36.旅の終着へ
「えええ……、上層公安局の檻から脱獄って……」
「いや、まず『兄さん』呼びから説明しろ」
「わたしが上層戻ってから、どうにかなるかな……?」
「わかった。結構長い付き合いなんだろ? 幼馴染みとか、そんなところか?」
「このまま何事も起きなかったら、ヴォルガ骨折り損じゃんね」
「実はあの人、結構親しまれてるんじゃねえか? ミストレイさんも『ヴォルさん』って呼んでたし。あの外見でかよ……。マジか……」
隣でぶつぶつと呟くルアノだが、リュウはヴォルガがそのように呼称されていることに驚愕し、それどころではなかった。チンピラ紛いのなりをしているヴォルガが、そこまで職場の人間から慕われていることがショックだった。同類だと思ってたのに。
「よろしいですか?」
『はい』
リュウの返事がルアノと被る。
「私兵による報告なので詳細まではわかりませんが、どうもハウト様が決定まで尽力されたそうです」
「ハウトが? 何だろ……。ラアルが泣きついたのかな……」
「ちょっとその絵面は考えにくいですね……」
苦笑いを浮かべたヴァネッサである。
リュウとしては内輪のされていては退屈なので、頬杖を付いて白けた顔をしているしかないのだが。
――今更ながら、≪ウルトラシング≫事件からのルアノ達を思い出すリュウである。
ルアノとヴァネッサ。そして、ミストレイ、ヴォルガ。
――クロード。
彼女らの関係を見て、リュウは時折たまらなく羨ましくなるときがあった。
どうして、彼らが尽力を惜しまないと思うことが出来るのだろう?
リュウはそんな仲間意識を理解出来ないわけではない。ただ、彼らがそんな風にルアノを助けることに対し、何も違和感がないことに羨望に近い切なさを抱いているのだ。
リュウではそういうわけにはいかない。ルアノにホガロで手を差し伸べたときと同じで、必ず理由が要求される。ヴァネッサだって、リュウがこんな生き方をしている理由を訊いてきた。
リュウが誰かのためを考えて何かをすれば、理由が問われる。
そして、彼らがルアノの為に何かをすれば、理由など考えるまでもない。
――面倒くせ。
だが、大事なことだ。
ルアノからして、リュウが彼女に手を差し伸べるのが自然でなければならない。そのために、リュウはシロノを含めて、ますますルアノの信頼を得なければ――、
「リュウ!?」
「何だァ!?」
突然のルアノの呼び掛けに、リュウは彼女を向いた。
だが、本人は少し固まった後、不思議そうに首を捻って、泣いた後のように目を拭った。
「え――? ごめん……。何か……錯覚? だったっぽい」
「びっくりするわ!」
逆毛立ったリュウは、訂正したルアノの言葉に胸を撫で下ろした。その安堵感に肩から力を抜いて、ため息を吐く。
「んー? ……いや、ごめん。目にゴミでも入ったかなぁ……」
「いや、いいけどよ。そろそろ自由行動でいいか?」
そうヴァネッサに問い掛けながら、リュウは立ち上がった。
「そうですね。十時前にはここにいて下さい」
「わかった」
「シロノ。一緒に来い」
リュウは東屋を離れ、旅に必要なものを買いに出かけることにした。
立ち上がったシロノに呼び掛け、彼を連れ出す。
――少し、相談したいことがあった。
***
「ルアノと何か話したか?」
昨晩の訓練で駄目にしてしまったブロードソードの代わりを選びながら、リュウはシロノに尋ねた。
だが、その質問が漠然とし過ぎていたのか、シロノは何も返さない。
「何でもいいぞ。晩飯のメニューとか」
「色々あるけど。一番印象的なのは、リュウとヴァネッサのことを相談された」
「何?」
リュウは頃合いな値段の剣を手に取り、鞘から抜いてみる。白い刃が剥き出しになり、傷一つないそれは店の照明を照り返した。
「どうすれば、二人が仲良くなるか」
「それで?」
「とりあえず、時間を共有するしかないと言っておいた。シェイクラルドのお茶会にリュウを同行させたのも、元々は私が言ったこと」
「……お気遣いどうも」
白銀は鏡のように、リュウの顔を映し出した。目付きの悪いウィルクが、呆れたような渋面を作っている。
リュウは刃を鞘に納めると、もう一つ同じ剣を取る。気に入ったので、訓練用にもう一つ買うつもりだった。
「ルアノのことは、気に掛けてやってくれ。エグルルフでの会合で問題が起こったとき、アイツにとって俺等が信頼できるかどうかが、重要な分かれ道になる気がするからよ」
「リュウは問題が起こると思ってるの?」
そのシロノの切り返しに、リュウは思わず彼の顔を見てしまう。本気で言っているなら、のんき者を通り越している。もちろん、シロノは基本的に何が起こっても動じないのは、短い付き合いでわかっているのだが。
「オイ。まさか、起きるわけないとか思ってんのか?」
「興味がない」
「そうきたか」
納得したリュウは口元を緩めた。
そうだった。シロノにとって、傾国の魔剣だの≪赤の預言≫だのがどうこうなど、本来気を揉むようなことではない。彼はリュウについてきているだけであり、ほぼ話の流れで協力しているだけに過ぎない。
すなわち、頓着がないのだ。
リュウは自分の見解をシロノに伝えることにした。
「何事も起きなきゃいいのが、ルアノにとっては一番だが、俺の予想じゃ四割くらいの確率で何かエラいことが起こるんじゃねえかと」
「……」
「マジで興味なさそうだな」
シロノは通路の脇に寄せてあった樽から打刀を手に取ると、鞘から抜き出す。
「ま、とにかくルアノには気を配って――」
シロノがちらりとリュウに視線を向けた。
「ヴァネッサさんには気を付ける。いいな?」
「……どうなの?」
「は?」
「ヴァネッサ。仲良くなれる?」
――そこは気にすんのかよ。
リュウは頭を掻いた。
答えは出ていないのだが、とりあえず気に掛けてくれた手前、現状の報告はしておいた方がいいと判断した。
「昨日の夜から、稽古をつけてもらうことになった」
「……」
「突然向こうから言い出してきてな。まさか、それもお前らか?」
シロノは首を軽く横に振った。
否定だ。
「ならルアノの指示か、ヴァネッサさんが俺を観察しているのか、どっちかだな」
「純粋な厚意、ということは?」
シロノの発言にリュウは耳を疑った。
思わず目を縦楕円にしてしまう。
「その可能性が、一番好ましい」
「……お前、凄いな。色んな意味でよ」
ヴァネッサに対して警戒を促したのはシロノだ。つまり、彼からして、本来ヴァネッサは歓迎すべき存在ではない。
だが、シロノは望んでヴァネッサを警戒しているわけでは、決してない。
彼が望んでいるのは、それがシロノの杞憂であること。『問題など何もない方が一番だ』、そうシロノが言っているように、リュウには思えた。
ルネでの散歩中、シロノはただ淡々とリュウに事実だけを伝えた。
シロノがそういった話をすると、どうにも主観性が欠けている。それをリュウは不満に思ったことが何度かあるし、今でもそう思っている。まだ、シロノの信頼を得られていないと自分に言い聞かせ、なるべくシロノと仲良くなろうと努力しているつもりだ。
だが、今に限っては、彼のそんな在り様に救われている。
虫のいい話だった。
「……何か、助けられてばっかだな」
そんな言葉が、口から零れていた。
「――?」
「……いや、オメーののんきな様子に、和んだだけだから気にすんな」
シロノは『意味不明』といわんばかりに、小首を傾げた。
「刀。気に入ったのあれば、買っとけ。あとはアイスでも買って、公園に戻るぞ」
リュウは中空を見上げた。
エグルルフでの会合まで、あと五日。
――そこでルアノがどんな顛末を迎えるのか。
ルアノに入れ込んでいる自分がいることに、気が付いた。
本来の自分の目的もある。とにかく、エグルルフでは下手は出来ない。
色々なことを考え始めると、リュウは緊張で心拍が早まっていくのを感じてしまう。
眼前に白い明滅が起こり、スパーク音が鳴る。
――楽しい。
リュウは今、此処にいる。それを実感することが出来るのだから。
この感じが手元にないとき、どれだけクソな思いをするのか。
この感じを取り戻したとき、どれだけ救われるような気持ちになるのか。
リュウはよく識っている。だから、“楽しい”のだ。
***
ルランドやラーパイルの施設とは比べものにならないほど、ちゃんとした訓練場だった。
――シェイリスに入国してから、五日目の夜。
「シ!」
リュウが突き出した刃が、ヴァネッサの喉元を抉った。
――もし、ヴァネッサがその突きをロングソードで流していなければ。
リュウのブロードソードを受け流したヴァネッサは、反撃に転じる。
少し前までならば、防いでいるだけで状況判断を狂わされるほどの、高速剣技。
ヴァネッサのそれにリュウは数日かけて慣れてきた。今では虎視眈々と彼女の攻撃の隙を窺えるほどの余裕さえある。
体内のヴェノが体中を巡る。その度に、リュウは自らの筋肉が、臓器が、そして意識が。
まるで、デッサン用の鉛筆をそうするように、理知的なセンスを研ぎ澄ましていくのがわかる。
バックステップで後退したヴァネッサは、氷の魔弾を展開、発射した。
――その全てを、リュウは炎で形成した盾を使って防ぐ。
その隙に、ヴァネッサは間合いを詰める。リュウが扱うブロードソードのレンジが、僅かに及ばぬ程度に。
彼女はあくまで、自分に優位な状況に身を置いて闘っていた。
リュウの踏み込みを待つヴァネッサに、剣を投擲。
ヴァネッサはそれをすくい上げる剣技で弾き飛ばしたが、直後の開けた彼女の身体に、リュウは拳を突き立てる。
リュウの左拳がヴァネッサの鳩尾に触れた瞬間、リュウの手首はヴァネッサの左手に捕まれていた。
すくい上げの終わりに、ヴァネッサもまた剣を手放していたのだ。
結局、リュウのパンチは芯を貫くことはなく――、
「ぐっ!!」
背中に走る激痛に、リュウは苦悶の喘ぎを漏らした。
――ヴァネッサが極めた背負い投げによって、その一本に終止符が打たれた。
***
「結局、最後まで一本も取れなかったな」
「ここで甘やかして貴方を調子に乗らせれば、後々に困るのは貴方ですから」
リュウ達はスケジュール通り、エグルルフ城下町に到着した。特に問題らしい問題は起こることなく。
ただ、シロノがたまたま借金取りから助けた没落貴族の男に求婚されたり、リュウがこの辺りを仕切るギルドの娘に囲われそうになったり、ヴァネッサが代打で参加することになってしまったミスコンで優勝したり、そんな小さなハプニングがルランドからの四日間で起こっただけである。
そして、ヴァネッサによるリュウの指導も、最終日の夜を迎えてしまった。
リュウは強くなった。というより、強さを引き出せるようになった。
今まで不安定だった力が、例えばレティシアやテレサと闘ったときのように、ちゃんと行使できるようになった、とでも言うべきか。
――ま、少しはマシになったよな。実際。
訓練後、リュウ達は宿への帰路についていた。
時間は九時。流石に春も本格化して、こうして夜の街並みを歩いていても、寒さを感じることはない。
「ねえ、アルバーニア君」
とヴァネッサが口を開いた。
「どうでしたか?」
「ん? 何のこと――」
『何のことだ?』と問おうとして、横に並んで歩くヴァネッサに顔を向けると、彼女はどこか緊張したように、キッとリュウを見据えていた。
「私の指導です。貴方の為になりましたか?」
「なったなった。こりゃヴァネッサさんには頭が上がんねえわってくらい、タメになったぜ」
愚問を真剣な眼差しでぶつけたヴァネッサに、リュウはおかしくなって茶化して答えた。そんなもの、訊くまでもないことだろうに。
「――ならいいです」
リュウの意地悪な答えに少し拗ねたように、ヴァネッサは顔を背けて言う。
そんなヴァネッサに、リュウは口元を緩めると――、
「ありがとう」
そう口にした。
ヴァネッサは目を見開いてリュウの顔を見ている。
「いや、マジで。オメーがここまでしてくれなかったら、俺はどうすりゃいいか困ったまんまだったと思う……。何でこんなに良くしてくれたのかわからねえけど、とにかく感謝はしてっから」
耳朶が熱を帯びていくのを感じた。
リュウは夜空を見上げて星をカウントし、妙に入ってしまった照れを誤魔化した。
「……」
「何だよ!?」
「いえ……」
絶句したヴァネッサを心外に思い、リュウは彼女に視線を戻して睨み付けた。自分の挙動を自分で気持ち悪いと自覚しながらも、ヴァネッサもヴァネッサでどこからしくない様子でリュウを見ている。
「あの、アルバーニア君」
「何だ?」
「少しだけ、飲んでいきませんか? 修練が終わったお祝いに、奢ります」




