27.会合
――夜十八時。
ルアノは悶々と夕方のリュウとヴァネッサのやり取りを回想していた。
ルアノにはわかる。あの二人は、互いのことを何となく快く思っていないようだ。
これからシェイリス王国のエグルルフ城に到着するまで、順調でもあと一週間近くかかる。二人がわだかまりを抱えたままだと、正直ルアノの居心地が悪いのだ。
それに、ルアノはヴァネッサを尊敬しているし、そんなヴァネッサに対してリュウが悪感情を抱いているのは嫌だ。もちろん、逆も然り。決して必要以上に仲良くして欲しいわけではないが、二人が互いを誤解している現状は何とかしたい。
どうしたものだろう?
ルアノは頭を捻るが、解決策がまるで浮かばない。
リュウからしてみれば、ヴァネッサは自分を≪決戦≫に引き込んだ張本人だ。そう考えれば、ヴァネッサの方がリュウに対して譲歩した態度をみせてくれればいいのかもしれないが、リュウはその手のゴマすりが通用するタイプではないだろう。
いや、ヴァネッサが愛想を振りまいて気をよくしない男がいるわけないと思うが、とはいえリュウは例外ではないかと勝手に思っているルアノである。彼がどこかヴォルガと似たタイプからだろうか。
ルアノは散歩から帰ってきたシロノを早々に捕まえて、自分の部屋まで連行し、彼の意見を参考にすることにした。
「私も、最初からリュウに歓迎されていたわけではない」
とシロノは語る。
「リュウと仲良くしようと思ったら、ある程度時間を共有する必要がある」
「――でも、わたしだってリュウと会ってそんなに経ってないよ?」
「≪ウルトラシング≫での一件が、リュウにルアノに対する仲間意識を持たせたのかもしれない」
なるほど、とルアノは胸中で手のひらを叩いた。
確かに、ルアノ自身も≪ウルトラシング≫でテロと戦った経験は、リュウやシロノを受け入れる契機になったと自覚していた。更に勝手なことをいえば、日中に行われた≪決戦≫、“毒杯九飲”でさえも同じようなシンパシーを確かに感じた。ルアノは観ていただけだが。
すなわち、共に困難を乗り越えたという思い出が、人と人との繋がりをより強めるというわけだ。全くもって月並みだが、月並み故に効果覿面なのは保証されているということ。
しかしながら、現状でヴァネッサとリュウに共通する問題など、何かあっただろうか?
腕を組み、瞑目しながら考えるルアノに、シロノが提案する。
「ヴァネッサはこれから、シェイクラルド・ファミリーのお茶会に挨拶に行くと言っていた。ロイヤルガードがいくら優秀でも、ギルド相手では不測の事態は起こりえる」
「そうか――!」
シロノの助言に、ルアノの緋色の瞳は電球が点ったように煌めいた。
***
「ヴァネッサさんの護衛? 俺がか?」
お茶会に向かうヴァネッサを送り出すタイミングで、ルアノが意味のわからないことを言い出した。
――いや、そのルアノの意図はリュウでもわかる。
おそらく、リュウとヴァネッサが互いに悪感情を抱いていることが、ルアノにも伝わってしまったのだろう。これを機に、わだかまりを解消しろとルアノは言っているのだ。
「私一人で十分ですよ。それに、不必要にアルバーニア君を危険に晒したくないのですが」
ルアノの言葉に、ヴァネッサは静かに首を振った。
「そんなつれないこと言わないでさ。ほら、リュウの人相と言葉遣いなら、ギルドの人達にも自然に溶け込めるでしょ?」
「どういう理屈だそりゃ……。俺は別にいいけどよ」
ヴァネッサはゆるりとリュウに視線を移したようだった。
それに気が付き、自分自身もヴァネッサの眼を見る。
紫色の瞳は毎日鏡で見慣れているが、リュウが乗り移ってからのウィルクの瞳とは、その澄みようが違う。
ヴァネッサの淀みのない美しい瞳の光は弱々しく、明らかにリュウよりも優れているであろう彼女に、何故か庇護欲のようなものが掻き立てられてしまうほどだ。
――背中がかゆい。
むずむずするようなその感覚に、リュウは舌打ちしそうになった。
この感覚を、リュウは識っている。もうあるまいと思っていた感情に近しいのだ。
ヴァネッサを改めて見ると、見目麗しい女性だと思う。清廉然としたイメージを与える白い制服。パンツに包まれたすらりと伸びた脚に、ふわりと香るシトラス系の匂い。
しかし、同時に首を捻る思いだった。どうして、自分は初対面の人間をここまで意識しているのか?
確かにヴァネッサは“綺麗なひと”だが、別に緊張するに値しないだろう。“綺麗なひと”は今まで何人も目にしてきた。
――いや、それはそれで恵まれてるな。
「ね? ヴァネッサ」
「ルアノ様がそう仰るなら」
そうヴァネッサはルアノに向き直る。
「気を付けて下さい。私の言うことは、最優先で聞いて下さいね、アルバーニア君」
「ハイハイ。いい子にしてますよ」
顔も合わせることなく冷淡に指示を出すヴァネッサに、不可思議な苛立ちを感じながら、リュウは頭を掻いて返事をする。
ルアノは満足げに頷くと、シロノ(どういうわけだテメエ、とリュウは心中で悪態を吐く)と二人して手を振った。
「じゃ、行ってらっしゃい」
***
ラクダの停留所までの道のりで、ルアノとシロノの気配が完全に消えてから、ヴァネッサはリュウに語りかけてきた。
「お茶会が開かれるのは、中心街の老舗料理店です」
そのお茶会に、リュウとて何の興味もないわけではない。いい機会なので、彼女から色々聞いてしまおうと考える。
「集まりはシェイクラルド・ファミリーの内輪か?」
「いえ。このお茶会は定期的に開かれ、毎回外部の協賛者――今回でいうなら私のような者が招かれることが多い。決して内輪ではありません」
要するに、対外向けに開かれる会合のようなものなのだろう、とリュウは勝手にイメージした。今回は公安局第二部隊(ギルドや黒服組が起こす犯罪を取り締まる部隊である、とリュウは解釈している)であるヴァネッサを招き、今後の付き合いの話をするのだろうと予想する。
「……それマジでテメエ一人だけじゃ危ないんじゃね?」
リュウは女性であるヴァネッサが一人、柄も質も悪い連中に囲まれる構図を想像した。
「酒とか飲まされるんじゃねえだろうな?」
「料理には一切手を付けずに引き上げます。何か勘違いをされていると困るので、はっきり言いますが、アルバーニア君は外でお留守番ですよ?」
「オイ。別にメシの期待なんかしてねえが、俺は外で待機かよ?」
そのリュウの問い掛けに、ヴァネッサはすました表情で、『当然でしょう』と答えた。
「何か先方に失礼があれば、程度によって明日の話がナシになります」
「そこまでトンデモナイ粗相を犯すようにみえるか?」
「≪決戦≫をみる限り、貴方の無茶苦茶な質を侮ってはならないのだけは、承知しているつもりです」
丁度そのタイミングで停留所に到着し、リュウはベンチに腰掛けながら心中で両手を挙げる思いだった。
――手強い。
ヴァネッサは少なくともリュウがこの世界に来てから、初めて精神的、実力的な優位性からやりづらさを感じる相手だ。ある意味では、ただ威圧感を覚えるだけのデュザを上回っている。
余談だが、養成学校の面々とヴァネッサは比較のしようがない。
アルフィやレティシア、ラーニャをはじめとした女性陣はもちろん、タオイェンやデュナス、ガーラントといったグレード5の学生とて、ウィルク補正がなければリュウは劣等感や敗北感に飲み込まれていたことだろう。
ウィルクが自分の強さを、彼らに根強く意識させていたからこそ、彼らはリュウに対して敬意を持った接し方をしてくれた。リュウが養成学校の二週間を腐らず頑張れたのは、ウィルクの努力の賜物だ。
閑話休題。ヴァネッサから感じる手強さは、リュウ自身がどこか遠慮してしまっていることに起因しているように思われる。そのくせ、ヴァネッサから子供扱いされているのが、小癪に障ったリュウである。
「わかった。とりあえず、外で大人しくしてればいいんだろ?」
恥ずかしかった。
今の発言は、少し拗ねたような口調になってしまっていたのを、リュウは自覚してしまう。
――何だってんだよ。
そして、リュウは再び苛立ちを感じるのだ。
どうして、ヴァネッサに対してこんな劣等感のようなものを抱かなければならないのか?
いっそのこと、それを受け入れられればいいのだが、どういうわけか受け入れるのを拒んでいる自分がいた。その劣等感はリュウの主観的なものではなく、間違いなくヴァネッサに劣っているという客観的事実なのだが。
そんな葛藤、自己分析の末、リュウが弾き出した結論は――、
――格好つけたいってことか? ヴァネッサさんに?
――何故に?
「まあ、そこまで貴方が滅茶苦茶するとは思ってませんがね。誤解をさせてしまったようなので、はっきり訂正しておきます」
ラクダが停留所に現れたタイミングで、ヴァネッサは口を開いた。だが、彼女の顔は決してリュウに向けられてはいない。
「別に、貴方が足手まといになるとは思っていません。外で待機というのは、アルバーニア君がどうとかではなく、単に事前にシェイクラルドにこちらの人数の打診をしていなかったからです」
そう言い放ち、ヴァネッサはラクダに乗り込む。
リュウはそんな彼女を、呆気にとられながら見ていた。
***
――ルネ中心部に並ぶ高級店の一つ、料亭≪時雨≫。
最寄りの停留所から数分ほど歩いた頃に、ヴァネッサは大きな料亭の灯が窓から零れているのを確認した。
≪時雨≫の大きな看板は、夜の今では目立つことなく掲げられているが、その厳かな在り様は暗がりによって日中よりも存在感を増しているのではないだろうか。
ヴァネッサは主であるルアノに命じられ、ここまで護衛についてきたアルバーニアに、店の表で待つように指示を出した。
≪時雨≫はお茶会によく利用される店なのだろう。その表の通りには、ギルドの人間と思わしきチンピラや、黒服組までたむろしている。彼らはおそらく中にいる重役のガードなのだろう。
「気ィ付けろよ、ヴァネッサさん」
小声で、アルバーニアの忠告。
「わかっています。貴方も、彼らと決して問題を起こさないで下さい」
目線で店前の者達を指すと、アルバーニアは静かに首肯した。
その真剣みを帯びた表情が、ヴァネッサを僅かに動揺させる。
――彼は一体、何者なのだろう?
ヴァネッサは唐突に浮かんだ疑念を振り払いながら、≪時雨≫に入店する。女中にシェイクラルドの名を伝えた。女中は愛想良くヴァネッサを迎え入れ、シェイクラルドが貸し切る部屋まで案内をする。
その最中でヴァネッサが感じ取ったのは、ほんの僅かな空気の乱れだ。
ヴァネッサが想定していた空気の張り詰め方より、より強い痺れが女中の歩む先から感じられたのだ。
部屋が近づくにつれ、ヴァネッサの警戒心が急激に上昇していく。
――おかしい。
そうはっきりと捉え、自身の精神を細心に尖らせたヴァネッサは、女中が手のひらを伸ばした扉を開いた。
「おお、メロードルさん。お待ちしておりましたよ」
広い一室に構えられた円卓。
入り口から一番遠い席に腰掛けていた中年の男は、シェイクラルドのボスでも若頭でもない。ヴァネッサがこの場で挨拶をする手筈となっていた若頭は、ヴァネッサに気安く声を掛けた中年男の隣に、眉間に皺を寄せながら座っていた。その渋顔は、トラブルが生じたことをありありと物語っている。
ヴァネッサは、その中年の男と面識があった。
――シラック・ドイル。
ドイル・ファミリーの若頭だ。
シェイクラルドにとっての目の上のたんこぶであるドイルの代表が、この場にいるのはどういうわけか。
そして、さらに厄介なのはドイルの隣に座っている男だ。
――地方公安局第二部隊、マルク・ヴェイランテ=カイズ副部隊長。
『いや、それマジでテメエ一人だけじゃ危ないんじゃね?』
そんなアルバーニアの声が頭の中で蘇った。
彼を外に置いてきたことは、失敗だったか。何が起こるかわからない処に置き去りにしてしまった。
――アルバーニア君。
ヴァネッサは心中で冷や汗をかきながら、その名を呼んだ。




