分に誇りを持ちなさい。ウィルク・アルバーニア」
思い切るようにレティシアは言った。
「私は……、貴方を、尊敬してます」
鎖骨の辺りがどうもむず痒い。
――青春。
そう自覚すると、流まで恥ずかしくなってきたのだ。
だが同時に、流はどうしても胸に何かがつかえた感触を覚える。
それは、自分の過去がこうでなかったことへの後悔や、羨望ではなかった。
魚の小骨が喉に刺さったような錯覚は、切なさではなく、何か大事なものを見逃しそうになっている不安感。
「冷えてきたな」
流はわざとらしく会話を切り上げる。
「俺はもう戻るぜ」
レティシアに軽く手を挙げて、背を向ける。
「……おやすみなさい」
流の反応が意外だったのだろう。
肩透かしを喰らったような彼女の声に、僅かだが怯えのようなものを流は感じ取った。
「レティシア」
背中越しに流は呼び掛けた。
「ありがとな。……少しは」
言い残して、流は黒の棟の観察へと向かう。
ウィルクも彼女にあそこまで言われれば、悪い気はしないはずだ。
流はその代弁をしたつもりだった。
だが、それは果たして正しい言葉だっただろうか。
レティシアに『尊敬している』と言われたとき、流が感じた違和感。
その正体が、ウィルク・アルバーニアに対する手放しでの賞賛だと、リュウは気が付いてしまったのだ。




