16.奇跡の奇手
ヒリヒリと痛む全身が、流を深い眠りに就くのを許さない。
おかげで流は――、
『ームタワーは、何のために存在し』
『答えは簡』『えば、俺にとってはただの職場に』
『ういうこと訊いてんじゃ』『かが何かの目的を持って創っ』
『、お前は一度でも考えたことあるのか? この世界が存』
『……』
『つんだな、神坐流。そうすれば、自ずと見つ』
『なの、意味ねぇじゃねえか』
夢だとわかる夢。そんなものを観ながら、流は思い返した。
――意味がない。
その言葉を、人生でどれだけ繰り返してきたことだろう。
***
ア・ケートでの、三日目の早朝。
流はアルフィに稽古をつけてもらっていた。
昨日にレティシアと出会った後、アルフィは流にハウネルやア・ケートにおける文化を教えてもらい、昼過ぎからみっちりと戦闘の訓練を行った。
この日、目が覚めたとき、流はやはりウィルクの身体のままだった。二日目の朝にも思ったことだが、寝て起きても非日常が当然のように続いていることに、どうしても時差ボケのような違和感に包まれる。
「いったん休憩」
アルフィが息切れしている流に告げた。
「……ああ」
――やっぱ、結構きっついなオイ。
という感想は、心の中に留めておく。
「少しはカン取り戻せた?」
「んな簡単にいくわけねえだろ」
問うアルフィに、流は当然の返事をする。
元々ウィルクではないのだから、取り戻せたもクソもないのだ。
流とアルフィは同時にベンチに腰掛ける。
鞘に収めたブロードソードを地面に置き、ボコボコにへこんだプレートメイルを脱ぐ。
流は痛みに顔を歪めているというのに、アルフィは涼しい顔だ。
彼女は防具を付けていない。訓練を始めた当初、そのことに危険性を覚えたが、そんなものはただの杞憂に過ぎなかった。
流はアルフィに、刃を肉薄させることさえできないのだから。
「なあ、もちろんだと思うけどよ。全然本気出してねえよな?」
「当たり前でしょ。奇跡を使ってないんだから」
“奇跡”、ときたものだ。
以前、流がウィルクの部屋にある資料を読み荒らした際に、ちらほらとそんなキーワードを見かけた気がする。
「ちょうど良いし、今から【奇手】について教えてあげる」
そう言って、アルフィは語り始めた。
「ヴェノを利用して身体能力を上げることは、基礎的なこととされてるわ。もっとも、どの程度の効果が見込めるかは、個人の才能だったり努力だったりするけどね」
ウィルクは常習的に、その訓練を積み重ねてきたのだ。そう流は察する。
そうでなければ、こうして無意識に使えていることに説明がつかない。
「遙か昔、まだ魔神がア・ケートにいた時代。一人の少女が不思議な能力を使い、一柱を倒した。人々はその能力を目の当たりにして、『奇跡』と呼んだ。それが起源とされているわ」
――魔神、魔物。
その存在をアルフィに聞かされたとき、流は心中複雑な気分になった。
異世界において、そのような害悪が存在するのはもはや鉄板である。お手本のような世界観に、どうしても流は違和感を抱いてしまう。
「その昔の人々ってのは、昨日までの俺みたいに、ヴェノについての知識が全くなかったわけだな?」
心のざわつきを誤魔化すように、流はアルフィに尋ねる。
「そう。やがて、その能力が広まって、今じゃ常識になっているってワケ」
「奇跡が常識って矛盾してね?」
「いいでしょ、別に。ただの語源なんだから」
こほん、とアルフィは気を取り直すように咳払い。
「奇手っていうのは、簡単に説明すると『奇跡を使える人』を指すわ。もっと学術的な定義があるけど、今のアンタにはこれで十分」
「奇跡ってのは具体的に何だ? さっきの言い方からして、単にヴェノで身体強化することは含まれねえんだろ?」
流はアルフィに疑問をぶつけた。
先ほどアルフィは、『自分は奇跡を使っていない』と言っていた。
つまり、今まで流が目の当たりにした非常識、――アルフィの信じられないスピードも、それを捉えて対応したウィルクの動体視力や反射神経も、二人して軽々と剣を振り回したことも、遂には剣が悲鳴を上げるまで打ち合ったことも、アルフィの言うところの『奇跡』にはカウントされないことになる。
「まあ、ヴェノの制御ができない人からしてみれば、十分に奇跡なんだろうけど、私達のレベルだとそれが特徴的と呼べるほどじゃない。一般的には、もっと拡張したヴェノの制御ができる人のことを、奇手と呼ぶの」
「……いまいちピンと来ねえ」
わかったような、わからないような。流はもどかしさを感じ、頭を掻いた。
「ヴェノをもっと上手に制御すれば、更にすごいことができるってこと」
アルフィは端的に述べると、ベンチから立ち上がった。
流は訝しみながらアルフィを凝視する。
彼女は流の目前に、右の手のひらを差し出してみせる。
『何を』と流が口を開きそうになったとき。
ボウ、という炸裂音。
流は顔面に熱風を感じ、反射的に顔を逸らした。
――熱い!
今のは何だったのか。
流はその正体を確認するべく、アルフィの右手を見直す。
蜃気楼が、流の視界を歪めていた。
炎だ。
小さいが、力強く、アルフィの手のひらの上で炎が踊っている。
狐火、と呼べばいいのだろうか。
作り話で、墓地や寺でよく目撃される、亡き人の魂の象徴。流の知識では確か、人の骨に含まれているリンの自然発火による、
――んなこと、どうでもいいんだよ!
「どうなってんだ? オイ……」
「大気中のヴェノに結合した分子の運動量を、活性化させたのよ」
おののく流に、アルフィはあっさりと答えた。
「体内のヴェノを制御することで、大気中のヴェノに干渉させることができるの。今、私はそうやって可燃物が無くても発火できるレベルまで、分子の運動量を上げたワケ」
「分子が電離するまで温度を上げたのかよ……。それも、一瞬でか?」
「……? 私は化学反応なんて、よく理解してないけど」
などとアルフィが言う間に、狐火――火球は消えていく。
「“拡張”の意味が理解できた? 単純に人間の身体を強くするだけじゃないのよ」
流は目を見張った。
今度は液体だ。
透明な液体の球が、アルフィの手のひらの上に形成されていき、その形を留めている。流は指先で球体をつつく。間違いなく、液体の感触。
「水? 空気を凝縮させたのか?」
未だに目前の光景が受け入れがたい。
問いの返事の代わりとばかりに、水の球体は一気に凍り付いた。分子運動の停止なのだろう。
「今のは科学的にわかってる現象を、ヴェノを通じて起こしただけだけど」
氷を溶かしながら、アルフィは続ける。
「理屈じゃ説明できないような能力の奇手もいるわ。アンタもその一人だけどね」
溶けた氷は、完全に気化して消え去った。
「……はぁ」
と流はようやくため息を吐き出すことができた。
ファンタジーにおける魔法のようなものを、今まさに目の当たりにしたのだ。




