21.勝っていた男
「悪いな。メイガンさん。青⑨には、毒なんてなかったんだよ」
毒に倒れたメイガンに向かい、テーブル越しにリュウが呟いた。
その言葉の内容に、ルアノの思考は停止してしまう。リュウの勝利への喜びがみるみるうちに萎んでいくのを自覚した。
だが、リュウの方は――、
「勝った……。完――ッ全に俺の勝ちだ!!」
天井を見上げ、片腕を思いきり突き出し、大声で叫んだ。
「ドマヌケが! 青⑨でお前の勝ちだっつーの! 散々人のことをコケにしちまった挙句にこのザマたぁ、大したプロ意識だな!」
「ちょっと……リュウ、暴れないでッ!?」
唐突に雄叫びを上げ、興奮を隠さないリュウに、ルアノは焦って支える力を強め、もはや抑え付けるような形になってしまう。
「勝負の場に立ったとき、誰しもに身分なんて関係ねェ! 勝負に対する姿勢? 負けられない覚悟? 相手より強い、勝って勝って自分の強さを示す、ただそれだけだろうが! コレだ! 本当の勝利! コレを味わいたいと思うだけで、人は行き着くとこまで行っちまうんだよ!!」
わめき散らす。
残響するリュウの怒声。
そんなリュウに、ルアノはどうリアクションを取っていいのか本当に分からなくなり、もはや途方に暮れるしかなかった。
あまりに異常なその様子に、引けばいいのか。しかし、仲間の勝利自体は純粋に喜ばしいことだ。だからといって、リュウの勝利を諸手を挙げて讃えるのも、今の彼を見ると何か違う気がするという感性くらい、ルアノとて持ち合わせている。
ルアノがそんなことに気を取られている暇に、がくん、と一気にリュウを支えていた腕に負荷が掛かり、彼が床に両手をつくのを許してしまった。
「リュウ!?」
リュウはゼイゼイと荒ぶった息を吐きながら、絞り出すような声を発した。
「気持ちわり……」
「酔っ払い!?」
そんなリュウに黒服男が近づいて、彼のジャンパーを脱がせた。
「毒が随分回っちまってるみてーだな。ハイになってんのは脳内物質が分泌されてるせいだ。お前もメイガンと仲良く治療を受けろ」
そんなリュウを眺めながら、ヴェンディが笑って言う。
黒服男はリュウのシャツの袖を捲ると、彼の血管を探り当て、注射器を刺した。
――変な薬じゃないよね?
要らない心配をしてしまうルアノである。
薬の注入が終わると、黒服男が今度は治癒術をリュウに施した。暖かい慈悲の輝きがリュウを照らす。リュウの呼吸は徐々に落ち着いていった。そして、リュウは意識を手放したように脱力し、寝息を立て始めた。
その姿にルアノは心底安堵した。ただ見ているだけだったのに、強い疲弊感が今更になって現れた。
「しっかし、ダルい≪決戦≫になるかと思ったが、そこそこ面白かったじゃねえか」
ヴェンディがルアノ達に近づいて来る。
彼女の物言いにルアノは呆れてしまう。
「自分で用意したんじゃん……」
「ははっ。まあ、そりゃそうなんだけどよ」
そう言って、ヴェンディはルアノにクリアファイルを手渡した。
「そいつは、今回の“毒杯九飲”の記録だ。アルバーニアに渡しておいてくれ」
「え? マジですか」
ルアノはクリアファイルから三枚の紙を取り出した。各々が、各セットのリュウとメイガンの分配と着手を図にしてまとめたものだった。
気になることがある。
それは、三セット目でリュウが言っていた、“ノゾキ”とシートのすり替えのことだ。
「あ、シロノ見て。二セット目と三セット目のリュウの分配が、わたし達に見せてくれたのと違うよ」
シロノが記録を覗き込んだ。
「一セット目の分配を見てみろ。メイガンの中和剤の分配が、面白いことになってるぜ」
そんなヴェンディの言葉に、ルアノは一枚目の紙に目を通す。
――メイガンの中和剤が、全てリュウの毒の分配と被っている。
「うわ、ホントにズルしてたんだ……。でも、どうやって?」
疑問が残る。メイガンはリュウのシートに一切近づいていない。それなのに、彼はどうやってリュウのシートを覗いたというのか。
「それは、……なァ?」
含み笑いを浮かべた顔を、ヴェンディがシロノに向けた。
「メイガンに情報を伝えていたのは、多分、私」
とシロノが怪我を負っていた手のひらを見つめながら言った。彼はそれをルアノの方に向ける。
「傷を付けた相手の視覚情報を盗聴する。おそらくそれが、メイガンの能力」
「あ! そういうこと!?」
痛々しかったシロノの傷は、綺麗に治っていた。よく考えてみれば、シロノはその傷に『痛みはない』と言っていた。それは彼の強がりではなかったのだ。
治癒術では癒えない傷は何かしらの奇跡であり、それをルアノは“考えるまでもないこと”として見落としていた。
痛みのない傷、それも時間経過で綺麗になくなってしまう傷に、何の意味があるのか?
それは傷を付けた相手に対し、呪いめいた何かを植付けるという特性があること以外に考えられない。
「アルバーニアの一セット目の分配は、分配自体というよりシートへの記入が面白かった。アタシの見立てじゃ、あれは目隠しで適当に付けたもんだ」
――チェックマークだ!
ルアノの脳裏に、リュウの一セット目の分配シートが蘇る。彼は右上に、毒の1単位量をチェックマークで示すという式を書いていた。あれは、レッドラインのマス目に、目を瞑りながらでも記入しやすいようにするためだったのだ。
「アルバーニアは一セット目を終えてから、お前達の反応をみて、自分が自分の毒を飲んじまったのを確かめた。にもかかわらず、アルバーニア自身には毒の効き目がなかったことから、メイガンが正確にアルバーニアの毒を打ち消していたことを知ることができたんだ」
「それでメイガンが盗聴の奇跡を使っていることを見破ったってこと?」
「いや、チェックマークを使ってる時点で、もうメイガンの力に当たりをつけてたんだろうよ。そして、その結果から盗聴の対象がアルバーニアじゃないことがわかるだろ?」
「あ、ホントだ」
納得し、手を叩いたルアノである。
リュウは初めから、メイガンの能力の見当が付いていたのだ。それを確かめるために、あるいは警戒して目を瞑りながら毒をでたらめに振った。それでもメイガンがリュウの毒に中和剤を被せてきたことを知ったリュウは、盗聴の対象が自分自身ではなくて、ルアノかシロノであることがわかったのだ。
そして、それはどちらかといえばシロノが疑わしい。メイガンがちょっかいを掛けたのは、シロノだけなのだから。
「そこでアルバーニアは反撃の策を整えた。要するに、本命とは別――偽物の分配シートをお前らに見せて、本命のシートを提出すればいい。そうすりゃ、メイガンに間違った情報を与えることができる」
「それが、シートのすり替え……」
なるほど、とごちる。
ごちるが、どうしてもルアノには理解が及ばない。どうやったら、その一瞬でメイガンを潰す手立てを考えることが出来たのか。
「二セット目。アルバーニアとメイガンは、アルバーニアの青⑥で毒+2だの騒いでたよな?」
「そう。わたし達が見たシート――リュウがテーブルに残してた写しには、確かに赤⑥と青⑥に毒+2が分配されてたんだよ」
そう言って、ルアノは二枚目の記録を見る。
やはり、赤⑥、青⑥のどちらにも、リュウの毒は分配されていない。実際にリュウが分配していたのは、赤③と青③に毒+2ずつだ。
「わたし達にはもちろん、メイガンにもリュウが毒を2単位量喰らったようにみえた」
「だが、毒を飲んだ演技なんざ、そう簡単にできるもんじゃねえ。そこで……まったく、手癖の悪いヤローだぜ」
そう感嘆のため息を吐き、ヴェンディはリュウの近くに横たわったペットボトルに視線を落とした。
「アタシが奴らに渡したアンプル。その毒をペットボトルの中に入れやがった。回収したアンプルを確認したが、中身は空だったよ」
そして、リュウはそれを飲むことで、メイガンに本当に赤⑥で服毒したようにみせたのだ。量をどのように調節したかは、リュウに実際に訊いてみなければわからないが。
――おかしくない?
そこでルアノは、どうしてもそのリュウの仕込みに、意義を感じられないことに気が付いてしまう。
「リュウは自分から毒を飲んでまで、どうしてそんなことしたんだろ?」
「そりゃあ、オメー……。メイガンに最後の選択をさせたかったからだろ」
ヴェンディの答えに、ルアノは首を捻った。
最後の選択とは、メイガンの三セット目の最後の赤⑧のことだ。リュウは実際には青⑨には毒がない、と言っていた。
ルアノは三枚目の記録を見た。
リュウの毒は、赤⑦⑧に2単位量ずつが分配されており、青⑨には何もない。
「わかんないよ。メイガンはどうして途中でレッドラインに乗り換えたの? リュウのシートのすり替えに気が付いたから?」
「アルバーニアが選択したブルーラインの杯は、偽シートに毒を振ってた杯だったんじゃねえか?」
「うん。青⑤⑧、どっちもリュウは毒を振ってた……、そっか。それなら、メイガンは気付くよね。『何かおかしい』って」
リュウの青⑤⑧は、メイガンからみれば自爆なのだ。だが、メイガンはそれで済ませず、リュウが盗聴に気が付いてシートをすり替えた可能性に辿り着いた。
――しかし。
「それは、アルバーニアが“気付かせた”んだろうな。そして、メイガンに青⑨に毒がある可能性を匂わせた。毒で頭が回らねえメイガンは、自分が“気付かされてる”ことまで気が回らず、青⑨を避けちまった」
ははぁ。とルアノは間抜けな声を漏らしてしまった。
「それで、リュウは赤⑥を選んだ。えっと、ここにはメイガンの毒+2とリュウの中和剤-1があって、つまりリュウは1単位量の服毒だよね」
「メイガンはそれで≪決戦≫が終わるもんだと思い込んでいたが、実際には直前のアルバーニアの服毒量はゼロだった。こうして、メイガンの目線でチェックメイトが成立しちまったわけだ」
その時点で、メイガンからすれば青⑨にはリュウの毒があり、赤⑦⑧を選べばリュウが赤⑨を獲ってしまう。最後の――敗け方の選択だ。
「そのシチュエーションを作りたいが為に、リュウは敢えて青⑨を獲らなかったってことだよね……。メイガンに青⑨か、赤⑦⑧かを選択させるために」
「そして、メイガンは青⑨を避けちまった。完全にアルバーニアの手のひらの上だったってこったな」
ヴェンディは小さな両肩をすくめて言った。
ルアノは治癒術を未だに施されているリュウを見た。
最後のメイガンの選択。あれを強いるために、リュウはわざと勝利を一度見逃したのだ。毒を飲んでまで。本当にどうかしてる。
「アホなヤローだな。まあ、そういうの個人的には結構好きだけどよ。その気になれば、アルバーニアは二セット目の時点で勝つことできたんじゃねえか?」
「それだよ!!」
ヴェンディの言葉に、ルアノはようやくリュウがメイガンをとことん試していたことに気が付いた。
リュウは二セット目の時点でシートのすり替えを行っていた。つまり、彼は上手くすれば、二セット目でメイガンを嵌めて服毒させることも出来たのではないか?
にも拘わらず、彼は毒をほぼ3単位量まで飲んで、三セット目の最後の選択までメイガンを導いた。
「バカだよ……、絶対バカだよ……。どうしてそこまでして、メイガンを試すのさ……」
「そりゃあ、お前……。誰がどう見ても、“完全勝利”の為だろ?」
「子供か!?」
ルアノが中空を仰いで発した叫びが、会議室に木霊した。
メイガンの挑発。それを聞き流していれば、一切の毒を喰らうことなく、リュウは勝っていたのだ。
Q.シロノとルアノが観戦者としてその場に居なかったら、メイガンはどうするつもりだったの?
A.奇跡なしでリュウと戦うつもりでした。
大前提として、参加者は事前に≪決戦≫内容を知らないため、メイガンも『ミゼル能力が使える勝負ならいいな』程度の認識でした。(もっとも、戦闘なしのオプションを希望することで、その確率が大幅に上がることくらいは期待していましたが。)
シロノとルアノという観戦者の存在も同様で、『アルバーニアの同行者からノゾキができたらいいな』程度の認識でしかありませんでした。
メイガンのノゾキは、彼の仕込みが成功したから可能になったズルであり、絶対に必要だったわけではないのです。
メイガンはノゾキなどなくとも、リュウに勝てるつもりだったのです。
彼のように盗聴の奇跡を持つ奇手が、“毒杯九飲”のようなチキンレースを素で戦うことができたかは、私にも甚だ疑問ですが。




