25.対面
チク、チク、と時計の針が進む音が鳴っている。
リュウは再び上体を起こすと、周囲の様子を伺った。
≪決戦≫を行った大会議室のように、真っ白で簡素な部屋ではない。布団には立派なカバーが掛けられており、絨毯も黒字に黄色の模様が描かれている。窓際でシロノが座っているのはセットの円卓と椅子であり、どこか重々しささえ感じられる部屋の造りは、値段がやや上等な宿の一室といった風情だった。
記憶を辿れば、リュウが意識を失ったのはメイガンとの≪決戦≫の後だ。黒服組から治療を受け、解毒剤を打たれたところからぷっつり途切れたように記憶がない。
――時刻は十六時二十分。
リュウの記憶では≪決戦≫のルール説明が始まったのは十三時を越えていた頃合いであり、どんなに長くとも全体で一時間に満たない程度の時間を取られたはずである。
――結構、長いこと寝ちまってたのか。
気分爽快、とまではいかないものの、酷い毒の作用は消え失せたようだった。起き抜けに遭った解離症状めいた気分の悪さも、今はもう全くない。
リュウはルアノに顔を向けた。
「結局、どうなったんだ?」
「うん……、あのあとね。ここ、近くの宿なんだけど、リュウの毒の処置が終わってから運んできたんだよ。旅券もちゃんと取り戻して、今はシロノが預かってる」
シロノへと視線を移すと、彼は瞑目しながら首肯した。
だが、まだリュウには聞かなければならないことがある。ルアノが何かを隠しているのは、彼女が首の後ろに右手を当てながら説明していることから明らかだ。
「ヴァネッサさんは?」
「へ!? どうしたのかな、突然……!?」
「合流したんだよな? もう四時過ぎてんじゃねえか」
「うん、問題なく合流したよ。今は他の部屋にいる」
たはは。と誤魔化すような笑い。
どうやら、リュウの予想は正しかったということでよさそうだ。
――メイガンを使っていたのは、ヴァネッサだ。
メイガンはリュウに≪決戦≫を仕掛けてきた。単純にリュウを無力化したいのなら、旅券を奪って≪決戦≫を仕掛けるという方法は合理的ではない。つまり、そこまで積極的にリュウを排除したいわけではなかったということになる。
それを踏まえた上で、考えられる黒幕の意図は二つ考えられる。
一つ目はリュウに対する警告だ。ルアノに近づくと碌なことにならない。それをリュウに教えるために、メイガンを使って≪決戦≫をやらせた。
だが、これも少し大げさ――手が込み過ぎているだろう。単純に、リュウが一人のときを狙って、脅しなりするのが一番手っ取り早いし、最初の警告としては適切だ。
加えて、そんなことの為に、わざわざメイガンのような制服組を使うのはおかしい。
二つ目はリュウの実力を試した、という可能性。
一つ目よりは現実的。やはり、メイガンをあてがい≪決戦≫させるというのは、少々やり過ぎな気がするが、それはあくまでリュウの主観に過ぎない。黒幕がウィルクのことを調べ上げたとなると、ウィルクの養成学校での実績、評価、それらを考慮して現役のエージェントをぶつけてきても大げさな話ではない。
何より、今リュウが関わっていることの大きさを考えれば、むしろそれぐらいの方がしっくりくる。
では、リュウの力を計る動機がある人物で、制服組であるメイガンとコネクションがありそうな人物を考えると、それはもうヴァネッサ・メロードル以外にあり得ないのだ。
「ちょっと、挨拶させろ」
リュウはルアノに呼びかける。
だが、彼女は愛想笑いを浮かべながら、必死に両の手のひらを横に振った。
「いや、ほら……リュウも≪決戦≫終わったばっかで疲れてるじゃん? ヴァネッサとはこれから、結構しんどい話をすることになるから、もう少し休んでから――」
「ルアノ」
リュウは彼女を睨み、問題の先送りを止めさせる。
「テメエに恥じかかせる真似はしねえから、安心しろ」
「……もしかして、わかっちゃってる?」
「バレバレだ。マヌケ」
「ごめんなさいっ!!」
ルアノは思い切り頭を下げた。
「その……こんなこと言うのも変だけど、できれば怒らないであげて」
「……怒るとか、そういう問題じゃねえし。テメエが謝ることじゃねえだろ」
「わたしの顔に免じて」
リュウは盛大にため息を吐いた。
リュウにはわからない、ルアノ達上層の流儀というものが、確かに見えない壁となって互いにバイアスを掛けている。それは、もしかすると逆かもしれない。リュウの感覚――筋というものをルアノが理解出来ておらず、故にルアノはこんな無価値なお辞儀や謝罪をしているということなのか。
「だから、免じるっつってんだろ。つーかそもそも、ヴァネッサさんが俺にちょっかい掛けてきた問題に、オメーが介入する余地があるってのかよ?」
「だって、ヴァネッサはわたしの兵だし、ヴァネッサにあんなことさせたのは、わたしみたいなもんじゃん……」
頭を抱えざるを得なかった。
まるで価値観が違う。リュウはそう思ってしまう。
別に、リュウはルアノに謝ってほしいわけではない。ヴァネッサと直接話がしたいだけなのに、どうしてこうも頑なに自分が頭を下げて済ませようとするのか。
いずれにしろ、ルアノが罪悪感を抱いている様子である以上、大人の対応が求められると思った。
リュウとしても、半ば強引にルアノに引っ付いているような形になっていることもあり、そういう意味ではルアノに世話になっているとも言えるし、間違いなく恩もある。
あまりリュウがごねてもルアノを困らせるだけなので、意地でも仲介に入るというのなら彼女の顔を立てるのが懸命だ。
――なら、あと一声が限界か。
「なあ、ルアノちゃんよ。プーの俺にとっちゃ、オメーらの主従関係なんて知ったことじゃねえんだよ。『自分がやらせたようなもんだ』って? どこがだよ? ヴァネッサさんが勝手にやったことだろうが」
「いや、でも……」
「お前なりに筋を通そうとしてるし、責任を感じてるのはわかった。自分の兵を守ろうとしてるのもな。オメーが心配するようなことにはならないだろうから、ひとまず挨拶をさせろ」
ルアノは恐る恐るといったように顔を上げる。
まだその瞳にはリュウに対する怯えのようなものが残っていた。リュウの顔色を窺うようにして、静かに問い掛ける。
「怒らない?」
「怒らない」
「許してくれる?」
「一応、面倒事に首突っ込んでる自覚はあるからな。やったやられたは承知の上だ。理解はしてるつもりだ」
ルアノは意を決したように立ち上がった。
彼女の表情にはありありと不安が浮かんでいるが、一応リュウを信頼してくれたということだろう。
「わかった。じゃあ、呼んでくるね」
「ああ」
ルアノは小走りで部屋の外へと出た。
扉が閉まったのを確認すると、リュウはシロノへと視線を移す。
「ヴァネッサさんと何か話したか?」
シロノはゆるりと首を振って否定した。
「“ヴァネッサと仲良くなれそう”って言ってたな。ありゃ、どういうわけだ?」
「それは、二人が居ないところで話した方がいい」
――穏やかじゃねえな。
思い、リュウは天井を見上げた。
メイガンとの戦いを思い出す。
ヴァネッサはあれを見ていたはずだ。リュウが半ば見せつけたようなものだが、あのようなリスキーな戦い方をしておいて、警護対象との同行を認められるとは到底思えない。それでもなお、ヴァネッサのテストに合格だと言われるようならば、リュウにとって彼女の存在は心強い反面、手強くも感じてしまうだろう。
――たとえ誰が相手だろうと、俺は渡り合わなければならない。
リュウの最終的な目的は、ウィルクが陥った状況を突き止め、解決策を見つけ出すことだ。そのためには、いずれ厄介な連中と相見えなければならないのは、エンジュ・スレイマンとの一件から明らかである。
その相手とは、たとえばシグワルド・サレイネやデュザ。
リュウは己の手のひらに視線を落とす。
――なあ、ウィルク。
――俺はそのために、お前の力を借りなきゃならねえ。
未だ彼の力を引き出せないリュウは、ウィルクに問い掛けた。
――お前はそのことを、どう思う?
***
ルアノが部屋を出て、三分ほど経った。
ノック音が聞こえたので、リュウが応えると、遠慮気味に扉が開いた。
「おまたせ、連れてきたよ」
「失礼します」
ルアノに続き、凜とした声がリュウまで届いた。
品があり、しっかりしているが刺々しさを感じない。誠実という言葉をまるっと声色に乗せたような、美学を秘めたような声。
もうこの声だけで、リュウのような人物とは格が違うことがわかってしまう。
ルアノの後ろから姿を見せた黒髪の女性に、リュウは瞼を僅かに剥いた。
――既視感、とでもいえばいいのだろうか?
リュウは彼女が纏う神秘的なオーラに、何故か初対面の者には感じないはずの引っかかりを覚えた。
紫色の瞳は毅然としているが、それは目に映るものに対して威圧するような光ではない。水面を彷彿とさせる静けさと、心を覗かせまいとするカーテン、あるいは暗がりを携えている。
夜空の星々を思わせる美しさ。その神秘性を、リュウはどこかで感じたことがあったはず。たとえば、これまで出会ってきた人物では、レティシアに雰囲気は近いだろう。
だが、そういった見て感じ取れる印象ではない何かを、リュウは確かに思い出し損ねている。
「初めまして。ウィルク・アルバーニア君。そして、黒の亡霊。私はハウネル王国王城監察官のヴァネッサ・メロードルです」
とヴァネッサは行儀よく一礼した。
「便宜上、ロイヤルガードに籍を置かせていただいています」
彼女の丁寧な自己紹介に、リュウは己の中で感じた違和感を追求するのを、一時的に放棄する。
「こっちの自己紹介は要らねえな?」
「ええ。アルバーニア君のことはあらかた調べさせていただきました。黒の亡霊のことは一切わかりませんでしたが」
――シロノのことはわからず、か。
まあ、そうだろうな、などと思いながら、リュウは首を横に振る。
「今はシロノって名乗らせてる。そう呼んでやってくれ」
「承知しました。では、アルバーニア君、シロノ君。まずは、我が主をここまで御守り頂いたこと、深く感謝します。その対価としてはいささか少なくなるとは思いますが、御礼は必ずいたします」
ヴァネッサは再び慇懃に頭を下げる。
「御礼ってんなら訊きたいんだけどよ。二人はこれからどうするつもりだ? エグルルフまで、俺らもついてっていいか?」
その問いに、ヴァネッサは顔を上げた。彼女に静かな視線を向けられ、リュウは僅かに自分が気後れしているのを自覚する。
要するに、これからテストの結果を言い渡されるので、緊張してしまっているのだ。
「そうですね……。おそらく、アルバーニア君はそのつもりなのだろうと思い、メイガン氏に依頼して貴方の手腕を試させていただきました――」
そして、次の彼女の言葉に、リュウは戦慄を禁じ得なかった。
「――貴方がルアノ様の従者として、相応しいかどうかを」
数秒の沈黙があった。
『従者?』
そして、思わず漏れたリュウの言葉は、完璧にルアノのそれと被っていた。




