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泥でぐしゃぐしゃの体育館脇抜け道を通った。ちっちゃな足跡が残っていた。梅の花みたいだ。きっと猫のだ。

 おとひっちゃんと健吾くんが屋根の下を走り抜けていった。屋根からぶらさがっている氷柱が落ちないうちに、早く、ってことだった。バスケ部と元陸上部の足に追いつけるわけもなく、僕ともうひとりの女の子はのこのこと雪道を進んでいった。

「さっきはびっくりしましたよね」

 おしゃべりする余裕はあった。 僕はほっとして頷いた。

「呼んでくれなかったらどうしようかと思った」

「健吾が……新井林くんが、一生懸命走ってたんですけど、間に合わなかったって」

 ──呼び捨てにしてるんだ。  

 やっぱり、そういうお付きあいの人なのだろう。僕はあらためて隣りの女の子を見つめた。「女子」なんだろうけれど、なんとなく僕にとっては「女の子」と呼び分けしたいタイプの子だった。

 髪を編み上げてくるくる巻きにし、耳の上にのっけている。

 ちょっと頬が赤らんでいて、感じふわふわしている。

 さわったらたぶん、ぎゅっとやわらかいんじゃないかな。ほっぺたとか。

 ──やらしいこと、考えてると思われるかもな。

 僕としてはそんなつもりない。比較している相手が相手なだけだ。

 ──人形みたく、気持ち悪くない人だなあ。  

 振り返っているふたりに僕は、わざとらしく息を吐いてみせた。急いでたんだと強調するためだ。

「遅えぞ、佐賀」

 健吾くんが女の子にもう一言何かを言った。「さがわ」か「さが」かわからないけれど、その子の苗字なんだろうか。コートで名札が隠れているのでわからない。ちょこっと気になった。

「雅弘、悪い。走らせちまったな」

 おとひっちゃんは簡単に心配してくれた。なにせ病み上がりなんだから。さっき押し付けられた重たい鉢植えだってぶら下げているんだから。僕は膝のところに、キャベツみたいな花を抱えるようにして、もう一度息を吐いた。

「とにかくここは誰もいないから、入ってください。佐賀、悪いけど電気ストーブの電源入れてくれ」

「うん」  

  女の子ははにかみながら頷いて、目の前の木造建物の中に入って行った。木造で、かなりぼろぼろ、地震がきたら一発でつぶれそうなあばら家だった。青大附中にもこんな建物が残っていたんだ。意外だった。

「寒いけど、入ってください」

 おとひっちゃんと僕も促されるまま、中に足を踏み入れた。


 右脇にはサッカーボールのつぶれた山と、野球の木製バット、白線引き用に使うチョークみたいなもの。その他スコアボード、などなどいろんなものが置きっぱなしになっていた。たぶん体育用具室なんだろう。

「ここじゃないっすよ。今、ここどかしますから」  

 床にしゃがみこんでボールを片付けている女の子を小突いてどかし、 健吾くんはすばやくサッカーボールの山をくずした。スペースを広げた。隠れてて見えなかったんだけど、引き戸の手が出てきた。意外とほこりは被っていない。佐賀さんが素早くすべりこんでいった。

「ほとんど使ってねえってことだからかまわねえし、今日はどこの部活も練習試合でこんなとこにこねえし。なによりも、運動部以外の人間こんなところ知らねえし」

 ──隠れ家みたいだなあ。

 秘密の基地みたいで、胸がどきどきしてきた。こういうのを発見すると、僕は思わずもっと掘り進んでみたくなる。おとひっちゃんもきっとそうに違いない。目が輝いている。さっき、葉牡丹を押し付けられた時とは違う。

「さ、入ってください」

 健吾くんの後について僕たちも上がった。背のないベンチとダンボールでこしらえたテーブルらしきもの。体育道具の残骸も転がっていたけれども、外よりは整理されていた。窓はない。佐賀さんが僕の足下に赤い電気ストーブを持ってきてくれた。電気は通っているらしい。動いた後なのでそれほど寒いとは思わなかった。

 おとひっちゃんと健吾くんが向かい合い、その隣りに僕と佐賀さんという女の子。

 四人顔を合わせたとたん、急に笑いたくなり、にっこりしてしまった。

「なあににやついてるんだよ、雅弘」

「いやあ、ごめん」

 一緒ににっこりしてくれたのは佐賀さんだった。さっきからそうだけど、佐賀さんの頭を見ているとむしょうに笑いたくなるのだ。おとひっちゃんに言うと誤解されるので黙っておくけれども。おとひっちゃんは咳を数回した後、健吾くんに頭を下げた。

「さっきはどうもありがとう」

「いや、俺の方がへましちまったもんで、すみません」

 このふたりについては真面目な雰囲気を崩さない。どうも健吾くんは、葉牡丹の彼女とおとひっちゃんを会わせないようにしたかったらしい。そうしてくれたら助かったけど、追いかけられちゃったんだものしかたない。健吾くんのせいではない。あの、気持ち悪い女子のせいだ。

「で、今から俺が話すことなんですが」

 健吾くんは唇を噛み、目を伏せた。鼻をすすり上げた。お互い風邪がはやってるってことだ。

「青大附中の評議委員会についての恥さらしだって気がしてなんねえんだけど、でも、ここで言っとかねえと、あとあとろくでもねえことになると思う。だから、すげえ恥ずかしいけど、聞いてください。お願いします」

 健吾くん、また頭を下げた。隣りの佐賀さんも健吾くんの方を心配そうに見つめていた。やっぱりお付き合いってこういうもんなんだろうなあ。

「今から話すことは、悪いんだけど、二年の連中にはしゃべんないでくれると助かります。こう言ったらなんだけど、俺、二年の連中とはあまりうまくいってないんです」

 ──同じ二年のおとひっちゃんには妙に懐いてるのにか?

 驚いている様子のおとひっちゃん。こういうところが鈍い。

「二年と、ってことは、立村とも?」

 すでに呼び捨てにしているおとひっちゃん。

「いや、立村……さんとは、去年の段階で決着つけたし。それはいい」

「決着って?」

 割り込んだ。おとひっちゃんが「よけいなこと言うな」という目でにらんだ。

「そのことも含めて、全部話します。で、ひとつだけお願いがあるんですが」

「お願いって」

 健吾くんが両腕をテーブルのダンボールにくっつけて立ち上がり、おとひっちゃんを見下ろした。目が必死だった。

「この話を聞いて、きっと青大附中の連中は馬鹿野郎ばかりだと思うんじゃねえかって思います。けど、きっちりと交流活動したいと思ってる奴もたくさんいるし、俺はなんとしてもバスケ部との交流を成功させたいって思ってます。裏話ばかりで情けねえけど、どうか、交流を止めようだなんてことだけは、言わないでやってください!」

 ──あれ、泣いちゃってる。

 隣りの佐賀さんがコートのポケットから、桃色のハンカチを取り出した。下から手渡しした。握り締めた健吾くんは鼻と目を交互に拭いた。  

 すすり上げる鼻声に、おとひっちゃんは口を一文字にし、大きく頷いた。

「わかった。交流活動はこのままでやる。だから、話を頼む」  

 青大附中評議委員会に関する内部事情は、僕にとって頭の痛くなることばかりだった。もちろん僕とは関係なく、おとひっちゃんの方にとばっちりがくる内容のものだけれども、たぶん処理をするのは僕と総田の方だろう。総田も計画していることがあるだろうし、またふらふらされるのはたまったもんじゃないだろう。

 ──困ったよな。おとひっちゃん。

 足下の葉牡丹はストーブの隣りに転がしておいた。


 青大附中生徒会がもともと、力のない組織だということはおとひっちゃんから聞いていた。去年の十月、そして今年の一月に生徒会としておとひっちゃんたちが訪問した時に評議委員会へ話を押し付けられたのにはそこに原因があるらしい。

「俺もその辺はよくわからねえけど、青大附中の場合生徒会活動や部活動よりも、委員会最優先主義ってのが貫かれちまって、実力のある奴ほど委員会に吸い取られちまうって仕組みになってるんです。うちのバスケ部をはじめとして、他の部活動がいつもぼろ負けしてるのは、運動部で活躍できる奴らがぜんぜんこっちにこねえで、委員会に燃えちまうおとなんです」

 ──おとひっちゃんだって陸上部と生徒会、一緒にできなかったもんなあ。

 僕は身を乗り出し、おとひっちゃんは黙って見つめるかっこうで。

「けど、そんなのはやっぱおかしいってことで、去年の代から少しずつ、部活動に力を入れるようにしようってことで、先生たちが動き出したってわけっす。例えば、各学年の委員は半年ごとに改選されますけど、青大附中の場合、一年の一学期に決まった委員がずうっと、スライドして三年まで進む方式をとっていたんです。いや、誰が決めたわけでもねえけど、暗黙の了解って奴で」

 ──俺も学習委員やってるから似たようなもんかなあ。

「けど、そんなのはやっぱおかしい。委員はその都度選挙できっちり選ばれるべきだと思うし、合わねえ奴はどんどん外すべきだと思う。で、俺たちの代からはこれから委員をどんどん変えていこうってことになったわけです」

「委員、って、当然評議委員もだな」

「そうです。たぶん二年はこのままでいくと思うけど、俺のクラス……B組なんですけど……女子は別の奴になります。担任がそう言い切ってます」

「B組の女子?」

 おとひっちゃんが言葉にした後、全身硬直させた。

「まさか、あの、さっきの」

「そうです。あの女は絶対に降ろされます」  

  肩がだんだんゆっくりとなだらかになっていくおとひっちゃん。分かりやすい奴だ。

「けど、担任が言い切ってるってどういうことだ」

「あの女は、ここにいる佐賀のことを七年間いじめつくすだけいじめてきてたんです。小学校の頃から俺と佐賀と、あの女とは同じクラスでした。めちゃくちゃな腐れ縁でしたが、今まではなかなか佐賀のことを守ることができなかった。けど、今の担任はすげえ男で、親とあの女をあっさり成敗して、二年以降の評議委員から降ろし保健委員にしたいとまで言ってます」

「保健委員?」

 青大附中の委員会組織ってよくわからない。なんで保健委員なのか?

「あ、うちの委員会はこの前も話したように、くせがあるんです。評議委員会が交流関係と隠れ演劇好き集団で、規律委員会は洋服関連のファッション雑誌作り倶楽部、保健委員会は主に、将来医者や看護婦になりたい奴が勉強するための集まりって感じなんですよ。ま、そればっかじゃねえけど三年間おんなじでないと話にならないってのはそういうことです。一種の部活と一緒ってことで」 「でもそうなると、委員会活動としてはかなり問題なくないか?」

「あります。委員会内でごたごたしても、部活みたいにやめることが一切できません。今回のように担任が辞めさせるなり降ろすなりしない限りは無理です」  

──たまったもんじゃないなあ。

 僕は自分なりの整理整頓をしながら話を聞いていた。

「とにかく、さっきの葉牡丹くれた子は、二年以降交流会に来ないってことなんだ」

「そうです。それは安心してください」 

 力強く断言する健吾くん。おとひっちゃんは口にしないけれど、だんだん目がやわらかくなってきたってことは、相当安心したってことだろう。

「ただ、問題は、あと一ヶ月ってことです。ま、評議委員会も影でいろいろありますから俺も大きいことは言えねえけど、二年の女子とかあと、一部の男子とかがもしかしたら、関崎さんにあの女を押し付けようとするかもしれません。まともな男だったらあの女なんてけっとつばかけたい気持ちもわかりますけど、やはりなんとかしてうまくごまかしたいていうのもあるみたいですし」

 一呼吸、ふっと吐き、おとひっちゃんが尋ねた。

「立村は、どっち側なんだ」

 じじっと、電気ストーブの焦げ臭い匂い。どうやら葉牡丹の入っているビニールがストーブの赤い部分に触れて焦げてるみたいだ。慌てて引き離した。

「立村……さんは、わかんないっす」  

  言葉を濁した。でも話したさそうだ。僕は方向を変えて聞いてみた。

「もしよかったら、なんで委員長とごたついたのか、聞いていいかなあ」

 ──蝋人形をぶっこわしたくなるのはわかるような気、するしなあ。

 健吾くんは目を潤ませたまま、大きくくしゃみをした。

 身体が冷えてきて寒い。僕はおとひっちゃんの方にくっついた。

「まあ、俺もガキだった。早い話、俺と立村さんとは、四月以降の評議委員長を奪い合ってたってことなんです。やっぱしこれも、青大附中特有のもんですけど、委員長ってのは上の先輩が八月に指名して、それから半年間じっくりしごいていくってやり方を取ってるんです。これも、来年確実に委員として選ばれるってことが前提になってるけど」

 ──思い出すなあ、去年の学校祭の騒ぎ。

 思い出してないんだろう。おとひっちゃんはじっと話を聞いているだけだ。

「で、一応三年の先輩委員長は、立村さんを指名したってわけです。けど、俺にはどう見たって頭の回転がとろい、ぼけた奴にしか見えなかったんです。二年連中からはすげえ評価されてるけれど、なんてっかこう、馬力ないっていうか」

 ──いいたいことわかるよ。健吾くん。

「何よりも、立村さん、あの女のことをその頃からめちゃくちゃ可愛がってたんです。女の趣味が変わってるのは別にいいとしても、自分にはすげえ出来た彼女がいるってのにあの女をひいきして、へたしたら自分の次に評議委員長にしようとたくらんでいたきらいが、なきにしもあらずって感じで」

 ──やっぱりそうか。体育館でも自然な感じで話し掛けてたもんなあ。ああいうことしてた男子って、立村だけだったな。

「先輩委員長もその辺は心配してたらしくって、俺と立村さんを今年の三月まで並び立てる格好にして見比べて、どっちがふさわしいかを指名しようってやり方に変えました。だから、一応今の段階では立村さんが委員長だけど、四月以降は俺になる可能性もありありっす」  

──俺、って、健吾くん、一年なのにか?  

  僕が口走る前におとひっちゃんが立ち上がった。

「立村が委員長から外れるのか!」

「いや、そういうことはないっすよ。安心してください。関崎さん」

 落ち着いている様子はまさに、委員長になってもOKって感じの態度だった。立村には悪いけれども、それが実はふさわしいんではないだろうかと僕は思ったりもした。

「俺がもし指名されたら、立村さんに譲ります。その点では去年、思いっきりぶつかり合いましたし、立村さんも俺にかなり譲歩してくれたし、なによりもまんざらあの人、ばかじゃないってことがわかったんで、やっていけると思ったからです」

 口を少しあけたまま、おとひっちゃんはまたつぶやいた。

「まんざらばかじゃないって」

「杉本を下ろすことを桧山先生に提案したのは、どうやらあの人らしいです。で、来年以降の評議委員長は俺にしたいってことも言ってました。つまり、評議委員からあの女を降ろして、評議委員会をまっとうな形に戻したいとうことで活動してたみたいですし。ただ俺もそれなりに譲歩しなくちゃいけねえこともあったけどな」

「それはなになに?」

 これは僕の質問だ。健吾くんは両腕を組み、ぶるっと身体を振るわせた。

「あの女を、決していじめの標的にしないようにすること。たとえ杉本が佐賀を始め迷惑をかけて俺たちをぶち切れさせようとしても、俺たち一年B組は、あの女とおなじようないじめを一切しない。これは卒業するまで、正々堂々と勝負する、最後の手段だということです」

 ──正々堂々とか。

 おとひっちゃんは黙っていた。鼻をなんどかすすり上げ、もう一度尋ねた。

「その、杉本さん……は、そんなひどいいじめをしていたんですか」

 健吾くんではなく、佐賀さんに向かって。

「私、梨南ちゃんがいじめをしていた意識はないと思ってます。たぶん、私のことを守ろうとしてくれてたんだと思います。ただ」  言葉を切る。僕に向かいちらっと視線を向け、耳元の髪に触れた。

「梨南ちゃんと縁を切った時から、私のしたいことがいっぱいできるようになったのも、確かなんです。本当に自由になったんだなって、今は思ってるんです」

 ──りなちゃん?

 どうでもいいけど、健吾くんの口が妙に緩んでいるのが気になる。目もなんとなくいとおしげ。すっかり、ほれ込んでるって感じだ。中学一年。総田もこんな風に川上さんと接すればいいのになあ。今度からかってやろうと決めた。

「要は女子たちのよくやる無視です。俺と佐賀が付き合いだしたのが気に食わなかったらしくて、入学そうそう仲の良かった佐賀を無視し始め、同じクラスの女子連中にもそうさせるようにしたってことだけです。たいしたことじゃないかも知れねえ。どうせ俺はあの女から佐賀が離れればそれにこしたことはねえと思ってた。けど、佐賀がひとりぼっちでさんざん悪口言われていることだけは許せねかった」

 ──素直に「付き合いだした」なんて言うなんて、すごいよなあ。

 もう僕たちの方なんて見ていない。健吾くんは手元のハンカチを握り締めこぶしを見つめた。

「ま、そういうことで俺と立村さんとはいろいろあったにせよ、今は良好な関係が保たれてるってわけっす。ただ、二年連中はやっぱり俺のことを毛嫌いしてるみたいです。それはしゃあねえし。問題は、あの女を可愛がる女子連中のことです」

 話があっちいったりこっちいったりと混乱していた。僕は頭の中で全部片付けを行っているからいいけれど、おとひっちゃんは大変だろう。ただもくもくと聞いているだけだ。

「立村さんはあの女を降ろす代わりに、他の仲良し女子連中のところに預けて、俺たちの迷惑にならないよう気を遣ってくれてるようです。それは正しいと思います。俺も、あの女の顔さえ見なければそれに越したことはないですし、自分の手を汚したくないですしね。ただ、その方法のひとつとして、関崎さん、あんたとくっつけようとする動きがあるのも確かなんです。信じられねえけど、本当のことです」

 ──おい、おとひっちゃんとくっつけるって!

 感嘆句「うそ!」しか出てこない。健吾くんの顔を見ればうそじゃないってことは見え見えだ。おとひっちゃんの目も見ひらき、宙を舞っている。狂喜乱舞ではない。絶体絶命、オーマイゴット、そのもんだ。

「この前の一月に青大附中にいらしてくれた時、すげえひでえ目にあったと思うんですけど覚えてますか。ほら、お茶を異常なほど注ぎ足された時のこと」 「ああ」  かわいそうなおとひっちゃんも感嘆句しか出せない。

「俺たちも、他の男子連中もあれ見ててぞっとしました。あれって嫌がらせとしか思えねえって感じです。けど、女子連中によれば、あれは杉本の愛情表現であり、関崎さんのことを気に入っているからということでした。けど、冗談じゃねえ。関崎さん、ああいう時はためらうことなく熱湯を顔にぶっかけてやって正解だった」

 ──それはやりすぎだと思うよ。

「その後すぐに、俺は立村さんのところに行って、言うこと全部言っておきました。たぶん立村さんは、杉本のことを気持ちとしてはひいきしてますから、もしかしたら関崎さんにくっつけるように手はず整えるんでねえかと思ったから。けど、俺からしたら関崎さんの顔には、露骨にいやだってサインが出てました。ですよね。そうですよね」

 ──強引だなあ。

 おとひっちゃんは答えなかった。さすがにそれは失礼だと思ったんだろう。でも、僕はひそかに賛成していた。今、となりにいるおとひっちゃんの様子を見ても、明白だからだ。健吾くんもそういうとこは鋭い。

「別に俺は、あの女が誰にほれ込もうが知ったことじゃねえ。もし、関崎さんでなくて別の奴だったらふーんってことで無視をしてた。他の学校のところにあの女が関心を向けてくれて、B組や評議委員会に迷惑をかけないようになればこちらだって、よけいなこと考えなくたっていいことだし。けどなあ」

 こぶしを振り上げ、ダンボールを思いっきりぶったたいた。へこんでいる。

「せっかく評議委員会と水鳥中学との間で、すげえいい関係が作れそうな時に、あの女が関崎さんに嫌がらせかなにかしてぶっつぶしたら、たまったもんじゃねえ! 関崎さんが望むならそれはしかたねえと思うけど、こんないじめをしでかして、さんざん問題を起こし、相手の嫌がることばかりやらかすあの女が、また他の学校の人たちにまで被害を及ぼすなんて、俺は許せねえ!」

 ──で、何したの?

 心で思っているだけじゃなくて、僕は口で尋ねた。

「今日は関崎さんが来るって聞いていたんで、まず体育館で集合して、それから教室へ行こうと決めてました。二年連中も俺のことはともかく、杉本が害獣だってのは理解していたみたいなんで立村さんにも話をしてくれたみたいです。ただ、二年女子たちからは大顰蹙かったらしくて大変だったって聞いてますが。とにかく立村さんは、関崎さんと杉本が顔を合わせないように、二年女子たちと一緒に職員室か別の教室かで準備をなにかさせたらしいです。二年女子が結局さっきの集まりにふたりしかいなかったってのはそういう理由です。杉本の見張り役に残されてたらしいです」

 ──すごい。完璧だ。

 僕は素直に驚いた。

「会が終り、立村さんが先生と閉じ込められている教室との両方に連絡をして、関崎さんたちがいなくなるのを待ってから解放しようということになっていました。けど、あの女が制服じゃなくてあんなとんでもない格好をして、気持ち悪い毒花を手渡すってことは、何か手違いがあったんではないかという気がします。俺ももっと早く、何も考えずに外に出せばよかったって思うけど、その辺は本当にすんません。とにかく、俺なりに精一杯迷惑をかけない方法は探ったつもりですが、見事失敗で情けないです。本当に関崎さん、すみませんでした」

 ──君は、すべきことをみんなしてくれたよ。健吾くん。  佐賀さんと僕が同じような感じで健吾くんを見つめていると、また涙ぐんでいるらしく目を数回こすった。

「わかった。運動部の交流についてはこれから、すぐになんとかするから」

 おとひっちゃんがぶっきらぼうに、これだけつぶやいた。電気ストーブだけでは耐えがたい冷たさで、僕は足を踏み鳴らした。それが合図で、僕たちは立ち上がった。  おとひっちゃんとふたり、今度こそは誰もいないグラウンドで、健吾くんたちと別れた。

「じゃあ、今度は三月に。こんなひでえミス、もうしませんから」  

  そのことに関する返事はしなかった。おとひっちゃんは深く頷いてみせた。佐賀さんが見えないので挨拶したくて立ち止まったら、駆け足の音が聞こえた。

「ごめんなさい、これ」

 ──わざと忘れてったってのになあ。

 わざわざ葉牡丹を持ってきてくれた。よけいなお世話と言いたかったけれど、持って来てくれたのが佐賀さんである以上受け取らなくちゃいけない。おとひっちゃんと目で合図し、僕が受け取った。

「そんなの捨てちまえよ」

「だめよ、健吾」

 ──また、名前で呼ぶ。  

  自信ありげな顔で佐賀さんは答えた。

「きっと梨南ちゃんは、関崎さんにこの花が元気かどうか聞くと思います。もちろん新井林くんが押えるでしょうけど、梨南ちゃんは何をするかわかんない子です。もしかしたら立村先輩から住所を聞き出して、家までおじゃましようとするかもしれません」

 背筋が凍るってこのことだ。がたがたっと肩が震えた。

「その時に花がなかったり、捨てたなんて言ったら、梨南ちゃん何をするかわかりません。私も梨南ちゃんと七年間一緒だったからよくわかります」

「そんな怖い女子なの?」

 僕がかろうじて言葉を搾り出す。おとひっちゃんは言うまでもなく硬直状態。

「梨南ちゃんは、好きになればなるほど、意地悪をする子なんです。そして」

 佐賀さんの目はさらに真剣だった。

「裏切られたと思ったら最後、とことんうらんでしまうんです。どんなにこっちが友だちでいたいと思っても」

 ──ってことは、もしかして俺。  

  痛恨のミスを犯したってことだろうか。おとひっちゃんはきづいていないかもしれないけれど。僕は真剣に震えるのを止められなかった。

「だから、本当に気を付けてください」

 ──逆恨みされるってことかよ!


 たぶんおとひっちゃんは、僕が震え上がった理由なんて想像していないだろう。しかたなく葉牡丹をぶら下げてバス停に向かい、時刻を確かめた。

「まだ時間あるね」

「雅弘、さっきのことだけどな」

 誰もいないベンチに腰掛け、おとひっちゃんはじろっとにらんだ。

「なんだよ」

「なんで、水野さんのこと言った」

 ──おとひっちゃん、気付いてるじゃないか。

 さっきの痛恨のミス、そのものである。

「いや、だってさ、僕がもし花とか上手に育てられるんだったら、さっきたんが一番かなって思っただけなんだ。ほら、さっきたん、小学校の頃から教室にお花もってきて飾ったりしてただろ? だからこういう花も、きっと大切に育ててくれると思うんだ。おとひっちゃんのとこ、あまり花とか飾るのって苦手だろうし、俺もあんまり好きじゃないし」

 もしかしたらおとひっちゃんは、葉牡丹を持ち帰りたいなんていうんじゃないだろうか。別に本人の勝手だから僕が口出しするつもりはないけれど、ただ、どうしても僕はそうさせたくなかった。第一、おとひっちゃんみたいな大雑把な奴が、キャベツみたいな毒花とはいえ上手に育てられるわけがない。万が一、杉本さんに「あの花元気ですか」と聞かれたら、言い訳できない。おとひっちゃんは物言いかけたけれども、飲み込んだ。

「だからさ、さっきたんにあげちゃおうよ。きっと喜ぶよ。おとひっちゃんからだって言うともっと喜ぶよ」

「いい、勝手にしろ」

「じゃあ、ちょっと電話かけてくるよ」

「どこにだ」

 迷ったけれど、言っておいた。

「さっきたんにさ。これから寄っていこうよ。きっと喜ぶよ」

 すぐにゆでタコ状態で赤くなるのはおとひっちゃん、全く精神状態変わってないってことだ。僕はバス停端の電話ボックスまで走っていった。見上げると青潟大学の校舎が夕暮れの色をちかちかさせているのがはっきりと見えた。


「もしもし、水野さんですか?」

 僕は女子に電話かけるのって結構慣れている方だ。おとひっちゃんの代わりに苦手な女子へ連絡網を回してやったことだってある。今日はお母さんが先に出て、すぐにさっきたんへ代わってくれた。

「佐川くん、どうしたの」

 ──やっぱりさっきたんは優しい声だなあ。ちゃんとしゃべりに波があるよ。

 どうしてだろうか。つい比べてしまった。

「うん、実は、今日、おとひっちゃんとふたりで青大附中に行ったんだ。で、今帰りのバス待ってるとこなんだけど」

「そうなの」

 あまり関心のなさそうなさっきたんだ。一応、おとひっちゃんがさっきたんのことを想っていることは承知だろうけれど、それから半年間、特段変わった動きはなし。おとひっちゃんも動かないし、さっきたんも「あら、そんなことあったの」って顔で普段どおり流しているからだ。僕もクラスの連中と一緒にばば抜きやったりして遊んでいるけれども、さっきたんがたまに僕の隣りにくるのは偶然だ。一緒にいるところを見ておとひっちゃんがまた真っ赤になるのも、またいつものことだ。

「それで思い出したんだけど、さっきたんってお花、好きだよね」

「ええ大好きよ」

「青大附中の人たちから、花をもらったんだ。葉牡丹って知ってる?」

 あの毒花と、口には出さないでおいたけれどさっきたんの声は明るかった。

「うん知ってる。葉っぱが花びらになっていて、お正月によく飾るのよ。華やかなのよ」

 ──違うよそんなきれいな花じゃないよ。

「俺もおとひっちゃんも、そういう花もらっても困るだけだから、よかったらさっきたんにあげようか、って話してたとこなんだ。これからさっきたんの家に行って持っていくけど、いいかなあ」

 かなり事実関係を曖昧にして説明した。いやな感情、さっきたんに伝わっていないといいな。

よかった。さっきたんは素直に喜んでいる。

「嬉しい! ありがとう佐川くん」 

 ──受け取ったのはおとひっちゃんなんだけどな。

 銀色のバスがロータリーに入ってくるのが見えた。大至急電話を切り、僕はおとひっちゃんの後に続いて乗り込んだ。  

 すっかり疲れ果てていねむりこいているおとひっちゃんの隣り、一番奥の席。

 僕は膝に葉牡丹の鉢植えを抱えたまま考えていた。

 葉牡丹の花びら……葉が花びらになっているとさっきたんが言っていたっけ……を何度見ても、「華やか」「お正月に飾る」というプラスのイメージが湧かない。  ──さっきたん、花に詳しいからそう言ったのかなあ。

 僕の目から何度見ても、毒々しいキャベツの出来そこない、という感じしかない。

 もちろん、花にはいろいろあって、好みもあるし、僕好みでないだけなのかもしれない。こんないやな気持ちで花を見たのは初めてだった。

  ──おとひっちゃんもきっと、いやだったんだろうなあ。

 僕はかなり正確に、おとひっちゃんの考えていることを見抜くことができる。十四年間の集大成といえばそれまでだけど、本当に丸分かりなんだものしかたない。

 あの、葉牡丹の女子……杉本さんと言っていたっけ……の顔を見た時、おとひっちゃんがすっかり度を失って身を引いていたのを、僕はちゃんと見ていた。露骨に受け取り拒否をしたくてなんない顔をしていたのも覚えている。おとひっちゃんを知らない友だちだったら、ただ告白されて照れてるだけと思うかもしれないけれど、どうみたって「側に寄るな!」の合図だった。杉本さんはそういうのわからなかったから、あんな風に分けのわからない言葉で話し掛けたのかもしれないけれども。

 ──そうだ、あの人、しゃべり方もなんか、変だった。

 思い返すたび、今までにあんなおかしなしゃべり方をする人がいなかったと再確認してしまう。もちろんいろいろ変わった人とも話したことあるけれど、なんで「ローエングリン」だとか「私だと思って」とか、常識では考えられない言葉を口にしたんだろう。学校の演劇で、「なんだよくさすぎる」と馬鹿にされそうな言い方を、なんでしたんだろう。

 ──もしかして、杉本さんのしゃべり方って、ああいう感じが多いんだろうか?

 僕はあらためて、健吾くんの聞かせてくれた話を整理して組み立てた。


 健吾くんが言うことを鵜呑みにする気はない。僕の直感と事実関係だけだ。だって健吾くんも佐賀さんも、杉本さんのことが大嫌いだからこう悪口言っているわけであって、たぶん七割くらいは嘘っぽいとこもあると思うから。  

  信じていいと思えるのは、「青大附中の評議委員から杉本さんが外される」ということ。

 「健吾くんと立村評議委員長はけんかしていたが今は仲直りしている」ということ。

 「佐賀さんが杉本さんにいじめられていた」ということ。

 佐賀さん……あの中国風の髪型をしていた女の子……は、「いじめていた気は本人ないんじゃないか」みたいなことを言っていた。その辺は想像だからわかんないけれども、杉本さんとはなれてから幸せになったってことだけは確かじゃないかと思う。健吾くんと付き合うことができるようになったんだから。

 もうひとつ気になったのは、杉本さんの格好とお化粧だ。

 あんな裾の長いスカートで学校の中を歩くなんて、それこそ変だ。

 僕が最初に体育館で見た時は、普通の制服だったはずだから、どこかで着がえたに違いない。本人は「男子たちに閉じ込められていた」と言っていた。健吾くんや立村評議委員長がどこかの教室に閉じ込めていた、と考えれば納得がいく。

 じゃあ次だ。

 どうして杉本さんはおとひっちゃんを見つけることができたんだろう?

 健吾くんは僕たちをロビーで待つように指示した。もし杉本さんの顔を見ないようにして連れて行きたかったのだったら、どうしてそんなことしたんだろうか? 佐賀さんを迎えに行きたかったからだろうか。

 その辺も曖昧だ。あそこにいないでさっさと学校を出てしまったら、すべて丸く収まったんだから。まさかぐるになっているなんてことは? ちょっと考えすぎだろうか。  

 そしてなによりも。

 ──俺、性格悪い奴かもしれないよ。

 がおっと響く足の下。だんだん人が乗り込んできている。  

 今までそんなこと一度も考えたことなかった。

 さっきの健吾くんの話を冷静に思い返してみると、どう考えてもひとりの女子を集団でいじめているようにしか見えない。どんなに杉本さんが問題のある人だとしても、会いたい人に会わせないとか、別の部屋に閉じ込めてしまうとか、普通あっちゃいけないはずだ。それはわかっている。


 ──けど、実際は違うんだ。

 ダンボールを挟んで四人で話をしていた時、なんとなくだけどほのぼのとした雰囲気が漂っていた。みんながみんな、「その通り!」と喝采を叫びたいという感じだった。おとひっちゃんも言葉にはしなかったけれど、杉本さんに押し付けられた花を可愛いとは思ってなかったみたいだし、僕も。

 僕も同じことを思っていた。

 いじめはよくない。絶対によくない。健吾くんがすることは絶対にいけないことなんだ。けど。やっぱりざまあみろって思っている。本当に気持ち悪かった。側に寄ってこられるのだっていやだった。健吾くんたちにお礼言いたかった。そう、杉本さんが評議委員から外れるって聞いた時、ものすごく、ものすごく嬉しかった。あの顔を見ないですむってのがほんとにうれしかった。


  今までこんないやなこと考えたことなんてない。女子に対してもそうだ。好き嫌いはあるけど、僕の周りにいる奴はみないい人ばっかりだ。よっぽど意地悪されたか嫌がらせされたか、そうでなければ嫌いになんてならなかった。

 でも、あの杉本さんという人だけは違った。

 前に立ちはだかった瞬間、もわっと気持ち悪いオーラが流れてきた。

 なんでかわからないんだけど、本当にぞっとした。

 だから思わず口走ってしまったんだ。

 ──この花、さっきたんに上げようよって。


 たぶんおとひっちゃんには通じないだろう。  想像すらしてないだろう。もう、明日以降どうやって総田を使って、バスケ部同士の交流会に持っていくかのことで夢見ているだろう。僕がこんなにおびえているなんて知らないんだ。  

  ──杉本さんって女子に、おとひっちゃん、逆恨みされたらどうしよう?

 もちろん佐賀さんの言うことをすべて信じようとは思わない。

 女子が自分に都合のいいことを言うくせがあるってのは、わからなくもない。

 総田と川上さんを見ていればなんとなく。

 佐賀さんと健吾くんが付き合い始めたのがきっかけで、杉本さんのいじめが始まったとするならば。親友だった友だちをいじめるってのは相当、心がすさんでないとできないんじゃないだろうか。

 となると、もしもおとひっちゃんのことを本気で杉本さんが好きだったとして。  

 僕の「さっきたん」という言葉をどう受け取ったかによって。

 ──杉本さん、振られてもきっと追いかけてくるタイプの女子だよな。

 ──そんなことになったらおとひっちゃん。

 初めて感じた気持ち悪い感覚に戸惑って、へまな言葉を発した僕の責任だ。

 ──なんとかしなくっちゃ。  

  僕は葉牡丹を膝に抱いたまま、腹に力をこめた。


「ね、さっきたんのところ、おとひっちゃんも行くだろ?」

「いや、俺これから用事あるから」

 ──せっかくおとひっちゃんのためにチャンス作ってやったのにな。

 無理じいはできず、僕はさっきたんの家の前で手を振った。そんな慌てて走っていかなくたっていいのに。全くいいか悪いかわかんない元陸上部だ。 

 さっきたんの家のよびりんを鳴らしたついでにもう一度曲がり角に振り向くと、ジャンバー姿のおとひっちゃんが見え隠れしていた。いつものことだ。知らんふりを決め込んだ。


「きれいな花!」

 桃色のセーター姿で迎えてくれたさっきたんが僕の顔と、花を交互に見つめた。手提げの中を覗き込み、ふわあっとした笑顔で迎えてくれた。

「佐川くん、ありがとう。私、大切にするわ」

 ──お礼を言うのはおとひっちゃんへ、なんだけどな。

 さっきたんの手の中だと、葉牡丹はちっとも「毒花」っぽく見えなかった 。


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