ライルとチャーリィ「Lyle~エイリアン物語~」その後
「Lyle~エイリアン物語~」のその後のお話です。おまけです。BLや性的表現があります。苦手な方ご注意ください。Lyle~エイリアン物語~でお気持ちが完結した方には、蛇足な感じになると思いますので、どうぞご注意ください。
2307年、12月15日。
銀河連盟全権執政官チャーリィ・オーエンはこの日付で、全銀河に対し辞任の表明を送った。誰が何と言ってきても、彼には撤回する気はなかった。
同時に、次代執政官に、アルフレッド・ハーレィ・ブルーを推薦する。客観的に、公正な見地から見ても、最適任だと自信がもてるからだ。
新執政官発足の折には、年号を改め、新世紀として欲しいとも加えた。心を切り替え、新しい時代へ進むのだという願いを込めて。
未曾有の災厄から数えて四十一年。チャーリィは82歳になっていた。いまだ、銀河は大きな痛手を抱えていたが、それでも、着々と輝かしい未来へ向けて、確かな足取りで進んでいた。
静かに過去を回想する。懐かしく親しい友の多くは、災厄の時に命を失っていた。生涯愛してきた愛しい者ライル・フォンベルト・リザヌールもまた。
生き残ったのは、チャーリィのほか幾人もいなかった。
絶望に傷つき、全てを失った銀河の人々を、導き統率して行くのが、彼に課せられた使命だった。
彼は歯を食い縛り、自らを叱咤し、今日まで走り続け、そして遣り遂げて来た。
――だが、もう、降りてもいい頃だ。
窓の外は、闇が降りていた。災厄時に地球に遷移させた銀河連盟本部の専用ポートの明かりが横一面のテクタイトガラスに映る。百二十階のこの執務室は、夜の闇にあると、地上の灯りは遠くなり、星空がぐっと近くに寄って来るような気がする。
彼は敢えて、部屋の灯りをつけずに、夜の空を見上げた。
真っ白になった髪と、これまでの長い辛苦で深いしわの刻まれた厳しい顔を、執務机の淡く灯った照明が柔らかく包んでいた。ぜい肉のないいまだ引き締まった体躯は、腰も曲がらず背筋もしゃんと伸びてはいたが、それでも、82歳の老いを隠すことはできない。
冬の空にオリオン座が、これまでのように変わらぬ姿で輝いている。だが、もうその場所には、オリオン大星雲はない。ライルと一緒に失われてしまった。
突然、チャーリィはあの最後の時に彼が言った言葉を思い出した。
『君を迎えに行くから』
――確かに、そう言った。なぜ、忘れていたのだろう? いや、次に言われた言葉で、頭がいっぱいになってしまったせいだ。あいつは、言った。
『愛している』と。
――それを聞いて、私はもうほかのことは考えられなくなってしまったのだ。あれはどういう意味なんだろう。ライルはバリヌール人だから、決して嘘や気休めなど言わない。いつでも本気の言葉だ。
『結婚して、子供を作る』
――そう言った時も、一時の夢を見させるための冗談だと、てっきり思っていた。だが、奴は本当に作って、送りつけてきた。
ライルは、本当に私を迎えに来てくれるのか? 奴は、まだ、何処かで生きているのか?
それなら、どうして、逢いに来てくれないんだ?
アルフなんか、もう、40になったんだぞ。
孫のレイなんか、可愛い盛りじゃないか!
私は82だ。早く来てくれないと、間に合わなくなるぞ!
それとも、こんなに老いぼれてしまったんで、来てくれないのか?
それとも、私が死んだ時に、魂魄を迎えに来るという意味なのか?
だが、ライルはそもそも、そういう宗教的なことは理解しようとしなかったはず。奴は、私以上に現実派だ。
チャーリィの中で、想いが乱れる。
その時、廊下を足音が近づいてきた。規則正しい軽やかな足音。
その足音は、チャーリィも良く知っている。41年の歳月が過ぎても、よく覚えている。忘れるわけがない!
ドアが開かれる。
チャーリィが知る、夢に何度も見ていた、忘れるはずのない彼がにっこりと微笑んだ。
「やあ、チャーリィ」
その時、チャーリィは悟った。自分はずっとこの時を待っていたのだと。
「待っていたよ。ライル」
言葉が自然に零れた。当たり前のように。
ライルは、41年前に別れたままの姿だった。あの頃と同じ二十歳そこそこにしか見えない。それが、するりとチャーリィの側にくると、両腕を首に回し熱く唇を寄せてきた。
夜の窓に、二人の抱擁する姿がしばらく留められた。
「本当に、お前なのか? ライル」
こうして抱き合いキスまで交わしてさえも、チャーリィは信じられない思いだった。
「当たり前じゃないか。誰を抱いていると思ってるのだ?」
「お前はてっきり、この宇宙から消えてしまったと思っていたよ。これまで、どうして逢いにきてくれなかったんだ?」
「説明すると長くなるのだけれど……。端的にいうと、僕が再生されるまでに、ここまでの時間がかかったということだね」
「再、生?」
チャーリィはライルを身から引き剥がすと、しげしげと見る。
なんとなく、これ以上聞きたくなくなってきた。
だが、ライルはそこらへんは、いつもながら容赦がない。
「無数に分裂して、最終的に消滅するのは知っていたから。分裂素基を二つ作った」
――止めろ! もう、いい!
「一つは、チャーリィ。君の遺伝子を和合させた、君の子供としての胚を作った」
――アルフレッドになったよ。
「で、もう一つは、僕だけの遺伝子で分裂させた僕自身の胚を作ったんだ」
――やっぱり、こうきたか……。
「バリヌール人の分裂素基は、完全な僕自身の分身だ。全ての記憶がそのまま、移行される」
――でも、お前は、以前のお前では、ないはずだ。
その考えが聞こえたみたいに、彼は首を傾げた。
「変なこと考えてるね。僕は、君の知る僕ではないって思っているね」
「そうじゃないのか?」
「ゾウリムシって知っているか? 地球の微小生物だが」
「生物学は、あんまり詳しくないのでね」
ライルが出来の悪い生徒に講義するように説明する。
「僕達の繁殖は、あの生物に似ている。ゾウリムシは、自分自身を二つに分裂して、増える。その時、もとのゾウリムシと、二つになったゾウリムシは、違うものかい? 同じかい?」
「う……。 ど、どうだろう……」
チャーリィは混乱して、言葉を詰まらせた。
「僕は、その二つに分かれた一方なんだよ。分裂する直前までの記憶は、全てそのまま持っている。ただ、一つの単細胞の胚だったから、それが完全に同じ状態にまで成長するのには、同じだけの時間、40年間が必要だった」
「では、最後に、私が逢いに行ったのは、覚えていないのか?」
「最後に、君の精子を受け取った後は知らない。僕はあの直後に分裂したんだ」
やっと認識がきて、チャーリィは愕然とする思いがした。
「では……、では、私を迎えに行くって言ったことも、そのあとの言葉も、覚えがないわけか?」
「もう一人の僕が言ったんだね。僕が成長したら君に会いに行くと知っていたから、そう言ったんだ。きっと、僕だってそう言ったろう。で、そのあとの言葉とは?」
ライルが小首を傾げて訊いてきた。それへ、厳しい目を向ける。
「言えないな」
「教えてくれないと、わからないよ」
だが、チャーリィは頑なに拒否した。
「絶対、教えない。それが解らないってことは、やっぱり、お前は、あのライルじゃないってことだ。お前は、私が愛したあのライルでは、ない。 私が愛したライルは死んだ。お前は、別人だ!」
チャーリィは立ち上がって、ライルから離れた。おぞましいものを見るような目で見る。
ライルは当惑した表情を浮かべた。
「僕は全く同一なんだよ。完全分裂なんだ。区別なんてない」
だが、チャーリィはきつい眼で睨み続ける。
「バリヌール人の生殖を、初めから説明しなければ納得してもらえないのか?」
これは、時間がかかりそうだ、とライルも覚悟したようだ。
「ここではゆっくり話せない。君が辞職を出したことは知っている。だから、迎えにきたんだ。僕の船に行こう」
チャーリィの手を取ろうと、ライルは近づいて手を伸ばした。チャーリィはその手を冷たくぴしゃりと払いのけた。
「触るな!」
さすがに、ライルもちょっと傷ついた表情になった。その顔を見て胸がちくりと痛んだが、それでも頑なに拒絶する態度を崩さない。
「頑固だな、君も。でも、僕はどうあっても君を連れて行くよ。ガルドの地球環境ドームで、僕は君と約束したんだ。全てが終わったら、きっと、一緒になると」
そういえば、そんな事を言われたような気もする。今となっては、ずいぶん遠い昔だ。
だが、それが、こんな形での実現になるとは、考えてもみなかった。
「僕には、君が必要だ。僕はまだまだ未熟だ。成熟し完成されるには、まだ、時間がかかる。しかし、僕だけでは完成されないことがわかった。バリヌールの遺伝子だけでは、完成されない。レオンハルトの遺伝子でも、不十分だった。完成されるためには、君が不可欠だ。君とともに在って、初めて僕は『生命』として、完成される。わかってくれ。僕と一緒に来て欲しい」
「私は、もう年だ。82なのだぞ。この先、どれほど生きられるのかもわからん。明日でも、死ぬかもしれない。お前と一緒に行くなんて、そもそも無理なのだよ」
「そんな心配はいらない。僕の科学力を信じてくれ」
ライルは再度手を伸ばした。だが、チャーリィは触れられまいと、後退る。
「近寄るな! いいか。私はお前をライルとは、認めん。お前は……化け物だ!」
「ほんとに、君は頑固だね。昔とちっとも変わらない」
呆れたように言うと、何気に手をチャーリィに向けた。不意打ちだった。目の前が光ったと思うや、彼の意識が消えた。
***
意識が戻った時、チャーリィは自分が横になっている事に気づいた。柔らかいシーツの上で、弾力の強い固いベッドに寝ていると解る。
だが、手を動かそうと思っても、なぜかひどく重たく、ぴくりとも動かない。身体全体が重くだるかった。まるで、自分の身体ではないような感じだった。
眼だけを動かして、周囲を確認する。普通の部屋ではない。乳白色の柔らかい印象の素材の壁に囲まれている。
こんな感じの壁は、前にも見たことがある。ライルの船だった。オリオン座の真ん中の。
では、ここは、奴の船の中なのか? 私は、奴に拉致されたのか?
振動も機動音も全くなく、静かだった。動いていないのだろうか。だが、何となく、既に宇宙に出ているような気がした。
自分の逃亡を防ぐならそれが一番効果的なはずだから、と、皮肉な思いで考える。
そこへ、奴が来た。
「気分はどうだ? チャーリィ」
屈託ない表情で訊ねる。その顔は、まるっきり彼の記憶にあるライルと一緒だった。
「いいわけないだろ。最悪だ。なんなんだ? 全く動かないぞ。何をしたんだ?」
「もうしばらくたてば、動けるようになるから」
「驚いたな。仮にも、バリヌール人が、こんな年寄りを誘拐するなんてな。どうする気なんだ?」
チャーリィは眼に殺気をこめて睨んだ。鋭利な刃物と例えられる眼である。この眼で睨まれると、どんな男も生物も脅えて怯む。
だが、やはり、この男にはまるで通じなかった。むしろ、逆にうっとりとした表情になって、チャーリィを面食らわせた。
「君らしい目だ。嬉しいな。とても懐かしい。僕はずっと40年間、羊水のタンクの中で、その眼を夢見て居たんだよ」
そして、彼のベッドの横に腰かけて、顔を覗き込んできた。チャーリィの心にいつもともにあった美貌を間近に見て、思いがけず胸が高鳴ってくる。
「バリヌールの話をしよう。僕達バリヌール人が、分裂型だってことは話したね。これは、僕達の遺伝子に記憶が記録され、知識が保存されることに、深く係わっている。僕達は分裂することによって、それらを、そのまま新しい胚に伝える。ゾウリムシが二つにその身を分裂させて2個体になるのと、実質的に変わりがないんだ。むろん、僕達バリヌール人は単細胞生物じゃない。まるっきり、その身を二つにわけることはできない。だが、重要なのは、二つに分かれた遺伝子なんだよ。分裂した胚は、全く同質の、全く同じ知識と同じ記憶をもっている、同じ個体なんだ。片方側は、単細胞ではあるけれどね。その遺伝子が入っている入れ物は、さほど重要じゃない。遺伝子こそが、個人の存在そのものなんだよ」
そして、彼は熱い視線でチャーリィを見つめてきた。
「僕は、君と過ごした全てを覚えている。君に愛された全てを覚えている。君と交わした言葉も、君がいつも傍に居てくれたことも、苦しんでいた僕を助けてくれたことも。そして、君が想いをずっと隠してきた、その苦しさも」
そこで、言葉を切ると、想いをこめた瞳でチャーリィの緑灰色の視線を絡めとる。
「でも、地球人である君には、やはり受け入れ難いのかもしれない。だから、もう一度やり直そう。僕と、もう一度最初からやり直すんだ。時間はたくさんあるから」
ライルは顔を寄せると、唇を重ねた。その唇は紛れもなく、彼の記憶にあるライルのものだった。
そして、じっとチャーリィの顔を見つめて、囁くように告げた。
「愛している。チャーリィ……」
「ライル!」
チャーリィの胸に歓びが弾けた。ライルなのだ。ここにこうしているのは、紛れもないあのライルなのだ。彼は蘇ったのだ。
彼を抱き締めようとして、唐突に身体が動くことに気づいた。
それと見て、ライルの眼が細まった。待ちきれなかったように服を脱ぎ捨てて、ベッドに横たわるチャーリィの上に乗ってくる。
チャーリィは焦った。
「ま、待て! 私は、高齢なんだぞ。お前のその身体で、セックスしたら……、お前は、きっと手加減なしでくるだろうから……、私は腹上死してしまう! 心臓発作を起こす! 無理だ!」
「誰が高齢だって?」
ライルがにやっと笑った。
「お前にとっては、82歳なんて、まだまだ青春真っ盛りかもしれんが、地球人にとっては、後期高齢者なんだ。年金だって出るんだぞ!」
「チャーリィ、自分を良く見てみるんだ」
「え?」
チャーリィは自分の手を見た。
「ええ?」
ライルを押し退け、身体を起こす。彼は素っ裸だった。その腹や脚を見る。
「ええええ??」
立ち上がって、鏡を探す。隣に衛生室を見つけて駆け込んだ。
「☆△♀♂∑∧¥∨∽!!」
中から、チャーリィの素っ頓狂な叫びがあがった。
鏡の中の彼は、赤い髪も艶々と、どう見ても20台前半に見える。
「どういうことだ?」
衛生室のドアに寄りかかるようにして、同じように素っ裸のままのライルが答えた。
「君が気を失っている間に、改造させてもらった。地球人のままだったら、とても、僕と一緒の時間を過ごす事ができない。地球人の寿命は短いからね。僕は、君とずっと時の果てまで一緒にいたい。なので、一部、遺伝子改造を施した。君の体調整レベルは、僕と同じだ。僕と同じように、シャランの遺伝子も合成しているから、再生も完璧だ。事実上、不死といってもいい」
唖然としたまま、チャーリィが問う。聞くのがちょっと怖い。
「俺はどれだけ、眠っていたんだ? つまり、気がつくまで、どれだけ時間が経ってるんだ、ということだが……?」
「三週間だ。それだけの時間が必要だった」
「では、地球では、連盟では、俺が失踪したと、大騒ぎになっているんじゃないか?」
「君は、もう、死んだ事になっている」
さらりと、ライルがのたまった。
「その姿では、もう、みんなの前に出られないだろう? みんな、混乱してしまう。なので、全銀河に向けて、君が死亡したと入れておいた。ネットでも、すっかり拡散しているだろう」
「…………!」
チャーリィは開いた口が塞がらない。
「ああ、ミーナは事情を知ってるよ。会ってきたからね。それから、アルフレッドとレイにも逢ってきた。なかなかいいソル人になっていたね。頼もしいよ。レイが僕そっくりだったんで、びっくりしたよ。隔世遺伝かなあ」
のんびりと言う、この傍若無人で、厚顔無恥で、恥知らずで、自分勝手なバリヌール人を、茫然と眺めていたが、ついに怒鳴りだす。
「お前は! お前は、なんでこんな勝手なことを! 俺に一言も断りなく……! 行かないからな! 俺は、こんりんざい、お前と一緒になんか、行かないぞ! 俺の余生を返してくれ!!」
ライルは小首を傾げて、しらっと告げた。
「もう、無理だよ。君は82歳の君には戻れないし、全てが終わってしまっている」
「それでも、いい! 俺は、地球に帰る! 可愛いレイが、俺を待っているんだぞ!」
入り口を塞いでいるライルを乱暴に押し退けて、寝室を出て、コクピットと思われるドアを開けた。
前面の大きなスクリーンに、白くまばゆい恒星がいくつも輝いている。光輝が強すぎて、濃度の高いガスが青白くみえた。
「どこだ?」
唖然と突っ立つチャーリィの背後に、ライルが来て答えた。
「大マゼラン星雲だ。素晴らしい景観だろ? 今まさに星々が形成されつつあるんだ」
そして、チャーリィの背中にぴったりと重なるように身を寄せて腕を回し、抱き締めてきた。
「いろいろな世界を見に行こう。もう、深淵を恐れる必要もない。君とだったら、何処へでも行ける。宇宙の果てまでも、時の終わりまでも」
チャーリィはついに降参した。
ライルに逆らえるはずないのだ。恋する男は、いつでも弱いものだから。
チャーリィはライルに向き直ると、力一杯抱き締めて、その馨しい唇に唇を重ねた。
抱擁し合う二人を、誕生したばかりの恒星とこれから星になる星雲が光り輝いて照らしていた。