やられる前にやれ、それが私の急務だ
ユイエ13歳。リリアンヌ様とのお話の途中で気を失ったらしく、気づいたら保健室だった。
貧血と栄養失調について指摘されたが、そこについては完全に黙秘を貫く。
なんたって、目の前の先生も男ですから。男というだけで、自分の中ではまず信頼に値しない。
偏見だと知ってはいるが、信じられないものは信じられないので、それでいい。
確かに、無理して信頼しようするひともいたりする人もいる。それは美徳だとは思うが、私には無理な話だ。
なんたって、あの一件以来、どうも俗に変態と呼ばれるものをひっかけてばかり。
Gほいほいじゃないんだから、と思うものの、どうやっても寄ってくる奴らをこれ以上どうしろと。
おさげにして、前髪伸ばして、陰気くささを入学当初から醸し出してるはずなのに、なぜ寄ってくる。
死ねばいいのに。いっそのこと、私が全員分の首を切り落としてやろうか。そのほうが私の精神衛生上一番いいよな。
うん、そうしよう。あんな奴ら死ねばいい。落ちればいい。消えればいい。
「ユイエ」
耳元で聞こえた低く、おぞましい声にびくりと体が硬直する。
真っ白になある頭。自分の名を呼んだ男以外の声もする気がするが、顔を向けまいと、視界に入れまいと首を動かさず、目をかたくつむる。
聞こえない聞こえない。私は何も聞いてない。
私は何も知らない。聞こえない。聞いてない。知りたくない。見たくない。
知らない。私はなにも聞いていない。聞こえてなんかいない。
聞きたくない。見たくない。聞くな。見るな。気にするな。
どのくらいの間じっとしていただろう。
いい匂いが鼻孔をくすぐり、意識を周囲へ向けると、もう煩わしい声は聞こえなかった。
気配を探り、自分と近くにいる一人しかいないことに安堵と緊張を覚える。
こちらをうかがう様子があるから、おそらくあのストーカーどもではない。あいつらはそんなことしない。
ならば、ここにいるのは誰だ。保健室だったということを考えると先生か。
「ユイエ嬢。わたくしの声が聞こえますか?」
違った。よかった、と肩の力が抜ける。
ゆっくり目を開いて声がしたほうへ顔を向けると、心配そうに見つめていたリリアンヌの顔に安堵の表情が浮かんだ。
視線を落としたリリアンヌを追って自身も下を向き、手に持っているものが何かと認識したとたん、ぐぅ、とおなかが鳴った。
一瞬の沈黙ののち、思わずといったようにリリアンヌが噴き出す。
今まで空腹も何も感じなかったし、食べ物を見ても食べたいとも思えなかったのに、なぜか、彼女が持っているお粥は食欲をそそる。
「何も食べないのは体に悪いから持ってきたのだけれど、食べれそう?」
こくり、と無言でうなずいて、お椀を両手でそっと受け取る。
湯気にのって広がるお米の香りに、知らずのうちに頬が緩む。お米を食べるのはいつぶりだろうか。食べたいなと思うことはあっても、存在すると思っていなかったし、存在していたとしても出会えるとは思ってもいなかった。
お粥には、葉物野菜や小さく切った野菜、卵などが入っている。貧血と栄養失調について聞いたのだろう。そうでなければこの気遣いは説明できない。
彼女のやさしさと、久しぶりに出会えたお米に乾杯。
「いただきます」
両手を合わせて、あいさつし、スプーンを持つ。一口大にすくいあげ、しばし見つめた後、ゆっくりと口に含んだ。
口に広がるお米の甘味。それに存在はあるけれども主張しすぎないほどの野菜の旨味。
昔だったら、噛む回数が多いとは言えなかったが、久方ぶりに食べるおかゆを十分味わうように何度も何度もかみ砕く。
――あたたかい。
沸き起こる筆舌に尽くしがたいほどの様々な感情に、涙が頬を濡らす。
今まで、感情という感情を持つことができなかったのは、認めたくなかったからであると、唐突に思い至った。
死んだということを認めたくなかった。これは夢であると、起きたらまたいつもと変わらない日常があるのだと信じていた。頭ではわかっていても、心の奥底で、あの日々に戻りたいと思っている自分がいたのだ。
けれども、夢はなかなか冷めなくて、怖い思いを何度もして、死に物狂いで生きているうちに、認めざるを得ない現実に耳をふさいで、目を閉じて、どこかぼんやりと生きていた。それが今までの私。
ご飯がおいしくて泣いてるのか、悲しくて泣いているのか、それさえもわからないけれど、ようやく”ユイエ”は私であると、認めてもいいのかもしれないと思った。
いろいろ考えている間も手と口は休まず動いていたため、残すは最後の一口。これを食べてしまうのが惜しいけれど、残すなんてことはできないし、したくない。
お粥があるということは、お米も存在しているということ。いつかきっと、もっと食べられる日が来る。そう信じて、最後のお粥を頬張った。
最後の最後までかみしめて、ゆっくりと飲み込んむ。
「――ごちそうさまでした」
「お粗末様。全部食べられたみたいでよかったわ」
「とてもおいしかったです。ありがとうございます」
本当においしかった。久しぶりに食べたから、というのもあるだろうが、素材の味がしっかりわかるくらいの薄味で好みぴったりなのが素晴らしかった。
…食欲がわかなかったのって、味付けが合わないから、っていうのももあったのかなぁ。普段から濃いなぁとは思ってはいたことではあったのだ。
森で過ごしていたときはともかく、貴族をやらされてからは、食事をはじめとするそこでの生活の大半は苦痛だった。勉強していたほうがまし、とか思うくらい、窮屈でイライラしてた気がする。
「カルロ先生はもう少し休んでいてもいいと行っていたから、今日は休むといいわ」
「リリアンヌ様」
「リリアでいいわ」
唐突に愛称で呼ぶよう言われても、一応仮にも貴族の末席に不本意ながら名前を連ねているものとしては、はいそうですかと受け入れられるものではない。
「あなたには私の共犯者になってもらうから、二人きりの時は仲良くしましょう」
「は?」
「前世の名前は椎名琉璃。元日本人同士、これからよろしくね」
「……、……、…………はい?」
前世がなんだって? 元日本人って、ようはまさかつまるところ、だ。
横転して息苦しい中こときれた永沢みつきの同郷だと、そういうわけなのか?
呆然としてリリアンヌを見上げると、してやったり、というような意地の悪い笑みを浮かべていた。
「おかしいと思ってたのよね。ヒロインは転入だったはずなのに入学式からいるし、なんであの馬鹿どもが篭絡したか今でもわからないけど、男に取り入る気配ないし、むしろ重度の男不信。明るく元気で顔が広く勉強はちょっと苦手なところがある、という設定と打って変わって、かわいい顔隠して地味さを装おうとして頭いいけど他人に興味ある素振りすら見せないんだもの。中身絶対違う、ってそこだけは確信してたわ」
「はぁ。あ、私の前世は永沢みつきです。ところで、ヒロインとか設定とか、そこんところを詳しく」
流行っていた小説で、異世界転生があったのは知ってるし、私自身はまってた。自分の今までの状況と彼女の言葉から推測するに、同時期流行っていた乙ゲーキャラに転生しちゃった、てきな感じですかこれ。
よくある設定の女の子が転入してきて、学園にいる主に位の高い人と恋に落ちるというあのゲーム。恋愛要素絡んだものって敬遠してたからよく知らん。唯一、二次創作が楽しくて気になったのが龍神様の神子として世界を救うだか何だかする話。いろいろシリーズが出ていたけど、その中で私がやったのは一つだけ。
ストーリーは好きなんだけど、恋愛要素を受け付けられないのにかわりはなかった。
ギャルゲーならいいんだけど、乙ゲーは無理だ。想像が一番楽しい。映像とかになると、見てるこっちが恥ずかしくて無理。
「『月物語~運命の時~』っていうタイトルの乙女ゲームって、知ってる?」
「しりません」
いわく。
ざっくりいうと、魔法と剣と魔物がいる世界で、天真爛漫な主人公ユエ=ダージナルが恋愛にかまけたり、我が道をいったりする話らしい。
「……魔物、食べたいなぁ…」
「は!?」
なにかおかしなことを…彼女の感覚したらそうか。食うものではなくゲテモノ扱いされていたとしたら、そういう反応もありうるだろう。いくら庶民の間で一部食料として扱われているらしいとしても、貴族にとったら違うなんてことは、よくあることだ。なんたって、危険生物だし。
「いやいやいやいや、むしろ魔物の肉は高級食材だから。ものによっては貴族でも口にすることができないものもあるからね!?」
「そうなんですね。あ、話戻りますけど、ようはその婚約者いながら現をぬかすアホどもを、公衆の真ん前でつるし上げればいいんですね。いいです、やりましょう。全力をもって、叩き潰して見せましょう」
「いや、できることなら根性を叩き直すとは言ったけど、誰も叩き潰せとは一言も」
「やるからには全力で。その鼻っ柱、たたき折ってつぶして、傷口に塩をぬった挙句にその肉をえぐり取ってやります」
でなければ、私の安寧を脅かしたものへの怒りや恨みなど、収まるものか。
「そ、そう……」
頬を引きつらせてじりじりと後ずさるリリアンヌを視界の隅に入れながら、ぐっとこぶしを握る。
そう、許してなどやるものか。
私の知らないところで、生きるなり自殺するなり、煮られるなり焼かれるなり好きにしたらいいさ。
やつらにくれてやる情など、これっぽっちも持ち合わせてないのだから。