15.レティシア
――後ろだ。
流は身体を傾けて、座ったまま振り向いた。
見やれば、一人の女学生が腕を組んでアルフィを睨みつけている。
「心底見下げ果てましたよ。アルフィ・アルバーニア」
彼女の清涼感のある声に蔑まれたアルフィは、ため息を吐くことで返事をした。
背は女性にしては少し高い。スレンダーな体躯は、長い手脚と上手に均衡が取れており、モデルのように洗練されている。
そして、そのシャープな印象を決定付けているのは、色素の薄いグレーの長髪。
――プラチナブロンド。
彼女の瞳から覗えるのは、強い意志。
気の強そうな娘だが、アルフィの燃えるような力強さというよりは、氷の刃のような冷たい迫力を携えている。
流のような者が、いくら立ち振る舞いを矯正しようが真似できない。
そんな持って生まれた気品を感じさせる、宝石の輝きに似たオーラを彼女は纏っていた。
見ればわかる。
――なるほど、確かにそうだ。
そう、流は納得した。
おそらく、彼女こそが最終選抜試験の四人目の受験者。
「なんで、こんなところにいるの? レティシア」
――何がオメー等をそんなに殺気立たせんだよ?
流はそう口に出したくてたまらない。
レティシアが流達の前に現れて、明らかに室温が下がった。
レティシアとアルフィの睨み合いを、流は間近に、他の図書館の利用者は遠巻きに見守っている。
「ウィルク・アルバーニア」
そうレティシアに冷たく呼び掛けられる。
「……何か?」
アルフィに言わせれば、とても面倒くさい人物だ。口が苦くなってくるような錯覚さえ感じるが、流は慎重に対応する。
「具合はもういいんですか?」
何を言われるかと身構えていた流の神経を、慈愛のこもった声色が包む。
「あ? ……ああ、体調か? 大丈夫だ。ワリィな、心配掛けて……」
まさかの気遣い。
不意を突かれてしまい、微妙に口調が弱々しくなった。そのせいか、流の返事を受けたレティシアは、どこか訝しがるような目線を流に向けている。
――バチッ。
流の頭がフラッシュしたのは、そのときだ。
流はウィルクの部屋の机の引き出しを漁ったときに見つけた、アルバムを思い出す。
アルバムの中には、少女が一人だけで写っている写真が一枚だけ納められていた。
目前にして気が付いた。間違いない。あの少女はレティシアだ。
――オイ、まさかと思うがよ。
「何しに来たのよアンタ」
「別に? 二人がここにいると聞いて、少し様子を見に来ただけです。この時期に訓練をせず、何をしているのかと思いまして」
「選抜試験の対策をどうしてようと、アンタに関係ないでしょ? 本当はウィルクの心配して来たんじゃないの?」
「それはまあ、共に最終選抜を受ける学友ですから。それが何か問題ですか?」
「いや、問題だなんて言ってませんけど? そう聞こえたら自意識過剰なんじゃない? ほんっとお嬢様だよねアンタは」
――雌猫のひっかき合いか。
ウィルクを絡めた三角関係を悟り、流は思わず手で顔を覆った。
二股とは、やはり侮れないウィルクである。
数人しか居ないはずの他の学生達が一カ所に固まり、流達を見ながらひそひそ話を交わす。
「なあ、盛り上がってるとこ申し訳ねーけどよ。その話、次回でよくねえか?」
堪えきれず、流はついに圧死覚悟で口を挟んだ。
「こちとら、あんま時間を無駄にしたくねえんだよ」
そう流が言うと、レティシアは目を見開いた。
「貴方……」
と彼女は唇を戦慄かせる。
「その小物臭い喋り方……、顔つきも……」
その物言いに、流は嘲笑してみせた。
「今の反応、アルフィにソックリじゃねえか」
レティシアは円卓を勢いよく両手で叩き、顔を一気に流のそれまで寄せる。
「どうしたんですか貴方は!? 高熱ですか頭打ちましたか私が何かしましたか!?」
流は首を逸らしてレティシアの顔を避ける。
こういった反応が来るのは無理ないことだとは思いつつ、両の手のひらを彼女に向けて落ち着きを促す。
「なあ、わりかし本気で試験対策やってんだよ。詮索は時間あるときにしてくれ」
適当にうそぶき、追求を誤魔化す。
レティシアは体勢を戻して、腕を組んだ。しかし、その表情はまだ信じられないものを見るように強張っている。
「わかったらどっか行って。シッシッ」
レティシアは右手をひらひらさせているアルフィを一睨みすると、歯ぎしりをした。
「ウィ……、ウィルク・アルバーニア。何がどうしたのか知りませんが、そんな言葉遣いでは問題になりますよ」
噛んで含めるようにレティシアは言った。
「≪剣竜の現身≫は王国騎士団の顔。そのような不貞不貞しい言動……、瑕疵が見過ごされるはずがありません」
「最終選抜は≪決戦≫なんだろ? それパスすりゃ合格しちゃうんじゃねーの?」
――つーか、デュナスもこんなもんじゃねえか。
そう流は心の中で付け足した。
「最終選抜は王族の御前で行われます。言葉遣いや目付きを改め……改める? 元に戻すべきです。というか、前の方が……、貴方に合ってます……絶対……」
彼女の語尾は、明らかに弱かった。
『元に戻せ』とは、もっともな忠告だ。そう流は心の中で呟いた。
そしてまた、それが可能なのかという問題がカマイタチのように吹き、流の胸を傷つける。
「ああ、戻すさ。必ずな」
流はレティシアにそれだけ答えた。
アルフィがレティシアを追っ払い、レティシアが姿を消すまでの間、流は彼女に突きつけられた焦燥に神経をひりつかせる。
ビリビリと閃光の音がする、この感覚。
そうやって、流は自らの人生を自覚するのだ。
「で、どうなの?」
レティシアが去った後、アルフィはそう流に問いかけた。具体性に欠け、流には彼女の真意が判断しかねる。
「何か、思い出せないの?」
黙っていた流に、ようやくアルフィは質問の内容を教えてくれた。
駄目だった。
ヴェノについて説明を受け、戦闘訓練でウィルクのように身体を動かしても。ガーラントの話を聞き、レティシアに直接会ってみても。
ウィルクの記憶の片鱗さえも、流には微塵も感じられない。
やはり、自分の意識は神坐流であり、神坐流の記憶しか頭にないのだ。
「いや、思い出せない」
流は声をひそめて言い、かぶりを振った。
「……そっか」
アルフィの反応は軽いものだった。
だが、流にはわかる。否、流でなくても容易に想像できるだろう。
彼女は落胆している。
そんな彼女に、抱く必要のない罪悪感がじわりと胸に染みついた。
それを払拭できるのは、いつになるのだろうかと流は思う。
「アンタなら、何とかできるよ」
明るい声だった。
「? 昨日の夜とはエラい変わりようじゃ……」
アルフィの顔を、流は見た。
彼女の形の良い唇は、笑みを湛えている。普段は勝気に釣り上がっている目元も。
しかし――、
「いっつもそう。アンタは私達の想像を、いつもぶっちぎってきた」
その蒼い瞳は、いつもの力強さの光ではなく、切なさで彩られていて、
「心配しなくても大丈夫だって。コロッと思い出すに決まってるんだから」
そうやって、ウィルクを励ますふりなどしているから、
「正直……、私じゃいつまでもアンタをフォローするのは、しんどいよ」
だから、流は悟ってしまう。
彼女は体よく懇願している。ウィルクが記憶を取り戻すことを。
「私って、アンタと違って、あんまり周りの信用ないからさ。私がアンタに何かしたとか思われちゃうじゃない」
そんな馬鹿な冗談を聞きながら、流は考える。
アルフィは本当にウィルクを信頼しているのだろうかと考える。
「もう少しだけ……、辛抱しろ」
などと答え、考える。
彼女はウィルクを信頼しているのではなく、ただ何かに縋り付いているだけではないか。




