20.黒の棟
しんしんと静まりかえった夜だった。
冷たい風が、流の頬を撫でる。
もうじき新しい年度を迎える季節。流の常識では気温が低いのは当然だが、この世界ではどうなのだろう。
動きにくいという理由だけで、ジャケットを置いてくるものではなかった。
長い張り込みをするとわかっていたが、夜の寒さを甘くみていた。などと、今更言っても仕方のないことだ。寮に戻って上着を羽織ってくる暇などない。
――これが、唯一の手掛かりだ。
ラーニャから黒の亡霊の情報を聞き出した流は、≪ハウネルの尾≫の入口から百メートル以上離れた校舎の玄関屋根にしゃがみ込み、監視をしていた。もちろん、黒の亡霊が現れるのを待ち、尾行するためだ。
現状、それ以外に問題解決に至る道標を流は知らない。この張り込みには、ウィルクの命が掛かっていると思うくらいが丁度いい。
もっとも、今晩黒の亡霊が現れる保証はない。ならば、明日も、明後日も。流は長期戦を覚悟していた。
必要なら、黒の亡霊を探し出し、直接問いただすことさえ考えている。
――それにしても、馬鹿でかい階段だ。
流が張り込みをしている校舎と≪ハウネルの尾≫は、学校の敷地を仕切る柵を挟んでいる。
≪ハウネルの尾≫は学校の敷地外だが、この位置からなら、その不必要なまでの全長がよく見える。
頂上にあるハウネル城までの距離が測れない。おそらく、何の訓練もしていない者なら、城に辿り着く前にバテてしまうだろう。
何故このように面倒な構造にしたのか、流には全く意味がわからない。
曰く、ハウネル王国の名は、建国した初代ルクターレ国王の親友であるドラゴンの名を由来としているそうである。
――ドラゴンなんていたのかよ。それと親友とか、どういうことだ?
無粋なことを考えた流であったが、捉えようによってはファンタジーらしくてロマンがある話だ。
≪ハウネルの尾≫とは、つまり登城するまでの大階段を、ドラゴンの尾に喩えたのだ。
――ハウネルでかすぎじゃね?
流は胸の内でごちる。
そんな馬鹿げたことを考えていると、大階段の入口に小さな影がみえた。
「来やがった」
と思わず零す。
流は目を凝らして影の正体を見極めた。間違いない。黒の亡霊だ。
黒の亡霊は幽鬼のように静かに、階段を登っていく。
――焦るな。
はやる気持ちを、流は堪える。相手に感付かれないよう、かつ見失わないほどのスピードで距離を詰めた。
徐々に黒の亡霊との距離が縮まり、ある程度からは、その間隔を保つようにして追いかける。
流に尾行の経験などないが、彼は流に気が付いていないようにみえた。もちろん、あの無反応な黒の亡霊のことだ。単に無視されている可能性も十分にある。
それが十分以上も続いたころ、黒の亡霊は二つ目の踊り場に辿り着いた。
彼は先の階段には登らず、右に曲がった。
≪ハウネルの尾≫の両端は背の高い木で囲われており、その先は山の中だ。しかし、黒の亡霊が向かった先には、舗装はされていないものの、きちんと整備された山道があるようだった。
流は黒の亡霊に気が付かれないよう、少し道を外れながら彼を追う。
足場が悪い。だが、意外にも月明かりにが届き、視界はそこまで悪くない。
踏み外さないように足下に注意する。小枝などを踏み、尾行がバレるのはお約束な展開だ。流は神経を尖らせた。
やがて、道が開けていき、黒の亡霊は山中に建つ建物に辿り着いた。
砦だ。
窓の数からして四階建ての建物で、無骨なレンガ造りの外壁が、どっしりとした印象を与える外観である。
玄関屋根の両脇に、鎧を装備した人物が一人ずつ立っている。番人だと容易に推測できた。流がこの一週間で得た知識によると、彼らは所属こそわからないものの、この国の兵隊で間違いない。
黒の亡霊は頑丈そうな黒色の玄関扉の前に立ち、二人の役人に何かを提示したようだった。遠巻きでは何を見せたかわからないが、許可証のようなものだろう。
番人の一人が、扉に付いている大きな錠を外して、黒の亡霊を建物の中に入れた。
番人はそれを確認すると、すぐさま扉を閉めて施錠してしまった。
扉の開け閉め、錠前の解錠施錠にいちいち派手な音を立てており、その堅牢さが覗える。
――さあ、どうしたもんかね?
流は考える。いくらなんでも、このまま手ぶらで回れ右をするわけにはいかないが、警備はかなり厳重そうだ。
そもそも、この建物は一体何なのか。
国立兵が番をしているということは、この建物は国のものなのだろう。王城の真下という立地も加味すれば、疑いようがない。
にも関わらず、黒服組である黒の亡霊は、その建物に入っていった。
それが許されていることも謎だが、彼がここを訪れている理由も謎だ。
ここで、ラーニャの証言を思い出す。黒の亡霊はウィルクと一緒に≪ハウネルの尾≫を登ったのだ。
ならば、ウィルクもこの建物に訪れていた?
そう考えると、もう黙って眺めていることはない。流がウィルクの身体を乗っ取った謎の答えが、ここにある可能性が大だ。何とかして、中に入って調べるしかない。
流は建物に近づいていく。
草木を抜け、番人に話を聞くべく、道に出ようと、
「待て」
したところを、低い声に止めらる。
流はゆっくりと振り返った。
いつの間に、そこに立っていたのか。
真っ黒なローブが、森の暗がりに溶け込むようにしている。月が照らしていなければ、その正体はわからなかっただろう。
金色の前髪が、顔を覆うようにして垂れている。男はその隙間から鋭い眼光でこちらを睨み付け、流の背中に良くない何かを走らせた。
――デュザ。
学園に姿を見せる、もう一人の黒服組。黒の亡霊を従わせる、唯一の存在。
流はデュザの眼をしっかり見据え、その出方を伺った。
彼の形相は険しいものの、殺気立ってはいない。だが、このまま流と挨拶するだけとは、とてもではないが思えなかった。
「知っているはずだが?」
とデュザは口を開く。
「ここは、関係者以外立ち入り禁止だ」
射貫くような眼。威圧的な声のトーン。
「ここで一体、何をしている?」
流は必死で頭を巡らせるが、適切な言い訳が思い付かない。
「この建物は何なんだ?」
開き直る。
見つかった時点で、流の敗けは明白なのだから。
「さっき、黒の亡霊が入っていったぜ? アイツはいいのかよ?」
闇夜より深い、沈黙。
流にはそれがチェックメイトを暗示しているように思えた。
「ふ」
しかしながら、意外にもデュザは口元を緩めた。
「“アレ”をつけ回すとは、命知らずな真似をする」
驚きである。会話が成立した。
「もっとも、“アレ”も貴様の尾行に気が付いていたようだったが」
――やっぱりか。
流は頬を引きつらせた。あれだけ慎重に慎重を重ねて、ギリギリの距離を保ったというのに。
アルフィの言うように、流はウィルクの力の大半を引き出せていないのだ。
もっとも、一週間程度でどうこうなる問題ではないはずだが。
「この棟は、ある企業が【上層】から仕事を請け、一時的に借りている施設だ」
流はそのまま彼の話を聴く。
「お前達が黒の亡霊と呼ぶものも、一応はその企業に籍を置く関係者だ。問題はあるまい?」
親切なのか、余裕なのか。
そもそも、秘密にすることなど何もないのか。
――もう少しだ。
「アンタもその企業の人間なんだろ?」
もう少しだけ話を聴きたい。
「大人しく帰るんだな」
流の企みも虚しく、デュザからは全く相手にされる様子がなかった。
「警備の者に見つかると、問題になるぞ」
そう忠告し、デュザは舗装された道へと消えていった。
――見逃されたか。
流は安堵のため息を吐いた。改めて、建物を見上げる。
――【黒の棟】。
黒の亡霊、そしてデュザ。
二人が巣くうその棟は、そんな呼称を流の脳裏にちらつかせた。




