30.戦う理由
顔の傷がひんやりとした夜の外気に触れ、鋭く痛む。
≪時雨≫を後にしたリュウとヴァネッサは、ルアノとシロノが待つ宿への帰路についていた。ラクダの停留所に着き、備えられているベンチにリュウはどっかり腰を落とす。
「ったく、ロクでもねえ連中だな、テメエら……。ギルドと公安局が癒着かよ」
「お恥ずかしい」
リュウの吐いた悪態に、ヴァネッサは目を伏せながら応えた。
平穏の裏側で、彼らのような相反するはずの存在同士が結びついている。それでこそ世界はまわるのかもしれない。
冷たい現実において、常に綺麗事ばかりでやっていけるわけでない。“清濁併せ呑む”とはよく言ったものだし、リュウにも理解くらいは出来る。
だが同時に、そんな事実が存在すること自体、この世界がクソそのものである証左ともいえるのではないか、ともリュウは考えさせられたものである。
「んで、俺まだ状況を完璧にはわかってねえんだが、何だったんだ?」
「貴方という人は……」
呆れたようにヴァネッサが顔を片手で覆う。
リュウは襲ってきたラクダの御者から、関連のありそうなキーワードが出てきたのを確認したのち、彼を何とか返り討ちにしてラクダを調べた。
地方公安局の第二部隊副隊長とシラック・ドイルなる人物がこの時間に≪時雨≫に現れることを知ったリュウは、適当な書類を見繕ってヒストロ教会まで全力で飛んでいったのだ。目立つのは嫌だったが、パルクールのような移動さえした。
簡単には話が通じずに、チンピラに集団で襲われるなど随分と苦労したものだが、その甲斐あって大物くさいザルクを引っ張り出すことが出来た。
「そんなことより、治癒術を」
「お、おう?」
リュウに向けて伸ばされたヴァネッサの手のひら。
彼女の手は白く目映い輝きを放ち、リュウの傷を癒やしていった。慈しみに充ち満ちた光は、リュウに精神的な安定感さえ施してくれる。
「比較的大きめな怪我ですから、私の治癒術程度では完治にとても時間が掛かります。貴方の回復力があれば、明日の昼にはほとんど治まっているはずですが」
「十分だ。ありがとう」
「まったく、無茶をして……」
溶けてなくなってしまうかと思わせるほど、心許ないヴァネッサの悪態。
「相手の出方次第では、貴方は無事では済まなかった」
「そりゃ、わかってたけどな」
「余計にバカじゃないですか」
「悪いこと考えたとき……悪運は強ェ方なんだよ」
結局のところ何とかなりはしたものの、随分と危ない橋を渡っていたのは、リュウとて重々承知している。だが、この“結局何とかなった”という感覚が、昔からリュウは気に入っていたのだ。
常々冷徹であるはずのこの世の中に、ときどき訪れる赦し。得てして、何かを望み動いた者にだけ垣間見ることが出来るそれは、リュウが世の中を見限るのを引き留めてくれる。
「ねえ、アルバーニア君」
「……何だよ?」
思い出したように呼び掛けたヴァネッサに、顔を向ける。彼女の美しい紫瞳と己のそれが合い、引き込まれそうになった。
「貴方は、一体何者なんですか?」
その問いに、リュウは微かに瞼を持ち上げた。
単にリュウのコンプレックスを突かれてしまったとか、そんな理由による反応ではない。
リュウは心中で思う。
――そりゃ、お前に訊きてえよ。
「養成学校時代の貴方の活躍を、私は報告書に綴られていた内容でしか知りません。気になるのは、貴方の人となりが卒業を間近にガラッと変わってしまったという記述です。確かに、『以前は品行方正な生徒だった』と報告書に記載されていた貴方とは、人物像がかけ離れすぎている」
「……何が言いてえ?」
「日頃の態度はともかく、行動面……随分と大胆な行動をするという意味合いで、貴方は変わってないように思います。これはあくまで、報告書の内容と照らし合わせた意見に過ぎないですけどね」
リュウはウィルクのことを多く知っているわけではない。
ただ、アルフィからウィルクがどういう人物かは確認したし、周囲のリュウに対する態度から、概ね彼がどのような人物だったのかは見当が付く。もっとも、彼が心中で様々な物事に対して、何を思っていたのか。周囲に対して秘めていた感情はなかったのか。そこまではわからないが。
その上で、『リュウはウィルクと似ているか?』と問われれば、『似てるわけねえよ眼科行け』としか言えない。
『アンタやっぱりウィルクに似てる』
だが、アルフィも別れ際にヴァネッサと似たようなことを、確かに言っていたのだ。
――マジで?
頭上にクエスチョンマークを三つほど浮かぶのを振り切り、リュウはヴァネッサに訊く。
「あーっと……、行動原理は変わってないようなのに、突然人格だけイメチェンしたのはどういうわけか、不思議でしょうがない。そういうことか?」
「イメチェンで済ませられる変化ではないと思うんですが……。まあ、その通りです」
リュウはシロノとルアノに自らの身に起こったことを、全てではないにしろ要点だけは話した。シロノはそのことを承知していると勝手に思っていたし、ルアノに対しては己の無知を誤魔化し続けるのも馬鹿らしく思ってしまったのだ。
――では、目前の女に対しては?
「ルアノから、俺について何も聞いていないのか?」
「摩天楼と呼ばれる場所を探している……、それが目的で旅をしていることは聞きました。ですが、その理由までは本人から直接訊いた方がいいと」
「意外と口が堅いじゃねえか」
「ルアノ様は義理を重んじられる御方です。“意外”とは心外ですね」
まともな神経をしていれば、リュウの事情は殊更にペラペラと伝聞すべきではないと判断するだろう。そして、ルアノにそんな繊細さがあるかは疑問であり、だからこそ純然たる彼女の義理堅さなのだろう、と解釈しておくことにするリュウである。
それにしても、困ったものだ。
正直、ヴァネッサに対してリュウは自分の境遇を教えたくない。ならば、誤魔化すか素直に教えたくないと告げるかのどちらかになるが、彼女は簡単に折れてくれるのだろうか。
「……質問が遠回しになってしまいましたね。誠意を込めて素直に言います。私が最終的に知りたい――危惧しているのは、まるで見えてこない貴方の動機なのですよ」
「動機?」
リュウが答えに窮しているのを見かねたのだろう。ヴァネッサは言い回しを変えた。
治癒術をリュウにかけながら、彼女は曇った表情でリュウの目を見る。
「報告書に目を通した時点で、貴方のことを変わり者だと認識しました。直近の例を挙げるなら、最終選抜試験でのアルフィ・アルバーニアに対する蛮行です」
≪剣竜の現身≫最終選抜試験。そこでリュウは、アルフィを試した。
彼女にとって養成学校での二年間は何だったのか? 彼女が抱えているコンプレックスに対して、決まりをつけることが出来るのか?
「貴方はホガロでルアノ様に出会い、あの御方を助けた。およそ貴方にはメリットが感じられない危険な状況で、貴方はルアノ様の傍にいることを選んだ。はっきりと異常を感じたのは、メイガン氏との≪決戦≫です。彼の挑戦を受けたのはいい。ですが、その勝ち方が明らかにおかしい」
≪ウルトラシング≫でリュウがルアノに構い続け、最終的にはテロリストと戦ったこと、それでもなお彼女から離れず、ルネで金銭的な援助さえもしたこと。
メイガンとの≪決戦≫でリュウはもっと簡単に勝利を収めることが出来た。しかし、リュウはそれでは満足せず、自らが毒に犯されてでもメイガンを貶める勝ち方を選んだ。
「ついさっき、貴方は危険を顧みず、ヒストロ教会に向かい、結果ザルク殿を動かした。状況をろくに知りもしない不確かな状態で、です」
リュウは≪時雨≫の前に駐めてあったラクダに、ちょっかいをかけた。異常とは決して呼べない、ただの違和感からだ。よしんば、そんな違和感を覚えたからといって、自ら危険な行動は起こさない。そうヴァネッサは言いたいのだろう。
「どれもこれも、貴方にそこまでする動機がない。本当は、貴方は何処かに属する兵ではないのですか? そうでもない只人が、どうしてこんな生き方をするのです?」
「……俺がスパイだって言いてえのか?」
「その方がまだ納得ができる。ですが、貴方の行動がもたらした結果は、いずれもその可能性を否定しています。だからこそ、私には貴方がわからない。貴方はどうして己にとって無意味な戦いをするのです? 何のメリットのない人間が、どうしてそこまで必至になることができるのですか?」
――それだけが、知りたい。
そう彼女は問うた。
ヴァネッサの質問は、かつてルアノがリュウに訊ねた質問とよく似ている。どうして自分に助け船を出すのか、彼女はリュウに訊いてきたものだった。
ヴァネッサの表情は真剣だ。お前は人が好いからな、程度で済ませていた養成学校の面々とは違う。
ヴァネッサの視線からは、リュウが生まれながらの真の戦士なのか、質の悪い狂人なのか、見極めようとする猜疑心と一抹の不安が込められている。
――お前は何も知らねえのか?
リュウは思う。
確かにヴァネッサの問いは、今更なタイミングはともかく、健全な内容だ。今彼女が挙げた様々なリュウの奇行には、確かにリュウに実益をもたらさない。
もし、ここでリュウが『仁義と情熱。それが俺の生き方だー』、という旨の回答をすれば彼女の評価は得られるだろうか?
逆に、只の酔狂だと答えれば、評価はマイナスになる?
では、前者を主張するのが一番いい。
そう思う。思うが――、
――そんな器用な答え方が出来る人間は、そもそもこんなことを問われない。
「愚問だな」
リュウにとっては、前者後者どちらも正解に近く、そして正鵠を失する解である。
「お前は気分がいいって感じたことはねえのか?」
「――は?」
「達成感の話だよ。任務を遂行した後とか」
「それは、もちろんあります。ありますが、……まさか、そんなことの為に?」
確かにリュウには実益はない。だが、全くの無利益ではないのだ。
見ることも触ることも出来ない利益。感情の揺らぎや充実感。
そういったものがリュウにとってはある意味全てであり、むしろヴァネッサはどうしてその可能性を真っ先に思い浮かばなかったのか、逆に疑問だ。
「そうだよ。人の未来をどうこうするのって、正直気分がいいだろ? 自分の力を実感することができる」
仄暗い青春だった。他人を暴力で屈服させ、そのたびに自分の中でどうしようもない鬱屈とした気持ちが溜まっていく。つまらない相手をひねり潰していくうちに、そんな馬鹿共としか対等に渡り合っていない自分に劣等感を募らせた。
「崇高な使命感だとかプロの矜持とか、そういうのを理解できねえ俺みたいなのにとっては、たとえば、――自己顕示欲を満たす? とか、そういう喜びを代わりに得ないと、やってらんなくなるんだよ」
ヴァネッサの表情が凍り付く。
彼女はいつの間にか、治癒術を解除していた。
「わかりやすいのが、例えば人を助けたり、とかだな。そいつに感謝されて、曇ったオーラがスッとなくなって、そういうのを見ると達成感を覚えるだろ? あとはメイガンみたいな勘違い野郎の鼻っ柱をへし折ることとか。ケッサクだったろ、アイツが自分の勝利を自分で棄てて、自爆する様は」
そんな、些細な楽しみで十分だったのだ。
神坐流はずっと惨めに過ごしてきたが、ゲームタワーで困難に挑み、勝つことへの喜びを識ることが出来た。そうやって夢中になっている間、流は心の中で己を見張る自分自身から解放され、自由に興奮することが出来るのだ。
――いうなれば、それは恋に似ていた。
金がどう、地位がどう、メリットがどう。それはリュウにとって手段であり、最終的に得たいものは精神的な優越。他者を圧倒することで、自分は強いのだとリュウは自分に示すことが出来る。
「俺は惨めな思いはしたくねえ。だから、俺は戦わなきゃいけない。戦って強さを実感しなきゃいけない。そこに、俺はみずみずしさを感じてる。それが答えだ……何語らせんだよ気持ち悪ィ」
ヴァネッサは引きつらせた頬を、ぎこちなく動かした。
「確かにまあ、それは自然……? 確かに私とて、別に地位や名誉、金の為に生きているわけでは……、いや待った、やはりおかしいですよ。信奉するもの、何かに対する忠義心や愛からくるものではないのでしょう?」
「ないな」
「単に、己の満足のために戦っている?」
「そうだ」
そうして放たれた疑問に、リュウは迷いのない即答をした。
何故なら、それ以外の答えなどあり得ないから。
「――気持ち悪ィのは貴方でしょう。そんなに浅ましいことを堂々語る人を、初めて見ました……」
――侮蔑。嫌悪。
そんな感情が、ありありとヴァネッサの表情や口調から見て取れた。
リュウはどうしても彼女に言いたいことがあった。思わずにっこりとした笑顔になってしまう。
「語らせたのは、テメエだっつってんだろ」
心のどこかで、リュウはヴァネッサを見返すことが出来たのではないかと期待していた。
だが、どうやら今の問答で、彼女のリュウに対する信頼は粉微塵に粉砕されたようだった。
やはり、リュウはヴァネッサとは――シロノ風に言えば“仲良くなれる”のかもしれなかった。




