01.目覚めて吐いて、また気絶して起きて
ゲームは“ロシアンルーレット”だった。
神坐流は綺麗に装飾されたリボルバーに弾丸を装填し、テーブルの中央に置く。
リボルバーには、一方のプレイヤーが支払ったチップに応じた数だけ、弾を込めることができるルールだ。
目前に座る少年は、ディーラーにより頭部に装着された拘束具から、暑苦しそうに頭を振って解放される。
その拘束具に嗜虐的な意図はない。相手が何発の弾丸を装填したのか認識させない。ただそれだけの代物だった。
流と少年は場にアンティを提出。
現状、持ちチップ数は流の方がかなり勝っている。
少年はチップを支払い、パスを宣言した。銃の引き金を引く義務を、チップで免除したのだ。
パスに支払われたチップはプールされる。おそらく、少年が狙っているのは、そうして場に積もっていくであろうパス代だ。
続いて、流に勝負権―引き金を引く権利が与えられるが、少年の倍のチップを払い躊躇いなくパスを宣言した。
これは作戦だ。
『大量のチップを支払い、リボルバーに限界まで弾を込めた。だから、勝負はしない』という演技。次に少年がパスをすれば、勝負を宣言。
悠々と弾の込められていないリボルバーのトリガーを引き、プールを総獲りする作戦。
――だと、少年に思わせるための。
勝負権が少年に戻った。
彼は右手で頬杖をつき、静かにリボルバーを見つめている。
歳のころは十代半ば、といったところだろうか。少年の顔は、まだ幼さが残っている。にもかかわらず、彼の絶妙な手練手管と鋭い勝負感は、このゲームタワーにおいても突出したものだと流は聞いていた。
「勝負」
少年はコールした。
同時に、流には獲物が引っ掛かるような手応え。
――バリバリッ!
脳裏で強力な電流が火花を撒き散らすのを、流は感じた。
少年が弾をかわせる確率は、わずか六分の一だ。だが、流は勝利を確信しない。六分の一、敗けがあり得る。
仮にそうなってしまったら、流のチップは濁流の如く、少年の元へと移動するのだ。
まだ成熟し切らない、性別をあまり意識させない。そんな綺麗な右手に、不釣り合いな無骨な拳銃の柄が握りしめられる。
銀色に光る拳銃の先端。そこに穿たれている真っ黒な穴は、深淵の闇を彷彿とさせる魔性を携えている。
少年はシリンダーを左手でシャッフルした。
小気味の良い回転音は、少年の手により徐々に加速されていく。
ディーラーの合図とともに、回転音は少年の左手の指先でそっと止められた。
銃口が、稚い少年のこめかみへと向けられていく。
流はこの先何があろうと、このときの少年の瞳を忘れることはないだろう。
満月のように妖しい輝きを纏ったそれは、おそらくゲームタワーのトッププレイヤー全てを惹き付ける。
流とて例外ではない。その魔力に魅了されれば、このような馬鹿げたゲームを何回だってプレイできる。
少年が撃鉄を起こす。
ガチン、という金属音を聞いたとき。
流は彼に心臓を愛撫されたような、過激でいて甘美な錯覚を感じた。
――そうさ。誰だって酔いしれる。
そう認めたとき、流は薄く笑みを浮かべた。
勝負師の哲学は、いつだって完璧で美しい。
『この異世界の救いよう』
金属が床に落ちる。
まずはそんな甲高い音が、どこかで聞こえた。
「ウィルク?」
ふと気付けば、視界はスモークガラスのように霞み、聞こえる声はずっと遠い。
時間の経過はわからないが、徐々に五感が世界を認識し始める。
「ウィルク、――ウィルク!」
それと同時に、脳が揺れる錯覚と船酔いのような気分の悪さを自覚した。
「ちょっと、ウィルク! 大丈夫!?」
少女の声だ。
右手側に認識できるのは、おそらく声の主である少女。
彼女に右肩をつかまれ、揺すられた。
――やめろ! 揺するな! 死んじまう!
そう口に出そうとしたが、上手くいかない。
力なく膝をつき、両手を石畳の上に着けると、盛大に吐瀉物をぶちまける。
「――あ?」
それが、神坐流がようやく捻り出せた声だった。
流はそのまま地べたに崩れ、仰向けに転がった。
「ウィルク!」
少女の声はほとんど悲鳴に近かった。
流を覗き込む彼女は、美しいブルーの瞳にピンク色の髪。
「医務室に運ぶの手伝って!」
身を案じてくれる彼女は、流のよく知る人物、
「ウィルク! もう大丈夫だから!」
――ではもちろんない。
流の常識では、こんな変わった目と髪の色をした人物など、滅多にお目にかかれない。
――ウィルクって誰だよ?
そう心中で毒づく。
流は自分の身に起きた現状を把握しきれない。必死に頭を回そうとしても、ひどい頭痛がそれを拒んだ。
意味不明な状況下、流はこんなことが起こりうる場所に、一カ所だけ心当たりがあった。
だが、それは違う。
流は自分の考えを否定した。自分はあそこから消えたのだから。
周囲が騒がしい。流は自分の体が宙に浮いたのがわかった。おそらく、多人数で流を運ぼうとしているのだと、あたりがついた。
意識が徐々に遠のいていく。
――【ゲームタワー】。
流の脳裏に“その場所”の名前が浮かぶ。
――なんだよ。
と流は心の中でごちる。口元が力なく緩んだ。
――未練があったのか。
それは紛れもなく、自嘲の笑みである。
流の意識はそこで途切れた。
***
ゲームタワーとは実に不思議な場所だった。
適当に選出され、そこに連れてこられたプレイヤー達が、様々なゲームを通じて白星を奪い合う。
黒星が三つ付けば追放され、白星が十に達すると願いを一つ叶えてくれる。
流がプレイさせられた最初のゲームは、“変則椅子獲り”。
脱落していないプレイヤー達が、それぞれ一秒から六十秒までの時間を決め、その平均が着座開始の時間として設定される。
十人の参加プレイヤーの中で、流はただ一人だけゲームタワーで行われるゲームを経験していないプレイヤーだった。
何も勝手がわからなかった流は、がむしゃらに立ち回った。
ギャンブルにハマる人間は、ビギナーズラックを経験した者が多い、などと俗にいわれている。
最終ラウンドで着座に成功し、白星を手に入れたとき、流はゲームタワーで己の可能性を追求することを決めた。
両親を早くに失った。
守るべき何かも、希望となる目標もなかった。
遂には死を決意した。
そんな流が新たな自分を試したくなるような、異様な魔力がゲームタワーには存在したのだ。
***
――第一話 ハウネル王国騎士養成学校
流が初めてゲームタワーに連れてこられたとき。
あのときも、目覚めはこのような病室然とした部屋のベッドの上だった。
「気持ちワリィな、オイ……」
まるで記憶がなくなるまで深酒した翌日だ。
流は枕の下に両手を入れ、冷たい箇所を探る。ふっくらとしたベッドと枕に挟まれ、両手に幸福感を感じる。
だが、何かが違う。漠然とした違和感がある。
「ああ、点滴してるから、右手は動かさないで」
若い男の声が聞こえた。
流がそちらに顔を向けると、金色の髪を肩まで伸ばした男と目が合った。寝そべっている流を見下ろすようにして立っている。
男の顔は彫りが深く、少なくとも流の住む国とは別の国の人間であることが覗える。
おずおずと右手を枕から引っ張り出して視界に入れると、確かにシャツの袖が捲られており、腕の関節付近に針が刺されているようだった。張力も感じる。
周囲を見回すが、男の後ろに夕焼け空を映し出す窓が見えるだけだ。反対側は一面カーテンに遮られて何もわからない。
――状況が飲み込めねぇ。
流は記憶を整理しようとする。
「突然倒れたらしいね」
流の困惑を悟ったのか、男は言った。
自分はどうやら病院かどこかに運び込まれ、目前の男は医者であることを察する。
「――あの、どこだよ? ここは」
左手で頭を掻きながら、流は医師に質問する。
「そりゃ、医務室だ」
間髪なく返事が返された。
それはおおよそわかっている。流は地理的な質問をしているのだ。
「どこの?」
「どこのって……」
男は苦笑して答えた。
「学内だよ?」
思わぬ返事に流は眉をひそめる。
何を当然のように訳のわからないことを言っているのか。医師の神経を疑う。
流はもう一度頭を掻き、違う質問をする。
「急性アルコール中毒?」
その言葉に、医師は声を出して笑った。
「多分、【ヴェノ】の過剰摂取だよ。あと二時間以上は絶対安静」
医師はくつくつと笑いながら訊いてきた。
「何? ウィルク、お酒飲んだの?」
今度こそ流の背筋が凍り付いた。
全く話がかみ合わない。そして、この医師からふざけた様子が全く感じられない。
この理解できない返答を、彼は大真面目にやっている。
――危険。
そう直感が告げる。流はそれ以上言葉を発することができなかった。
「そんな軽口叩けるなら軽症だね。僕はちょっと外すから」
医師はそう言うと流から顔をそらし、点滴パックを確認した。
「三十分くらいで取り替えに来るから。くれぐれも大人しくしてるように」
彼は流に微笑みかけると、踵を返して離れていく。
器用にカーテンと壁の隙間をすり抜け、医師は消えていった。