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 頭をこつっと叩かれた。総田だった。

「いや、なんでもないよ」 「じゃあちっと俺の話を聞け」

 上の空で返事しているのがまずいんだろう。自分でもわかる。総田は口を一回への字のした後、いつもの調子でしゃべくった。

「なんかなあ、青大附中の『忠臣蔵』テープ、あれを聴いてからってもの、生徒会連中の目の色ががらっと変わっちまったんだ。佐川、お前には悪いがあのさむいぼ症候群のくさい演劇台本、あれは却下だ。内川の奴、すっかり目を輝かせてさ、『ぜひ六月に、時代劇をやりましょう! 演劇だと大変ですから、放送委員会を巻き込んで、ラジオドラマっぽくやりませんか! やっぱり、時代劇は男のロマンですよ!』って騒ぎ出したんだ。もうあいつも、燃えるとやるからなあ。俺もお口あんぐりよ。勧善懲悪ラジオドラマ・生徒会製作で決定だぜ、おい」

 いいかもしれない。公立の水鳥中学なんだから、あまりお金の掛かることはできないだろう。それにラジオドラマだったら、声だけ演技するだけでいいはずだ。即席声優でもOKだろう。例の「中学演劇脚本集」から選ばなくたっていい。放送委員会を巻き込んで、昼の放送で流してもいい。頭いいこと考えるもんだ。やっぱり総田と内川、この二人、よくやるよ。僕の出番はもうないんじゃないか?

「ったく、天才参謀の名が泣くぜ。お前にはこれから、関崎を丸め込むっていう大きなお仕事が待ってるんだぜ。なんとかお茶わんこ娘は追っ払うことできたみたいだけどな。世の中まだまだ先が長いんだ。第二、第三の悲劇が続かないとも限らんぜ」

 ──誰が天才参謀なんだよ。

 また物思いにふけった。


 ふたっつにしばったあの髪の、あの人のことを。

   健吾くんが誤解したまま笑顔で帰った日のことを、僕は思い出していた。

 おとひっちゃんとさっきたんの演技が完璧だったおかげでその場は凌げたけれども、結局は騙したことになってしまったわけだ。真っ正直なおとひっちゃんが嘘八百をつきとおしたことにびっくりしたってのもある。

 この展開、きっと立村評議委員長がすべて計算したものだろう。そう信じて疑わない。 おとひっちゃんがひとりで思いつくわけないじゃないか。あいつみたいな一本気な奴が、こんな入り組んだ計画を立てられるわけがない。もっともおとひっちゃん本人はきっとひとりで立てた計画だと勘違いしているだろう。用務員室か帰り道か次の日の電話か、とにかく立村に「佐川の尻拭いは次のようにしたほうがいい」と吹き込まれて、それはいい、と素直に判断したというのが妥当だ。僕がもっと早く気づいていたら、ちゃんと進路修正してやったのに。

 ほんとだ。どうして僕は気付かなかったんだろう。  本当の敵は、別にいるってことを。  隣りの総田がひたすらしゃべりまくっているのを聞き流し、僕は改めて後悔した。

  「おい、佐川、聞いてるのか?」

 総田が、いきなりこめかみのあたりを握りこぶしでぐいぐいやりだした。つぼマッサージ、気持ちいい。

「いいいい、もっとやって」

「お前変態じゃねえか」

「いいよ、もっと締めて」

「こええなあ」

 手を離してくれた。僕は押えられていたこめかみを自分でもう一度もんだ。 「あのなあ、お前さ、あの青大附中の女子、気にいってたんだろ?」

「はあ?」

 とぼけるべきか否か。たぶん気付いているさ。隠すのもおとひっちゃんみたいでみっともない。

「どうやら図星らしいな」

「関係ないだろ」

 もう会えないかもしれない。やりきれなくなってくる。

「あのな佐川、お前自分で自分がわかんねえだろ。ほら、俺が聞いてやる。今までの礼だ。思春期の男子が持つ性欲処理その他、ご相談にのりまっせ」

「総田の方がそっちの問題、まだてこずってるんだろ」

 怒らせないぎりぎりのとこで、からかい口調で返事した。

「せっかく俺が心配してやってるのになあ、いやな、この前例の集まりで、気になる噂を小耳に挟んだんだが、どうしたのかなあ」

 どうした総田、いきなり意味ありげな口のゆがませ方は。僕はそっぽを向いた。

「ほらほら、すねねえでさ。つまりだな、四月以降の交流会については、しばらく佐川、お前を降ろしたいっていうだれだかさんの希望があるみたいでなあ」

 総田の言葉の意味が、一瞬読み取れなかった。

「だれだかさんって誰だよ」

「お前の大親友」

 ごくんと空気を飲み込んでしまった。むせそうになった。げほげほやってると総田が背中をばしばし叩いた。かなり痛いんだけどな。

「俺も耳を疑ったけどな、あいつ本気だぜ。お前、思い当たる節あんの?」

   総田はどのくらい気づいているのだろう。僕にはわからなかった。

 はっきりしているのは、総田の言うことが全くガセネタではないということだろうか。そう言えば四月以降の交流会について予定は決まっているはずなのに、あいつは一言も教えてくれなかった。

 青大附中の連中にも僕が、渉外役だって伝えてあるはずなのにだ。変だとは、思っていたんだ。「それについてはただ今、内川と俺との二人体制で反対運動をやっているけれど、なにせあのシーラカンス野郎、燃えたらとことんだろ? 俺としても事実関係を掴まない限り動けねえからなあ。おいおい、動揺してるんじゃねえの?」

 とことん総田は攻めてくる。怖い、怖い。去年までの僕だったらもっとつらっとした顔でいられたのに、どうしてか今だけは駄目だった。唇がかさかさしていて、乾いた皮をはいだ。ひりひりした。

「それ、おとひっちゃんが俺を外したいって言ってるのか?」

「そうなんだよ。やたらと意地になっちまってさあ。『雅弘があの会に出ると、かえってひどいめに遭う可能性があるから、涙をのんで出さない。理由については言えない』ってな。いかにも理由を知りたいなあといわんばかりの、言い方だろ? となったら聞かずにはいられない性分なもんでね」

 ──俺がひどいめにって、誰にひどい目に遭わせられるんだよ。立村か?

 ──大丈夫だよ、今度は俺だって殴り返せるよ。この前は油断していたから。

 あいつの性格上、想像できないことではない。僕があのまま佐賀さんといちゃついていたってことになったら、たぶん健吾くんあたりから決闘の申し込みが届くだろうし、立村委員長だって黙ってはいないだろう。それをうまくとりなして、何事もなく終わらせるために僕を外しておくっていうのも、一つの手だろう。けどそれは裏を返すと、もう二度と佐賀さんに会えないってことにもなる。だって佐賀さんも、僕も委員会には関係ない奴だ。佐賀さんはもしかしたら二年で評議委員を狙えるかもしれないけど、万年学習委員でもう三年、後のない僕にはおとひっちゃん経由の通り道しかないのだから。

 文句を言いたくても、言えない。

 おとひっちゃんの判断は確かに、正しかったんだから。たとえ立村に吹き込まれた案だとしても、僕がこれ以上酷い目にあわないで済むにはこれが一番なんだ。佐賀さんに会えない、もう連絡できない、それさえ飲み込めばだった。

「ほらほら、言ったら楽になるぜ、あの子のことかなあ。うちの川上が鋭くチェックしていたぜ、『あの子、なんだか佐川の生き血をすすりにきたみたい』ってな。俺もそう思うぞ」

「そんなんじゃねえよ!」

 かっとなったのを押えきれなかったのは失言だ。いつものパターンじゃない、完全に総田のペースに乗せられた。僕が言い訳をすればするほどどつぼにはまる。  あきらめた。素直にうなだれるに限る。総田に対してはそれが利く。

 僕は所々曖昧にぼかしながらごたごたの説明をすることにした。あんまりにも自分が情けなくなるようなところはもちろん飛ばして、だ。


「しくじったよ、ほんと」

 総田は一通り聞き終えた後、ぽんと膝を打った。

「あの蝋人形がなあ。そうかそうか。まあ、そういうことだったら関崎も大事な弟分を魔女の手から守りたいだろうなあ」

 だから、なんで魔女なんだよ!

 ふたつに分けた髪型が良く似合う、かすみ草の雰囲気の子なのにだ。きっと川上さんになにか吹き込まれたんだ。きっとそうだ。訂正しとかなきゃ。

 ゆっくりと、顎のところに親指と人差し指でブーメラン形をこしらえ、総田は髭剃り後の白っぽい所をさすった。

「けどなあ、佐川、お前もうとっくに、一番いい方法知ってるんだろ」

 総田は僕をじんわりと見た。ちっとも焦っていない。当事者じゃないからな。

「なんだよそれ」

「とぼけるなって、お前がわからねえわけないだろ。さっき言ってたよなあ。なんか、バスケ部野郎が言ったんだってな。お前に彼女がいるなら、安心して自分の彼女を手伝いに出せるってな」

 確かに。健吾くんはおとひっちゃんとさっきたんに騙されたんだ。あいつってもしかして、おとひっちゃん以上に単純野郎なのかもしれない。ふつう、疑うだろう? 僕だったら絶対に裏を取ろうとするけれども。総田はさらに声を低めて言う。

「なら、そう思わせちまえばいいだろ。どうせ生徒会関係は熱血関崎と、蝋人形立村とが仲良く話し合いするんだ。表舞台は二人に押し付けて、佐川は例の子とよろしくやりつつ、ちゃんとカモフラージュをこしらえるってな。お前、そういうの得意だろ。ていうか」

 また言葉を切った。僕を横目で見た。

「そのつもりだったろ、佐川」


 いつもの僕だったら、何も考えずに選んでいた方法のはずだった。総田に言われる前から、答えは出ていたはずだ。それを選べないのは、まだ僕が総田の求める「天才参謀」へ復活していないからだ。

「ま、これから俺も、佐川にもう少し活躍してもらわねえと困るからな、今日のことは貸しにしといてやるわ。ま、人間生きてたら、いろいろあらあな」

 やはり総田は話がわかる。たくさんの修羅場をくぐりぬけてきただけある。説教じみた言い方一言もしないのに、僕がしたいと思っていて忘れていたことをさらりと教えてくれる。しかもそれをおとひっちゃんと違って僕の負担にしないところがまたいい。

 僕は立ち上がり、敬礼した。


 青潟の四月はまだたんぽぽが咲いた土のとこに雪が残っている。スニーカーのつま先も真っ黒くなり、たまに滑りそうになる。僕の後ろには誰もいないから、学校でグラウンドを走っている時と違って、泥ひっかけて文句言う奴もいない。僕だってそれほど足が遅いわけじゃないんだけど、やっぱり元陸上部には負ける。

 先頭のおとひっちゃんとは、一軒、家が挟まるだけの間が空いている。

 ──早く終わろうよ、おとひっちゃん。もう苦しいよ。

 途中おとひっちゃんが飛ばしすぎて姿見えなくなったところで、少し歩いたりもしたけれど、結局、疲れの度合いは一緒だった。へろへろになりながら、ゴールの駅前にたどり着いた。すっかり太陽が昇っている。駅終点の市営バスから降りてくるのは、スーツ姿の大人ばかりだった。制服を着た高校生っぽい奴らも数人たむろしている。ゴールはうちの店だった。朝七時前でも駅前は人が結構いるんだから、もっと目立たないところにしてくれたらいいのに、おとひっちゃんはやっぱり抜けているんだ。

「雅弘、お前、宿題やったのか?」

 まだ春休みの宿題に手をつけていない僕の状況を、長年の勘でおとひっちゃんは気付いているみたいだった。首を振る。

「じゃあ昼に届ける」

「え?」

 いつものことだった。おとひっちゃんは始業式三日前くらいに、わざわざ宿題を完璧に仕上げたノートを貸してくれる。全部それを写しておけばいい。おとひっちゃんの答えは大抵当たっている。僕の成績レベルで宿題全問正解だと確実に怪しまれるので、少しだけわざと間違えたりしておけば完璧だ。

「おとひっちゃん、ごめんな」

「じゃあ、後で」

 おとひっちゃんは背を向けた。僕が裏口から入ろうとした時、

「あ、雅弘」

 声だけでぐいと呼び止められた。短い言葉。

「なんだよ」

  しばらく口篭もり、おとひっちゃんは紺ジャージ上のチャックを上まで締めた。つめえりっぽく見えるように着こなしていた。

「学校始まってからはしばらく生徒会室に寄り付くな」  

 それだけ早口につぶやくと、おとひっちゃんは軽く跳ねるようにして、自分のうちの方へ走っていった。まだ走り足りないんだ。元陸上部は体力のけたが違う。帰宅部の僕と一緒にするなって思った。  

  やっぱりそうなんだ。総田の言ってた通りだ。


 汗をかいて身体があったかい。おなかがすいた。たっぷりご飯を食べたい。味噌汁の匂いに誘われて、僕はいったん考えるのをやめた。食欲こそ一番だ。 おとひっちゃんがこんな風に僕を「朝のジョギング」へ誘い出したのは、三学期終業式の翌日からだった。いくら「水に流す」と言ったところで、奴は簡単に許してくれないだろう。親友扱いしなくなるだろう。覚悟していた。もうひとりで宿題やらなくちゃいけないし、おとひっちゃんとも口を利いたらいけないんではないかと思っていた。

 けど、おとひっちゃんはほんとに、きれいさっぱり水に流してくれた。

 いきなり電話をかけてきて、

「明日からお前、俺と朝走るんだからな。準備しとけ」

 と言い残し、またがっちゃり切った。冗談かと思った。本気だった。おとひっちゃんは朝六時半ちょうどに裏口までやってきて強引に連れ出し、スニーカーの履き方ひとつにも文句をつけ……結び方が甘いとか、足を痛めるから別の靴を履けとか……二十分から三十分間、しっかり走りつづけた。

 おとひっちゃんが元陸上部の長距離ランナーだったことを知らぬものはいない。けど、今までは早朝トレーニングなんてしてなかったんじゃないかなあ。本人曰く、

「現役だった頃はもっといけたんだけどなあ、身体なまったな」

 と悔しそうだったけれども、帰宅部の僕にとってはしんど過ぎた。もういいかげんにして欲しい、と思う一方で、大人しくくっついて走っていた方がいいんじゃないか、っていう気もしていた。

 言葉を使うのが苦手だ、おとひっちゃんって奴は。枝をぽきんと折って投げつけるような言い方をする。身体を使った言葉ならすぐにぴんとくる。顔を見たり、動作をチェックしているだけでおとひっちゃんの考えていることがよくわかる。へばる寸前で顎上げている僕を、曲がり角のとこで緩めることなく待っていてくれているおとひっちゃん。ひたすら追っかけていた。終わった後で、どこでくすねてきたのかガムを一枚渡して走り去っていくおとひっちゃん。何も言わないけれども、まっすぐ見つめてくるおとひっちゃんがいた。  

  やっぱり俺は、おとひっちゃんの「弟分」なんだ。

 逆らえない。

 どんなに理不尽だってわかっていても、だ。

 あいつにとって僕は、まだ面倒を見ることが必要な弟分であることを改めて実感した。いつもおとひっちゃんにあわせて「弟」の顔をこしらえてきたけれど、とっくの昔に卒業したと思っていた。けどやっぱり、おとひっちゃんに最後はかばわれてしまったというわけだ。

 ──俺はやっぱり、守られるだけの奴なのかなあ。

 走れば走るほど、重たくなっていく鉛みたいなものが心臓のあたりに落ちてくる。

 中学三年用の参考書と、うちの母さんが買ってくれた真新しい下着一式を机の上に投げたまま、僕はベットに横たわった。天井にはだいぶ古ぼけてはがれかけた鈴蘭優が笑っていた。

 ──やっぱり、俺はもう、佐賀さんに会えないのかな。

 何度も鈴蘭優のポスターに話し掛けてみたりした。野郎友だちにばれたら何言われるだろう、不気味がられるだろうな。

 もう一度鈴蘭優を見上げて、同じ髪型のあの子のことを思った。

 そう、「想った」。


 人手がないってこともあって鈴蘭優ポスターで夢見る時間はすぐに遮られた。父さんに言いつけられ、仕方なく店のドア拭きに専念していた。自動ドアの硝子がまぶしくて目が痛くなりそうだった。ゴールデンウイーク時期は夏っぽい気温になるんじゃないかとうちの父さん母さん、真剣な顔で話していた。手の油がついた部分を、へっぴり腰でごしごし拭いていると、声をかけられた。

「佐川さん、今、大丈夫ですか」

 僕の名前を「佐川さん」と呼ぶ人は、ひとりしかいない。  

 ぞうきんをしっかり握り締めたまま腰を伸ばし、振り向いた。喉からばくんと爆弾が飛び出しそうだった。あの声、全身ピンク、ピンク、ピンクの女の子。あの子だ。身体が一気に春体温で上昇していくのがわかる。早く、早く、なんか言わなくちゃ。ほら、あの。

「佐賀さん!」

 それしか言葉が出なかった。


「今日、エレクトーンのお稽古だったんです。久しぶりに寄ってみました。あの時のこともお礼が言いたくて」

 僕が大嘘言った時のことだろうか。ちくっと痛む気持ちを押えつつ、僕は首を振った。

「たいしたことないよ。けどあれから大丈夫だった? 佐賀さんは」

「はい、私、評議委員になりました!」 「あれ? まだ新学期始まってないんだろう?」

「いいえ、うちの学校は公立よりも始業式が三日早いんです」

 今日の髪型はいつものお団子ふたっつ。やっぱり佐賀さんはこの髪型が一番似合っている。

「今度の交流会は、それじゃ堂々と参加できるね!」

「はい、佐川さんもいらっしゃられるんですか?」

「うん、なんとかさ」

 口篭もった。僕もおとひっちゃんに言い渡されたのは今朝のことだ。おとひっちゃんはすでに裏で手を回しているらしい。総田に気付かれるくらいだから、参加できる可能性は七割方、ないだろう。

 仕事中だと気、遣ってくれたんだろう。佐賀さんはピンクのかばんを開いて、何かをさっと取り出した。別に、佐賀さんと一緒だったらガラス磨きなんてさぼったっていいのにな。

「それでなんですけど、これ、新井林くんから頼まれて預かってきました。後で読んでくださいね」

 両手で一度胸に当てた後、僕を見つめてすうっと差し出した。漫画で見たことのあるラブレターを渡す場面みたいだった。そんなわけないけどさ。こっちもなんというか言葉が出ない。

 ──ああそうなんだ。俺にはさっきたんがいるから、安心して連絡できるんだよな。

 三月末のことを思い出した。痛いところをつついてしまった。あの時佐賀さんはずうっと、健吾くんに寄り添っていたっけ。僕の隣りにもさっきたんがいたのに、なんだかぐさぐさくるような気がしてならなかったことを覚えていた。

「ありがとう。じゃあ後で読むよ」

 ソフトクリームに見える複雑な折り方の手紙だった。僕は佐賀さんがいなくなるまで見送った後、大急ぎでガラス拭きを終わらせた。途中雑になってしまったところがあるけれども、まあいっか。


 部屋に戻り、だいぶ色あせた鈴蘭優のポスターを眺め、ベッドの上へ横たわった。 

 文字を読む時だけはちゃんと目を開け、ポスターを眺めるときは目を寄り目にして少しぼやけるようにしてみた。ぼやあと佐賀さんの姿と声が蘇ってくる。自分に言い聞かせ、ソフトクリーム型の手紙を開いた。もう、元の形には折れないぞ。



 佐川さんへ

 ずっとお手紙を書こうと思ってました。お話したいことがたくさんありました。けど、私の周りではいろいろなことが起こって、話せば話すほど大変なことになりそうなので、お手紙にします。

 まず、私のことなんですけど、ちゃんとお約束通り三年D組の評議委員になりました。もちろん新井林くんも一緒です。クラス全員満場一致でした。担任の先生がもちろん力を入れてくれたのもあるんですけど、やはり女子がみな、杉本梨南ちゃんのことをあきらめてくれたのが大きかったんだと思います。もう梨南ちゃんの存在は、クラスでも薄くなってきています。先生は最初、梨南ちゃんを、「人の心がわかるように」という理由で保健委員にするつもりでいたみたいでした。けど、保健委員の人たちがそれ以来必死に仲良くなって、どの委員の男女も一気に理解しあおうと動くようになり、結局梨南ちゃんはどの委員にもなれませんでした。

 この前お会いしたときにお話したとおり、私は梨南ちゃんをかばってあげなくちゃいけないと思いました。だから、これからはクラスから嫌われてしまった梨南ちゃんを、さりげなく面倒見てあげるようにしなくてはと思っています。

 決して、私は梨南ちゃんのことを好きなんじゃありません。佐川さんとお話してわかりました。嫌いです。大嫌いです。でも、嫌いだからいじめるという発想自体が間違っているような気がしてなりません。嫌いだったら、哀れんであげること、そういう考えしかできない人のことを同情してあげること。自分とは違う世界の人なんだと思って、接すること。これが大切なんじゃないかなあと、お母さんと話してて思いました。

 嫌うんじゃなくて、許すこと。そういう人がいるんだと思ってあきらめること。  

 今、あらためてお母さんの言う言葉が本当だって思いました。

 だから、私はいじめたりしようとは思いません。ちゃんと、クラスをまとめて堂々と評議委員を務めようと思ってます。


 



 佐賀さんってほんと、文章がうまいなあ。あらためて思う。

 僕なんてまだ小学生と間違えられるような書き方しかできないのに。公立高校入試に作文の試験が無くて本当によかったって思った。

 佐賀さんの手紙はまだまだ長かった。



 新井林くんも、今は完全に梨南ちゃんのことを無視しています。もうどうでもいいみたいです。さすがにクラスで悪口言う人がいるとたしなめることもありますけれど、もういてもいなくてもどうでもいい人になっちゃった梨南ちゃんにかまう人がいなくなったというのもあります。

 梨南ちゃんは、暇さえあれば関崎さんの手紙を眺めています。折れ目がつかないように下敷きの間に挟んでいます。立村評議委員長が毎朝様子を見に着ます。「関崎さんは今度いついらっしゃいますか」と繰り返してます。いつかは関崎さんと会えるのだと信じているみたいです。

 でも、新井林くんが話していましたけれど、立村評議委員長は、もう二度と水鳥中学の方へ梨南ちゃんを送らないつもりだそうです。

 ここからは絶対に誰にも見せないでください。関崎さんにも話さないでください。



 なんだろう、おとひっちゃんのことだろうか。

 気になって続きを読みつづけた。  



三月に、関崎さんと佐川さんと、もうひとりの女子の人と会った後、卒業した先輩に思いっきり怒られたそうです。新井林くんが言うには、叩かれたりしたらしいです。けれど、梨南ちゃんを交流関係のサークルに入れるということだけは、絶対に譲らなかったそうです。もしそれをさせてもらえないのならば、自分は委員長を降りるつもりだ、とまで言ったそうです。最後は健吾が割って入り、なんとか納まったらしいです。

 ですから、梨南ちゃんは表に出ないけど、一応、交流関係のグループにはいます。

 今の三年の女子先輩で評議委員から降ろされた人がいて、その人が仕切っています。一生懸命梨南ちゃんはくっついて、関崎さんのことを聞き出そうとしています。もちろん仕事もきちんとやるし、周りは女子ばかりなので、楽しそうです。



 おいおい、なんだよ。ということは立村、約束が違うんじゃないか。

 僕は何度もつぶやいた。



でも、その時に、梨南ちゃんをもう二度と関崎さんには会わせないと約束したそうです。関崎さんは梨南ちゃんから本当は逃げたいんだということを、きちんと説明したのにわかってもらえなかったから、なんとかしなくてはという理由らしいです。

 立村評議委員長は、毎日、梨南ちゃんの様子を見に来てはいろいろ相談に乗ってあげているみたいです。梨南ちゃんは立村先輩のことを「不細工で頭が悪いけど考え方はまとも」という言い方をしてました。評議委員会から降ろされたということで逆恨みして、最近は失礼なことばかり言ってますけれど、立村先輩は全然怒りません。それどころか、梨南ちゃんを連れて図書館へ行って話し掛けたりしています。どうして梨南ちゃんは、立村先輩にしないんだろうと不思議に思います。そうすればみんなが幸せになれるはずです。梨南ちゃんも幸せになるし、周りの人たちも迷惑をかけられないですむし、立村先輩も満足するはずなのに、どうしてみんなが楽しくなるようなことをしないんでしょうか。不思議でなりません。


 


 佐賀さんは一番幸せになれるようなこと、しているのかなあ。

 僕自身もしているとは思えない。



 関崎さんを追いかければ追いかけるほど嫌われるのはわかっているはずなのに、どうして梨南ちゃんはそういうことがわからないのでしょうか。みんなが梨南ちゃんのせいで不幸になっているのに気付かないなんて、本当にかわいそうだと思いました。私は幸せになりたいです。だから今日、思い切ってお手紙を書きました。

 やっぱり、私は、佐川さんに会いたいです。



 身体が痺れた!  目の前の手紙が顔に着陸した。ばらばらになって慌ててまとめた。



 佐川さんとお話していると、私がだんだん見えてくるような気がします。どうしてかわかりませんが、新井林くんや他の人たちと話してくるより、本当の私を掘り出してしまったような気になり、怖くなります。こんな気持ちになるのは初めてでした。

 佐川さんが話してくれたことで覚えているのが「職業高校に行く」という話です。

 私はそれまで、職業高校なんて頭の悪い人が行く学校なんだと馬鹿にしてました。ごめんなさい。本当に馬鹿なのは私でした。私は何にも考えないで、ただ黙って青大附高、大学へ進むものだと思って、ぼおっとしてました。きっと健吾も梨南ちゃんも同じだと思います。けど、佐川さんがなぜ職業科を選びたいか、その理由聞いて目が覚めました。

 自立したい、大人になりたい。初めてわかりました。



 その通りだ。いつも口やかましく成績のことで文句言われる生活から脱出したいし、何よりも自分の力で働いてみたい。自分の能力がどこまで伸びるか試してみたい。勉強なんかじゃなくて、僕の持っている能力そのものを専門で伸ばしてみたいなって思っていたからだ。おとひっちゃんのように、中学入試の雪辱戦とは違う意味で言ったつもりだった。

 低レベルな奴だって馬鹿にされたかもしれないって思っていた。でもちゃんと、覚えててくれたんだ。



 私も、佐川さんのように、自分の意志と能力でもって歩いてみたいと思いました。ずっと梨南ちゃんの言うことばかり聞いていた頃は、私ってのろまで泣き虫で何にもできな子だと思ってました。けど、佐川さんに会ってからすべてが変わりました。私ももしかしたら、何かができるかもしれない。評議委員になれば、もっといいことができるかもしれない。梨南ちゃんとか立村先輩なんかよりもずっと、上手にできるかもしれない。そんな自信がついてきました。女子とはなかなかうまくいかないことも多いけど、男子のみんなが助けてくれるので、だいぶスムーズに動くようになりました。



 そうかそうか、よかったよかった。



 ただ、どうしても気になるのが立村先輩のことです。梨南ちゃんのことを気に入っているのはわかってますが、私のことを冷たい視線で見ることが多くてちょっと怖いです。私は梨南ちゃんのために、いいようにしてあげようって思っているのにです。もしかしたら交流サークルのことも、評議委員会関連とは関係ない形で梨南ちゃんと関崎さんを会わせようとしているからじゃないかって、噂もあります。そんなことしたらまた梨南ちゃんは同じように関崎さんに嫌われるだけでなく、水鳥中学の人たちにまた迷惑をかけるはずです。私はそれを止めたいのですが、立村先輩は私のことを嫌っているみたいで、丁寧だけど冷たい言い方をします。梨南ちゃんに本当のことを教えてあげたいのに、わざと私が梨南ちゃんに近づくのを避けるようなことします。  

  それだったらどうして立村先輩は、梨南ちゃんとお付き合いしてあげないのでしょうか。

 責任取らないなんて、男らしくないと思います。梨南ちゃんもかわいそうです。



 嫌な予感がぞわっとしたのは、気のせいだろうか。

 僕のほっぺたが妙にひりひりしてきた。奴にぶん殴られた跡だ。  



 私は今、こういうことを相談できる人が、誰もいません。新井林くんは最近、立村先輩にいろいろ言い含められてるみたいです。私のことを疑うような目で見るので、いつも私はいらいらしてしまいます。だんだん本当のことが言えなくなってます。言いたいのに言えないのが辛いです。 きっと私は、佐川さんでないとどういうことができるかどうか見つけられないんだと思います。幸い、佐川さんにはちゃんとお付きあいしている人がいるそうですから、安心して会えます。 すごくうれしかったです。お付きあいしてくれている人がいるってことを聞いて安心しました。新井林くんにも怒られずにお話ができるのが嬉しいです。お願いします。今度の金曜日、またお店に寄ります。

──佐賀 はるみ──




 やられた。さされた。完全に壊れた。

 もうほとんど全身がゆでダコ状態のままベットの上でごろごろした。もだえていた。

 でんぐり返し、えびぞり、ありとあらゆる技を繰り出し、僕はひたすら笑いころげていた。天井の鈴蘭優がにこやかに僕を見下ろしていた。同じ言葉だけ、頭の中で叫んでいた。やんや、やんやって感じだった。

 ──また、会えるんだ。佐賀さんと!

 笑い納めにエビぞりを三階くらいした後、僕はベットの上にあお向けで倒れた。口の中で何度も空気をかみ締めた。

 国語の成績は悪くないんだ。だから読み間違えることなんてない。

 佐賀さんが何を言いたいかがよっくわかる。

 ──俺に会いたいって、ことだろ、要するに。

 鈴蘭優のポスターに並べた格好で読み返した。  


 立村が僕と佐賀さんを二の次に見ているのと同じく、僕も葉牡丹の君・杉本さんのことはどうでもよかった。これ以上かまう気はない。佐賀さんもこの手紙読む限りだと、「かわいそうな子」としか思っていないみたいだ。はっきり負けが決まっている可哀想な相手叩いたって、後味悪いだけだ。

 あのまま杉本さんを放置しておいたらどうなるか。

 おとひっちゃんはしょせん、他校の生徒だ。僕が無理に動かなくたっても大丈夫だ。あいつだっていざとなったら強い言葉で撥ね付けるだろう。

 けど一緒のクラスで顔を合わせている佐賀さんはどうなる?

 佐賀さんは評議委員に選ばれたという。相棒はあの健吾くんだし、同じクラスの連中も杉本さんのことなんか無視の一手で通しているという。これって一種のいじめに近い状態だ。もっとも当然過ぎるだけ当然な制裁される理由が杉本さんにはあるんだから、それは自業自得だと思う。周りだってそう考えているから、先生も大目に見ているんだろう。

 だけど、いくら佐賀さんが頭のいい子だったとしても、あんなに涙もろい、傷つきやすい女の子であることには変わりないじゃないか。陰で杉本さんに八つ当たりされて傷ついてしまう可能性だって大いにある。杉本さんみたいな人は日本語が通じないんだ。そんな奴に傷つけられて泣き寝入りなんてさせたくない、絶対に。 

 さらに立村が杉本さんの背後霊として立っているのも危険だろう。

 そうだ、問題はあの蝋人形だ。


 立村は自分自身を含めた「交流準備会騒動記」の脚本を書き、おとひっちゃんに読み聞かせ、いつのまにか舞台設定を整えてしまった。想像だけど、一番近い予想だろう。僕も立村と同じ立場だったら、きっと似たようなことをしたに違いない。

 「友情は音楽とともに」の脚本あらすじを聞かされた段階で立村は全て気づいたに違いない。脚本に盛った杉本さんあての毒なんて、一発でばれていたのだろう。ピアノが弾けなくてやっかみの末に佐賀さんをいじめた杉本さん、このエピソードももしかしたら立村は知っていたのかもしれない。杉本さんを連れて佐賀さんがトイレにひっぱって行った段階で、あいつもぴんと来たに違いない。ピーピー腹を装いさりげなく生徒会室を抜け出したのもそのためだろう。男子の恥をさらけ出す振りをして、佐賀さんたちを追いかけていったんだ

 佐賀さんを追い返そうとしたのも、僕と佐賀さんと会おうとしたのを見抜いたからに違いない。杉本さんが途中で吐いちゃったりしたのはアクシデントかもしれない。けど、すぐに逆手に取り僕と佐賀さんとの繋がりを確認するのに使うとは、さすがだ。僕も同じこときっと考えたに違いない。

 おとひっちゃんに取引を持ちかけたのはそれからだろう。 立村が何をまくしたてたかわからないけど、口八丁でおとひっちゃんを説き伏せ、図書準備室まで押しかけた。もしあの時、佐賀さんと一緒のところを見られていたら、立村よりも先に、おとひっちゃんにぶん殴られていたに決まってる。

 立村は冷静に全部計算して、僕が逃げられないところまで追い詰めた。佐賀さんがいることを確かめ、最後の逃げ場だけ作って去った、ってわけだ。後々佐賀さんを脅すかなにかするために。

 杉本さんへ紳士的対応をしてもらうためには、自分のことを多少恥さらしだと思われても一向に構わない。奴にとっては葉牡丹もかすみ草と同じように見える花だったんだろう。


 ──どうして気づかなかったんだよ、俺は!

 敵は毒花・葉牡丹なんかじゃない、葉牡丹の花を守っている、あいつだった。


 佐賀さんの手紙が百パーセント正しいとするならば、立村の奴、杉本さんをおとひっちゃんとくっつけるのをまだあきらめていないんだ。正気かよって言いたい。あれだけ露骨に振られたにも関わらず、杉本さんはおとひっちゃんの手紙と写真を見つめているという。表向き「評議委員会と生徒会」の関連する行事には参加させないにしても、個人的にだったら別だろう。抜け道は確かにある。個人のお付き合いに口出しするほど野暮でもないだろう。おとひっちゃん、そのところ、気がついているんだろうか。絶対気がついてないに決まってる。

 立村は杉本さんに関することだったら見境なくなる奴だ。張り倒された僕がほっぺたでよっく理解しているつもりだ。しかも佐賀さんに対していわゆる「慇懃無礼」な態度を取っているという。それだけでも僕には腹立たしいことだけど、何かの拍子で佐賀さんが自己防衛してしまった場合修羅場が繰り広げられるのは目に見えている。杉本さんの行為が非常識であろうがなかろうが立村には関係ない。評議委員長の肩書きを盾に、全身全霊で佐賀さんをつぶしにかかるだろう。杉本さんのためなら、腹下しのふりするのも、先輩連中にぶん殴られるのも、全く意に介さない奴なんだ。

 そんな奴に睨まれてしまった佐賀さんの立場を考えると、僕だってこのままじゃあいられない。  もし何か間違いが起こったら大変なことになるぞこれは。


   ──私は佐川さんに会いたいです。  


 おとひっちゃんは僕を「守る」ために、交流関連の行事から引き離そうとしている。「弟分」である以上しょうがないことなんだって、半ばあきらめていた。

 さっきたんもカモフラージュのためにって申し出てくれた。そんなの汚いやり方だってすぐに跳ね除けた。二股なんて、いくらなんでも佐賀さんとさっきたんに失礼すぎるじゃないか。

 けど、事情が変わった以上、僕は守られる「弟分」のままではいられない。佐賀さんに会わなくちゃ。どんな汚い手を使っても、僕は佐賀さんの想いに精一杯答える義務があるんだから。佐賀さんを「守りたい」って気持ちだけ、本物なんだから。

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