23.助力
――上層公安局、地下留置場。
ヴォルガ・シンクェルは牢屋に備え付けてある、簡素で小汚いベッドに横たわっていた。
この留置場は特別な事情を持った者が拘束される場であり、普通ではどうでんぐり返っても、この檻の中に入ることは出来ないだろう。
それ故、そこまで牢の数は多くない。もちろん、使用される頻度も。そして今は、ヴォルガが独り占めしている在り様だ。
≪剣竜の現身≫隊長である、ラウエ=ミゼル・ダークロウに拘束され、竜車によって超特急で身柄送検されてから三日が経過した。
これからどうなってしまうのか全く予想がつかないまま、ヴォルガはルアノの身を案じていた。
彼女は無事にヴァネッサと合流したのだろうか?
そう考える度に、黒髪の少年の小悪党のような人相が頭に浮かぶ。
――殿下に何かあったらマジで容赦しねえぞ、クソガキが。
心中で悪態を吐いてみせるが、ルアノ自身がそう易々とやられるほど貧弱ではないため、アルバーニアやデュザレイドジュニアに求めるハードルは相当低い。
要するに、ルアノがヴァネッサと合流するまでの間、邪魔をせずに金銭的な援助をしていればいいのだ。
元より監査部の人間であるヴァネッサを、ヴォルガはあまり快くは思っていない。そんな身分の話は抜きにしても、ロイヤルガードの選定試験をあのような形でひっくり返したときから、ヴォルガのヴァネッサに対する印象は酷いものだ。
しかしながら、彼女は優秀だ。それこそ、可愛げがないくらいに。
おそらく、問題なくルアノをシェイリスへと連れて行くことが出来るだろう。
――可愛げか。
ヴォルガは顔をしかめた。
ハーゼ・ミストレイ曰く、
「いやあ。正直、ヴォルさんが羨ましいくらいだよ? ヴァネッサ、メチャクチャ可愛いだろ。あの儚げな顔で、『先輩』って呼んでくるんだよ? 『センパイ』って」
「まあ、その意見ばかりはハーゼが正しいですね。は? 理解ができない? はぁ、まあ、貴方はああいうキチンとした女性より、どちらかといえば手が掛かる女性の方に可愛げを感じるようですから。……だからといって、彼女の能力や努力、矜持にケチを付けるのはどうかと思いますがね」
――などと、クレイス・ルーベ。
「気色ワリぃんだよアホ野郎共がッ……」
実にチョロい同僚達に、ヴォルガは一人ごちた。
何簡単にやられてやがる。あんな小娘相手に。
身悶えしそうなもどかしさに唸っていると、廊下に足音が響いたのをヴォルガの聴覚が確かに捕らえた。
――誰かが来た。
ピタリ、と動きを止めて、ヴォルガは足音に集中する。
規則性を持った足音が二人分。一人は洗練された者、もう一人は素人だ。そして、手練れの方はおそらく女性ものの靴を履いている。
「外して頂戴」
おそらく、それはこの牢の見張りに向けられた言葉だろう。
有無も言わせぬ冷徹さ。
その女性の声は、ヴォルガの知っている者のそれだった。
カツカツと先程とは別の者の足音が、遠ざかっていく。
人払いに成功したわけである。
ヴォルガはベッドから起き上がると、同僚であるマーディラを檻の内側から出迎えた。
「元気そうね」
「何しに来たんだよ?」
挨拶代わりの皮肉には、意外にも裏切り者の罪人に対する侮蔑のようなものは、一切として込められてなどいなかった。
いつもは見た男を惑わせるほどの美しい金髪が、薄暗いこの監獄の中では輝かしさを奪われていた。そのセクシーな顔も暗がりにあてられ、なまじ整っている分、異様な迫力を醸し出している。
同じロイヤルガードとはいえ、ラアルのお付きでない彼女を信用するわけにもいかず、どうしてもヴォルガの対応はぶっきらぼうなものになってしまう。
しかしながら、先程の厭味から感じ取らされた、ヴォルガの事情をいかにも理解しているかのような声色。そして、彼女と共に来ているであろう人物と、その者が来た理由に当たりを付けて、話を催促させる意味合いでもう一度ヴォルガは訊ねた。
「何の用だよ、一体」
クス。と漏れる笑い。
しかし、それはマーディラから発せられたものではない。
「まあ、そう話を急ぎすぎるものではないよ。ヴォルガ」
暗がりから、彼が姿を現した。
――ハウト=ミゼル・ローガン。
優しげに垂れた目元と、泣きぼくろ。そして優男然とした柔らかい物腰に、誠実さを感じさせる口調。優れた容姿は、翻される高級そうなマントとそれを留める大ぶりの霊石によって華麗に引き立てられ、場合によっては相手に格の違いをみせつけるほどの優越性を纏っている。
「お久しゅうございます、殿下。この度は、とんでもない不始末を……。このような格好で、御前に立つことをお許し下さい」
「――いや、ルアノじゃないけど、もう止そう。今日ばかりは、ざっくばらんな話をしたい」
座りなよ。そう言って、ハウトは床に胡座をかいた。
それに従い、ヴォルガも床にそっと座る。
「早速だけど、ヴォルガ。貴方の事情は、こちらでも何となく見当が付いています。おそらく、ルアノは≪赤の預言≫で最悪の未来を識ってしまった。それを防ぐために、貴方はルアノに実質何も知らされない形で協力している。そんなところだろう?」
返答に困ってしまう。彼のことは幼少の頃からよく識るヴォルガは、彼の人畜無害な優しい笑みがただの仮面であることを理解しているし、彼もそのことは承知しているはずだった。
「ねえ、ヴォルガ。我ら≪フロアセブン≫は、まともな家族ではない。恥ずかしい話、上層ならではのドロッドロは、貴方も嫌気がさすほど識っての通りだ。この体たらくには、私も臍を噛む思いだよ。ルクターレの末裔の血の絆は、先人達が築いてきた書面にしてさえいない儚き約定や、日々の努力――内部政治めいた駆け引き、王国騎士の助力によって、何とか体裁を整えている」
目を瞑り、ゆっくりとハウトは語り出す。
「しかし、今回のルアノの一件により、間違いなく≪フロアセブン≫のパワーバランスは崩れ去った。今、ラアルはおそらく彼自身やロイヤルガードが思っているよりも、遙かに危険な立ち位置にいる」
それは、うすうすヴォルガも感じていたことだった。
ルアノがしでかしたこと。一見すればただの家出なのだが、彼女はハウネルに対して責任を負っている立場であり、それを放棄することは歴とした上層への反逆行為と解釈出来てしまう。
彼女が巫女として機能した結果であることを示さなければ、下手をすれば王女といえど重罰を受けることさえある。
そして、そのしわ寄せは彼女の両親、それ以上に第一王位継承権を持つ弟のラアルに及ぶだろう。
だが、もしかすると、事態はラアル達が把握しているよりも、更に悪いのかもしれなかった。
わざわざこうしてハウトが出張ってきたということは、おそらく具体的な危機がラアルを襲おうとしているということだ。たとえ、ハウト自身に何かしらの腹積もりがあるとしても、それは事実なのだろう。
「ラアルはまだ幼い。彼に降り注ぐ理不尽が、いくら王としての器の試金石だと言っても、そんなのぶっちゃけ根性論でしょう? 上層の大人――閣僚の狸共や父上から喧嘩を吹っ掛けられるなんて酷な話だ。現実的に彼一人で太刀打ちするのは無理だよ」
「……私からお願いするのも妙な話なんですが、何とかなりませんかね」
ヴォルガはハウトを見据え、そう問うた。
「≪フロアセブン≫が変な話、健全な関係を保てるかって問題は、生前エルシア様が最も煩慮されていたことでしょう。穏健派の貴方は、あの方の御意志にあれだけ賛同されていた」
「そこで、その名前を出すのは卑怯だなあ」
のんびりとした口調で、ハウトは頭を掻いた。
だが、それも僅かな暇のことで、彼はヴォルガに外連味のないウインクなどをしてみせる。
「――なんてね。言われるまでもなく、ラアル達の壁になることくらいは私もやろうと考えている。これでも、ラアルは可愛がってきた兄弟分だしね。流石にいいようにしてやられちゃあ、私としては業腹だ」
――けどね、とハウトは続ける。
「どうにも、ラアルのガードが堅くてね。情けない話、彼からなかなか信頼を得られない。クレイスやハーゼだって、ラアルがそういうスタンスでいる限り、見かねて私を頼ってくる、なんてわけにはいかないだろう?」
そこで、ハウトはヴォルガに目を付けた。
ラアル直下の駒でなく、ルアノの駒であるヴォルガから口説いた方が早かろうと考えた、ということなのだろう。
「それで、具体的にはどのようなお話なんですか?」
「実は、既に公安局や行政機関の要人を招いた評議会を開いて、貴方の除名処分を正式に決定しました。グンジやゴルドー団長をはじめとした王国騎士達が猛反発して、結構大変だったんだから」
かなり強引な力業に、ヴォルガは目を見開いた。
当のハウト本人は涼しい顔をしているが、それを強行するのは決して易しいことではないし、背負い込むリスクだって生半可なものではない。この時点で彼が失ったであろうものの大きさも同様だ。
「これで、貴方はもう晴れて“上層の人間”ではない。おめでとう、というのも皮肉な話だね。――さて、これから貴方の処罰を裁判で決定するわけだけど」
ハウトは珍しく、不敵な笑みを浮かべた。
いつもの温和な様子は影をひそめ、悪戯好きで意地悪な表情が露出している。
「そんなものを受けている暇なんて、貴方にはない。もう退団は済んだのだし、長居は無用。でしょ?」




