15.迷走
――リュウが手に取ったのは、赤④。
毒だ。
ルアノは拳を強く握りしめた。堪えたのは歓喜ではなく、痛み。
心臓が圧迫されると錯覚するほど身を縮こませながら、ルアノはリュウが毒を飲み干す痛みを堪えていた。
リュウは今、どんな気持ちで杯を飲み干しているのか。それを考えると、ルアノはやるせなさでむせ返りそうになる。
甘くみていた。
ルアノはこの≪決戦≫を甘くみていた。
後悔の念がルアノの胸中で渦を巻き、その不快感に脳を麻痺させる。
こんな気持ちになるくらいなら、リュウに安全策だけ取るように言えばよかったのだ。何も毒を飲むリスクを犯してまで、勝ちに行く必要などない。≪決戦≫に負けたって、ルアノが旅券を無理矢理取り戻せばいいだけだ。
――何故、そうリュウに言ってやれなかったのか?
『強くなりたい』、とリュウが言っていたからだ。
たとえ理不尽に仕掛けられた≪決戦≫だろうと、リュウはそれを受けて返り討ちにする。それがリュウが求める“強さ”ではないか。なんとなくだが、そうルアノは思ったのだ。
だから、ルアノは≪決戦≫でリュウが勝とうとする意思を否定出来なかった。
――けれど、毒を飲むリスクを負うだけの価値が、本当にあるの?
そうリュウに訊いてみたい。
ルアノはゆっくりとリュウに近づく。
彼は飲み干した赤④を、テーブルの上に伏せた。
ルアノに気が付いたのか、リュウがわずかに身体を曲げて、その横顔をルアノにみせてくれる。
「どうかしたか?」
そうルアノに問い掛ける声は穏やかで、優しげだった。
リュウの表情はどこか達観さえしている様子で。それがまるで、子に見送りを受ける父親のような顔にもみえる。
戦う意思が、紫瞳に秘められていた。
不敵な笑み。だが、その笑みには、いつもの厭味な様子は鳴りを潜め、彼の中性的な顔が好青年然とした元来の雰囲気を纏っている。
――わかったよ。
ルアノは悟った。
勝つつもりなのだ。彼は勝ち、その力をここで示したいのだ。
ならば、今ルアノに出来ることは、この戦いを見守ることだ。
自身もリュウの傍らで考え、二人の一手一手に神経を削らせ、苦心し、勝機を見出すことだ。
「がんばれ。リュウ」
マヌケが。そうリュウが笑う。
「こんな勝負、頑張るまでもねえんだよ」
そう言い、リュウはメイガンに向き直る。
ルアノはシロノの元に戻ると、彼の手を引いて、二人の参加者の表情がよく見える、ヴェンディの近くの位置に移動した。
「よかったな。ガールフレンドからエールをもらえて」
「うっせ。オメーの番だ。メイガンさん」
リュウは毒を喰らった。
+1のダメージがどれほどのものか、症状はもう十秒かそこらで現れる。
メイガンの選択肢は、赤⑤⑥、青⑥⑦だ。前の手で青⑥を避けたこと、そして青⑦を取れば次にリュウが青⑨を獲ってしまうことから、おそらく彼はブルーラインは選ばない。
ならば赤⑤⑥がメイガンの選択肢だが、ここでリスクを避けて赤⑤を選択してくれれば、リュウの毒+1を服毒することになる。
――メイガン、赤⑥を選択。
だが、ルアノの淡い期待は容易く砕かれる。
やはり、メイガンはリスクを犯して赤⑥を取った。そして、赤⑥にはリュウの毒は分配されていない。
「さーて、今度こそ決めてもらうぜ。アルバーニア」
静まりかえった会議室に、メイガンの声が聴く者の心を蝕むように響いた。
リュウの選択肢は赤⑦⑧、青⑥⑦だ。
リュウは決めなければならない。
青⑥という危険杯を取り、次の自分の番でどちらかの⑨を獲るか。青⑥を避けて青⑦を取り、メイガンに青⑨を譲ってしまうか。
リュウは動かない。
口を右手で押さえながら、考え込んでいる。
――十秒が経った。
「オイ、そろそろ選んでもいいんじゃねえか?」
「黙れ」
急かすメイガンに目もくれず、リュウは杯を凝視している。
それでいい。とルアノは思う。
これは分水嶺だ。自分の納得のいくまで、考えるべきだ。
――ルアノなら青⑦を選ぶ。
メイガンは二回も青⑥を避けた。思わせぶりなフェイクなのかもしれないが、そこには彼の毒がある気がしてならない。そうでなければ、わざわざレッドラインの杯を選択などしない。
それに、もし青⑥に毒+2が分配されていたら、服毒量が+3に達してしまう。
「所詮は流れ者のごろつきか。決断ができない、典型的な小心者」
リュウの番になり二十秒が経過した頃、メイガンが言い放つ。
「大した決意もねえくせに、旅人ごっこをしてるだけだ。そんなヤツに旅券なんて要らねえよ」
「さっきからうっせえな! 何なんだよテメエは!?」
リュウが怒号を上げた。
苛立ちが最高潮に達したのか、彼は顔を上げてメイガンを睨む。
だが、メイガンの方は『おお恐』と嘲るばかりで手応えがない。
そればかりか、彼はゆっくりとした口調でリュウに言う。
「取引、しようぜ?」
「何?」
「青⑥を選んでくれたら、俺の知ってることを教えてやるよ。なあ――」
今にもどす黒い煙でも滲みそうな、メイガンの口元。
「――リュウ君?」
――罠だ!
何故、メイガンがリュウのことを知っているのかわからない。けれど、これはメイガンがリュウに青⑥を取らせるために吐いたでまかせ。そうルアノは直感した。
メイガンにその名を呼ばれ、リュウは瞼を開いた。
そして、リュウは手を伸ばす。
――青⑥はダメ! リュウ!
ルアノは目を絞りながら、心中で絶叫した。
喉が千切れるような錯覚。
リュウ選択、赤⑧。
リュウが飲み干した杯を伏せると、すかさずメイガンが赤⑨の杯を獲った。
「第一セット終了! このセットはメイガンの勝ちだ!」
――どうして?
ヴェンディのセット終了の宣言が、ルアノの耳に入った。
ルアノは伏せられた赤⑨を呆然と見ながら、最後のリュウの赤⑧選択に疑問符を打つ。
――赤⑧にはリュウの毒+1が分配されているのに。
これで、リュウは二単位量を服毒したことになる。加えて、このセットはメイガンに獲られてしまった。
第一セット終了。
リュウの勝機を全く見出せず、ルアノの心は暗雲に飲み込まれた。
***
理解が出来なかった。
リュウは何故、赤⑧を選択したのか? 毒のを分配していない赤⑦ではいけなかったのか?
「では、二セット目の分配をシートに記入しろ」
ヴェンディの指示と共に、黒服二人がそれぞれリュウとメイガンのテーブルにシートを置いた。そして、二人はトレーをワゴンに乗せて別室へと運ぶ。
ルアノは心中で首を捻りながら、リュウに近づいた。
奇行の意図を問いただしたかったが、既に毒を二単位量も喰らっている彼の身体が心配だった。
「リュウ。大丈夫?」
「ああ」
――けろっ、と。
リュウはあっさりと応じてみせる。
「ちょっとちょっと……! 毒喰らってるでしょうが……!」
メイガンに聞こえないよう、ルアノは声量を大分落としてリュウに言う。が、リュウはそれを鬱陶しがる素振りさえみせないことに気が付いてしまう。
このリュウの様子はおかしい。
ヴェンディの話では、二単位量服毒すれば、頭痛や吐き気に見舞われるはずだ。しかしながら、リュウは涼しい顔をしており、それが演技であるようにも思えない。
「多分だが、俺は毒を喰らってねえんだ……」
ぼそりとリュウが言う。
その発言に肝が冷えていくのをルアノは感じた。
ちらりとメイガンの方をみやるが、彼は壁に背を預け、こちらの様子をじっと伺っている。
ルアノはリュウの肩を掴み、メイガンに背を向けるようにして振り向かせた。
「それ、メイガンの中和剤が打ち消してたってこと?」
「多分そうじゃね?」
ツイてんな。とリュウは歯をみせて笑った。珍しく、屈託のない笑顔である。
その脳天気な様子に、ルアノはがくっと肩を落とした。毒を喰らっていないという安堵、そしてリュウの物言いに肘の神経を小突かれたような脱力感を覚えたからだ。
――しかし、どういうことなのか?
メイガンは赤④、赤⑧に中和剤を分配していたことになる。
“三の倍数必勝法”を考えれば、少しおかしくないだろうか? リスクが高い③⑥⑨に中和剤を振りたくなるのが人情だ。
ただし、これもルアノの考えが浅いだけかもしれない。
「どうしてメイガンはそんなところに中和剤を分配したの?」
「そりゃヤツが先攻だからじゃねえの?」
こそこそとしたルアノの問いに、要領を得ない答えを返すリュウ。
さっぱり理解出来ていないルアノを放り出し、リュウはシートに視線を落とし、考え込んでしまう。
――そんなに考え込まれたら、訊きたいことも訊けないじゃん!
ルアノはシロノに目配りをし、助けを乞うた。
それに気が付いたのか、シロノはルアノに身を寄せる。
ありがたいが、そんなに綺麗な顔を無防備に寄せないで欲しい。別の意味で、この≪決戦≫より心臓が保たない。
赤面するのを自覚しながら、ルアノは彼の答えに耳を貸す。
「第一セット、メイガンは先攻でリュウは後攻だった」
分かりきったことを言うシロノ。
意地悪をしているのでは? などと、つい疑ってしまう。
「後攻であるリュウが、必勝法を取りやすい。なら、メイガンはリュウに対して三の倍数の杯に毒を仕込むのが自然」
それも分かっている。
だが、次にシロノが口にした言葉は、ルアノが築いた理屈を覆すものだった。
「ならば逆に、先攻は③⑥⑨以外の杯を取りやすいとも考えられる。だからメイガンは、それ以外の杯に中和剤を振った。赤④⑧にメイガンの中和剤があってもおかしくない」
ルアノは右手の親指と中指をくっつけ――ぴたりと制止。
危うく指を鳴らすところだった。
シロノの言い分が正しい。
ルアノは考えが足りなかったのだ。
後攻のリュウが必勝法、つまり三の倍数の杯を引き受ける可能性が高いなら、逆に先攻はそれ以外の杯を選択する可能性が、比例するように高まる。ならば、メイガンはそれを見越した上で赤④や赤⑧に中和剤を振っていておかしくない。
それと同じように、リュウの意図が不明瞭だった毒の分配にも説明がつく。後攻である自分が三の倍数を引き受ける代わりに、相手が選びそうな③⑥⑨以外の杯に毒を分配するのは非常に効果的ではないか。
そして、度重なるリュウの③⑥回避も合点がいった。リュウは後攻だったため、余計に③⑥にリスクを感じた。逆にメイガンは、そこまで“三の倍数必勝法”に拘ることなく杯を選択することが出来たのだろう。
――?
そこまで思い至り、ルアノは首を捻った。
何だろう?
それでもまだ、リュウの手に説明のつかないことがある。
腑に落ちないながらも、ルアノは思考を切り替えた。
次の二セット目で、リュウは先攻だ。
――分配を考えなければ。




