24.力を統べる力
果実を彷彿とさせる、爽やかで甘い香り。身体に伝わる温もりが与えてくれる安堵感に、ヴァネッサの胸に飛び込んだルアノは涙を流しそうになった。
「ルアノ様。お待たせしてしまい、申し訳ございません」
「ヴァネッサぁ……」
ルアノはヴァネッサを抱きしめる腕の力を強めた。彼女はルアノの頭に手を置き、優しく髪を撫でてくれる。
ヴァネッサと再会できた喜びに、ルアノは頭がいっぱいになった。
――どうしてここにいるの?
そんな疑問でさえ、今はどうだってよかった。ただヴァネッサが来てくれたという安心感に身を委ね、ルアノは甘えてしまう。
――いや、どうでもよくはないよね!?
正気を取り戻したルアノはヴァネッサを見上げた。
彼女を拘束から解放し、状況の説明を求める。
「ヴァネッサ。どうなってるのこれ?」
「ご心配をお掛けいたしました。メイガン氏には私から依頼をし、ウィルク・アルバーニアと≪決戦≫をしてもらったのです」
そのヴァネッサの言葉の理解に時間が掛かり、ルアノはぎこちない笑みを浮かべてしまう。
ヴァネッサから依頼をした? ヴァネッサがメイガンを差し向けた?
そして、ルアノの顔から血の気が引いていく。どこか失意にも似た救いがたいショックを受けたのだと自覚してしまった。
「ヴァネッサが命令してたの……? どうして……?」
震える声。述べられるであろう彼女の言い分に、ルアノは心当たりがあった。
そして、リュウに対する罪悪感が虚ろな葛藤を呼び起こす。
「ウィルク・アルバーニアを試すためです。ルアノ様の御側に置いておくのに、本当に相応しい人物かどうか」
ああ、やっぱり。とルアノは思う。
顔を右手で覆い、痛む頭を抱えた。
リュウにどう説明すればいいのか。ヴァネッサに対する信頼と、リュウをとんでもない目に遭わせたことへの怒りが、ルアノから立ち位置を奪っていく。そんな寄る辺ない感情が、ルアノを間違いなく傷つけた。
「気に入らねえな。制服組」
そんな言葉を発したのは、黒服を身に纏うヴェンディだった。
「人様を試すのに、わざわざモノサシみてえに誰かをあてがうたぁ、信じられねえ神経してやがる。テメエ自身で来やがったほうが、アルバーニアもまだ納得できただろうによ」
ヴァネッサはルアノを自らの後ろに下がらせる。
彼女はヴェンディに向き直った。
「何なら、今から≪決戦≫のセッティングをしてやろうか?」
射竦めるようなヴェンディの眼差しに、ヴァネッサはしかしながら頭を軽く下げ、お辞儀をして答えた。
「≪決戦≫のご提供ありがとうございました、ヴェンディさん。機会があれば、またお願いいたします」
チッと舌打ちをし、ヴェンディは腰に手を当ててヴァネッサに背を向けた。
≪決戦≫の審判など奇特な仕事をしている彼女だ。その男勝りな口調や態度からも、彼女がヴァネッサのやり方を小癪に感じる性分なのは、十分に窺える。
そして、気分がよくないのはルアノも同じだ。客観的にみれば、ヴァネッサがリュウに仕掛けたことは、彼女の立場からすれば仕方のないことなのかもしれない。けれど、今までリュウがルアノにしてくれたことを考えれば、あんまりな仕打ちではないかと思う。
「それと、ウィルク・アルバーニアの身柄は我々が引き取ります」
「勝手にしやがれ」
ヴェンディは背中越しにヴァネッサに吐き捨てると、
「――オイ。担架を持ってきてやれ」
そう黒服男の一人に命じた。
***
「創造の“ミゼル”……能力を創る能力か。最優秀はコイツで決まりだろ。汎用性高すぎるわ」
そのあまりに強力な奇跡に呆れてしまい、どこか投げやりな口調になる流である。
それはリュウにミゼルを説明したアルフィ自身も同感であるようで、彼女は苦笑いを浮かべて『まあねえ』などと相槌を打っていた。
王国騎士養成学校の図書館での座学。リュウはルーセアノの七人の弟子について勉強し、“ミゼル持ち”であるレティシアの秘密を知る契機が訪れた。
「で、レティシアのミゼル能力の正体はわかってるのか?」
「まあね。戦闘向きじゃないけど、≪決戦≫じゃ何がテーマになるかわからないし、どんなときでも忘れちゃダメよ」
まるで噂話をしているような罪悪感を覚えるリュウである。遠慮気味にウィルクに好意を寄せて来たレティシアの顔が浮かび、控え目に言って申し訳がない。
「……こうして聞いてると、一度奇跡を見せちまったヤツは、もう殺すしかねえような気がしてきたわ」
「それはそんな繊細な能力持ってる方が悪いでしょ。その点、レティシアは知られたところで致命的なマイナスにはならないんだから、むしろ憎たらしいまである」
ふぅ、とアルフィは宿敵の強かさに眉間に皺を寄せ、右手で摘まみながらため息を吐いたものだった。
「――何であれ、“ミゼル持ち”は今のレティシアの力みたいに、オリジナリティの強い奇跡を使う。それは確かに強力だけど、そのせいで力を過信して足元をすくわれるヤツも少なくないわ」
「あー、何となくだがわかる」
あり得ないことは、常に人の想像の埒外にあるとは限らない。
アルフィの言うところのオリジナリティのある奇跡とは、その希少性から“人から見破られにくい”という事実を持っている。だが、その事実が周囲に実感され、やがてメタ的な知識として流布されてしまえば、その能力は奇手次第でマイナスになってしまうはずだ。
すなわち、奇手自身は“自分の力はオリジナリティが強いから想像もできない”という事実を抱き、相対する者達は“相手の力はオリジナリティが強いから想像もできない”という警戒心を抱く。そんな状態で奇手が露骨な戦場を用意すれば、これは張った罠に注視しすぎて背中がお留守になっている狩人同然。
だから、リュウはメイガンが“戦闘なし”の≪決戦≫を仕掛けてきたこと、そしてメイガンが“ミゼル持ち”であることを知ったそのときから、彼の能力に幾らか思い当たるものがあったし、それらを警戒する作戦をルール説明を聞きながら構築することが出来た。
「ともかく、助かったぜ。アルフィがここで教えてくれたおかげで、俺はメイガンに秘密があることがわかったし、逆にすっとぼけることで油断させることができた」
アルフィはぷいとリュウから顔を逸らした。
「別に、私の力じゃないでしょ。まあ、それはアンタ自身の力――」
そして、彼女は歪に破顔する。
「――でもない、か」
「お、おい……?」
「メイガンは勝ってもいいレベルの相手だった。だからアンタはこの時点でミゼルを識り、それを活かすことができた。ただそれだけ」
その邪気に、リュウは息を呑む。
アルフィの冷たい蒼瞳に射竦められ、心臓が握られるような錯覚に陥った。
「知識って怖いでしょう? こんな風に、識っているか識らないだけで、優劣が完全に決定してしまうことが少なくないの。けど、人はそれが必要なときに頭になかったり、不必要なときに余計な知識を当て込んでしまうときもある」
アルフィの口調は踊っていた。その声色には退廃的な神秘性と邪への背徳感が孕まれており、そして言葉には、否定とする者を逃さない強い引力と是とする者を突き飛ばす斥力が同居していた。
まるで、人の破滅を喜々として宣言する邪神のように。
「メイガンは拍子抜けするほど弱かったでしょう? それは、アンタが識ってる情報の量が適切だったから。ゲームタワーでの戦いも含め、アンタは“今”のアンタにとって最適な知識をもって、“今”の戦いに臨んでる。それに対して、メイガンは自分の身の丈に合わない情報を、奇跡に縋って得てしまった。アンタの分配シートのことね。そして、その真贋を模索する術を持たないがために、呆気なく自滅した」
識れば識るほど、人は力を得る。その一方で、その情報量を制御するだけのレベルに達していなければ振り回されてしまうだけ。
リュウにとって、アルフィに教わった知識は、メイガンを倒すのに適切な情報量だった。もし過ぎた知識を持っていれば、メイガンと同じ末路を辿っていただろう。
「わかる? 人は自分の力が及ばないことに、もどかしさを感じてる。けれど、物事に順序ってものがあるのと同じように、人は力を段階的に付けていかなきゃいけないの」
ああ、そうだ。
実に愉快げに謡うアルフィの言葉に、リュウは確かにそれをどこかで聞いたことがあったのを思い出した。
――流君って、本とか読んだりするの?
突然後ろから呼び掛けられ、リュウは振り返った。
そこは、ゲームタワーの中にあるバー。
カウンターに座る流の隣には、袖の長いカーディガンを着たシルクハットの男が座っていた。
「人並みだろ」
その質問に対し、流は他人がどの程度本を読むものなのか、全く知らずに適当にうそぶいた。
「つーか何だよ? その脈絡のない質問は……」
「いやぁ、どうにもゲームがない時間って、退屈するじゃない? 流君のお勧めの本でも借りて、読んでみよっかなってサ」
シルクハットの男は大学生だという。ところどころで女性的な口調を操る、風変わりな優男だった。もっとも、それくらいの変人でもなければ、ゲームタワーで生き残るのは難しいとも言えなくもないが。
「よりによって、俺に訊くかねぇ」
「同年代の男の子って、流君くらいしか見当たらないし?」
流がため息を漏らすと、シルクハットは回答を期待するように、笑顔でカクテルを舐める。
彼とは前のゲームで、奇妙な共闘関係を結んだ間柄だ。なかなか人と雑談などをする機会がなかった流にとって、この手のどうでもいい会話さえ、ぎこちなくてままならない。
「何が好きなんだよ? SFか? サスペンスか?」
「ミステリーはやだ。トリックわかんなかったら、自分がバカみたいじゃん?」
「……ミステリーで薦める本はねえな」
「あら、そうなの?」
流はウイスキーのグラスを傾ける。
別にミステリー作品が面白くないと言っているわけではない。ただ、流が本当に面白いと思うミステリーは、その性質上薦めてしまった瞬間から価値の大半を失ってしまうのだ。
――などと説明してしまえば、シルクハットはもう二度とミステリー作品を楽しめなくなる気さえする。
それが恐ろしくて特に好きなミステリーは推すことが出来ない流である。
「つーか、論文とか読んだらどうだよ? いくらなんでも、俺の薦める本よりつまんねえことはねぇだろ」
「えー!? 流石に引くわぁ流君! どうしてそんなに平然とキモいこと言えちゃうわけェ!?」
「……その煽り、超イラつく」
一体何がいけないのかがわからず、シルクハットの非難が理不尽なものに聞こえる始末である。
「そもそもねぇ、俺まだ二年よ? 論文とか専門書とか、早過ぎると思いますウ」
「そうなのか?」
意外な発言に流は戸惑う。
何か物事を学ぶのに、早過ぎるという言葉が存在するのだろうか?
「そりゃあそうよ。もっと多くの講義を受けてみないと、そもそものハナシ、何の専門分野の勉強したいかなんて見当付かないんだから。何かを選択することには、その選択の大きさに見合った成長が必要でしょ? よしんば、大学で得られる知識が突然まるっと手に入っても、俺が何を学びたいのか決められるかどうか」
「……オメーには知識ではない“何か”が足りてない、ってことで合ってるか?」
「まぁ、そんなところね……。今はそのときでないの。ふっ」
そう言ってシルクハットは、カクテルグラスを空にする。
そして、流の椅子をブーツでガシガシと乱暴に蹴り出した。
「……流君つまらなーい。もういいよ、違うハナシしよ?」
「つ、つまんないだぁ……!?」
酷い暴言を吐かれた気がした。
それが相当なショックで、流は頭を抱え込みそうになってしまう。
「もっと知的なのにしようよ。ほら、ヒールちゃんの年齢当てゲぇーム」
「……死にたくなかったら、それだきゃ遠慮しとけ」
このときシルクハットが語っていたように、きっと人生には“今はそのときでない”ことが存在するのだ。
流はそのことの意味を、今となってはよくわかる。
「――何か思い出したの?」
と背後からアルフィの声。リュウは再び彼女に向き直ると、自分が記憶喪失と偽っていることを思い出す。
「あ、……いや、別に大したことは思い出せてねえんだけど」
そう誤魔化すが、アルフィは首を横に振った。
彼女はリュウの後方のバーでの一幕を指差した。
「でもそれ、ゲームタワーのことでしょ? 思い出せてるんじゃないの?」
――ああ、これは夢か。
そう実感したとき、リュウはベッドから上体を起こしていた。
――ュウ?
頭がほやける。
視界の隅に、どういうわけか養成学校の図書館がちらついていた。
――リュウ。
聴覚がおかしい気がする。片方の耳だけが遠く聞こえる、不快感があった。
視界には徐々に周囲が鮮明に映り始めるが、まだ情報を飲み込もうとしても頭がついていかない有様だ。
内蔵のどれかを無くしてしまったような、大きな違和感があった。
リュウはその不安感から自分の頬を撫でるが、喪失感が酷くて落ち着かない。
唐突に、それはリュウの中で大きく揺らぎ始め、いよいよパニックへと化けそうに――、
「リュウ? リュウさーん?」
――ふと、茜色の大きな瞳が二つ、自分の顔を覗き込んでいるのに気が付く。
ルアノが身を乗り出して、リュウの顔に自分のそれを近づけていた。
「大丈夫?」
「ああ、なんか……なんだ?」
あどけなさはあるが、整った顔立ち。
愛らしいそれを、リュウは右手で抑え込んで自らの頭と距離を取らせる。
「ビックリするだろうが」
何かとんでもなく変な夢を見た気がするのだが、ルアノのアップを起き抜けに見せつけられたせいで、リュウの頭から粉微塵になってしまった。
リュウは一つ舌打ちをすると、持ち始めた熱を冷ますように、ベッドの枕に顔を突っ伏した。




