37.勧誘
ロウソクと茜色のランプが灯る、小洒落たバーのカウンターで、リュウとヴァネッサはジョッキではなくグラスのビールで乾杯した。
こうして誰かと肩を並べて酒を飲むのは、本当に久しぶりのことだ。
ゴクリ。と音を鳴らしながら、泡が絡んだ苦味と酸味が喉を通る感覚に、心地よさを感じさせられる。
「まさか、大事な日を翌日に控えて、クソ真面目なヴァネッサさんから酒に誘われるとは思いもしなかったぜ」
「少しだけですよ」
ヴァネッサはコースターの上にグラスを置くと、リュウを見る。
「それに、≪オボウ会≫の件のこと、まだちゃんとした御礼をしてませんでしたから」
「いや、御礼ならしてくれただろ。『気持ち悪ィのは貴方でしょう』って」
「忘れなさい」
リュウがくつくつと腹を抱えるように笑うと、ヴァネッサは苦笑した。
『意地の悪い人ですね』などと言いながら、彼女は正面を向いてグラスに口をつける。
「――で、実はちゃんと話したいこと、訊きたいことがあるんだろ?」
そんなリュウの不意打ちに、ヴァネッサは肩に掛けた髪を撫でる。緩やかにウェーブを描きながら流れる、艶やかな黒髪。
ヴァネッサはリュウの方に顔は向けずに、躊躇うように口を開いた。
「訊きたいことは山ほどありますが」
「お?」
「アルバーニア君からも色々あるでしょうし、お先にどうぞ」
――色々ねえ。
確かに、リュウからヴァネッサに訊きたいことは色々ある。だが、正直なところ、本当に知りたいことは一つだけだった。
そして、リュウはその質問を今ここでする気はない。
「エグルルフで会合が終わった後、ルアノはどうなる?」
「上層に戻れば――、王城から抜け出したことについて、まずは王族の内輪で聴取が行われます。それから、上層全体を巻き込んだ審問会が開かれる」
ヴァネッサの顔つきが神妙なものに変わった。それは、これから起こる周囲からのルアノへの非難に対する憂いのようにみえる。
ルアノは王城から突然いなくなった。
リュウが識っているファンタジーの世界なら、お姫様が家出することなど頻発することであり、そのいずれも結局は丸く収まっていたと記憶している。まるで、家出騒動などなかったかのように。
だが、ルアノの場合はそういうわけにはいかないということか。
「ルアノ様は巫女としての職務を全うしようと尽力されただけです。その主張が通れば問題は何もありませんが、今回に限ってはそれが難しい」
「俺からヴァネッサさんには何も言えないが、理由はわかる」
――上層の人間に、≪赤の預言≫を教えてはならない。
この過去最強といわれる縛りが、ルアノを不利な状況にしかねない。何せ、上層の人間が彼らだけでルアノに対する処分を決定しようとするなら、ルアノは何一つ弁明出来ないことになるのだ。
「エグルルフから証言を得ることはできねえのか?」
「現状、私もそれが一番いい方法だと考えています。とにかく、どんなに不利でもルアノ様が咎められるようなことには、絶対にさせない」
「難儀なもんだな……」
傾国の魔剣が無事にシェイリスに渡れば、ルアノが賜った≪赤の預言≫について、回避条件はひとまずクリアしたことになるだろう。故に、そうなればルアノは世界を救った救世主と言っても差し支えないはずだ。
にもかかかわらず、凱旋を祝われるどころか、そんな仕打ちを受けなければならないのだから、世界を救うことほど損な役回りはないというものだ。
リュウはグラスに口をつけた。
「あとは……、もう訊きたいことはねえかな。まあせっかくだし、一つだけ。ルアノを助けたことで報酬くれるっつってたけど、本気にしていいのか?」
「それはもちろんですが、……アルバーニア君が欲しいものって、我々にどうにかできるんですか?」
「とりあえず、メチャクチャ金が要るからな。しばらくは遊んで暮らせるくらいの金がポーンと欲しい」
事実だった。
何せ、最終選抜試験で巻き上げた七十二万シーンも、たったの一ヶ月弱で十万以上も使ってしまった。他にも、ホウリアで大金を使ってしまったこともあり、リュウの残った残高は、予想していたより遙かに減ってしまったのだ。
故に、リュウがこれから摩天楼をどうこうと云うのなら、更なる大金が必要だ。
ヴァネッサは遠慮気味に口を開いた。
「……よかったら、なんですけど。アルバーニア君が抱える事情を、今度こそ教えてはもらえませんか?」
「どうした突然」
「貴方の目的……、私に打ち明けることで、それを成す方法について色々とわかるかもしれない」
ヴァネッサは静かに諭す。
「何故、摩天楼という処を探しているのか。それがわかれば、私にも何か力になれることがあると思うんです。少なくとも、貴方がシロノ君と二人で、闇雲に探し回るよりはいい。もしかすると、探すことさえ必要なくなるかもしれない」
そんなヴァネッサの言葉に、リュウは戸惑ってしまう。
確かに彼女の言う通りだ。色々と情報を提供し、ウィルクの問題に協力してくれるなら、それはリュウがこれから苦労して旅に出る手間を省いてくれることだろう。
似たようなことを、ルアノからも提案された。
もちろん、それは変わらず嫌だ。
何となくだが、リュウがすべきこと、愉しめることの大半を持って行かれてしまいそうで怖いのだ。
「預言の問題に一区切りついたら、そのまま貴方達は行ってしまうんですか?」
渋面を作っていたことに、気が付かれたのだろうか。
ヴァネッサが心持ち沈んだ声を出した。
「ねえ、――リュウ君」
その名で呼ばれたことに驚き、リュウはヴァネッサに顔を向けた。
彼女の大きく形のいい紫の目と逢ってしまう。
「ルアノ様の従者になるという話、本気で考えてみませんか?」
「……それマジで言ってんのか?」
「本気です」
驚愕だった。自分のように得体の知れない者が、王族の従者になるなどあり得ないだろう。自分がそうなるということではなく、ヴァネッサがそれを言い出したことがあまりに現実離れしている。
「いや、俺は知っての通り、一度養成学校を勝手に辞めてる身分だぜ。もう王国騎士にはなれねえだろ」
「私も王国騎士ではない。ロイヤルガードとしてルアノ様にお仕えしていますが、そもそもは監査部の人間です」
ヴァネッサの身分や上層の肩書きのシステムについて、リュウにはよくわからない。だが、どうであれリュウにそんな大層なものを背負い込む覚悟はない。
リュウはビールを煽った。
「言ったろ。俺は使命感だとか、そういうもんがよくわからねえんだよ。いきなりルアノの従者とかいわれても、それを誇りに思えねえだろうし、つまらねえ責任は負いたくない」
「理解しているつもりです。貴方に煩雑な上層のしきたりや、倫理を遵守して欲しいなど言いません。もちろん、制服を着ろとも言いません」
「それもう余所の人じゃね……!?」
リュウのような者に提示する条件としては、確かに好いものに聞こえるが、それは一体どのような身分の者になってしまうのか。
「いいんです。王立兵の中には、上層の人間でない者も多々いるし、王族がまともではない伝手で雇った密偵も少なくありません」
「はあ……」
「さっき少し触れましたが、これからルアノ様のお立場は、少なからず危ういものになってしまいます。ルアノ様にとって、行動を共にした貴方達がいてくれれば、これほど心強いことはない。≪赤の預言≫の内容を知っているのは、貴方達だけなんです」
トーンこそ抑えているものの、ヴァネッサの声には力が込められていた。ここまで強い勧誘を受けたことに、リュウは困惑と同時にじんわりと染み入る暖かい感情を覚えてしまう。
――人にここまで求められたのは、いつ以来だろうか?
リュウはグラスを空ける。
「ビール、おかわり」
「はい」
カウンターの向こうにいたバーテンダーは、グラスを受け取るとビールを注ぐ。
「誘ってくれんのは嬉しいが、俺がルアノにしてやれんのは、≪赤の預言≫に関することだけだ。その後のことは、はっきり言って知らねえよ」
「じゃあ、ひとまずはほとぼりが冷めるまで……」
「……考えておく」
バーテンダーからビールを渡され、それを一口だけ飲んだ。
「ただし、考えるのは、≪赤の預言≫が提示した危機が問題なく片付いてからだ」
リュウの言葉に、ヴァネッサは怪訝そうに眉をひそめる。
「エグルルフがゴールではない、と?」
「詳細は話せねえけど、この事件は規模がかなりデカい。単にルアノがヴァン王子と話をして、それで決着……ってことで解決するかどうか」
「預言の未来が実現する条件は、回避できるのでしょう?」
「ああ。だが腑に落ちねえのが、その条件が預言の実現とどう絡んでくるのか、わからねえってことだ。あんな条件を避けたくらいで、本当に預言の実現を防げるのかね?」
異教徒組織ヘルゼノス。彼らが傾国の魔剣を狙っているという事実が気になる。
もし、滅びが彼らの手によってもたらされるなら、魔剣をシェイリスに預けておいて大丈夫なのかという疑問が残るのだ。
≪赤の預言≫が提示した条件を回避しても、結局のところ魔剣が然るべき相手の手に渡ってしまっては、意味がないのではないか?
むしろ、リュウはその辺りの情報を知りたくて同行しているのだ。
これから異教徒が絡んでくるなら、彼らの目的は何なのか? それにデュザ達は関わっているのか?
ヴァネッサはビールのグラスを煽り、おかわりを注文した。
「よかったです」
「は?」
「そこまで真剣に考えてくれているなら、リュウ君を口説き落とすのも時間の問題ですね」
そう言って、ヴァネッサは笑った。
――本当に、こいつは。
「マヌケが」
リュウはグラスに口をつける。
そういうあざといのは、男に辛い想いをさせるから法で取り締まって欲しい。
大一番を翌日の昼に控え、夜は更けていった。




