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この異世界の救いよう  作者: 山葵たこぶつ
第一話 ハウネル王国騎士養成学校
13/182

13.黒の亡霊

 流はウィルクの部屋のシャワールームで、湯浴みをしていた。

 激しい運動をした後の身体のだるさ、熱を帯びたような手や胴の痛みが、不思議と心地よい。


 おおよそ三時間ほど、アルフィによる戦闘の手ほどきが続いた。

 小休憩をマメに挟みつつの訓練だったが、流石に本格的な休憩に入った方がいいだろうという、アルフィの判断だった。


 ――もっとも、武器や防具が死んでしまったのが決定的な理由だが。


 流は徐々に、ヴェノが作用した異常なスピードとパワーを把握できるようになっていた。

 そして、それを可能としているのはウィルクの身体だ。


 どう身体を動かし、捌いたり躱したり攻撃したりすればよいのか、ウィルクの経験が見えない導となって教えてくれる。

 流に詳しいことはわからないが、手続き記憶というやつか。


 ただし、アルフィに言わせれば、元のウィルクの何分の一も動きが悪いらしい。


 流はシャワーを止め、浴槽から脱衣所に移った。

 身体を拭き、慣れない長髪をバスタオルでゴシゴシと擦っていると、ふいに姿見に映る自分と目が合った。


 色が白く、薄い身体だ。

 確かに鍛えてはある。筋肉も流に言わせれば僅かだが、バランスよくついている。


 だが、明らかに神坐流の肉体(ゲームタワーではゴリラ扱いされた)と比べ、身長も低ければ体格も小柄だ。

 とてもではないが、剣のような鉄の塊を長時間振り回すことができるような、学生騎士には見えない。だが、現実に流はこの身体でそれをこなすことができたのだ。


 ヴェノ。この世界の人間が使える、超奇跡的な恩恵。


 ピリリ、と流の額で小さい火花が散る音がする。


 大きめの紫瞳(アメジスト・アイズ)に濡れた黒髪を被せたウィルクが、鏡の中から挑むように流を見つめていた。



***



 時刻は昼前。

 陽が出ているが、季節や標高のせいなのか少しだけ肌寒い。


 アルフィとは学内にある図書館で合流する約束になっていた。これから、人間関係についての座学を始めるつもりらしい。


 流は図書館の場所など知らないが、アルフィは大まかな位置と特徴を流に教え、地図案内の掲示板を見ればすぐにわかると告げた。

 迷うことを想定に入れて、約束の時間よりも大分早くに移動を開始した流だったが、アルフィの言うとおり、寮から数分も経たないうちに図書館に到着してしまった。


 きょろきょろとしないように。堂々堂々。などと、心の中で念仏を唱えるようにしながら、流は図書館に入る。

 途端、視界に入ったのは目が眩みそうなほどになる、山のような本棚だ。

 図書館らしい厳かな静寂の中、流は僅かに声を漏らしそうになった。


 ――こんな量の本どうやって集めやがった。


 そう胸中だけで毒吐いて、流は中へと進む。


 周囲をざっと見るが、利用者が明らかに少ない。

 流の推測だが、今がちょうど期の変わり目だからだろう。講義もなく、期末の試験も終わり、よほどの本好きでもない限り利用する価値がないというわけだ。


 まだアルフィとの約束の時間までには余裕がある。

 持て余した流は、この世界の文化について綴られている本を探そうかと考えた。

 そんな中、司書――という表現が適切かはわからないが、事務員のような人物も見当たらない。本の貸し借りや案内が行われるカウンターもだ。


 仕方なく、流は図書館内を軽くフラフラしようと――、


「ッ!」


 冷涼を伴った、薄い空気。

 黒い靄が、流の視界の隅を横切った。


 驚き、反射的に上半身を捻って横切ったものを見た。


 ――人?


 人だ。

 ここの学生が着る白い制服とは違う、黒いダークスーツでその身を包んだ、実体のある人間。

 その気配を全く感じることができず、流は驚愕する。


 その人物は音もなく悠然と移動し、流の斜め後ろに位置していた本棚の前で止まった。凝視する流になど目もくれず、黒い手袋を纏った手を伸ばし、一冊の本を棚からするりと抜く。


 背筋が冷たくなるほどの透明感を持つ存在。

 黒いスーツ、黒いシャツ、黒いネクタイ、黒い手袋。そして、それに負けないほどに深い漆黒の長髪は、何のアレンジもなく一つ結びにされている。


 美しい(かお)だった。


 ガラス細工のような、綺麗な造形と神秘的な儚さ。全身の黒がそれを更に際立たせている。


 流はほんの僅かの時間、硬直してしまった。

 まるで、亡霊を見てしまったかのように。


 バチバチ、と強めの閃光が眼前に舞い、我に返る。


 ――そうだ。本の位置が知りたいんだった。


 自分に言い聞かせて、意識をしっかりとさせた。


 改めると、黒服の人物は確かにそこに居る。霊体などではなく、ちゃんと質量を伴った実在だ。

 流は黒服の男に――、本当に男だろうか? 顔が中性的過ぎて判断できない。身体は華奢で、おそらく身長も流の見立てではアルフィと同じくらいだ。ただ、男物のスーツなので、おそらく男なのだろう。ということにする流である。


 流は黒服の男に呼び掛けた。


「なあ、歴史や文化の本って、どこにあるか知ってるか?」


 しかし、黒服の男は何事もなかったかのように、手に取った本をぱらぱらと捲り始める。

 流の声は静かな空間に虚しく響いただけだった。


「おい? 生きてるか?」


 再度、流は黒服の男に呼び掛けた。

 だが、反応は一切ない。まるで、流のことなど存在さえしていないかのように。

 彼の意識は、ページに綴られている文字を、冷然となぞっているようである。


 無視されているのか。それとも、もしかしたら本当に音を認識できないのか。

 どちらにせよ、いつもの流ならここで止めておくはずだった。


 ――しかし、この黒服の男に限って、どうしてか流は特別な何かを。


 流は彼に近づき、


 ――それはとても、運命的な何か。


 その小さな肩に、自らの手を伸ばした。


「何してんの!? ウィルク!」


 怒声が聞こえたのと、ほぼ同時である。流はとんでもない馬鹿力で、首根っこから後ろに引っ張られた。


「ぐええぇ!?」


 ここまでよくできたアヒルの声真似など、初めて聞いた。

 そんなことを考えながら、流は後方へとぶっ飛んだ。幸い本棚はなく、激突からの惨事は逃れたらしい。


 流は上半身を起こし、そんなことをしでかした犯人を見上げた。


「何しやがる……? アルフィ……」


 鬼気迫る。

 そんな表情をしたアルフィが、倒れた流に近づいてくる。


「馬鹿。ちょっと来なさい……」


 彼女は声をひそめてそう言うと、流の手を掴んで引っ張り上げると、そのまま強引に黒服の男から離れるようにして進んでいく。


 不思議な感覚だった。突然怒鳴りつけられ、ぶん投げられたというのに。


 自分の感性が冴え始め、頭が急速に冷めていく。

 アルフィの手の力強さと暖かさを感じ、流は悟った。


 自分はまた、この少女に助けられたのだと。



***



 黒服の男から、大分離れた。見ることはできるが、声は届かないほどの距離。

 もっとも、向こうはこちらに一切興味を抱いている様子はないが。


「いい? アイツには、絶対に関わらないこと」


 開口一番にアルフィは言った。


「すまん。ヤバい奴だったんだな?」


 アルフィは頷いて肯定する。


「アイツのことは、皆『黒の亡霊』って呼んでる」


「黒の……亡霊?」


 亡霊。流は彼を見たとき、まさにその単語を思い浮かべた。


「誰のどんな言葉にも反応しないの。それでもって、あの薄い雰囲気でしょ? それから、いつも全身真っ黒だから、黒の亡霊」


「何者なんだ?」


「詳しいことはわからないけど、一年くらい前に突然入学してきたのよ。けど、講義や訓練に出席したって話は滅多に聴かないし、実際教官達からも放置されてるわ」


 それは確かに特異な存在だ。

 だが、流は首を傾げる。それだけで、皆から黒の亡霊呼ばわりされるだろうか。

 むしろ、関心を寄せそうな話である。加えてあの容姿ならば、逆に畏怖という意味合いで、敬遠や遠慮をされるだろう。それこそ、『謎の麗人』といった具合に。


 しかし、アルフィの態度は、まるで疫病神か何かに対するそれだ。


「【黒服】の意味……、覚えてない?」


 アルフィは流に尋ねる。


「ワリィ。説明してくれ」


「この国に限った話じゃないけど、黒服は民間企業の職員である証なのよ。それも、ただの従業員じゃなくて、もっと特別な存在」


「民間企業だ?」


「民間企業っていうのは……」


「いや、それはわかる。ちょっと意外に思っただけだ」


 民間企業とは異世界に似つかわしくない単語が出てきたものである。

 流は勝手に、絶対王権制や封建制のようなものをイメージしていたが、実は流のいた元の世界と同じように、資本主義的な思想に基づいた体制なのかもしれない。


「で、それの何が問題なんだ?」


「企業の黒服に対して、国家に所属する人間は【制服】を着用する決まりなの。制服組と【黒服組】って仲が悪いのよ。前提が多い説明になるから、理由までは省くけど」


「王国騎士団()養成学校ってことは、――って考えるまでもなく、俺等は制服組寄りか」


「そういうこと。だから不気味なの。黒服組が王国騎士になんてなれないし、なる理由なんてロクなもんじゃない。その上、全然喋らないし独特な雰囲気持ってるから、皆気味悪がってるのよ」


「ふぅん……。そりゃ、確かに不穏な感じはするわな」


 黒の亡霊の所属はともかく、この学校に入学してきたからには、何かしらの理由があるはずだ。にも関わらず、彼は学校側に対して友好的な態度ではないという。

 さっぱり意味がわからない。


「もちろん、それだけじゃないんだけどね……」


 流の呟きに、アルフィは付け加えるように口を開いた。


「まだあんのかよ……」


「アレ、見て」


 アルフィは顎で黒の亡霊を指した。


 黒の亡霊に、これまた黒いローブを被った人物が近づく。黒いローブの下は、やはりダークスーツのようだが、シャツは白く、ネクタイは柄物だ。

 黒の亡霊とは違い、明らかに中年の男とわかった。背が高く、金色の前髪が長い。

 その隙間から厳つい顔を覗かせたとき、右目から頬にかけて覆い尽くすような、大きな傷跡がみえる。


 ローブの男は黒の亡霊に話しかけると、彼を引き連れてその場を去っていく。

 黒の亡霊は流に対する態度が嘘のように、素直にローブの男の後をついていく。からといって、黒の亡霊の方が喋ったような様子はなかったが。


「あのローブの男は、デュザ」


 二人が去って行くのを見つめながら、アルフィが言う。


「黒の亡霊は、デュザの言うことだけ認知してるみたい」


「デュザさんも黒服だから、二人は黒服繋がりなわけか。つーか、同じ企業の人間なんだろ? 見た感じだと、黒の亡霊の方が立場は下か?」


 流は推測をぶちまける。アルフィはそれに同意するように頷いた。


「多分ね。黒の亡霊は話を聞いてるだけっぽいし。問題なのは、デュザが【異教徒】信仰らしいってこと」


 流からすれば、民間企業の存在と同様に、寝耳に水な話である。


「『異教徒』ね……。そもそも、決まった宗派なんてあったのかって話だけどよ」


 アルフィは眉間を指で押さえた。


「……それも後で教えたげる。とにかく、アイツらに関わっちゃダメだからね」


「ありがとよ。肝に銘じとくわ」


 流の素直な返事に、アルフィは渋い顔を少しだけ崩したものだった。





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