22.貴女を選んだ理由(後篇)
それにしても。とルアノは首を捻った。
――結局、メイガンは何者だったのか?
制服組あることは見ればわかるが、彼の目的がよくわからない。結局のところ、リュウの旅券を奪って≪決戦≫に持ち込んで。
――だから何? という話になってくる。
「ねえ、ヴェンディちゃん。メイガンって何がしたかったの?」
「詳しい事情までは知らねーけど、コイツは頼まれてやっただけだ」
頼まれてやった。
まあ、メイガン自身が『仕事だ』と言っていたのだ。誰かの差し金だったんだろう、ということくらいはルアノもわかる。だが、メイガンの所属がわからない以上、どの組織が絡んでくるのかがわからない。
「仔細までは、メイガンをけしかけたヤツに訊けよ。ついでに旅券のことも、そいつに言ってくれ。メイガン寝てるしよ。アタシらの仕事は≪決戦≫の提供だけで、旅券云々の取り決めの保証まではしてねえし」
「え? いやあ……でもわたし達、メイガンが誰の使いなのかも見当つかないし、なんとかなんない? ね?」
にへら、とねだるような(事実ねだってるが)笑みを浮かべ、ルアノは首の後ろに右手をやった。
だが、そんなルアノに対して、ヴェンディは首を横に振る。
「その必要はねえ。今の≪決戦≫観てたの、お前ら二人だけじゃねえんだよ」
「どゆこと?」
ヴェンディは顎でルアノの背後を指した。
振り向き、別室の扉をみやる。
そこに立っていたのは、制服姿の女性だった。
白い肌に、儚げな輝きを秘めた紫瞳。ふわりとウェーブがかった黒髪は、紫色のシュシュで纏められており、サイドテールのように左肩に掛けられている。
彼女の姿勢はしっかりと伸ばされ、美しく、また可憐な容貌も相まり、強かな冷然さをその身に纏わせていた。
彼女は、間違いなくルアノのよく知る人物。
ヴァネッサ・メロードル、その人だ。
***
ロイヤルガード選定試験。たった一人の枠を制した者は、ロイヤルガードとして王族の兵を務めることになる。そして、今回に限ってしまえば、そのロイヤルガードは主だってルアノ=エルシア・ルクターレ第一王女に付くことになっている。
そして、そんな大事な選定試験の台覧をサボり、ルアノはホーンハウンドを秘密にして飼っている王城の庭園で遊んでいた。
ルアノとて何の考えもなくサボったわけではない。
――ルアノを最初に見つけた人物こそ、ルアノに付くロイヤルガードとして相応しかろう。
要するに、そんなシンプルな思い付きだった。
「ねー、ホウホー?」
そう呼びかけて、ルアノはホーンハウンドの角を指先で撫でた。ホウホーと名付けたその魔獣は気持ちよさそうに目を細めて、キュウ、と鳴いた。
「おー、やっぱりそう思っちゃう? いいコだなぁ」
ルアノはホウホーの返事に満足すると、今度はふさふさな毛で覆われた喉を両手でさする。
――やわらかくてあったかい。
手に伝わるふわほかな優しさが、なかなか癖になるものだ。
ルアノはホウホーに癒しの力があることを確信する。
「でもなー。ヴォルガが先に見つけてきたら、台無しだよなあ……」
とルアノは目を半眼にして呟く。
しかし、いくらなんでもてルアノの意図を汲めないほど、彼の頭は硬くないはずだ。
ルアノは懐中時計を開く。まだ集合時間まで少しある。
おそらく、ヴォルガはそろそろルアノを実技試験の立会いに引きずり出すのは諦め、試験内容の変更をロイヤルガード候補達に宣言するだろう。
すなわち、実技試験の内容は、『ルアノを見つけること』だ。
問題があるとすれば、何の相談もなしに勝手にこんなテストを始めたことだ。それについての説教は後で幾らでも聞くし、どさくさに紛れて昨日の発言も謝ってしまおうという魂胆もあった。
――だって、こっちの方が絶対いい試験じゃん。
ルアノは得意気な表情を浮かべる。
さて、そろそろ皆が探し始める頃だろう。そう考え、ルアノは立ち上がって背をぐっと伸ばす。
「ま、そう簡単に捕まってあげる気なんて――」
「ルアノ様」
その呼びかけに、ルアノは硬直する。
女性の声。それも凜然とし、透き通るように雑味を感じさせない美しさ。
振り返ると、例の彼女が立っていた。
――ヴァネッサ・メロードル。
「こちらにいらしたのですね」
「あ、れ?」
ゆるりと近づくヴァネッサだが、ルアノは引きつった笑みを浮かべることしか出来ない。
『こちらにいらした』?
それは、つまりルアノを探していた、ということだ。
――いや、おかしいだろう。
と心中で思う。
いくらなんでも早過ぎる。
この庭園の位置は、間もなく始まる実技試験の会場――第一訓練場から結構な距離がある。すなわち、彼女は物理的にここにいられるはずがないのだ。
それこそ、ルアノと同様に試験をサボったりしない限りは。
『メロードルは筆記試験を放棄したそうです』
ルアノはヴォルガの言葉を思い出す。
あれは嫌になってギブアップしたとか、そういうレベルの話ではなく、本当に試験を受けることすらしなかったという意味だったのだ。
「ホーンハウンドですか」
ヴァネッサの紫色の眼は、ホウホーに向けられていた。
――まずい。
こんなところで魔獣を飼っていることがバレたら、下手すれば処分されてしまう可能性もありうる。
ルアノは反射的にホウホーを庇うようにして、ヴァネッサに向き合っていた。
だが、何かがおかしい。
ルアノはまるで自分がことを大げさにしようとしている、そんな罪悪感に胸を痛めていた。自分は不当にヴァネッサを悪者のように扱っているのではないか。
「≪契り≫を交わしたのですね」
「! ……どうしてそれを?」
≪契り≫の奇跡は、あまり多くの者が知っていることではない。特別隠しているわけではないのだが、人を捕まえて話すようなことでもないため、少なくともルアノは≪フロアセブン≫以外の者に話したことがなかった。
ヴァネッサは片膝をついた。
そっとホウホーに向けて手を伸ばしながら、ルアノに言う。
「師に教わりました。ルクターレの血のこと……」
ホウホーがゆっくりと、ヴァネッサが伸ばした手のひらに近づいていく。
――危険。
いくらルアノが≪契り≫を交わした魔獣とはいえ、ルアノ以外の者には害をなし得る。故に、ルアノにいくら懐いても、ホウホーは処分の対象になり得るのだ。もっとも、ホウホーは比較的臆病な性格で、自分から人を襲うような真似をする魔獣ではないのだが。
だからこそ、ホウホーが自らヴァネッサの元に向かったことが、ルアノにとっては衝撃だった。
――違う。むしろ、驚くほどしっくりくる。
ルアノは自分で違和感を覚えるほどに、ヴァネッサに対する警戒心が機能していないことに気が付いた。
ルアノの経験上、逃げ隠れたルアノを見つけた者は、全員が獲物を捕捉した狩人のような興奮を、その瞳に僅かに宿す。ヴォルガなどはもちろん、温厚なハウトでさえそうだった。
だが、ヴァネッサにはそれがない。彼女がホウホーに興味を向けたとき、過剰に警戒を強めることを躊躇ったのは、つまるところ彼女から害意のようなものを一切感じ取ることが出来なかったからだ。
そして、いよいよホウホーはヴァネッサの右手に辿り着き、彼女の手のひらの匂いを嗅ぎ出した。
――すごい。
「私はその手の説話が好きで、よく師にせがんで話を聞かせてもらったものです」
言いながら、ヴァネッサはホウホーの頭を撫でた。
「可愛いですね」
「あ」
思わず声が漏れた。耳朶が熱を帯びていくのを自覚する。
――笑った。
蝋で造られた仮面を思わせる、白く整った顔立ち。それを、彼女は華やかにほころばせてみせたのだ。
「わたしも……」
ヴァネッサは呟いたルアノに視線を移すと、小首を傾ける。
「わたしも、そういう話好きなんだ。よく赤のばっちゃんに聞かせてもらってる。――って、まあ自分の祖先のことなんだし、勉強するのが当然なんだけどね」
ルアノは首に手のひらを当てながら、喋っていた。何てことのない話を、ついさっきまで苦手意識さえ抱いていた相手に、喋っていたのだ。
そして、それを聞いたヴァネッサが可笑しそうに口元を緩めるのを認めると、彼女に対する第一印象は完全に消え去っていた。
「ねえ、試験はいいの? わたしが言うのも変だけどさ」
「そうですね……」
ルアノの問いに、ヴァネッサは考えるように口に手を添える。彼女が立ち上がると、ホウホーはルアノの足下に戻ってきた。
「あの試験の意義を感じられません」
穏やかだが、毅然とした口調でヴァネッサは言い放ったものだった。
「ロイヤルガードの候補であれば、優秀であるのは皆わかりきったことのはず。一点二点を試験で競い合うより、重視されるべきことがあるでしょう」
「やっぱりそうだよね!」
全くの同意見。
ヴォルガなどは、それをルアノがいくら主張しても耳を貸さない。
「それゆえ、私は昨日から貴女のことを探していたのです」
「だから、昨日の筆記試験サボったんだ」
「思いがけず、時間が掛かってしまいました……。本当は昨日のうちにはお会いしておきたかったのですけれど」
少し恥じ入る様子で、ヴァネッサは左肩に掛けた黒髪を撫でた。
だが、それでも十分すぎるだろう、と思うルアノ。
この人は、ルアノが今朝になって辿り着いた結論を、もっと早くに弾き出していたのだ。まるでルアノの思考を先回りでもするかのように。
それがわかったとき――、
――もうルアノは駄目だった。
「ルクターレの末裔として」
気が付けば、ヴァネッサに向かってそれを口走っていたのだ。
「最たる魂の象徴を、貴女に預けん。ルーセアノ様の御加護の下、貴女を王族の守護者に任命致します」
歴代最強の剣士である初代ルクターレにとって、“最たる魂の象徴”とは“剣”を指す。それを預けることの意味を、ルアノは重々承知しているつもりだった。
この宣誓が行われるのは、ロイヤルガードの任命式のみ。
通常、というか絶対に、グンジ・ミストレイ立ち会いの下でしか、行ってはいけない儀式のはずである。
――だが、ルアノの中ではもう決まったことだ。
まるでこれが運命であったかのように、ルアノには彼女しかいないと悟ってしまった。彼女が必要であり、ルアノが求めていた人であることを、心が理解してしまったのだ。
「至上の栄誉に、我が全霊をもって応えます」
そして、ヴァネッサは跪く。
若々しい緑が茂る庭園に、一陣の風が吹き抜けた。
「このヴァネッサ・メロードル。貴女様の剣、謹んで頂戴致します」
風音が消えてなくなり、ヴァネッサの凜とした声がよく通った。
まるで彼女の誓いが、凪を呼び寄せたかのように。




