19.目撃者
流は困り果て、やせ細っていく神経を隠そうともせずに、頭を掻いた。
いい加減、ウィルクの髪に、先の感覚が馴染んできた頃合いだ。
流がこの世界で目覚めて、一週間が経過した。
別世界の人間の身体に憑依する。そんな意味不明な状態は、未だに解決に向けた進展が何一つない。むしろ、方針すらも失ってしまった。
剣術の訓練やヴェノの制御、この国の歴史や文化、学園の人間関係など、答えがある問題については順調にいっている。だが、いくら元々の知識や技術を詰め込んでも、ウィルクの意識が蘇る様子は全くない。
もっとも、そんな前兆など流にわかるものなのか、実に怪しいが。
以前のウィルクの様子について、学内の人物に尋ねて回った。
寮の外や教官を含めて幅広い範囲を当たったが、アルフィ以上のことを知っている者は誰もいなかった。
打開策を何とか捻り出そうとしたが、アイディアの搾りカスさえ出てこない有様だ。
不味い流れだ。そんな流に対して、アルフィも徐々に苛立ちを覚え始めているのがわかる。
しかし、泣き言をほざいていても仕方がないのも事実だ。
流は自由行動の時間中、奇手が起こす奇跡に、異世界との干渉のような事例がなかったかを図書館で調べていた。
「ウィルクみっけ」
などと陽気な声が聞こえたのは、流が顔をしかめて頭を抱えていたときだった。
顔を上げて、声の方をみやると、ベリーショートの少女が流に近づいてくる。
「ラーニャか」
アルフィに散々データを叩き込まれた頭から、彼女のプロフィールを引っ張り出した。
以前、医務室に見舞いに来た少女。その名をラーニャ。
見舞いの後に何回か会話を交わしたが、気さくではつらつとした、可愛いらしい娘だった。
「何? すんごい難しい顔してるけど、大丈夫?」
あまり心配した様子をみせず、ラーニャは言った。
「調べ物だ」
「ふーん……」
ラーニャは流が開いている本を覗き込んだ。
「奇手の記録だね。どうしたの? こんなの調べて」
あまり詮索されたくない。流はページを閉じた。
「何か用事か?」
つれない態度を取った流に、ラーニャは鼻でため息を吐いた。
「まあね。ウルスさんが頼みたいことがあるんだって。時間あるときに行ってあげて」
「俺にか?」
「ウィルクに、だって。いやぁ、ウィルクに逢いたいがために、こんな伝言引き受けちゃったよ」
「そりゃ光栄だ」
ラーニャは既に、豹変したウィルクの態度に動じる様子はない。頭の心配をされていた頃が懐かしい流である。
「で、内容は?」
「届け物だって言ってたけど?」
流は軽くずっこけそうになる。
正直なところ、そんなことをしている時間はあまりないのだが。
しかし、ウルスには訓練で怪我をした際に治療をよくしてもらっている。無碍にはしたくない。
「何かに焦ってるねえ、ウィルク」
意味深に笑むラーニャである。
「いつもなら、すぐにウルスさんのところに行くはずなんだけど?」
「ああ、……行くさ」
届け物をするくらいの時間を損したところで影響はないだろう。それに、本は後でも読める。
頼まれごとは断らない。流が想像するウィルクの理念まで曲げて、周りに怪しまれるのも嫌だ。
流はそう判断し、ウルスを訪ねるべく立ち上がった。
「ねえ」
そんな流に、ラーニャは猫のような眼を細めて呼び掛ける。
「ウィルクさ……。何か隠し事してない?」
「……何のことだよ?」
流は心の中で舌打ちをする。
ラーニャはどうにも、ゲームタワーにいた曲者達と同じ匂いがするのだ。
今も細められた眼は黄金色に輝き、流の胸中を推し量っている。
彼女がどこまで視えているのかわからないが、応手をしくじると面倒なことになるだろう。
「倒れた日からおかしいよ? 顔つきとか喋り方もそうだけど、それよりもウィルクの本質的な部分? とか」
――鋭い。
ピリピリと、流の額の周辺がフラッシュする感覚。
逡巡し、決断した。
ここは誤魔化す一手だ。
「カマかけても仕方ねえぞ」
「お? 怪しいぞ」
「もし喋って不味いことがあるなら、この場で切り上げてるだろ?」
「うーん。それもそうだね」
ラーニャは人差し指を唇にあてた。
言葉とは裏腹に、ラーニャの疑惑が募っていくのを感じる。足掻けば足掻くほど、まるで蜘蛛の糸のように絡みつく。
「どうしたよ? この間話したときは、そんなこと一言も言わなかったじゃねえか」
「あのときは、アルフィがいたしね」
「アルフィに聞かれたらヤバい隠し事か?」
流は腕を組んだ。少し突き放すべく、たしなめるような口調で言う。
「だったら、わかっても見逃してくれるのがマナーじゃねえのかよ?」
そう零した失言が、ラーニャの口元から笑みを消した。
「認めたね?」
流はラーニャから目を逸らした。
空気を凍てつかせるほどの緊張感が、二人を支配する。
時計の針は、そのままチクチクと時を進める。
「――どうしてだ?」
先に口を開いたのは、流の方だった。
ラーニャはしかし、まだきちんと隠し事を肯定しない流に、警戒心を抱いているように黙っている。
「なんでわかった?」
改めて、流は問う。今度は是を含んだ言い方だ。
それを聴き、ラーニャはため息を吐いた。僅かに安堵したかのように。
「そりゃ、あんなところ、見ちゃったらね……」
その緩みを、流は見逃さない。
「ふ」
と流は小さく笑みを零した。
「なら隠しようもねえな」
そこまで引き出せば、あとは素直に訊くだけだ。
「どれだよ? ハッキリ言え」
「いつだったか、夜遅くに、黒の亡霊と≪ハウネルの尾≫を登ってったでしょ?」
決まりが悪そうに、ラーニャは言った。
流が知りたかったことを。
ラーニャがウィルクの隠し事をつっつき出したときから、流はうっすらと感じていたのだ。
彼女がおそらく、何かしらの根拠を持っている。
だから流は、疑惑を深める発言、失言をし、腹の探り合いで彼女に負けたのだ。観念したウィルクをみせることで、彼女から根拠を引き出すために。
――黒の亡霊か。
流は彼の横顔を思い出す。氷でできた彫刻のごとく、美しくも薄すぎる存在。
闇夜に溶け込んだかのように謎に包まれ、光を当てることはタブーとされている。
そんな黒の亡霊が、流と一緒に≪ハウネルの尾≫を登った。
≪ハウネルの尾≫とは、この養成学校の存在するエリアから、王城が建つエリアへと繋がる大階段のことだ。
間違いない。黒の亡霊が、流がウィルクの身体に乗り移った秘密を握っている。
「悪かった」
口から零れた。
「変なもん見せちまったな。本当に悪かった」
ラーニャをみると、彼女は意外そうに目を見開いていた。やがて、猫を彷彿とさせるそれは、充血し始める。
「ラーニャ」
呼び掛け、流は頭を下げる。
「まだ言えない。お前にまだ誠実な答えを言えねえんだ」
それは事実だ。
流は、彼女が目撃してからずっと抱えていたであろう不安に対する、答えを知らない。今から調べなくてはならないのだ。
「もう少しだけ待ってくれ。事情は、必ず話す。それまで、このことは誰にも喋らないでくれ」
沈黙が続く。
流は黙って頭を下げるだけ。視界に入るのは床だけで、彼女の様子はわからなかった。
――ボスッ。
と頭頂部に衝撃。
「ま、ウィルクだし、いっか別に!」
伝わる感触からして、おそらくチョップだった。
同時に、ラーニャはいつもより明るい声を張り上げる。
「要するに、“いつものこと”ね。もっと早く聞いときゃよかったし」
流は拳をきつく握りしめた。
彼女はどんな気持ちで、その言葉を言ったのだろう?
彼女にそう言ってもらえるのに、ウィルクはどれだけの苦労をしたのだろう?
「選抜中なのにさ。ホントばか……」
ラーニャのチョップは、変わらず流の頭にある。流は頭が上がらない。
まさか、こんな少女に深々とお辞儀をすることになるとは。
流は床を見ながら苦笑し、それでも誠意が一ミリでも伝わるならば、別に悪くないかとも思った。
「ワリィな。ラーニャ」
「キミの用事が済んだら」
ラーニャはゆっくりと手をどかす。
「また皆で、一緒に遊びに行こう?」
流は頭を上げ、ようやくラーニャの顔をみた。
いつもは不敵な輝きをみせる瞳が、今は水面に映る月のように、優しく潤んでいる。
「その約束。忘れねえよ。絶対だ」
――こんな返事で満足してくれただろうか?
そう流は眼で問うた。
それに応えるように、彼女は小憎らしい笑みを浮かべる。
そしてラーニャは、背中を見せて歩き出した。
「ウルスさんの件、伝えたからね」
「ありがとな」
彼女は軽く右手を挙げ、ばいばい、と振った。




