29.救援
シェイクラルドの幹部達は苦い表情でヴァネッサをみやる。彼らとてシラックに好きなようにやられた上、ヴェイランテ副隊長まで連れて来られてはたまったものではないはずだった。
「しかし、私もすぐ『はい、そうしましょう』と頷くわけには……。後任の者は決まっているのですか?」
「適任者なら何人もいる。後日、会長をはじめ≪オボウ会≫の皆さんに挨拶させるが、そのときにでも引き継ぎを済ませてしまえ」
「待って下さい。引き継ぎにしろ、そう簡単に済ませるわけには――」
「ウチはまあ構わないんですけどね。会長がどう仰るかなあァ」
そうシラックは勿体をつける。
このままヴァネッサが了承してしまえば、あっさりと担当から剥がされる。せめて引き継ぎの時間を延ばし、本家に根回しをする僅かな時間だけでも欲しい。
「この話、本家の皆様には?」
「いやぁ、してませんよ。ただ、会長達も今は忙しいですからね。そんくらいのこと、こっちで内々に決めてちまえば、他の連中言いくるめるのはそう難しくないし。本家のお手を煩わせるようなことも無くなって、いいんじゃないですか?」
不味い。彼らの判断はもう迷いがない。
こうなれば、多少強引にでも交渉するしかない。
「もう少し、お時間を頂くわけには参りませんか?」
そう切り出したヴァネッサに、ヴェイランテ副隊長が怪訝な表情を浮かべる。
「何故だ?」
「こちらにも、都合というものがございます。第二の中では外様とはいえ、私も一応は籍を置いている捜査官です。そうも簡単に担当から降ろされては、せっかくの段取りが台無しになってしまいます」
ふぅん、とつまらなさそうにシラックは感嘆の息を漏らす。
「何です? 誰かが面倒事でもしでかしてるなら、ウチらに任してもらった方が、ありがたいんですけどね」
「詳細まではお話しできませんが……」
「言えないんだったら、仕方ないでしょう」
シラックは椅子の背に、大げさにもたれかかった。
ヴェイランテも処置なしとでも言いたげに、目元を手で覆いながら言う。
「何も話すことができないなら、それは君の勝手な都合だろう。あまり無茶なことを言うな」
「……」
打つ手が何もない。
こうなれば、もうウロコでルアノを運ぶのは諦めるしかないか。
「オジキ。やっぱり、会長にお伺いを立てた方が……」
「何だオイ? あんな不義理しといて、意見かこの野郎!」
一喝したシラックに、シェイクラルドは黙るしかない。
仕切り直すようにシラックは言った。
「ま、そういうことですんでね。すいませんね、メロードルさん。お呼びしといて何なんですが、こんな話の後じゃ飯やらって気分にもならんでしょ」
「いや……、ええ。我々はこれで……」
これで仕舞いと言わんばかりのシラックの言葉に、ヴェイランテが曖昧ながらも頷く。
ヴェイランテは眼鏡を掛けると、立ち上がった。
――失敗だ。
「行くぞ、メロードル」
「はい」
ヴァネッサも立ち上がり、臍をかむ思いで一礼する。
まるで不意打ちのように、自らのプランが崩れていく。そんな苦い思いをしながら、ヴァネッサは扉に身体を向けた。
――コンコン。
というノック音が、目前の扉から鳴る。
「失礼いたします」
扉を開けたのは、丁寧にお辞儀をした女中だった。
「ん? ああ、もうちょいしてから何か頼むから」
「いえ、お客様がみえておりますので……」
突然の来客に、一同顔を見合わせる。
だが、誰も心当たりがないようで、全員が全員首を横に振っていた。
だが、ヴァネッサは妙な予感を覚えてしまう。もし、ここにいる誰にも心当たりがないなら、消去法で外で待機しているはずのアルバーニア以外にあり得ない。
「誰だい? 悪いけど、帰ってもらって。お茶会の真っ最中だぞこっちは」
「……お会いになられた方が、よろしいかと」
女中が意見をするとは、よっぽどの珍客に違いがなかった。彼女はどこか畏れるように、頭を下げたままである。
「……入ってもらって」
そのシラックの一言に、女中は扉を開けたまま廊下に出る。
扉の向こうの陰りから姿を見せたのは、巨大な体躯の男だった。
黒服を身に纏った大男は、被っていた帽子を脱ぐと、その鋭い眼光でその場に居た全員の喉を凍らせた。
煉獄を想起させる真っ赤な瞳。獣人の血を引いているのだろう。彼の視線は、さながら獲物の動きを見定める野生の狩人のそれである。
ヴァネッサはこの大男と面識があった。
否、ヴァネッサだけではない。この界隈でこの大男を知らない者などいない。
「……ザ、ザルク殿」
ヴェイランテの眼鏡がずり落ちる。ようやく出てきた彼の声は、副隊長としての威厳の欠片もみられなかった。
――ヴィンセント・ザルク。
地方公安局の“前”第二部隊隊長。すなわち、ヴェイランテにとっては先輩にあたる人物だ。そして、彼は今は≪オボウ会≫の筆頭幹部の一人であり、会長の右腕とさえ称される存在だ。
「オウ。久しぶりだな、ヴェイランテ。先代の葬式ぶりか?」
「は、はい。ご無沙汰しております。申し訳ない、禄に挨拶もせず」
「別にいい。お前も偉くなったってことだろ」
ザルクは一人で高笑いしているが、周囲の者は呆気にとられてしまい、乾いた声を絞り出すばかりだ。
「ザルクさん……、どうしてこちらに?」
そんなシラックの問いが耳に入ったのだろう。ザルクは扉の方を振り向くと、女中に顎で指示を出す。
ヴァネッサは刮目し、息を呑んでしまった。
まさか、とは思っていた。
だが、ザルクまで連れてくることを、誰が予想出来るだろうか。
――顔面の所々に痣を作ったウィルク・アルバーニアが、“アグリノ”に入ってきた。
「な、どうして……」
そんなヴァネッサの呟きが届いたのだろう、アルバーニアはヴァネッサに軽く手を挙げた。その腕の歪な動きから、彼が顔だけでなく全身に大きいダメージを負っていることが覗える。
「このボウズが、お前等がコソコソ悪巧みしてんのを教えてくれたんだよ」
「いや、悪巧みなんて、そんな……」
「そうですよ。何もザルクさんのお手を煩わせるようなことなんて、ありませんって。そのガキがどうしたってんですか?」
その場に居る者達の剣呑な眼差しが、アルバーニアに注がれる。
ヴァネッサは彼らに頭を下げて言う。
「すみません。これは私の私兵です」
「何やってんだ、お前等。座れ座れ。オイ、いつものやつ持ってきてくれ」
ザルクはヴァネッサ達に席に着くよう促すと、女中に注文をする。
ヴェイランテはザルクに上座を譲り、彼が席に着くのを確認してから自らも腰を下ろす。
「ここの面倒は俺が見てやるからよ」
「ありがとうございます。……それで、どういった御用向きで?」
シラックに問われ、ザルクは鋭い八重歯を覗かせる。
「ドイル、シェイクラルド。代替わりのときに、お前等会長と約束したろ。親子同士、仲良くやるって」
「はい。そりゃもう、今でもコイツ等に良くしてやってます」
「じゃあ、どうしてシノギを取り上げるような真似をする?」
「“取り上げる”なんて、そんな人聞きの悪いこと言わないで下さい……。誰ですか、そんな嘘くせえこと吹いてんのは……」
シラックの顔が白粉をしたように蒼白に染まった。
ザルクの放つ威圧感は尋常じゃない。身動き一つでも取ろうものなら、喉笛を噛み千切らんばかりだ。
その昔、ザルクはたった一人で三つのギルドを崩壊させたという説話が残されている。彼の実力は、今でこそヴァネッサよりも劣るだろうが、全盛期は間違いなくヴォルガと同格だったはずだ。
「ソイツがヴェイランテの書類を、ヒストロまで届けに来たんだよ。たまたま俺がいて良かったぜ。若い連中じゃ話が通じねえからよ」
ザルクは愉快げに口元を歪ませたまま、ヴァネッサの後ろに立つアルバーニアを顎で指し示した。
「書類!? 貴様そんな偽物どうやって用意した!?」
ヴェイランテがアルバーニアに向かって怒鳴り散らす。
「おたくのラクダの御者にライター借りようとしたら、突然ソイツが殴りかかってきたんだよ。俺のことを、“シェイクラルドの回し者”? とかワケわかんねえことほざくから、こりゃ何かあるなと思って、御者を倒してラクダを調べた」
「馬鹿な……メロードル、どういうことだ!?」
アルバーニアの弁明を認めず、矛先をヴァネッサに向けるヴェイランテ。
「私は書類など用意していません。もちろん、彼も知らないはずです」
「ヴェイランテ。このガキが持ってきたのは、別に慌てるようなものではなかったぞ」
「――は?」
間抜けな声を上げるヴェイランテに、後ろにいるアルバーニアが微かに嘲笑を漏らしたのを、確かにヴァネッサは聞いた。
「単にこの席の招待状と、それから手入れの情報。あと、ヒストロのシノギを撤退するための資料の写しが何部かあっただけだ。――その焦りっぷりは、何か企んでやがるな? この野郎」
隣の席に座るヴェイランテの肩に、軽く拳をぶつけながらザルクは言った。
「いや、そんなとんでもない……」
「まあ今はいい。後でゆっくり聞かせろ。オイ、ドイルの。ヒストロからシェイリスに運んでる金は、会長の金も混じってあるんだ。何勝手に潰そうとしてやがる?」
「そんな……、しかし、コイツそんなことは一言も……」
シラックはシェイクラルドにちらりと視線を移す。
「会長への義理立てのつもりじゃねえのか? とにかく、明日の運びを勝手に潰しやがったら、お前等親子、落とし前つけることになってたぞ。そういうわけでシェイクラルドの、明日は頼んだからな」
「はい」
――勝った。
ヴァネッサは未だに目の前の出来事が信じられない思いだった。まさかの逆転。アルバーニアの勝手な無茶が、とんでもない奇跡を呼んだ。
「それから、ドイルの。いくら子だからって、あんま大金ガメってんじゃねえ。言っておくが、会長も快く思われてないぞ」
「……そりゃもう、肝に銘じます」
シラックは何度もザルクに頭を下げる。ヴェイランテは魂が抜けたように呆然としていた。
――話はついた。
「すみませんが、私どもはこれで失礼いたします」
ヴァネッサは立ち上がり、礼をする。
「帰るのか? 酌ぐらいしてくれよ」
「申し訳ありません。これの面倒を見なければなりませんので」
「あぁーあ、そうだな。悪かった。ウチの若い連中がボコボコにしちまった。――オイ、ボウズ」
呼び掛けられたアルバーニアは、ザルクに顔を向けた。
「メロードルには気を付けろよ。いい女だが、若いくせに毒がある。もし棄てられても無事だったら、俺のとこに来ていいぞ」
「――ハ。助言が遅えぞ。毒はもう飲まされてるよ」
そんなアルバーニアの返事に、ザルクは大きく笑い声を上げた。
「随分と躾が厳しいんだな! たまには飴をくれてやれよ、メロードル!」
「ホントだぜ……」
ザルクの冗談に、アルバーニアは呆れたように呟いたものだった。




