14.リスクと勝機
メイガンの視線は手前――①の杯近辺を彷徨っている様子だ。
顎に手をやり、考えるような仕草をみせている。
「んんー」
地の底から這い上がるような、低くおどろおどろしい歪な発声。
メイガンの唸りに、ルアノは若干の薄気味悪さを感じた。
リュウの毒はレッドラインだけ。それも、①②には毒を分配していないため、ここでメイガンが服毒する可能性はゼロだ。
――リュウはどうしてあんな細かい分配にしたんだろ?
ルアノはそれが気掛かりで仕方ない。
「ま、初手で迷っても仕方ねえな」
そう零し、メイガンが手を伸ばしたのは赤の②だ。
彼は赤②の杯を掴み、一気に煽る。
――コト。
杯は逆さに、静かにトレーの上に戻された。
これで、赤①②はクローズだ。
「水の量は少ないんだな」
ヴェンディは『当然』と応える。
「いっぱいの水を何杯もガバガバ飲んだら、腹がふくれちまうからな」
「違いねえな、――で」
その場全員の視線が、リュウに集まる。
「お前さんの番だ。アルバーニア」
「ケッ」
吐き捨て、リュウはテーブルに近づいていく。
――必勝法は後攻にある。
ルアノは自身の心拍数が上がっていくのを感じた。
ここで、リュウが赤③を取れば、レッドラインの主導権をリュウが握ることになる。というか、ここで赤③を取らないようなら、後攻を選択した意味が消える。
だが、三の倍数の杯は危険という考えが、どうしても頭にこびり付いて離れない。
もしかすると、メイガンは誘っているのかもしれない。リュウが必勝法――赤③を取ることを。
必勝法と引き換えにして、後攻はかなりのリスクを引き受けなければならない。
――もしかして、これは後攻が果てしなく不利なのではないか?
そんな猜疑心さえもルアノの脳裏によぎる。
リュウは青②の杯を手に取り、煽った。
――メイガンに必勝法を譲った!
「ふう」
と零すリュウ。
彼は青②の杯を伏せた。
これで、青①②もクローズだ。次のメイガンが選択できるのは、赤③④か青③④。それは、すなわちメイガンはどちらのラインの③も選べるということ。
リュウはいつもの薄ら笑いでメイガンをみやる。
「さて、これでどっちのラインでも③が選べるぜ?」
リュウはメイガンに③を選択する権利を譲った。それをメイガンがどう受け止めるかにかかっている。もし、メイガンが③を獲るリスクを避けて赤④を選べば、リュウの毒がメイガンに命中する。
「ま、もし③の杯が選べ――」
メイガンが赤③の杯を飲み干した。
「ごっつぉさん。……ん? 何か言おうとしたか?」
首を傾け、メイガンがリュウの顔をみた。
ルアノの肺に、焦燥感を孕んだ冷気が入る。
メイガンが赤の③を選択した。何のためらいもなく選択した。危険杯であるにも拘わらず。リュウの言葉に耳を貸すことさえせず。
そんなメイガンの一手に、瞬間脳裏が白くなり、再び考え出すのに遅れるルアノ。
これが心理的なダメージだ。そう実感したところで、ヴェンディやリュウがこの戦いを“度胸試し”だと言ったことを思い出す。
――些細な気後れが勝敗を決してしまう?
メイガンの躊躇ない選択は、確かに危険ではあったものの、レッドラインの主導権を得たという結果をみれば非常に有効だった。
「さて、どうするんだ?」
見下すような、余裕混じりのメイガンの声が、波紋のように部屋に広がる。
「お前さんも、当然青③を選ぶよな?」
――安い挑発だ。
気にせず、リュウは勝負しなければならない。そうルアノは思った。
そのルアノの考えは、決して焦りで泡を食った誤断ではないはずだ。何故なら、リュウはブルーラインに一切毒を分配していないからである。加えて、リュウは青⑨に中和剤-3を分配した。
リュウはブルーラインをクリーンにしたのだ。
では、リュウの目指すべきは、青⑨を獲ること。それしかない。
青⑨を獲るために、青⑥は欲しい。青⑥を狙うなら、ここでリュウは青③を選択すべきだ。そしてリュウは再び必勝法に乗り、次のメイガンの選択肢が赤④⑤、青④⑤となる。
赤④⑤にはリュウの毒があり、青④⑤をメイガンが選べば、リュウは青⑥を取れる。
――理想の形だ。
一秒一秒が長い。リュウは固まったように動かない。
ルアノは喉を鳴らした。
――リュウ、ここは青③で勝負しなきゃ!
リュウ選択、青④。
――ちょ!
寸でのところで発声を抑えこんだルアノである。
――どうして!?
理解が出来なかった。何故、ここで青④なのか?
日和った選択としか思えない。
「ハハッ」
メイガンがそんなリュウを嘲る。
「どうしたよ。ビビっちまったか? その様子じゃ毒を飲む心配はなさそうだな?」
ルアノは顔面から血の気が引いていくのを自覚する。今のリュウの一手がとんでもない悪手にしかみえず、メイガンの優位が確立してしまった気がしてならない。
リュウはこのままずっとリスクを負えずに、メイガンにいいようにやられてしまうのではないか?
「ハン」
その場に響いたのは、冷笑だった。
リュウだ。
後ろ姿でその顔は見えないが、確かにメイガンの嗤いを否定するようなリュウの声が、ルアノまで届いた。
「どうかしたのは、オメーの方だろ。俺が日和って青③を避けたのは確定か? 青③に俺の毒がある可能性はどこいった?」
――!?
ルアノは瞼を微かに開いた。
リュウの言うとおりだ。メイガンの挑発はおかしい。
ルアノはリュウの分配を知っている。だから青③を避けたリュウの判断は間違っていたことがわかる。
だが、メイガンはリュウの毒が何処にあるのかを知らない。なのに、彼はリュウが青③に毒を分配した可能性を、まるきり度外視したかのような発言をした。
「フハハ! いや、その可能性はないと思うぜ。違うか?」
だが、メイガンはなお嗤う。
――どうして!?
黒ずみが凝縮されたような冷たい滴が、頭頂部を打つように垂れ落ちてきたような、禍々しいショック。
ルアノは顔を伏せ、自分の足下に視線を落としてしまう。
「図星じゃねえかよ」
――やっちゃった!?
ルアノの反応が見咎められたのか、メイガンは愉快そうに言った。
これはただの度胸試しではない。相手の様子から分配を読むという戦い方も当然あるのだ。
『仲間から情報が漏れちまう可能性くらいは承知しておけよ』
今更ながらに、ルアノの脳裏にメイガンの言葉がよぎった。
もっと強く警戒すべきだったのに。
――ごめん。リュウ。
そんな謝罪の言葉はおろか、表情すら変えることさえ許されない。
じっとりとルアノの背中が汗ばむ。異様な緊迫感に気圧される中でのミス。単純な力比べならば、こんなことにはならないし、余計なことも考えないのに。
心理戦の厳しさを、ルアノは初めて味わった。
「そっちの番だぞ。得意気に言ってくれたからには、オメーは青⑥を選ぶんだろうな?」
「身体に毒がまわらないか、待って確認しながら口で牽制してたんだよ。赤③は危険杯だったからな」
ルアノはこそっと顔を上げた。
メイガンはテーブルの横で、顎に手をやりながら品定めをしている。
これまでの流れで、レッドラインは③まで、ブルーラインは④までクローズだ。
メイガンが選択できるのは、赤④⑤、青⑤⑥。
――青⑥。
これを取られるとまずいことになる。メイガンが安全杯である青⑨に、リーチをかけてしまうのだ。リュウはレッドラインを選ぶしかなくなるが、赤④⑤はリュウ自身の毒が分配されている。
――赤④⑤だ。
――お願い! 赤④⑤を選んで!
「仕方ねえな」
そう呟きメイガンは――、
――青⑤を選択した。
「テメエ……」
メイガンの選択にリュウが厭な声を漏らすが、当の本人は涼しい顔だ。杯を逆さにしてトレーに置いた。
「さて、どうする? アルバーニア」
小首を傾げ、メイガンはリュウに発破を掛けた。
ルアノは小さく息を漏らす。そうでもしなければ、とても居られないような緊張が胸を占拠していた。
このセットは、次のリュウの着手に左右される。
一秒、二秒、そんな風にゆっくりと刻まれる時間。
おそらく、リュウもメイガン同様、自分が服毒したかを確認するため時間の経過を待っているのだ。
その隙に、ルアノは必死に頭を働かせ、状況を整理する。
慌てて考えているせいか、何度か読みにズレが生じ、その度に今の状態からやり直すという馬鹿をみた。
多分だが、リュウの選択肢は大きく分けて三つだ。
一つ目、青⑥を選ぶ。このセットを取ろうとすれば、おそらくこの選択は避けられないだろう。だが、たった今、メイガンは青⑥を避けた。これは、メイガンの毒が青⑥にある可能性を示唆している。危険だが、都合よくいけばリュウが相当優位になる。
二つ目、赤④⑤を選ぶ。よくない手だとルアノは思う。何せ、赤④⑤にはどちらにもリュウが分配した毒が入っている。おまけに、メイガンが赤⑥を取るのを許してしまう。
三つ目、青⑦を選ぶ。これは服毒のリスクを避け、このセットを完全に放棄する選択肢だ。メイガンがリュウの毒を恐れず青⑨を獲ってしまえば、彼は無傷でこのセットを制することになってしまう。これは外したい選択肢だ。
自信はないが、おそらくそういう状況だろうと推測したルアノ。
そして、この場の全員が見守る中、リュウがゆっくりと腕を伸ばした。




