29.留められない感情
明るい色の木製が、落ち着いた雰囲気を纏わせる。
そんな少し洒落た店だった。
学内は基本的に白を基調とした内装であり、食堂も例外ではない。
流達にとって、こういった情趣ある場所で食事ができるのは、実に久しぶりのことである。
「いい店だな」
「……」
流は呟いたが、アルフィの反応は芳しくなかった。
先ほどからのアルフィの様子からして、この店に何かあるのは間違いない。だが、流がいくら注意を凝らしてみても、店に変わった様子は一切なかった。
残る可能性は一つだ。
流はあえて気が付かないふりをする。
その残酷さに、内心自分に情けなさや腹立たしさを覚えたことさえも。
「ご注文はお決まりですか?」
流とアルフィが座る席に、ややあって猫耳の女給仕が脳天気な様子でやってくる。
「私、ジェノベーゼ」
そうアルフィは言うと、伺うように流の顔を見やる。
流はメニューに視線を落とし、気が付かないふりを続ける。
彼女の蒼瞳が揺れ、これほどに冀っているのに。
「半熟オムライス。ケチャップで」
だが、流に当たりを引くことなど、できるわけがないのだ。
明るい声で『畏まりました』と言い、半猫獣人の給仕は去って行った。
居心地の悪い空気が流とアルフィを包む。
彼女の顔は暗かった。
失意の念に押しつぶされそうな様子に、いよいよ流は見ていられなくなる。
――降参だ。
「俺らにとって、縁のあるところなんだな。ここは」
アルフィは力なく笑う。
「今の様子じゃ、全然覚えてないんだね。思い出すことも……」
流は黙って否定を示した。
「ここはね、私達が城下町に初めて来たときに入った店なの」
アルフィは目を細める。
「私達は二人ともあんまりお金なくてさ。結構良さそうな店だからビビりまくって、安そうな単品しか頼めなかった。それが、私達の王都ハウネルでの最初の思い出」
流は無言で彼女の話の続きを促す。
「で、私達は城下町に来る度に、ここで食事してたってわけ。最初に来たときと同じメニューを頼みにね。初めてここに来たときの気持ちを、忘れないために」
アルフィは口角を上げて、笑顔を作り上げた。
「何が、正解だったんだ?」
と流は尋ねた。
「“オーマルティ”」
そうアルフィは答えるが、流には全く聞き覚えのない名だ。
「私達の故郷のホウリアで、よく出される料理。オーマルティ、わかるでしょ?」
とアルフィ。
だが、流は首を横に振る。こんなときに限り、流の知らない料理なのは運命なのか。
「まあ、仕方ないって……」
笑い飛ばすように、アルフィは言った。
「聞きたいんだけど、自分でバカだと思わない? わざわざ王都まで来て、何でいつも食べてた料理頼むのよ?」
「スイマセン!」
いきなり女給仕に向けて手を挙げ、声を張った流をみて、アルフィは目を剥いた。
「ハーイ、ただいまー」
間延びした声が返ってくる。
「食ってみねえと、バカかどうかわからねえだろ?」
「ウィルク……」
「ま、今んとこバカはオメーの方だけどな。ここに何度も来て、同じメニューを頼むことを想定に入れてりゃ、オーマルティだのを頼むのは自然なことだろ。故郷の味を忘れねえためにな」
給仕がテーブルにやって来た。流は『オーマルティ、追加で』と短く注文する。
しばらく待つと、流の前にオムライスとオーマルティがやって来た。
白い皿の上に、アルミホイール。その中には、煮汁に漬けられた流の知らない大きな魚が、ほくほくと湯気を上げている。
オーマルティの正体は、煮魚だった。
流はフォークを使って、器用に魚の背骨から上を右半分だけすくい上げた。そのまま取り皿に乗せる。
アルフィはその様子をじっと見守っていた。表情を隠そうとしているようだが、どうしても彼女の心痛な様子が伝わってしまう。
流はフォークで魚を切ると、そのまま口の中に入れた。
――臭い。
流が顔をしかめると、アルフィはふっと息を漏らした。
「バカ。そのまま食べてどうするの」
彼女は腹をかかえて蹲った。その双肩は僅かに震えている。
「ハーブと一緒に食べるのよ。オーマルティはクセが凄いんだから……」
繰り返し、『フフッ』と息を震わせる。
彼女のそんな様子は、流の間抜けさが可笑くて堪えきれないようにみえた。
だが、流にはわかっていた。彼女にとって、今のが笑えるわけがない。
「どうして、そのままっ……食べるかな……」
徐々に。
「そんなことも、忘れちゃったわけ……?」
彼女を堰き止めていたものが瓦解していく。
「ハハハ、……フウッ。先生がよく作ってくれたでしょ……、ウ、あんな小さい頃からずっと食べてたじゃないっ」
それを流はどうすることもできずに。
「どうして、忘れるかな……。ね、ねえ、思い出せない?」
ただ静かに、見ているだけだった。
「ウ、……グッ。どうしても、思い出せない?」
胸を締めるのは、哀れみだった。
「ホントに忘れて、どうするの……、バカはアンタじゃん」
言葉もない。
「うっ、うう。ごめん、ウィルク……。私がこんなで、ごめん……」
彼女は自分の目を、おしぼりで隠した。
泣いているアルフィ・アルバーニアに、流は哀れむことしかできなかった。
――少なくとも、今はまだ。
大切な幼馴染みが何もかも忘れた。
彼女がこうして流の前で泣き出すのは、むしろ遅すぎたくらいだろう。
ここまで本当に良くしてくれた彼女に、流は思うように感情を吐き出させてやりたかった。どれだけ理不尽に怒りをぶつけられても、構わないとさえ思う。
そうやって泣きじゃくる彼女をみていると、流の心に黒い靄がまた現れる。
自分がウィルクの意識を呼び戻すまで、これは消えてくれないのだろうか。
ウィルクを元に戻す。
これは当然だ。どれだけかかっても、流はその方法を見つけ出す。
だが、卒業までにそれが叶わなかったなら?
流はそろそろ決断を下さなければならない。
――ウィルクとして、王国騎士になるのか、否かを。
***
ウィルクとして目覚め、十三日目の夜。
流は再び城下町に降り、融通屋を訪れた。先日、アルフィと訪れた際に融通を頼んだ代物を、受け取りに行ったのだ。
『どこに忍び込む気か知らんが』
と煙草を咥えながら、ルッツェルは言ったものである。
『全てを台無しにするような真似だけは、するな』
流は彼女の忠告を守ることができるだろうか。
城下町から養成学校エリアへの道のりで、流はそんなことを考えていた。
黒の棟に忍び込む為の算段はついた。運がよければ、侵入したことにさえ気付かれずに済むだろう。
流は五日間、黒の棟の警備を遠くの木から望遠鏡で観察していた。
黒の棟には出入口が二カ所ある。一つは二人の兵隊が守る正門。ここはおそらく通行証のような物を提示しなければ、入ることはできない。
もう一つは正門の反対に位置する裏口だ。流は裏口に目を付けている。
だが、流が調べた限りでは、裏口は辿り着くことさえ簡単ではない。
正門の両脇から、輪っかのようにして黒の棟を囲う鉄の柵。これを超えることが第一の関門である。
次に、裏口に隣接する箇所にある小屋。
望遠鏡で窓を覗くと、そこは守衛室のようであり、棟の周りを巡回する四人の兵が、ローテーションで休憩していた。
休憩と巡回は二人ずつで廻している。この二人に見つからないように、守衛室の前を通り過ぎなければならない。
そして、裏口扉の向こうには黒服の警備がおり、その警備が内側から扉を開けることで、裏口の出入りができるようである。
国立兵が黒服に扉を開けてもらっているのを、流は何度か確認した。
更なる問題は、裏口から上手いこと入れたとして、内部の様子が全くわからないということだ。
流の狙いはデュザか黒の亡霊のデスク。これは侵入してから見つけなければならない。
そこまで辿り着くには、ただ機転を利かせるだけではなく、強い運が必要だ。
もし棟の中で捕まってしまったら、どのような仕打ちを受けるかわからない。
規則通りの処分を受ければまだ良い方だが、相手は悪名高い異教徒が絡んだ組織のフロント企業である。
まさに無謀な挑戦のように思われるが、流はどんなに分が悪かろうと、決行するしかないのだ。黒の棟は、ウィルクに乗り移ってしまった謎に関する、最後の手掛かりなのだから。
翌日の夜に、決行だ。
バチバチッ、と頭で閃光が弾ける。
どうか、練りに練った作戦が、絵に描いた餅になりませんように。
≪剣竜の現身≫最終選抜試験は、もう三日後。
黒の棟で何かしらの成果を得られたとして、即ウィルクの意識を戻せるとは限らない。
つまり、これが流に許された、最後の作戦だ。




