表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/17

 外に出ようと思ったのは、やはり店の中で親から向けられる視線がうざったかったことと、佐賀さんの立場を考えたからだった。

 他の男子と一緒にいるところを見られたらかなり誤解されるだろう。

 別に僕はそれでもいいんだけど。悪いことなんもしてないし。

 隣で佐賀さんがくしゃみの声を押し殺していた。どこか中に入った方がよさそうだ。

「ちょっと歩くけど、郷土資料館に行こうと思うんだ。いいかな」

 小首を傾げて僕を見た。

「店でお客さんに渡している無料招待券があるんだ。けど、あんまり行く人いないみたい。人気ないんだよ」

「私はかまいません」

「あそこ、中に入ると、展示室のどまんなかに大きないすがあるんだ。閉館時間まで座っていられるんだよ」

 総田と落ち合う時によく使っている場所だった。店のレジで配っている無料招待券をくすねてきてこっそり連絡を取り合う。大人が数人うろついている以外は見事に静か。館員の女の人が座っているくらいだろうか。安心して機密情報を交換できる場所だった。

 佐賀さんは唇のはしにえくぼを作った。

「ありがとうございます」

「いいよ。けど、青大附中からだったら遠かったよね。自転車、今の時期は使えないし」

「バスで来たんです」

 ──じゃあやっぱり、狙ってきたんだな。

 佐賀さんとしては、「偶然本屋に立ち寄ったら僕がいた」という設定を守りたかったみたいだけど、不自然なことをしたってろくなことはないと思う。

 偶然出会った人をいきなり、そんなふたりっきりになれそうな場所へ引きずり込むなんてこと、できない。

 目的があるからこそ、できることってあるはずなのだ。

「バスの時刻は調べた方がいいよね」

「大丈夫です。最終、見てます」

 ──完璧だよ。


 水鳥中学の知り合いには会わずにすむよう、近道を使った。五分くらい歩いたところに、「青潟市郷土資料館」と木目の看板が出ている建物がある。見た目は目立つけれども、中に入ると受け付けのおじさんが黙って招待券をもいでくれた。コンクリートの壁ばかり目立つ、かすかにピアノの曲が流れているところだった。主に青潟市のなりたちとか歴史とか、水害地震など天変地異の話とかのパネルが張り巡らされていた。時代劇に出てくるような紐綴じの本とか、形をなしていない木造の板とか、見ても面白くない。僕たちはわき目も振らずに茶色のソファーに向かった。青潟市全域の立体地図を背に座った。髪の毛の白い男の人が、ゆっくり歩いている以外は誰もいなかった。

「ここ、五時半までいても平気だよ」

「はい」

 僕もジャンバーを着ないまま来てしまったので、かなり寒さが答えた。中は暖かいけれど、暑いほどではない。佐賀さんもコートを羽織ったままだった。手袋だけ脱いで、両手で握り締めていた。

 ──目的って、なんなのかなあ。佐賀さん。

 僕にだけ用があるのは確かだ。

 おとひっちゃんのいないところで、もっというなら恋人の健吾くんすらはさまないところで話さなくてはならないこと。

 昨日教えてもらった話は全部焼き付けてあるけれども、今日につながることなのかどうかがはっきり結論付けられなかった。

 まあいいや。わかんなかったら、聞けばいい。

 単純なことだ。

「佐賀さん、俺、少しずつ質問していくけどいいかな」

「聞いていくって」

 片手をまた耳元に当てて、佐賀さんは首をかしげた。わざとらしくない。髪の毛の角度が三角定規の先っぽ程度に傾いたくらいだった。

「俺、謎解きが好きなんだ。推理小説とか、ドラマとか見て犯人当てるのがすっごく好きなんだ。だから、佐賀さんの話、ちょっとだけ当ててみたいんだ」

 わざとらしい言い訳だけど佐賀さんはうつむいて、小さくうなづいた。

「外れてたら言ってくれればいいよ。おとひっちゃんと、葉牡丹くれた人のことかな」

「葉牡丹、梨南ちゃんの」

 すぐに反応が返ってきた。僕は畳み掛けた。

「帰り、俺たちを送ってくれた時、言ってたよね。葉牡丹くれた人が逆恨みすると大変だから葉牡丹を持っていってほしいって」

 かすかに唇を開き、佐賀さんはふたたびはあっと息を吐いた。

 でも言葉には出さない。僕は気づかない振りしてさらに続けた。

「俺とおとひっちゃん、ちゃんと持って帰ったよ。けど、男子は基本的に花育てるの苦手だろ? 枯らしたらあとで大変だって聞いたから、別の知り合いに預かってもらったんだ」

「その人、男子ですか、女子ですか」

 答えた方がいい。即断した。

「女子だよ。同級生で、やさしくていい人なんだ。おとひっちゃんも、その人にだったら預けたいって言ったんだ」

 少しゆっくりめに力をこめて言った。

 特に「やさしくていい人」「その人にだったらいい」というところはアクセント記号を思いっきりつけて。

「やさしくていい人、なんですか」

 かすかな声で、目を伏せたまま佐賀さんが問い返した。

「うん、関係ないけど、おとひっちゃんの好みって、やさしくておとなしくっていい人が好きなんだ」

 くどいようだけど、アクセント記号をつけさせていただいた。

「やさしくって、おとなしくって」

 また佐賀さんが繰り返した。勘違いしてるんじゃないかって気がしたので、慌てて僕は軌道修正した。

「うん、けど俺はおとひっちゃんと好み違うかもしれないなあ」

 無意識に口走った振りをした。

「佐川さんがですか」

「うん、俺ってあまり女子に興味がないんだ。いい人だったらみんな男子女子関係なく、いい人だから好きっていう。それだけなんだ」

 なんでそんなこと言い訳したのかわかんないけど、口が勝手に動くのだからしかたない。

「そうなんですか」

「もうひとつ、おとひっちゃんって、すっごい度真面目野郎で、曲がったことが大嫌いなんだ。いじめをする奴は男子女子関係なく、絶対許さないな。たとえ自分が好きだった子だったとしても、そういうことをしているんだったら、縁を切るか、もしくは殴るかしちゃうなあ。俺、おとひっちゃんと幼稚園の頃からの親友だけど、そういうところはぜんぜん変わってないんだよ」

 匂わせてみた。昨日の話を丸ごと信じると、葉牡丹の君こと杉本さんは、僕の隣にいる佐賀さんを思いっきりいじめていたらしい。佐賀さんの反応もあいまいだけど、事実関係を認めているって感じだった。現場を見ているわけではないので判断できないけれども、やりそうな人だなあという気はたしかにした。気に入らないことだったら文句をつけて押し通しそうなタイプ。違っているかもしれないけれど。僕なら、たぶん違うんじゃないかと疑問符はつけるつもりでいる。けど、おとひっちゃんがあの話を聞いて、それでも杉本さんのことをかばうとは思えなかった。いじめをして堂々としていることや、担任にも嫌われて次期評議委員会から降ろされているということもマイナスの点数を増やしているんじゃないだろうか。

「俺、思うんだけど、健吾くんは杉本さんのことが大嫌いなんだよね。だから、かなり悪口に上乗せしているとこあるんじゃないかなって思ったんだ。だから話を少し低く見積もって聞いてたんだ」

 僕は続けた。よく総田に話し掛けるような感覚で。

「俺がはっきりと本当だって思ったのは、健吾くんと佐賀さんが、杉本さんのことを大嫌いだってことなんだ。違ってるかなあ」

「違ってます。私、梨南ちゃんのことを嫌ってなんかいません」

 慌てて早口に否定する佐賀さん。頬が真っ赤だった。首を激しく振った。

「梨南ちゃん……杉本さんのことなんですけど、あの子は私と小学校一年の時から一緒だったんです。本とか百科事典とかそういうのをたくさん読んでいて、成績もよくって、それに可愛くって。小学校の時は目立ってたんです。新井林くんも言ってましたけど、確かに私は梨南ちゃんにひっぱられてたところってあったと思うんです。梨南ちゃん男子が大嫌いでののしりあいのけんかばっかりしてたから。私に話し掛ける男子を見ると、すごい勢いで文句まくし立てて追っ払ってました。馬鹿と話すと馬鹿になるからって」

 ──やっぱり杉本さん、佐賀さんをいじめてたんじゃないか。

 確信、さらに深まる。

「でも、梨南ちゃんはそれを私のために、っていつも言ってました。だから私も、そうなんだなあって思ってずっと言う通りにしてました。けど、新井林くんからそれは違う、悪意なんだって言われてから、だんだん考え方が変わってきたんです」

 ──俺から見てもそれって嫌がらせだよ。健吾くんのしたことは当然だよ。

 おとひっちゃんも杉本さんをぶっとばしていただろう。

「けどけど、私、考え方が梨南ちゃんとは違ってるんだってことを伝えただけなのに、ものすごく怒られてしまったんです。小学校の卒業式前に、私、靴の中に蛆虫を入れられたことがあったんです。梨南ちゃんじゃありません。他の男子が梨南ちゃんの靴だと思って間違ってしまったんです」

 男子だっていやだ、女子だったらもっとすごい騒ぎだっただろう。

「泣いちゃった?」

 僕の顔を横目でにらむようにして、佐賀さんは頬を押さえた。

「だって、足の上からいっぱい小さな虫が上がってきて、私、何がなんだかわかんなくって」

「男子だってパニックになると思うよ」

「その時、梨南ちゃんは私の靴を脱がせようとしてくれたんです。梨南ちゃんは善意だったと思ってます。けど、その時に新井林くんが来て、梨南ちゃんを突き飛ばして、私をおぶって教室につれていってくれたんです。そして」

 頬を今度は両手で押さえた。

 聞きたくないけど聞いてみた。

「なんか言われたのかなあ」

「私とお付き合い、したいって」

 それだけ言うと佐賀さんはうつむき震えた。

 ──そうなんだ。やっぱり、付き合ってるんだ。


 なんで佐賀さんが、健吾くんとのきっかけを、会って二回目の僕に打ち明け始めたのかわからなかった。関係はあるんだろう。たぶん杉本さんとのことで何かあるんじゃないかとは思う。けど、僕としてはどうでもよかった。関係なかった。

「で、杉本さんとはそれからけんかになったんだ」

「はい。あれ以来梨南ちゃんは私と口利いてくれなくなりました。けど、それはしかたないんです。新井林くんと付き合ってしまった私が悪いんです。私、関係なく友だちでいられると思ったけど、梨南ちゃんは絶対に許せなかったみたいなんです」

 ──先に彼氏を作ってしまったから悔しかったのかな。

 佐賀さんが杉本さんよりも早くそういうお付き合いしたというのだったら、納得だ。

 もしどっちを選べとか言われたら、僕も、たぶんおとひっちゃんも同じ選択をするだろうから。

「どうして許せなかったのかなあ。理由、あるのかなあ」

 ぼけぼけした調子で僕はさらに尋ねた。

「たぶん、なんですけど」

 ほつれた耳もとの髪の毛を、人差し指で押さえるようにして、僕の顔をじっと見つめた。

 目が合った。そらせなかった。

「梨南ちゃんは新井林くんのことを七年間、好きで好きでならなかったんです」

 ──そういうことか。

 思わず、ひざを打った。

 キーワードが見つかると僕の頭の中ではものすごい勢いで答えがまとまっていく。これって無意識なんだけど。

「だから健吾くんは、杉本さんのことを嫌ってたんだ」

「小さい頃からそうでした。新井林くんは梨南ちゃんのことが大嫌いだったんです。でも梨南ちゃんはずっと新井林くんのことばかり考えてて、一生懸命関心ひこうとして、赤ちゃんみたいなことしてたんです。なんとなく、四年生くらいからそうかなって思ってたんですけど、梨南ちゃんと友だちでいたかったから言わないであげたんです。なにか機会があったら、新井林くんと仲良くするきっかけあるかなとも思って」

「けど、そういうのはなかったんだ」「蛆虫の事件だって、もし私が新井林くんと付き合わなければよかったのかな、って思いました。でも、その時私、梨南ちゃんよりも新井林くんの方が本当のこと言ってるんじゃないか、って感じたんです。でも、梨南ちゃんとも友だちでいたかったし、それで、私」

 言葉の切り方が僕には、テレビドラマの人みたいに聞こえた。

「佐賀さん、俺、思うんだけど」

 途中でさえぎりたくなった。

「別に俺、杉本さんのことを佐賀さんが嫌いになってもおかしくないと思うんだけどなあ」

 あくまでも、気抜けした風に。目の前をゆっくり通り過ぎていくおじさんを目で追いながら。

「無理に好きにならなくたっていいなって思うけど、そうはいかないの」

「だって私、梨南ちゃんがずっと小学校の時から、私をかばってくれてたんだと思ってたし」

 勘違いだ。僕はその点で、完璧健吾くんと同じことを考えていたんじゃないかって思った。

 なんか言わなくちゃ。佐賀さんの言葉とずれているものが、乾いた空気の中にふわふわ漂っているような気がした。彼女本人はぜんぜん気がついていないみたいだった。女子って意識しないで平気で、怖いことを言う。男子だと「これってまずいかもなあ」と思うことを、さらっと言う。

「俺、あまり杉本さんって人のことよくわかんないけど、健吾くんがしたことは当然だって思うよ。佐賀さん、杉本さんのことを友だちだと思ってるだろうけれど、男子からしたらとんでもないなあって感じるしさ。どういうことしてたのかなあ」

 佐賀さんの手は、ずっと手袋をひねりつづけていた。

「男子たちと話をしていると、『他の女子たちに嫌われるからやめなさい』って言ってくれたりとか。あと、品のない可愛いノートを使うと頭が悪くなるからやめなさいとか、漫画よりもちゃんとした辞書を読みなさいとか。それからそれから」

 ──とんでもない人だな。

 ほとんど杉本さんと話をしていない僕が言うのもなんだけど、これだけ聞けば十分だ。

 もちろん、佐賀さんがうそをついている可能性だってないわけではない。

 ただ僕の見る限り、佐賀さんの方に分があるように思えてならなかった。

「なんで男子と話をしてたの。別に杉本さんの悪口とか言ってたわけじゃないだろ」

「前の日のテレビの話してただけだったと思います。梨南ちゃんのうち、テレビないからそういう話できないし」

 ──完璧、変だよ。

 前の日のテレビドラマとかアニメとか、そういう話で盛り上がるってみんなやってることだ。たぶん佐賀さんは他のことといわゆる「ふつう」の話をしてたんだろう。でも、杉本さんはそういう話題に入れないから無理やり佐賀さんを引き離して、自分のところにひっぱりいれようとしてたってわけだろう。

「可愛いノートって、女子が使っているピンクとか花とかの奴? 男子で使ってたらばかにするかもしれないけど、なんで女子同士で頭が悪いとかいうのかな」

「梨南ちゃんはいつも、真っ白い柄のないノートを使っていたから」

「杉本さんの趣味がそういうだけであって、佐賀さんの好みに文句いう権利ないよ。はっきり言って杉本さんがおかしいよ」

 僕の顔を驚きまなこでまっすぐ見つめる佐賀さん。髪型も、ひとみもみんなまんまるい。

「読む本だってそうだよ。漫画読むことってそんなに悪いことかなあ。うちの親も、もっと真面目な本読めとか言うけど、それって好みだよなあ。佐賀さん、杉本さんの言う通り漫画読まないできたの」

「いいえ、他の友だちとか、先生とかが貸してくれたんです」

 ──先生って、ほんとかよ。

 佐賀さんの周りの人って変わっている。杉本さんのように、「漫画の代わりに辞書を読め」と意味不明なことを口走る女子がいると思ったら、「漫画を貸してくれる」先生がいたりする。僕も、辞書と漫画が並んでいたら、まず漫画を手に取るだろう。辞書を愛読書にする人もいたっていいけどすべての人の趣味だと決め付けられるのはよくない。

「読んでいるんだったら、あとはふうんって無視しちゃえばいいのにな。杉本さんには勝手に辞書を愛読してもらって、佐賀さんは自分の読みたいものを読めばいいんだ」

 首をかしげずに、僕の隣で佐賀さんが何かを言おうとした。

 唇がかすかに動いた。こういう時、女子はよくわけのわからないことをいっぱい並べ立てる。すうっと聞き流して、必要なとこだけ繰り返せばいいと僕は思っている。真正面からすべてを聞き取って、すべてに答えるなんて、男としては大変だ。さっさと結論だけ言っちゃった方が佐賀さんにとっても、僕にとってもいいかな、と思った。

「佐賀さん、嫌ったって誰も責めないよ。なんで杉本さんをまだかばいたくなるのかわかんないけど、今の話みんな聞いてみて、杉本さんのように押し付けがましいことをする奴は、あっさり縁を切って正解だって思うよ。もちろん生で見ているわけじゃないし、俺も一回しか会った事のない人の悪口言いたくないけどね。もし佐賀さんが杉本さんを嫌いだったとしても、軽蔑する気なんてないよ」

 もちろん、他の中学の連中についてだらだら悪口を言うつもりなんてないし、佐賀さんの言い分がすべて正しいと決め付けることもできない。なによりも今日、佐賀さんがなんで僕を訪ねてきたのか、その理由がまだ判然としない。自分と健吾くんとのことで、杉本さんがとばっちりを受けていることとか、おとひっちゃんが杉本さんのことを好きなのかどうかとか。いろいろあるだろう。けど、僕からしたら佐賀さんは言い訳をしているような気がしてならない。本音は杉本さんのことを大嫌いなのに、どうしても認めたくないあまりかばおうとしているというんだろうか。

 そう、びんびんと感じてしまう。

 小学校の頃から、嫌がらせされてきて、それでもがまんしなくちゃいけなかったことなんかを。

 佐賀さんのために、とわざとらしい言い訳をして、杉本さんは自分の好みばかりごり押ししつづけてきたってわけだ。僕からしたらばかばかしい以外のなにものでもない。健吾くんが爆発して佐賀さんを守ろうとしたのは、当然のことだと思う。佐賀さんだっていっしょに、爆発しちゃえばいい。言いたいことはっきり言って友だち関係を切るのが一番いいはずだ。

 ──なんで女子って、腐れ縁をまだまだ守ろうとするんだろうなあ。

「私、梨南ちゃんのことを嫌いだなんて」

「嫌いなんだよ。俺にはわかる」

 なぜか、強く言い切りたかった。

「佐賀さんは女子の好きそうなノートを使いたくて、漫画とかも読みたかったんだろ。いろんな好みってあるとは思うけど、杉本さんが佐賀さんに命令する権利なんてあるのかな。佐賀さん、どうして文句言わなかったんだろうって思ったんだけど、きっと杉本さんが佐賀さんのためにって言ったからそう思い込もうとしたんだろうなあ。けど、そんなの佐賀さんには関係ないじゃないか。俺もよくおとひっちゃんにああしろこうしろって言われることあるけど、ふふんって無視すること多いよ。だって、俺とおとひっちゃん、違う人間なんだもん」

 思わず飛び出した。

 意識なくてぽんと出てしまった言葉こそ本物かもしれない。

 ──そうだよ、おとひっちゃんと俺は、違うんだ。

 

「私、今日、聞きたかったんです。梨南ちゃんのことで」

 言葉が震えていた。寒いんだろうか。目の前の温度計をちらっと見た。

「関崎副会長さんは、梨南ちゃんのことをどう思っているのか、知りたかったんです」

 ──じゃあ、俺じゃなくておとひっちゃんのとこに行けばいいじゃないか。

「私、関崎副会長さんがもし本気で梨南ちゃんのこと、いいと思っているのだったら、協力したいと思ってました。これがきっかけで、また梨南ちゃんと友だちになれるかもしれないと思ったからなんです。でも」

 ──それだけでは終わらないよな。

 様子を伺った。目立たない程度にうなづいてみた。

「そうでなかったら、梨南ちゃんのために、別のことをしようと思ってたんです」

「別のことってなに?」

 言いよどんでいた佐賀さんはひざをじいっと見下ろし、コートの上から手袋を強く絞りかげんにした。力をいれているみたいだった。

「本当に梨南ちゃんが好きな人と、仲良くなってほしいから、そのために」

「ふうん、いるんだ、おとひっちゃん以外に、健吾くんのことじゃなくってか」

「はい、梨南ちゃん、自分でもわかってないんです。本当に好きな人がそばにいるのに認めたくないんです」


 ──どう出ようかな。

 迷った。佐賀さんが派手な前置きをした後、どう考えても杉本さんのことを嫌いなゆえの行動を取ろうとしていることに、戸惑っていた。女子ってわからない。はっきりと「杉本さんと関崎さんをくっつけたくないので協力してもらえませんか」と言ってくれたら話は別だ。ちゃんと健吾くんあたりも交えて相談したいなって思う。

 でも、佐賀さんはまだ、杉本さんと「友だちに戻りたい」などと信じがたいことを言い張っている。

 結論にさっさと進みたかった。

「ごめん、俺なりの結論言っていいかなあ」

 さえぎり、また大きな目で見つめる佐賀さんに答えた。

「悪いけどおとひっちゃんは杉本さんのこと、あまりよく思ってないと思うんだ。苦手なタイプじゃないかなあ。おとひっちゃんの好みって、おとなしくてやさしくて、いつもにこにこしている感じなんだ。人前で他の男子たちの悪口を平気で言う人とか、あといじめを学校でするような人は、絶対に許せないタイプなんだ。だからたぶん」

 仮に相手が佐賀さんだったら、話は別だったかもしれないが。その辺は想像なのでノーコメント。

「そうですか。そうなんですか」

 唇の端が小さく上を向いたように見えた。

「けど、帰りに佐賀さん言ってただろ。杉本さんは逆恨みするタイプの人だって」

 両手で葉牡丹の入った手提げを差し出してくれた佐賀さんの顔を思い出した。

「だから、おとひっちゃん、断る方法がわからなくて迷ってると思うんだ。もし杉本さんがおとひっちゃんのことをうらんで、青大附中評議委員会との交流関係をぶち壊す可能性だってないわけじゃないし。おとひっちゃんにとって、交流会はなんとしても成功させたいことだから、自分が我慢すればそれでいいって思っている。けど、そのために杉本さんみたいな人と付き会うなんて耐えられないなあどうしよって、たぶん悩んでいると思うんだ」

 僕はぼそっとつぶやいた。あまり強い調子で言いたくはなかったけれど、事実そうなのだからしかたない。

「もし杉本さんに別の好きな男子がいて、心変わりしてくれるんだったら、一番丸く収まると思うんだけどなあ。そうすればおとひっちゃんは安心して青大附中の交流行事に参加できるしね。杉本さんも逆恨みしないで幸せになれる。これが俺の思う最高の終わり方」

 声を立てずに佐賀さんが慌てて目頭を押さえた。


 女子がいきなり泣いてしまうなんて、困った。ポケットを探ったけれども、ハンカチとかティッシュとかそんなものない。

「あ、俺、変なこと言ったかなあ。ごめん」

「いいえ、いいんです。私」

 静かに涙だけがころっころ転がるのを、僕はただ覗き込むだけだった。

 女子が泣くところって、あまり近寄りたくない。何を言っても通用しそうにないんだから。

「佐川さん、教えてください」

 涙が大粒で零れ落ちる中、声だけがさらさらとしていた。つまっていなかった。

「私、そんなに梨南ちゃんを嫌っているように見えますか」

「うん。とことん嫌っているなあって思ったよ」

「復讐したがっているように、見えましたか」

「うん、もしおとひっちゃんと杉本さんが付き合いたいって感じだったら、ぶっつぶしたいって思ってるんじゃないかなって」

「私、いったいなんで」

「簡単だよ。佐賀さんはずっと前から怒って当然のことを怒らなかったんだ。杉本さんに文句を言いたかったのに言えなかったんだ。今、怒って当然だよ」

 もう一度佐賀さんの目が大きく潤み、ぽつんと片目から涙を落とした。

「私、そんな悪い人になんてなりたくなんて」

「佐賀さんは杉本さんをいじめ返したりなんてしてないんだろ? まだ友だちでいたいって思って俺のとこに来たんだろ?」

 僕はとどめを刺した。

「そんな無理しなくていいよ。佐賀さんのような人だったら他にいくらでもいい友だちできるよ。杉本さんなんかを見捨てたって誰も責めやしないよ。第一、杉本さんなんかに時間をかけているひまあったら、もっといい友だちと出会ったほうががずっといいよ。俺でよかったら相談に乗るからさ」

 最後の言葉は、余計だったかもしれない。

 ずっと黙っている佐賀さんの顔を覗き込むと、涙が大分乾いてきた風に見えた。

「ほんとに、私のこと、軽蔑したりしないですか」

「あたりまえだよ」

 べそかいて、ちょっとだけ鼻のあたりがぐちゃぐちゃしている。犬の狆に似ていた。なでてやりたかった。


「じゃあ、言います。佐川さん」

 狆くしゃ、とした顔が一瞬にしてぴんと引き締まった。

「私、梨南ちゃんのことが、嫌いでした。小学校の頃からちょっかい出してくる梨南ちゃんが、大嫌いでした。今までずうっと感じない振りしてたけど、本当はずうと前から、離れたくてならなかったんだって。佐川さんが言ってくれるまで、私、そんなこと思っちゃいけないんだってずっと思ってました。たった今まで。だから友だちなんだって顔して、うまく取り持ってあげようなんて。でも、私、関崎さんが本気で思ってないってこと聞いた時、なんだかうれしかったんです。私、最低な人間だって思っちゃったけど、本当にそうだったんです」

「いいよ、当然だよ」

 だんだん佐賀さんの口調が、ぴんと張り詰めてきた。ただおとなしいだけのしゃべり方じゃなかった。本気だった。ガラスの中に展示されている流木や化石などがぐいと僕たちを見つめているようだった。

「ほんとのこと言うと、梨南ちゃんが私のことを憎んでいた理由はずっと前から気づいていました。新井林くんのことを、梨南ちゃんはずっと好きだったんです。でも新井林くんは梨南ちゃんのことがもともと大嫌いでした。だから梨南ちゃんは一生懸命ちょっかい出してたんです。私とくっついて、新井林くんに関心持ってもらおうってしてたんです。でも、結局それは失敗に終わったんです。私が本当にしたいこと、したから」

 ──それが、健吾くんと付き合うってことか。

 一歩引きたくなる片足。僕は足を組みなおし、展示されている地図を眺めた。

「そのことは後悔してません。梨南ちゃんから縁を切られて、ほんの少し、ほっとしてたりもするんです」

「遅すぎるくらいだったんじゃないかなあ」

「そう思う自分が悪い人間に思えてならなくて、自分でもどうしたらいいかわかんなくて」

 もう涙を流していなかった。もう一度僕は佐賀さんと目を合わせた。そらさずにいた。

「嫌いな奴を嫌いと思ってどこがいけないんだって思うけどなあ。口で言ったりいじめたりするのは悪いと思うけど」

「ううん、私絶対そんなことしません。したくないです。けど、どうしても私、梨南ちゃんにされてきたことが、友情からだなんてもう思えないんです」

 かちんと、頭の中でプラグが刺さった。

 ──佐賀さんって、もしかしたら。

 それ以上の言葉は形にならなかった。ごほんとひとつ咳をして、気持ちを整えた。


 白い壁にたくさん張り巡らされた青潟市の歴史跡は、青潟市民だったら常識として頭に入れているものばかりだった。

 事実関係ばっかりで、どういう風なやり取りがあったのかは想像つかない。知りたいとも思わない。

 結果だけわかればそれでいいと、僕は思っている。詳しく知りたいんだったら、そういう人が自分で調べればいい。

 僕がほしい結果っていうのは、杉本さんがおとひっちゃんじゃない人を好きになってくれることであり、おとひっちゃんが余計なこと考えないでくれること。ついでにいうなら、おとひっちゃんが青大附中の評議委員会交流会に専念してくれることだ。総田をはじめ水鳥中学生徒会もそうすれば平和になる。佐賀さんも、杉本さんからこれ以上僻みのエネルギーを向けられて傷つかなくてすむ。全員、幸せになる結末だ。

 そのためにどうすればいいのか。

 僕は佐賀さんにめいっぱい、復讐してほしかった。

 さんざん自分の幸せを邪魔した杉本さんに、とどめを刺してやってほしかった。

 杉本さんを嫌いでもかまわないのだと、わかってほしかった。


「佐賀さん、ひとつ俺からの提案があるんだけど、いいかなあ」

 裏を見せないように、小学生に似た口調で僕は切り出した。

「え?」

「杉本さん、別に好きな人がいるって言っていたよね。おとひっちゃんじゃなくて、別の奴がいるって。その人とくっつけることって、できるかなあ」

 もう展示室は人がいなかった。館員さんが顔をのぞかせて様子をうかがう程度だ。

「というか、佐賀さんは杉本さんをその人とくっつけたいと思うかなあ」

「どういうことでしょうか、佐川さん」

 不安そうに、それでも落ち着いた声だった。たった一時間足らずで、凛としてしまった佐賀さんが、かっこよかった。「さっき言っただろう。誰もが安心する結末に持っていく方法を考えてたとこなんだ。もし水鳥中学の人だったらいくらでも俺、手を回す自信あるけど、青大附中は無理だよ。だから、佐賀さんと協力して、青大附中評議委員会も、水鳥中学生徒会もまあるく納まる方法をこれから考えてみたいんだ。協力してくれればの、話だけど」

 驚いたのは一瞬だけだったらしい。手袋をひざの上に置き、佐賀さんは両手をそろえた。こっくりうなづいた。

「梨南ちゃんが本当に好きなのは、立村評議委員長だけです。立村先輩も本当は梨南ちゃんのことが誰よりも大切なはずです。今お付き合いされている女子の先輩よりも」

 確信に満ちた言い方だった。

 

 ──あの蝋人形評議委員長かあ。

 ものすごくびっくりしたわけではなかった。予想はしていた。

「そうかあ、立村かあ……わかるような気、するな」

「立村先輩は同じ評議委員の先輩と半年以上お付き合いされてます。見た感じ仲良しです。けど、本当は梨南ちゃんのことを可愛くてならないはずです。それに今お付き合いされている女子の先輩には、別にぴったり合う男子の先輩がいるんです。立村先輩とはどうみても、不釣合いなんです」

「杉本さんを評議委員から降ろすことにしたというのは、立村の指示なんだろう? 健吾くんがそんなこと言ってたよね」

 覚えていないようで意外と記憶に残っているものだ。

「はい。新井林くんが万が一評議委員長となった場合に、梨南ちゃんを傷つけないようにするためにです。新井林くんは気づいてませんけれど、立村先輩は影でいろいろと、梨南ちゃんを守ろうとしています。おおっぴらにできないのは、ただ今のお付き合いしている先輩に気遣いしているからです」

 青大附中の評議委員会恋愛事情は派手だと聞いていたが、ややこやしい。

「とにかく、立村は杉本さんを気に入ってるんだ。けど、彼女持ちだったらよっぽどのことがないとくっつけられないよ」 「いいえ、いいんです。くっつかなくてもいいんです。梨南ちゃんが関崎さんでなくて、立村先輩のことが本当は好きなんだって自覚できれば」

 ──そうか、なるほどな。やはり佐賀さんってすごいよ。

「そうすれば、今度は梨南ちゃん、立村先輩にしつこく付きまとうようになるはずです。他の男子先輩だったらわかりませんけれど、立村先輩は梨南ちゃんに対してだけやさしいです。お付き合いまでいかなくても、関崎さんのことを忘れてくれれば、あとは知らないことにしてもいいんじゃないでしょうか」

 ──完璧だ、佐賀さん、おみそれしました!

 この辺はすべて、佐賀さんの口からしゃべらせたかった。


 僕と佐賀さんが郷土資料館を出たのは閉館ぎりぎりだった。

 雪が降り始め、せっかく融けかけていた道も音するくらいぬかるみ始めた。

「ありがとうございます。あの、佐川さん」

 「佐川さん」と呼ばれ気持ちのなかも、しゃかっと鳴った。

 僕はポケットの中に押し込んでいた、うちの店のレシートを見つけた。

 店のお客さんが捨てていったレシートかすだった。

 上に紫のスタンプが押されている。下に濃く、店の住所と電話番号が印字されていた。直接店の電話につながってしまう。

「俺に連絡したい時は、ここの電話番号、下一桁にプラス一、してかけてほしいんだ。プラス一だよ」

「いいんですか」

「誰にも知られたくない計画だろ。俺も同じだし」

 佐川書店の前で僕は手を振った。

 たぶん、これから誰にもわからないような場所で会わなくちゃいけないと覚悟していたからかもしれない。

 おおっぴらに偶然、出会って語ったなんて言い訳、もうできないだろうから。

 耳元で大きく編み上げた女の子髪が消えるまで、見送っていた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ