31.聖女が死んだ荒野
――シェイリス王国。
ハウネル王国、信仰の国レーミルテスと併せ、三大国の一つとしてカウントされるその国の面積は、ア・ケートで第二位。その歴史は長く、旧帝国レオルハンドの崩壊――旧歴元年と同時に当時のレオルハンド属領が発足したものだそうである。
曰く、初代シェイリス王は崩御したレオルハンド皇帝陛下を罰した神の現身である。
曰く、シェイリス人には“蒼天の獅子”の加護がある。
――などと、割と眉唾な説話がガイドブックにつらつらと載せられている。
リュウは頁を捲り、その先を読み進めた。
ルーセアノの七人の弟子である、“魔女狩り”の魔女シェーリーンと“創造”のミゼルは、その属領の出身であった。ミゼルは魔神戦争の終結時に落命したが、シェーリーンはシェイリス王国発足後の三年間、武官として活躍したとのことである。
七人の弟子の中で残された遺伝子に、シェーリーンのものはないとされているが、彼女の血筋は現代においても密かに伝えられているかもしれない。
また、七人の弟子の一人である“姿見”のジーンにとっても、シェイリスは縁のある地であったそうである。
彼女はルーセアノの双子の妹であり、容姿がそっくりであったことから、“姿見”という号がついた。魔神戦争後に、ジーンはシェイリスの前身であった属領の高名な僧侶、ヴェルハザードに輿入れ。ジーン・ヴェルハザードとなる。ヴェルハザード家はルーセアノ信奉を世に広め、驚異的な速さでルーセアノ教会を発足。今ではシェイリスとレーミルテスの国境に位置する霊峰≪ユルト≫に、ルーセアノ教会総本山となるヴェルハザード大神殿を構えている。
「オイ、これ本当の話なのか?」
ガイドブックの頁を指さしながら、リュウは隣に座るシロノをみやる。が、彼はすっかり眠りこけてしまっており、なしのつぶてだ。リュウの正面に座するルアノは、虚ろな目を中空に向けており、意識がこちらの世界にあるとは到底思えない。
リュウは視線を夜の海に漂うイカダのように揺らしたのち、本当に仕方なく、ヴァネッサへと寄る辺を求めた。彼女は窓から外の景色を眺めているようだった。
「……伝承のことなら、正確な情報しか記載されていませんよ」
「そりゃどうも」
――沈黙。
実のところ、リュウもルアノと同様に、意識がどこか違う世界に飛び立とうとしていた。人間は七十二時間何もないところにいると発狂するといわれているが、比較的緩い今の状況でさえ、リュウは限界を迎えつつある。
思い切って、ヴァネッサに切り出した。
「なあ、ちょっと休憩にしね?」
「二時間前に休んだばかりです」
「少しくらい外歩かせろよ」
「貴方は観光に来たのですか?」
「別に修行に来たわけでもねえよ! 何が悲しくて何時間も馬車で座ってなきゃなんねんだよ!? テメエ、ルアノ見て何も感じねえのか!? ってオイ、何外見てやがる! 外の景色は何も変わらねえだろうが六時間前から!」
ヴァネッサは胡乱な眼差しをリュウに向けた。
彼女の麗しい瞳は光沢を失っており、リュウの背筋にぞくりと悪寒が走った。
「五月蠅い人ですね。今、いいところなんですが?」
「――は?」
「あと少しで、耽美の境地に花が咲きそうなんです」
そのヴァネッサの言葉に、リュウは戦慄した。
たったの一言でここまでの恐怖心に染め上げられたことが、未だかつてあっただろうか?
「オイ、オッサン……。停めろ。ラクダを今すぐ停めてくれ……」
リュウは膝から崩れ落ちた。
荷車の床に四つん這いになって御者に懇願する。
リュウは黒髪を両手で掻き毟って怒鳴った。
「何もねえっつったって、普通は店だの田んぼだのトイレだのあるはずだろうが……! マジで道以外に何もねえってのはどういうわけだオイ!!」
何とか御者台まで辿り着いたリュウは、すっかり熟睡している御者の頭を叩き、ラクダを急停車させたものだった。
***
シェイクラルドの竜車は、無事に朝九時にヒストロ教会を出発。荷台に隠れたルアノは見つかることなく、難なくシェイリスとの国際検問所を突破した。
その後、リュウ達はマトルゥに到着。
軽く腹ごしらえを済ませ、ラクダに乗り換えて次の小目的地である【ルランド】へと向かうことになったのだ。
しかし、マトルゥの案内人達は口を揃えて、『ルランドへは回り道をしてでも幾らか街を経由した方がいい。平地をぶった切ろうとすると、道中に何もないから』と言う。
ヴァネッサの計画では、五日ほどあれば余裕でエグルルフ城下町まで到着するはずだったが、天気予報は三、四日目に豪雨が降ると主張していた。ちなみに、ア・ケートの天気予報は、地方の専門の占い師数名による予報が主流であり、平均的中率は驚異の七割越えである。
足止めを喰らうことを見越したリュウ達四人は、案内人達の忠告を無視して真っ直ぐにルランドへと向かい、予定より早く駒を進めることに決めた。
だが、リュウ達は彼らの『道中に何もない』という言葉を甘くみていた。『何もない』とは本当に何もないのだ。
見渡す限り広がる荒野は、整備された道が一本延々と続くばかりで、見るべきものが存在しない。
「しりとりしよう」
と十分も経たないうちにルアノ。
だが、その手のゲームは当然シロノの独壇場だ。何手に及んだかもわからないほどヴァネッサは粘ったが、あえなく投了。シロノが王座に着くも、彼が最初で最後のしりとり王となってしまった。
それから、ルアノはリュウに訊いたものである。
「あのさ、リュウって≪決戦≫したことあったの?」
「――いや? 最終選抜が初めて……、だったような気がしないでもないが、確かあったようななかったような、そんな感じで多分俺達は日々無自覚に≪決戦≫してるようなもんだろ多分」
「どっち!?」
ヴァネッサの視線が気になり、馬鹿げた回答ではぐらかすリュウ。彼女はウィルクのことを調べ上げている。リュウはウィルクの≪決戦≫経験など知らないので、いい加減なことは言えないのだ。
「何でそんなこと訊くんだよ? どう考えたって素人だろ俺は」
「でもさ、メイガンと戦ってるとき、『お前みたいなエスパーは何人も絞ってきたぜドマヌケがぁゲヘヘ』って言ってたじゃん? あれって何なの?」
――言った気がする。
事実だった。
リュウは何回か、ふざけた能力の持ち主とゲームタワーで出会い、戦ったのだ。
「別に≪決戦≫ってワケじゃねえけどな。意味がわからねえ変態共とゲームをやらされたことがあるってだけだ」
「そっか。だから最終選抜や“毒杯九飲”のときも、慣れてるって感じがしたんだね」
「ああ。――ま、お遊び程度?」
やはり、ヴァネッサが聞いている傍で下手なことを言うのは避けた方がいいだろう。リュウはそのまま窓の外に視線を移した。
ルアノはそんなリュウの様子を見て察したのだろう。それ以上、追求してくることはなかった。
それから、まだ幾らか会話はあった。
リュウが元の世界の都市伝説を披露したり、それに対抗したヴァネッサが怪談話を繰り出したり。
しかしながら、それも二時間も持たずに消沈。
何度か休憩を挟んだが、御者曰く、あまりペースを落とすと日没までにルランドに到着できないとのことだった。
――いよいよ、沈黙が続いた。
リュウは何回か寝てみたが、ラクダの揺れが気になって、どうしても眠りは浅くなってしまう。
リュウが最後に懐中時計を開いたのは、およそ四時間が経過した頃。
その時点で、ルアノの様子はおかしかった。寝ているのか起きているのかはっきりしない様子は、痴呆症患者を彷彿とさせる。シロノの様子はいつもと同じなので気にすることはない。ヴァネッサは瞑目したままぴくりとも動かない。
手持ち無沙汰なリュウはガイドブック開いた。
そして、綴られている文字を目で追っている間、退屈という病がヴァネッサの精神を蝕んでいたことを、後になって知ったリュウである。
***
「この平地は縁起でもねえ処なんだよ、ホントはな」
御者の男が休憩を取っているリュウ達に語りかけた。
「何か謂れでもあんのかよ?」
「“聖女殺しの黒龍”って聞いたことねえか?」
「あ、わたし知ってる」
とルアノは挙手をした。
「ルーセアノを殺した魔神でしょ?」
「最期に戦ったのは、ダー・ベレイクって魔神じゃねえのかよ?」
「殺したってのは言葉の綾だね。その後、蘇生したからさ」
リュウの疑問に、ルアノは肩をすくめて答えた。
――“聖女”じゃなくて“化け物”でいいんじゃね?
「ここは、黒龍が悪辣なヴェノを巻き散らかして荒野に変えちまったんだ。まあ、三分の一くらいは、黒龍を仕留めたヘルゼノスがやったって話だけどな」
「黒龍の瘴気ってのが、ルーセアノとジーンにとって猛毒だったらしいんだよね、どういうわけか。えっと、それでヘルゼノスがどうして出てくるの?」
もっともらしく語る御者を補足しつつ、待ったをかけたルアノである。
「もしかして、ヘルゼノスがルーセアノの代わりに戦ったとか?」
「ま、ただの言い伝えだけどな。その戦の地の残骸が、この名もない荒れた平地ってわけよ」
辺り一面、荒れ果て乾燥した土しかなく、一本だけ整備された道があるのみ。
これだけ広大な土地であれば使い道は幾らでもありそうだが、今の黒龍の話を聞く限りでは、呪いめいた瘴気による汚染を忌避し、人々が敢えて放置しているということなのだろうか。
いや、人だけではない。
動物はおろか、魔物でさえもこの荒野では見かけない。
「薄気味ワリィな。いっそのこと、通れねえようにしちまえばいいんじゃね?」
「いやあ。別に実害があるってわけじゃねえしなあ。今みたく眠っちまっても、見ての通り魔獣の一匹もいやしねえしな」
ふうん。
と一つ呟き、リュウは背伸びする。そのまま、適当に身体を動かすことにした。
――そこで、リュウは異変に気が付く。
「シロノ? 具合が悪いのか?」
シロノは何も答えなかった。
ぱっと見ただけではわからない。しかし、この一ヶ月近い付き合いで、リュウには何となくだがシロノの様子がおかしいことに気が付くことができたのだ。
美しい貌の白い肌はいつもと違い、心なしか不健康な青白さに染まっている。
彼の無感情な瞳は、いつもよりも動きが多く、落ち着かない印象を与えた。
リュウはシロノの額に右の手のひらを当てた。
汗をかいているのか、彼の顔は湿り気を帯びている。
「まいったなこりゃ……」
「え? 大丈夫なの?」
ルアノの問いに、リュウは首を横に振った。
「ひでえ高熱だ」




