18.ファイナルセット
ウィルク・アルバーニアを追い詰めた。
彼の息絶え絶えの様子から、メイガンはそう確信していた。
痛みに堪える表情。激しい息切れと発汗。ぼやけているであろう視界にしばたたかせる目。赤髪の少女に身体を預ける弱々しい足下。
あれは相当なダメージとみえる。
第二セットは取られてしまったが、それと引き替えにアルバーニアの服毒は2単位量。彼が次に服毒した瞬間、メイガンの勝利だ。
開始から二十分程度も経っていないが、この≪決戦≫も大詰めだ。あと十分、長くても十分で終わる。メイガンの勝利で。
1単位量の毒を喰らっているメイガンは、息苦しさに中空を仰いだ。
はやるな。と己に言い聞かせる。この毒のダメージによる判断ミスやチョンボは避けなければならない。
「これより、三セット目――最終セットの分配を開始する。制限時間五分に注意しろよ」
リア・ヴェンディが開いた手のひらで五分を示し、宣言した。
「ちょ、ちょっと待って」
焦燥感を孕んだ制止の声。赤髪の少女だった。
「ねえ、治癒術をかけてあげていい?」
――何を言っているんだ、あの娘は。
「いや、ダメだろ」
当然のように突き放したヴェンディである。
だが、少女はなおも食い下がる。
「だって、治癒術を使っちゃいけないルールなんてないじゃん」
「そうだな」
とため息を吐くヴェンディである。
「治癒術自体は使ってもいいんだよ。そもそも、毒の効き目だって個人差あるし、そういう意味じゃ、この≪決戦≫は完全な平等じゃねえ。解毒の治癒術も、毒への対策を持っているかっつー個人の能力だと解釈できる」
けどな、と金髪をアップにしたヴェンディ監督官は続けた。
「お前らがアルバーニアに解毒を施すのはダメだ。それは、メイガンが『杯を飲むのはアルバーニアだけ』という条件を提示したからだ。この言葉を額面通りに受け取るのはあまりに意地悪過ぎんだろ。メイガンが言いたかったのは、『服毒量を仲間で分散させるのはダメ』ってことだ」
「分散じゃなくて治療でしょうが」
なおも抗議する赤髪の少女に対し、『わかってねえなあ』と首を振ったヴェンディである。
「いいか? 要するに、お前らはアルバーニアが喰らう毒の量を調節しちゃいけねえんだよ。アドバイスはいい。肩を貸してやるのもいーだろう。だが、アルバーニアの服毒量を少なくするのはアウトだ。わーったか?」
まだ何か言いたそうな赤髪の少女に、アルバーニアが言う。
「ルアノ、それがルールだ。聞き分けろ」
「……はい」
そう宥められ、不承不承というように赤髪の少女は頷いた。
正直、アルバーニアが解毒されようと、メイガンには関係がない。
「では、シートに分配を記入しろ!」
ヴェンディの掛け声と共に、アルバーニアは壁際のテーブルに向き直る。
シロノとルアノと呼ばれた少女が、彼の分配を見守っている。
メイガンは呼吸を整えて、最終セットの分配をどうするべきか、頭の中で整理した。
はっきり言って、形勢は解毒がどうとかそういうレベルではない。必ずメイガンが勝てるようになっているのだ。
それにしても、あそこまで食い下がったあの赤髪の少女。どこかで見たことがある気がする。
――ルアノ?
メイガンは、その名に引っかかりを覚えた。魚の骨が喉に刺さったような、取り除き切れない不自然な居座りの悪さ。
そんな考えをメイガンは首を振って打ち消す。まずはきっちりと勝負を決めることだ。
自分が受けた任務に対する不可解な点。結局、依頼者から明かされなかった真の目的。
それらを考えるのは後でいい。
アルバーニアは分配を記入したシートを折りたたんで、上着のポケットに入れた。
――写しか?
そう思ったメイガンだが、彼がそのままヴェンディにシートを渡しに行ったことから、あれが清書だったのだろう。
それを確認した後、メイガンは分配の記入を始めた。
――アルバーニアの分配は、青⑤に毒+1、青⑥に毒+2、青⑧に毒+1。
――そして中和剤は、赤⑤⑥に-1、青⑨に-2だ。
アルバーニアの分配の魂胆を、メイガンは分析した。
このブルーラインの毒の分配からいって、アルバーニアはメイガンがブルーラインを攻めることに賭けたのだろう。特に青⑥だ。青⑥をメイガンに取らせて、服毒量が+3に達することを期待している。
次に、中和剤の振り方だ。赤⑤⑥に-1ずつ。これは、メイガンが毒を+1ずつに分けて分配することを見越している。メイガンはアルバーニアが2単位量服毒していることをわかっているので、基本的に毒を固めて分配させる理由がない。
基本的に、アルバーニアはレッドラインを攻めるつもりだ。
加えて、青⑨に-2。これは、いざとなれば自分が青⑨を取れるよう、保険をかけたのだろう。2単位量である理由は、用心のためか。
では、それを踏まえてメイガンはどう分配するべきか?
ただシンプルに、ブルーラインを一直線で攻略する。そのために、中和剤をアルバーニアの毒と同じ量分配すればいい。アルバーニアはレッドライン攻めのため、ブルーラインは終盤まで手をつけないだろう。ブルーラインの必勝法は、メイガンが獲れる。
そして、アルバーニアが中和剤を分配した赤⑤⑥に対して、毒+2を分配する。これにより、アルバーニアにとっての安全地帯に地雷をセットしたことになる。
――終わりだ。
どう足掻こうが、アルバーニアに勝ち目はない。
この勝負、油断などではなく必ずメイガンが勝利する。
***
「いよいよ最終セットだな」
そんなヴェンディの呟きが場に緊張をもたらすのがわかる。
ルアノは喉を鳴らした。
肩を貸しているリュウがゼイゼイと苦しそうに呼吸し、その度に彼の胸が大きく上下されるのがわかる。
メイガンの分配シートはすでに提出され、あとは二人の分配が適用された杯が中央テーブルに用意されるのを待つだけだ。
「何か言っときてえことはあるかよ?」
不敵に笑んで、ヴェンディが参加者に尋ねる。
「だとよ」
そうメイガンはリュウに呼び掛けてきた。
「何か言い残すことがあれば――」
「ある」
リュウの力ない声が、ルアノの耳朶を打つ。か細いそれがメイガンの言葉を遮った。
ルアノは少し首を曲げるが、彼は頭を垂らしており、角度的にその表情はみることが出来ない。
「せっかくの……お楽しみだ。テメエに、一応言っとこうと……思ってな」
メイガンから小さく鼻で息を漏らす音が聞こえる。
「何だ?」
リュウは顔を上げて、メイガンを見る。
「お前は言った。俺のことは、もうわかったってな……。俺もだよ。俺も、お前のことを、わかってるつもりだ」
ふっ、とリュウが息を吐く。口から嘲笑が零れたように。
そんな言葉を聞かされたメイガンは、舌打ちをしてつまらなさそうに明後日の方に顔を向けた。
「だが、この勝負において、二人が互いをわかってるってのは、矛盾してる。……だから、どっちかが“わかったつもり”でわかってない」
「お前さんは何もわかってないだろ」
「どうかな?」
リュウの言葉は、意外にしっかりとしていた。更に、それを否定したメイガンに対して、疑問符を打つ。
「それは、このセットで証明される」
はっきり言えば、このリュウの言葉はどうかしているとしか思えない。そうルアノは思う。
リュウは2単位量の服毒で、後がないのだ。
対するメイガンは、あっても1単位量の服毒。まだ1単位量の毒までなら猶予がある。
リュウは不利。
果てしなく不利なのだ。
痛い。苦しい。やめたい。
そんな三重苦が、リュウの中でどれだけ膨らんでいるだろう。それを想うだけで、もうルアノは心が千切れそうになる。
――それでも。
「白黒ハッキリさせようぜ」
愉快げな気色を纏うリュウの声に、ルアノは心中でもう何度目になるかわからない鼓舞をする。
リュウはなお勝とうとしているのだ。
どれだけ不利だろうと、どれだけ辛かろうと、どれだけ勝つ見込みが少なくても、リュウは決して諦めたり、逃げたり、そんなことは考えない。少しでも考えていたら、こんなことを言うはずがないではないか。
諦めたら駄目だ。
勝つ。リュウが勝つ。
ワゴンを押した黒服が現れ、トレーを中央テーブルにセットする。
分配された杯が、赤と青、二色で二列の連なりを作っている。
光に照らされ、美しい輝きを放つ杯達。
その中の幾らかには、飲んだ者を敗北へと引きずり込む毒を含んでいる。
それを見極め、避けて、九番目の杯へと辿り着くのか。それに魅入られ、毒に倒れるのか。
「準備が出来たな」
とヴェンディ。
「最終、第三セット。先攻はメイガンだ」
リュウの毒は全てブルーラインに振ってある。
それも、⑤⑥⑧という後半に集中させていた。リュウが勝利する最短の道は、毒+2を分配した青⑥をメイガンに取らせることだ。だが、それも容易ではない。青⑥は警戒対象といっていい。
ルアノは胸中で緊張の息を大きく吐き出した。
そうでなくても、何とかメイガンに毒を取らせるしかない。もしメイガンが赤⑨に毒を分配しているなら、ブルーラインを選択してくれる見込みは十分にある。
問題は、その前にリュウが服毒しないことだ。こればかりは、もう読みようがない。リュウはメイガンのことをわかったと発言した。それがハッタリではないことを祈るしかない。
――メイガンが青①を選択した。
杯を逆さにし、トレーの上に伏せるメイガン。
「お前の番だ。アルバーニア」
リュウの選択肢は、赤①②か青②③だ。
気になるのは青③。ルアノにはかなりの危険杯にみえる。メイガンの毒が分配されていても、おかしくはない。それに加えて、メイガンに青③を取られても問題ないようにもみえる。次にリュウが青④を取ってしまえば、メイガンに毒を取らせる確率は高まる。特に、青⑥を取らせるいいきっかけになるのではないか。
リュウ選択、赤②。
――ヴェンディの宣言がない。
ルアノは安堵の息を漏らす。どうやら、赤②に毒は入っていなかったようである。
リュウの様子を窺うが、ルアノにはよく分からない。ただ毒を飲んで辛そう、という単純な印象しか抱くことが出来なかった。
メイガンはリュウの様子から、杯に毒があるか否かを見極めているような発言をしていたが、リュウは三セット目開始時点から毒を喰らっており、息遣いも荒ければ表情も歪んでいるはず。
怪我の功名と言うべきか、メイガンはリュウを読むことは出来ない。そうであると思わなければ、やってられない。
次はメイガンの番だが、ここで彼が青③を選べば、いい兆候だとルアノは思う。
二セット目で彼はリュウの⑥を避けたが、ルアノの記憶が正しければ、あのときメイガンは③も避けていた。彼が三の倍数を基準として毒の有無を判断しているなら、③を選ぶイコール⑥を選ぶと思っていいのではないか。
メイガンの手がブルーラインに伸びる。
――青③!
――青③を取れ!
メイガンの選択は青③。
――よし!
ルアノは胸の内で拳を握る――、
――!?
その刹那に訪れた衝撃に、ルアノは表情を思い切り歪めた。




