35.第二の師
「手伝い……だと?」
ヴァネッサの言葉の意味がすぐには理解出来ず、リュウは聞き返してしまう。
だが、話の流れからして、それはリュウの訓練のサポートをするということだろう。
「もちろん、私から教えられることはほとんどありません。六日後には、エグルルフで会合――お別れですからね。一日の練習量も限られていますし」
「今日を含めて、五日間の短期講習ってことか」
悪くない話だと思うが、相手がヴァネッサだと思うと後が怖い。
「条件は?」
訝しげに問うたリュウだったが、ヴァネッサは嫌な顔一つせずに首を横に振った。
「ありませんよ。ルアノ様をここまで支えてくれたことへの、個人的な御礼です」
――どうしよう。
リュウは困惑した。
態度が豹変したヴァネッサは、控えめに表現して胡散臭い。
いや、ヴァネッサが胡散臭くて困っているだけで、返答に困っているわけではないのだが。
「願ってもねえ話だ。是非頼む」
リュウの答えにを聞いたヴァネッサは、口元を綻ばせた。
「断られる心配を、少しだけしていました。貴方は私にいい感情を抱いてないはずですから」
「それでも少ししか心配しねえのな……」
「ええ。どうしてでしょうかね」
どういう風の吹き回しかはわからない。それは、これから見極めていくしかない。
一つ確かなのは、この機会を逃せばリュウの力は伸び悩んだままであるということだ。だから、リュウはこの誘いに応じるしかない。
***
「――で。ぶっちゃけ、俺って弱いか?」
ヴァネッサに教えを乞うにあたり、最初に知っておかなければならないことだ。
正直、知るのが怖いという思いがないわけではない。しかし、これは目標とすべき強さと今の自分の強さの距離を計る、重要な儀式である。
「悲観するほどではないでしょう」
きっぱりとヴァネッサ。
「貴方は強い。強いが、物足りない。中の上から上の下。そんなところです」
「強いが、物足りない……? まだ救いようがあるってことか?」
「ええ。兵と渡り合うためには、もう少しの力が必要です。逆に言えば、それさえ補えば力不足に不自由することはなくなるでしょう」
その辺のチンピラとの喧嘩に負けることはないが、武闘派のエージェントと闘うことになれば結構な割合で敗けるということか。
その回答に、僅かに胸を撫で下ろしたリュウである。それなら、まだ何とかなるレベルかもしれない。
「なら、やっぱり奇跡の訓練するのが一番手っ取り早くなるのか?」
「それは違いますね。例えば、今この瞬間から魔弾を使えるようになったとして、そんなに急に自分の闘い方を変えられますか?」
そう言われると、自信がないリュウである。
もちろん、≪ウルトラシング≫でテレサの光線を水で防いだような好例はあり得る。
だが、基本的なスタイルに魔弾を交えるのは、本来であれば地道な訓練を要するものだ。ウィルクのセンスで何とかなってしまうものとは、断言出来まい。
「じゃ、どうするのが一番効果的だ?」
「私が思うに、模擬戦に重点を置くのが一番です。おそらく、貴方は自分の力をちゃんと理解していない。一〇〇のうち八〇以上出せるのを、七〇、六〇程度しか出せていないような違和感がありました」
人差し指を立てながら、ヴァネッサは言った。
「普通は身体の方が鈍って力が出せないものですが、貴方は意識というか、勘が鈍っている。思い出したように闘っているような、後手に回るクセがある闘いをしていました」
――鋭い。
実際、リュウはウィルクの身体を借りて闘っているのだ。確かに身体の反射に任せきりであり、ヴァネッサの言うことは的を射ている。
「意識と肉体のズレが埋まれば、貴方はもっと動ける。状況の判断力も上がり、魔弾を習得しても使い方が理解できるようになる。そのために、模擬戦で経験を積みましょう」
「身体が鈍ってるなら、動かしてる内に何とかなりそうだけどよ。意識の問題ってのは、どうにかなるのか?」
「もちろん、容易なことではありません。私が数日稽古をつけて、どうこうなるとは思えませんね。ですが、自分の中のヴェノを理解する感覚が掴めるタイミングは、必ずあります。私はそのきっかけを作るだけです」
ヴァネッサは断言する。そして、笑みを携えて付け加えた。
「根気が要りますが、貴方なら大丈夫なのでしょう?」
「上等だ」
そんなヴァネッサの言葉に、リュウは口元を吊り上げる。
これほどの実力者にそう言ってもらえることが、どれだけ恵まれていることか。そう考えるだけで、気合いが漲る。
その後の一時間余り、リュウはヴァネッサと打ち合いや組手をして修行に励んだものだった。
***
――翌朝。
リュウは起床すると、身体の怠さに顔をしかめる。
なるほど、これは一人でヴェノの訓練をしていては、味わえない苦しみだ。アルフィに指導を受けていたときも、確かにこんな怠さがあったのを思い出す。
「よく寝たわ……」
と暢気に呟いてから、部屋の壁掛け時計に目をやると、時刻は八時半。集合時間の三十分前だった。
――やべえ。朝飯各自だった。
せかせかと身支度を調え、流れるようにして宿の一階にある売店に立ち寄った。
そこで、赤毛の髪の後ろ姿が、サンドイッチとミルクを手に取るのが目についた。
「よう、ルアノ」
とリュウが声を掛けると、癖のある毛先をぴくりと動かし、彼女は振り返った。
「リュウ。おはよう」
朝から脳天気な笑顔で挨拶をするルアノである。
「眠れたか?」
「いやあ、昨日あれだけラクダに乗ってたら、逆に疲れるもんなんだね。ぐだっと寝ちゃってたよ、ぐだっと」
「よく起きれたな」
「ヴァネッサが優しく起こしてくれた」
きらきらと輝きを放つルアノの顔。
それは笑顔満面にしていいことなのか、リュウには甚だ疑問だが。
「そういや、昨日からやけに小綺麗にまとまってるよな」
「わかる? ヴァネッサが身支度を手伝ってくれたからね」
今度はぴーんと鼻を高々に伸ばすルアノである。
ヴァネッサと無事に合流してから、ルアノは朝からご機嫌なのだ。やはり、心を許した相手が傍にいるのは、このような旅路において大きなプラスとなっている。見知らぬ土地を転々とするのは、リュウのように図太い神経をしていてもハードだと思う。
それも、もう慣れてしまったリュウではあるが。
「あ……ねえ、リュウ」
「あん?」
リュウがパンを品定めしていると、ルアノの声が思い出したように遠慮気味になる。
「ヴァネッサのことだけど……」
「何だ? 今更」
「……どう?」
――非常に漠然とした訊き方だった。
何を訊いているのかはわかる。
要するに、ヴァネッサに対してリュウがまだ面倒臭いしこりを抱いていないか、あるなら解消される見込みはあるか、それを訊いているのだ。
もしかすると、昨日ヴァネッサがリュウの訓練を覗きに来たのは、ルアノの差し金なのかもしれない。
「どうってことないぜ。俺の方は」
「本心からだと嬉しいんですけど……」
「バカタレが」
ラッピングされた野菜の具沢山サンドイッチと、チーズとソーセージのドッグサンドを選択。飲み物は紅茶に決定だ。
「何かとカンに触るところはあるが、今のところ悪い奴じゃねえ」
「今のところ?」
「そんな感じだ。本心は」
「何か、釈然としない答えだなあ」
軽くため息を吐いたルアノを置き去りにするように、リュウは精算を済ませにカウンターの従業員の元に向かった。
逃げているという、自覚はあった。
そして、卑怯な答えをしているという自覚も。
――だが、それでもリュウは逃げ切らなければならない。
***
「まず、計画をおさらいしましょう」
集合場所は、ラクダの停留所の傍にある公園だった。
木漏れ日が差し込む、東屋の下のテーブルに地図が広げられていた。
「今日はルランドから【ラーパイル】に向かいます。十時に出発し、到着は遅くとも十六時です。もちろん、今日は途中に街を二つ挟みます」
図面に書かれた街道を、ヴァネッサの指先がなぞる。
「今日中にエグルルフ城下町に到着しなくていいのか?」
「ここからエグルルフ城下町ですと、到着は夜になる。今日は無理せず、陽暮れ前に宿を確保しておきましょう。もしかすると、夜には降り始めるかもしれませんから」
「明日、明後日は移動はなしだよね?」
「はい。ラーパイルに三泊することになります」
エグルルフまで、距離的にはもう少しだ。だが、ヴァン王子との約束の日まで、まだ五日ある。
そこで何が起こるのか、リュウは見届けなければならない。
ヴァネッサの態度から棘がなくなり、今のところは順調だ。しかし、危機というものは、得てして安堵感という言葉をぶち壊す形で訪れるものだ。
――まるで、裏切り者に背後から刺されるように。
リュウはベンチで一人、面白いでもつまらないでもない顔で座っているシロノを見た。
昨日の高熱のときにリュウのズボンを掴んだ、あのときを思い出す。
――シロノは大丈夫だ。
「明明後日、何事も起きなければ城下町に到着。その次の日に、エグルルフに登城し、ヴァン様との会合です」
リュウはルアノに問い掛ける。
「啓示は起こってねえだろうな?」
「うん。大丈夫」
はっきりと頷いたルアノに、リュウは茶々を入れたくなった。
「夢でみたのを、寝惚けて忘れちまってるとか」
「またぁ……。え? マジで大丈夫だよね?」
「止して下さい」
ヴァネッサはリュウを窘めると、一つ咳払いをする。
「次に、伝書鳩で報告がありましたので、お知らせします」
「何? 悪い報せ?」
「どちらでもある。というのが適切ですね」
ルアノの問いに、ヴァネッサは困ったような笑顔を浮かべた。
その余裕のある表情を鑑みるに、そこまで悪い話ではなさそうだ。からといって、いい報せというのもおかしな風をしている。
「ヴォルガ兄さんが、王国騎士団から除名処分を受けました」
「え!?」
「兄さんだァ!?」
ルアノとリュウの驚愕が重なった。
構わず、ヴァネッサは続ける。
「その日のうちに、留置場から脱走したそうです」




