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 おとひっちゃんの言う通り、頭が冷えると今まで見えなかったものが見えすぎるほど見えてくる。どうして気付かなかったのか不思議なくらいだった。いつもの自分だったらあっさり気付いたはずなのに。悔しかった。

 次の日は日曜で誰にも会わないですんだのでほっとした。

 部屋にこもって鈴蘭優のポスターを見上げていた。両親には風邪をひいたとごまかしておいたけれども。

 ──佐賀さん、俺のことで立村に脅されてるんじゃないだろうか。

 電話をかけることはできなかった。

 ──だって、健吾くんと一緒にいる可能性だってあるじゃないか。

 ──俺とのことを誤解するかもしれないじゃないか。


 どうして気付かなかったのだろう。

 最初から、立村評議委員長が僕のことを胡散臭そうに見ていたことを、あえて知らないふりしていた。  いや、もっというなら、奴がさんざん意味不明の行動をしていたことを、どうして見逃していたんだろう。

 生徒会室を腹下りで抜け出そうとしたところだって、いつもの僕だったらあっさりと、

「佐賀さんから杉本さんを引き離そうとしているからだ」

と判断しすぐに別の手を打っただろう。

 僕が例のくさい脚本を読み上げた時だってそうだ。

  立村はいきなり、「忠臣蔵」なんていうあやしすぎるテープを提供し始めた。総田やおとひっちゃんは、単なる見せびらかし精神からだろうと思っているだろうけれど、今ならわかる。

 あいつ、話を逸らしたかったんだ。

 脚本を読んで、僕の狙ったことを一発で見破ったんだ。

 だから、自分のしょうもない「松の廊下刃傷沙汰」をおかずにして、僕の脚本の毒を抜こうとしたんだってことを。

 ──いつもだったら、気付くよな。全く頭が悪すぎるよ俺って。 

 いや、なによりも最初から計画がずさんすぎた。

 なんで、図書準備室に佐賀さんを引きずり込もうと思ったんだろう。危険じゃないかと終わった後に思う。

 いくら全てが終わった後とはいえ、他の連中にばれたらしゃれにならないことになるってわかっていたくせにだ。

 佐賀さんと話をするんだったら、駅前の喫茶店だって、いつもの郷土資料館だって、まだまだたくさんあったはずだ。

 なんで、そんな馬鹿なことやらかしちゃったんだろう。

 僕は寝転んで天井の鈴蘭優を見上げた。

 ──どうしてだよ。俺は。

 「水鳥中学生徒会陰の天才参謀」の名前返上だ。


 ふたっつにしばって側で揺れていた髪の毛、それに触れられなかった。  

  夕暮れの中、見詰め合ってしまった時。 ひとつひとつが橙色に染まっていく。僕はしばらく頭をかかえ、布団の中にもぐりこんだ。額を枕に押し付けてしばらく身体をくねらせていた。でないと額の冷たい感触と左頬のひりひりする痛みが蘇ってしまうから。こんな女々しいことしている自分が信じられない。もう、どうすればいいかわからなかった。

 もちろん、これから僕なりにどう対処していけばいいかは、土曜日の段階で考えていた。

 佐賀さんに帰り際ちゃんと説明したように、

「あれは立村の思い込みに過ぎない。あそこに佐賀さんはいなかった」

 と言い張り、むしろ立村の暴力事件の方を攻め立てることもできるだろう。 かなり汚い手だとは分かっている。 

  どんな理由があったにせよ、あいつが僕を力いっぱい殴りつけたことだけは否定できない事実。

 まだ、うっすらと痛みすら残っている。病院で診断書取るという手だってある。

 それに青大附中は私立だ。公立の中学と違って、退学処分されちゃうかもしれない。僕が青大附中の奴に殴られたと訴えたら、うちの父さん母さんに説明したら、言い方にもよるけどきっと怒鳴りこみに行ってくれる。 僕が被害者として言い張って、あいつを窮地に落とすことだって可能なはずだ。

 そうだ。佐賀さんがあの部屋にいない、ということだったらいくらでも。

 立村の言ったことはすべてが本当のことだ。でもそんなことを認めるわけにはいかなかった。  

 僕が謝りたい相手はひとりだけ、おとひっちゃんだけだ。

 信じてくれてたおとひっちゃんを、裏切ってしまったことだけだ。 


 もんもんと一日中ベットで転がり続けていた夕方、電話がうるさく響いた。日曜はいつも両親が店に出ているので、僕はしかたなく受話器を取った。

「雅弘か」

 名乗ると、いきなりどすの利いた声が響いた。ひとりしかいない。おとひっちゃんだった。

「あ、ああ」

「明日、駅前まで来い。終業式が終わったらメシ食わないでまっすぐ来い」

「なんで?」  

 単純な言葉しか口に出てこなかった。

「お前に理由を聞く権利なんてないんだからな。それと」

 口篭もる気配がある。僕は耳を済ませた。ごほんとひとつ咳をしていた。咳払いという感じではなかった。

「水野さんと一緒に来い」

 ──さっきたんと?

 なんでさっきたんの名前が出てくるのかわからない。天井を見上げても答えが出てこない。

「あとは俺がみんな手を回しておく。いいか、雅弘。何も言うな、聞くな。わかったか」

 ──言うな聞くなって言ったって。

 僕に理由を聞く権利はない。その通りだった。それだけのこと、している。

「うん、わかった。明日さっきたんと一緒にだね」

「水野さんには、もう話つけてあるからよけいなこと考えるな、あと」

 また口篭もるようにして、咳をしている。

「このことは、誰にも言うな。ふたりでとにかく一緒に来い」

 言いたいことだけぼつ、ぼつと並べて、おとひっちゃんの電話は切れた。強く叩きつけられた。

 ──さっきたんと?

 おさげ髪の、はつかねずみのような表情を思い出した。ふたっつに束ねたあの髪型とは違う何かが思い浮かび、僕はまた、天井の木目をにらみつけた。こうすると知恵が出てくる。僕のいつもの習慣だった。

 ──俺に理由聞く権利なんてない、ったって。

 けど、理由があるから、明日駅前に行かなくちゃいけないってことだろう。納得がいかなかった。でもおとひっちゃんの声は本気だった。僕の額を蛇口に押し付けた腕力と一緒に同じだった。

 ──とにかく、わかるとこまで聞き出そう。

 さっきたんの電話番号をクラス連絡網で探した。何度もかけたことがあるから、抵抗ない。いつもおとひっちゃんの代わりに電話してやるんだから、平気のへいざだ。


「佐川くん?」

 お母さんを通じて、さっきたんが電話先に出た。

「あの、この前はごめん。俺も、気が立ってて、なんか八つ当たりしちゃってて」

 どうせ謝りたいと思っていた。佐賀さんにかまけてついついさっきたんを無視してしまっていたところがなきにしもあらずだった。土曜日の段階ではあたまがぼおっとしていたけど、頭が冷えた結果、明日さっきたんにあやまらなくちゃって気持ちになってしまっていた。早いうちに謝った方がいい。

「ううん、いいの。どうしたの」

 よかった。さっきたんはやっぱり暖かかった。その声が鈴蘭優以上の効果をプレゼントしてくれたなんて、言えやしない。

 こっちがごめんって思っている時に、ちゃんと「いいよ、気にしてないよ」と言ってくれる女子って、少ない。

 その一言だけで、僕はさっきたんに何でもしてあげたくなる。きっとおとひっちゃんは僕の倍、そう思っているに違いない。

 ──さっきたん、おとひっちゃんにも同じことしてやってるんだよな。

 ──ちょいまてよ、おとひっちゃん、昨日さっきたんに連絡したのかなあ?

 小学校五年の頃から、さっきたんへの伝言係は僕だった。おとひっちゃんがどうしても女子に電話をかけたくない……言い換えると「赤くなるから絶対に女子と話をしたくない」……ということで、いっつも僕が電話していた。特にさっきたんにはそうだった。

 でもなんでだろう?

 昨日は日曜だ。前の日は土曜で、とっくの昔にさっきたんは家に帰っていたはずだ。

 あの青大附中二人女子に荷物を持って行って、それっきり戻ってこなかった。

 僕は一呼吸置いて、最初にするつもりだった質問を後回しにしようと決めた。

 ──おとひっちゃんから何頼まれたんだよ?

 いきなり核心につっこんだらさっきたんも逃げ出してしまう。「話をつけておいた」ってことは、おとひっちゃんなりに内密なことに違いない。理由を聞く権利がない僕は、絡め手を使ってたどり着くしかないってわけだ。

「さっきたん、この前の土曜なんだけど、あのあとどうしたのかなあって思ってさ。ほら、青大附中の女子の荷物持って、あれで帰ったのかなあって思ってさ」

 そうだ。なんとなく、気になって、聞いてみたのだってスタンスを崩さないでいこう。最初、やさしいんだけど堅い感じの話し方をしていたさっきたんが、ほわほわっとした口調で教えてくれた。がちがちしたおやつのチョコケーキをレンジでチンして柔らかくした感じだった。

「ううん、帰らなかったの。挨拶しなくてごめんなさい」

 甘い。柔らかい。やっぱりこういうとこがさっきたんだ。

「いや、なんとなくさっきたん、あの場所いづらかったのかなあって思ったんだ。俺も青大附中の人たちのことでばたばたしてたし、おとひっちゃんの手伝いもしたりしなくちゃいけなかったりしてさ」

 僕は受話器から繋がるぐるぐる巻きのコードをひっぱりまくった。指が落ち着かない。うまくさっきたんがひっかかってくれるとうれしいんだけどな。手ごたえがありそうでなさそうだ。

「あのね、佐川くん」  さっきたんはゆっくりと、僕の思ってもみなかったことを、ふんわり口調で言ってのけた。

「青大附中の人たち、保健室に行かなかったの。だって、保健室、土曜日、閉まっているんだもの」

 ──え! 保健室、閉まってたって、どういうことだよ!

 思いっきり黒いぐるぐる巻きコードを伸ばし、ぱっと離した。左手から力が抜けていくのがわかる。いやな予感の時っていつもそうだ。

「佐川くん、保健室にあの人たちが行ったって聞いた時に、もしかしたら迷っているんじゃないかなって思ったの。よけいなおせっかいだったらごめんなさい。でも、私もよく気分が悪くなって教室出て行くことが多いから、もしそういう時に、保健室が開いていなかったら困ると思ったの」

「保健室が閉まってるって、じゃあ、昨日もそうだったんだ?」

 保健室って年がら年中、保健の先生が座ってて、ベットも用意されているもんだとばっかり思っていた。だから立村にそう言ったのだ。

「そう。先生、いつも一時半くらいに帰ってしまうの。それで青大附中の人、やっぱり迷ってて」

 そうか、それは盲点だった。僕はあまり保健室にお世話になんてならないからあまり気にしなかったのに。

 いや、そんなことはどうでもいい。じゃああの二人はジプシー状態で水鳥中学校内をさまよっていたってことか。

「ひとりの人、本当に顔色真っ青だったから、私、用務員さんのお部屋に連れていったの。そこでしばらく寝せてもらって、それから帰ったらどうかしらって、勧めたの」

 ──無意識の意識ってすげえよ。

 僕はいつのまにか、昨日見損ねた場面を覗くチャンスをつかんじゃったらしい。

 怖いくらいだ、驚いた。

 さっきたんは気付いていない。やっぱり自分が何を話しているのかよくわかんないみたいだ。そういうおばかっぽいところも、僕がさっきたんと話をしててほっとするところだ。ふうん、それでそれで、と促した。

「バスケ部の友だちとかも、土曜の練習中に足をひねったり怪我したりした時、保健室が開いてなくて困ったってこと、話してたから覚えてたの。そういう時、いつも用務員のおじさんかおばさんがいるから、簡単な手当てしてもらうんだって。これ、内緒にしてねって言われてたけど、あのおじさんおばさん、いい人だからこっそり休ませてくれるのよ」

 知らないわけじゃない。うちの学校の用務員さんは夫婦者で、花を植えたり掃除をしたりと、いつもにこにこ笑顔が印象に残っている。よく石炭を運ぶために石炭置き場にいくと、僕の背が低いのを気にしてか、

「これ、持てるかな? 少し減らそうか?」

 とよけいなお世話をしてくれる。僕だって力はあるんだといいたいけど、親切で言ってくれてるのと、楽しそうな顔しているので言い返さず、減らしてもらっていたっけ。ほんといい人だ。

 いや、そんなのもどうでもいい。用務員室。

 ──おとひっちゃん、あの後用務員室へ、立村を連れていったはずだよな!

 だんだん繋がってくる。自分でも信じられない。自信なくしそうだった僕の頭が、だんだん「天才参謀」の誇りを取り戻しつつある。どうか、このまま自信よ復活しろ!

 頼むよさっきたん、教えてくれ、そう叫んでいた。

「じゃあ青大附中のふたりはずっと、用務員室にいたんだ」

「そうなの。一年生の女子が本当に具合悪そうで、おばさんも心配して、すぐにおふとんしいてくれたの」

「ふとんなんてあるんだ」

「そうなの、泊りこみのために用意しているんですって。一時間くらい、ずっと横になっていたの。それで一緒にいた二年の子が、委員長さん戻ってくるまで待っているってことで、一緒に付き添ってあげてたの。おかっぱの、可愛い感じの人」

 ──ああ、あのおかっぱの子か。

 となると、話は通じる。さっきたんが荷物を取りに生徒会室へ行ったのは、用務員室で休んでいる二人に持って行ってやるためだったのだろう。さっきたんにそう聞くと、当然の答えが返って来た。

「ふうん、さっきたん、頭いいよなあ」

 心臓の激しいとくとく音を聞かせないようにして、僕はのほほんと相槌を打った。

「ううん、私頭悪いわ。青潟商業第一志望だもの」

「それはそうと、さっきたん、その人たち、いつくらいまでいたんだっけ。一時間くらい、一年の女子がふとんで寝ていたんだよね」

 とうとうさっきたんは致命的な言葉を発した。本人がどう思っているかどうかわかんないけど、僕にとっては、逃げ道を塞がれたのとおんなじだ。

「うん、二年の女の子のお父さんに、車で迎えにきてもらうことになったので、二時間くらい一緒にいたわ。後で関崎くんと、青大附中の評議委員長さんが戻ってきて、それから帰ったの。私、昨日関崎くんと一緒に帰ったから、覚えているわ」

 ──おとひっちゃんと帰ったってか!

 ──二時間くらいって、俺と佐賀さんが学校にいた時か!

 ──あの時まだ、学校の中にいたのかよ!


「さっきたん、おとひっちゃんはその時、何か言ってたか?」

 僕は震える声を聞かせないよう、一生懸命のばしのばしして尋ねた。

「うん、いろいろ」

 ごまかしたってことがありありと分かる。ここはまだ突っ込まないで置こう。

「青大附中の評議委員長と、その女子ふたりは一緒に帰ったのか?」

「うん、もうひとり、佐川くんと話していた人、あの人が自転車で帰っていったのを見てから帰ったわ」

 ──俺と話していた人がって?

 指先に絡みつくのは黒いリング状のコード。汗ばんできた。

「関崎くんと委員長さんが、用務員室の窓から自転車を見ていて、『やっぱり帰ったな』ってぽつっと言ってたわ」

 心なしか、そこんとこだけさっきたん、ゆっくり目にしゃべっているような気がした。顔が見えないのがいらだたしい。もっとたくさん、読み取れただろうに。僕の中で走るものすごく速いコンピューターが、答えをたたき出すのに時間はかからなかった。

 ──八方塞りってやつかよ! ちくしょう!

 もうほとんどやけで、僕はさっきたんから根掘り葉掘り、用務員室での女子ふたりと男子ふたりの状況について聞き出すことにした。僕の直感はめちゃくちゃ鋭い。もう、自分でもいやになっちゃうくらいぱっと分かる。さっきたんのあいまいな説明でも、あっという間に答えが出てきてしまう。答えが、僕の願っていないものばっかりだとしても、関係ないくらいに。

「他の学校に来て病気になって、心細いだろうなあって思って、私も一緒に用務員室にいたの。ちゃんと委員長さんには伝えておいたんだけど、関崎くんも一緒にきてくれるとは思わなかったの。関崎くん、一年の女の子に一生懸命、なにか話をして、元気付けていたみたいなのよ。委員長さんが、『悪いけどふたりだけにしてやってくれないか』って言ったから、私とおかっぱの女の子と、あと委員長さんが用務員室を出たの」

 ──ふたりだけにしてやってくれないかって、じゃあ用務員のおばさんどうしたんだよ!

「うん、用務員のおばさんも、理由聞いて一緒に待ってくれてたの」  

  ちょっと待った。理由を用務員のおばさんに話したのは誰だろう?

「おかっぱの女の子。青大附中って先輩の子が後輩の子を可愛がる習慣があるんだって教えてくれたわ。お母さんみたいに面倒みてあげてたのよ。私もああいう風に、後輩に好かれたいな」

 さっきたんはその点大丈夫だ。いつもだったら太鼓判押してあげるんだけどそれどころじゃない。

「関崎くんと話をした後、その子、一気に元気になったの。ずっとそれまでにこりともしなかったのに、いきなりおかっぱの女の子に、一生懸命何かを話していたのよ。嬉しかったのね。おかっぱの女の子も一生懸命、一年の子の髪の毛撫でてたの。きれいな髪の毛で、うらやましかったな。後ろで委員長さんが、関崎くんに何かお礼みたいなこと言ってたのは覚えているけど、盗み聞きしちゃいけないと思ったから、私、聞かなかったの」

 その辺、曖昧な言い方だった。たぶん、さっきたんはすべて耳にするなり目にするなりしていただろう。それをあえて言わないのにはなにか訳があるらしい。

「そうなんだ、なるほどなあ。今回はさっきたん大手柄だなあ。すごいよ、さすがだよ」

 別の意味をこめて僕は、たっぷりさっきたんを誉めた。何度も歯を食いしばっていたなんて、僕は決して言えなかった。


 だいたい事情はつかめたところで、最後の本題に入った。聞き出しにくいことだけど避けられない質問だ。

「さっきたん、俺とおとひっちゃんとのこと、知ってる? 知ってるよね」

 ほわりほわりと語ってくれたさっきたんが、ふと黙った。せっかく膨らんだおいしい匂いが、抜けてしまった。

「理由ももしかしたら知っているかもしれないけど、俺とおとひっちゃん、今、険悪なんだ。知ってる?」

「あまり、詳しいこと、わからないから」

 途切れそうなかすかな声だった。

「けど、俺、おとひっちゃんと仲直りしたいって思ってるんだ。それはわかってくれるかなあ」

「うん」

 少し元気が出てきたみたいだ。よかった。

「それでなんだけど、さっきたん、今、おとひっちゃんから電話があってさ、明日一緒に駅前に来てほしいって頼まれたんだ。さっきたんと一緒にって言われたんだけど、それって何かあるのかな? おとひっちゃん、さっきたんには話をつけてあるって言ってたけどさ」

「……ごめんなさい」

 ほんとに受話器の向こうから流れる雑音にかきけされそうな声だった。知っているはずだ。何かおとひっちゃんたくらんでいるんだろう。目の前にさっきたんがいるんだったら、あの手この手を使って聞き出すところだけど、自分の中のレーダーが、避けるようなサインを出している。

「理由、教えてもらえないかなあ」

 まずはストレートに。

「……ごめんなさい」

「じゃあ、いつ? おとひっちゃんと話、した? 土曜日の帰り?」

「ううん、電話で、今さっきなの」

 ──電話かよ!

 僕がどれだけ驚いたかって、わかってもらえないんじゃないかと思う。

 おとひっちゃんが、なんとさっきたんに電話をかけたんだ!

 一緒に帰っただけでも信じがたいことなのに、それに加えて、電話まで。たぶん小学校時代の学級文集末尾の卒業生住所一覧を漁ったに違いない。あのおとひっちゃんが、自分の持つ勇気を全部振り絞って、さっきたんの電話番号をダイヤルしちゃったってわけだ。

 ──おとひっちゃん、本気だ。

 ──逆らえないよ。

 さっきたんはどこまで知っているんだろう? 

 これ以上質問を続ける気力、持っていなかった。一刻も早く、部屋の鈴蘭優のポスターと顔つき合わせて相談したかった。おとひっちゃんの考えていること、さっきたんの知っていることをみな整理したかった。

「きっと、仲直りしたいからだと思うの。それで、佐川くん、ひとつだけお願いしていいかしら」

 ささやくような声で遮られた。僕は頭の中の「鈴蘭優」ポスターを打ち消した。

「明日、私、佐川くんをびっくりさせるようなことしても、驚かないでほしいの」

「え? 俺を驚かせるようなこってなんだよ」

 また、黒い予感がざわざわとする。口篭もるさっきたん。咽のところで、言葉を押えているような、くうっという音が聞こえる。でもさっきたんの口調ははっきりしていた。

「終わったら、ちゃんと佐川くんとふたりになった時、話します。だから、それまでは何も言わないでほしいの」

 ──なんだよ、その秘密めかした言い方って。

 おとひっちゃんも、さっきたんも、何かを仕組んでいる。おとひっちゃんが言うに、僕は理由を知る権利がないんだという。だいぶ想像がつくけれども、肝心要のところが読み取れない。さっきたんが言うに、僕を仰天させるようなことをするらしい。

 ──俺、おとひっちゃんに落とし前つけられるってことなのかよ。けど、あいつのためにやったことなんだよ。おとひっちゃんがあの杉本さんって子を嫌っているのがわかるから、水鳥中学生徒会に近づけないようにしようとしただけなんだよ。おとひっちゃん、わかってもらえないってのはわかってるつもりだけど、けどさ。俺はおとひっちゃんのことが大好きなんだよ。

「じゃあ、明日、よろしく」

 本気でさっきたんを問い詰めたら、きっと白状しただろう。なんとなく黙っていた方がよさそうな気がした。こういう時の予感は当たる。とにかく流れに任せて様子を見ても間に合うだろう。受話器を置いてしばらくさっきたんの言葉を思い起こし、ベットに横たわった。天井の鈴蘭優が目の前でぼやけるように視点をずらし、頭の中を片付けることにした。


  立村とおとひっちゃんがどうして用務員室に行ったのか、ひとつめの理由は判明した。

 杉本さんともうひとりの女子が一緒にいて、立村を待っていたからだろう。おとひっちゃんじきじきの案内でだ。

 けど、僕を殴りつけた後立村は、

「ひとつだけ条件を飲んでもらえないか」

と言わなかっただろうか。

 おとひっちゃんも、

「お前の言う条件は飲む」

と、なんとかのひとつ覚えみたいな感じで繰り返していた。

 立村の出した条件っていうのは、いったいどんな代物だったのだろう?

 思い当たるのは、杉本さんがらみのことだろうか。さっきたんが言うには、おとひっちゃんと杉本さんをふたりっきりにして、何か話をしていたらしいということだ。大人である用務員のおばさんまで追い出して、ふたりっきりにする理由ってのはいったいなんだろう?

 しかもその後、杉本さんは病人状態から一気に回復し、おかっぱの女子に楽しげに報告していたという。

 おとひっちゃん、何か杉本さんを喜ばせるようなことを言えと強制されたのか?

 ──おとひっちゃん、あいつに脅されて、まさか杉本さんと付き合うなんてこと、考えているんじゃないだろうな!

 背筋が寒くなるのを覚えた。風邪じゃない。


 立村に殴られた頬をさすった。一緒に罵られた言葉をセットで思い出した。

 ──そんなにあの子が目障りか。

 ──目障りなのはわかっているさ。けど、消えるわけにはいかないんだ。

 おとひっちゃんに杉本さんがベタぼれなのはよくわかった。非常識な化粧なんかして学校にくるくらいだ。相当なもんだろう。  

 けどおとひっちゃんの想い人は、誰が見ても明らかなさっきたんだ。

 もっというなら、おとひっちゃんは杉本さんのことをめちゃくちゃ嫌っているはずだ。僕ほどではないにしても、近寄りたくない女子のひとりとして認識しているはずだ。僕にはお見通しだ。おとひっちゃんにとっても、杉本さんは目障りな女子のはずだ。 

 つくづく思ったんだけど、立村の杉本さんに対する関心は、尋常じゃない。お気に入りの後輩って域をはるかに越えている。男子の恥になりそうな言い訳までして追いかけるなんて、僕には理解できない。佐賀さんが話していた通り、好みの差っていうのもあるだろう。僕からしたら

「そんなに杉本さんが好きだったら、迷惑かけないように保護してどっかに連れて行け」

と言いたい。佐賀さんだって、おとひっちゃんだってそうして欲しいに決まっている。  

  それをだ。

 立村はおとひっちゃんに土下座させて、要求を飲ませようとしたんだろうか。

 杉本さんの望みをかなえてやってくれとでも言ったんだろうか。

 それってやり方が汚すぎる。僕のしたことなんかよりもずっと、人間として許せないことだ。  

  大嫌いな相手を無理やり好きになってくれ、なんて、残酷だ。

 ──どう思う? 佐賀さん。

 鈴蘭優のポスターもとい、顔だけは佐賀さんのイメージ。語りかけてみた。

「やっぱし、変だよな!」

 声を出してみた。天井に響いた。

 もちろん、これは僕の直感に過ぎない。外れている可能性だってある。けど、立村の言動を考えると、可能性としてはゼロじゃないような気がする。おとひっちゃんは僕のしでかしたポカをかばってくれた。責任を感じておとひっちゃんは、自分のしたくないことをしようと決意したんだろうか。立村に頭を下げて、僕を守ろうとしてくれたんだろうか。

 ──どうなんだよ、おとひっちゃん。

 あいつが僕と絶交するつもりなのか、それともまだ親友でいさせてくれるのか。わからない。

 けど、さっきの電話の内容だと、全く救いがないわけではなさそうだ。

 ──俺が謝りたいのは、おとひっちゃんにだけなんだ。あんな奴らには意地でも頭なんて下げるもんか。

 ──佐賀さんをいじめた奴らを、誰が。

 僕は目を閉じた。眠ればいい案が浮かぶ。僕の経験法則だ。


 次の日は終業式だった。ろくでもない通知表の結果に、少々やさぐれていた。

 だって、青潟商業・工業ともにボーダーラインときたもんだ。三年になってから取り返せばいい、って楽天思考で行きたいとこだけど、今夜はずっと説教を食らうはめになるのがうっとおしい。帰りたくない気分だった。

 いつもだったらおとひっちゃんと一緒に、どっかバッティングセンターあたりで気分爽快になってくるんだけど、そんな脳天気なことを考えていられる状況じゃないことは僕が一番わかっている。はい、もちろん行きますよ。駅前に、十一時半。気が重い。


 終業式、先生のお言葉、および四月の組替えに関する情報などが教室の空気に入り交じった。四月には組替えがあるのでいきなり名残惜しそうに固まっている女子もいた。今度はおとひっちゃんとおんなじクラスになれるんだろうか。いや、なったらかえってしんどいかもしれない。いろんなことを考えながら、僕は通知表をしまい込んだ。向こう側の席にいる、さっきたんへ目で合図した。できるだけ他の連中に気付かれないよう、さりげなく、かばんを上に持ち上げ、首を曲げた。さっきたんは鋭い。気付いてくれた。いつものおさげ髪のままで、廊下に向かった。終業式の日は週番のお仕事もないらしい。

 別々に教室を出た。

  当然、おとひっちゃんとはまだ話をしていない。二年四組の教室を覗いてみたけれども、すでにおとひっちゃんも姿を消していた。きっと生徒会室に寄っているに違いない。

 さっきたんの家の前を、どうせ駅前に行く時には通る。それならめんどうじゃないしってことで待ち合わせ場所をさっきたん家前に決めてあった。



 さっきたん家の前には、鉢植えの黄色い貧弱な花が首長く咲いていた。ぎざぎざした葉っぱが何重にも土にかぶさるくらい積み重なっていた、見覚えあるんだけどなんだか記憶が曖昧だ。玄関で待っているとさっきたんがすぐに出てきた。すごい勢いで着換えたに違いない。水色のブレザーに紺色のスカート姿だった。服だけだったらやっぱり、水鳥中学の典型的校則美人のさっきたんのままだった。

 けど、ひとつだけ違っている。

 うさぎの耳が折れているかと思った。

「ごめんなさい」  

  少しくるくるっとくせがついた髪の毛だった。広がっていて、歩くたびにぶるんと揺れた。

「さっきたん、その髪の毛」

 ──なんで、ふたっつに結んでる?

 言葉がそれ以上でなかった。さっきたんは唇を結ぶと、また首を振った。

「今は聞かないでね。あとで、ちゃんと話します」

 さっきたんの髪の毛は、お下げじゃなかった。小学生の子みたいに見えた。ふたっつにむすんで垂らした、犬みたいな髪型だった。

 ──土曜の、佐賀さんだ。

 はつかねずみみたいなおちょぼ口に、その髪型は子どもっぽく似合っていた。


 何かを話さないとまた変なこと思われてしまうかもしれない。僕は目についた、門の黄色い花を指差した。

「さっきたん、あの花、何?」  

  立ち止まり、じっとさっきたんは僕の視線を追いかがみこんだ。花を二本指でつまむようにして、そっと口付けるようなしぐさをした。

「佐川くんが持ってきてくれた、葉牡丹の花よ」

「葉牡丹?」

 二月に受け取った時にはずいぶん気持ち悪い花ですぐに手放したかったあの花だ。

 さっきたんに押し付けた、あの葉牡丹だ。

 いやあな気持ちになりそうだった。けど、僕が受け取った時とは違い、葉っぱもすっかり花じゃなくて、ちゃんとしたただの「葉」って感じになっていた。むしろ、茎が長くて別の意味で不気味だった。さっきたんは全く気にしていないようだった。首をかしげて、また髪をふるると振るった。

「本で調べたんだけど、うまく冬を越したら、黄色い花が咲くんだって。もう少しで満開になるんだってうちのお父さんが言ってたわ」 「え、あれ、花ってあの毒花じゃないの?」

 ぎざぎざしていて、赤ともいえない気味悪げな花。持ってきた彼女に重なるような、具合悪くなりそうな花。さっきたんには似合わない花。

「ううん、あれは葉っぱよ。『棟がたつ』って言うでしょう。葉っぱの中から一本、するするっと茎が伸びてきて、菜の花みたいな花をたくさんつけるのよ。葉牡丹はその頃には、ふつうの葉っぱになるの」

 良く見ると、葉っぱは茎の周りに一枚ずつ、間隔を開けて重なっている。花だった頃の面影なんてなかった。

 天辺にくっついているのはなんだか小さくて、きれいなのかどうなのかわかんない、地味な花だった。黄色い、手のひらにちょこんと乗っかりそうな花びらだった。

「つまんない花だなあ」

 思わず口からもれた。

「そう? でも、もっと温かくなったらたくさん花が咲くから、きれいよきっと」

 さっきたんは気にしない風に答え、また歩き出した。僕も追いかけた。  完全に僕の心臓は別の音を立ててがなりたてていたに違いない。


 どうして、さっきたんはあんな髪型してきたんだろう。小学校の頃から、さっきたんのお下げ髪はトレードマークだった。クラスの女子たちだって中学に入ってからは、こんな派手な髪型なんてした奴、いなかった。どうして細かくパーマかけたように広がっているのかわからないけれど、僕の知らないさっきたんと歩いているようにしか思えなかった。

 ──さっきたん、なんかあったのかよ。

 思い出すものといえばひとつだけ。

 佐賀さんのことだけだ。

 僕と夕陽を見ながら、見つめ合ってしまった橙色の時。  

  女々しくて情けないけど、あの時そのまんま、止まってほしかった。

 ──立村にぶちこわされなければ!

 また腹が立ってきてしまう。よけいなことを思い出してしまう。けどどうしてだろう。

 うちの店の前を通った。もちろん、足早に通りぬけた。さっきたんと歩いているところ、父さんに見られたらきっと、僕のことを女たらしだと思い込むに違いない。

「佐川くん、あのね」

 ずっと通知表の結果と、志望校の話をしていた時、不意にさっきたんが切り出した。

「昨日話したことなんだけど、もう一度、約束してほしいの」

 何も、青潟駅前の横断歩道前で言うこともないだろう。せっかく信号が青なのに。仕方なく僕は立ち止まった。

「とんでもないことしても、おどろくなってことかなあ」

 さっきたんは黙った。少しうつむいた。ちょっと頬が赤くなっていた。耳みたいなふたっつの髪束が、僕の方を目、見たいな感じでにらんだようだった。

「俺と関係あることだよね」

 頷いた。 「どうしても、今、言ってもらうこと、できないのかなあ」

 やっぱり無言だ。ただだんだんうつむく角度が深くなっていって、耳のところがずんずん僕に近づいてくる。

「あとで、ちゃんと、話してくれるよね」

 顔を上げてくれた。びっくりした。僕の見た中で一番、さっきたんの瞳がぎらぎらしていたからだった。はつかねずみの瞳というよりも、兎の赤い血走った瞳、と言った方が近いんじゃないだろうか。言い返せなかった。

「約束します。だから、佐川くんも約束してください」  

  僕は小指を出した。黙ってさっきたんは自分のをからげてきた。こうやって手を触れ合うのは小学校以来だった。

 あたたかくて、やわらかかった。ずっと触っていたかった。

 

  無事横断歩道を渡り、青潟駅入り口に立った時、頭の中から答えがぴょんと飛び出した。

 コート姿で制服は見えないけれど、今はふたつの中華娘髪をして待っているあの人がいた。一緒に立っているのは、背の高いジャンバー姿の男子。隣りには、僕の顔を水道に押し当てた、あいつがいた。みなじっと、僕とさっきたんを六つの瞳で見据えていた。一歩ずつ歩いていくにしたがってじんわりと突き刺さった。

 ──そういうことかよ。おとひっちゃん。

 蝋人形が一体、混じっていないのが意外だった。    

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