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六章-15.5話

乙葉はぽかんと顎を落とした。


たっぷり三十秒ほど惺壽の言葉の意味をかみ砕き、それから棒読みで尋ねる。


「それ、膝に座れってこと?」


「いかにも」


「……なんで」


「他に適当なものがないのだから致し方あるまい」


 惺壽はどこ吹く風といったように答える。表情にも口調にも動揺は欠片もない。


 狼狽しきっているのは乙葉一人だ。先ほどからへんな汗が止まらない。



「だ、だからって惺壽の膝に乗ることはないんじゃ……」


「重ねるようだが、他に目ぼしいものが見当たらない。苦肉の策だ」


「く、苦肉?」


 苦肉っていうのはもうちょっとこう、切羽詰まった状況下で使う単語じゃないだろうか。


「今さら遠慮もないだろう。散々人の背を乗り回してきたのは誰だ?」


「き、麒麟姿の時と今を一緒にされても……!」


 そうだ。

 馬だか鹿だかみたいな姿の時と、今の惺壽はまるで違う。

 獣の姿ならば、触れることや乗ることにそう躊躇いはない。

 しかし今の彼は人の姿だ。

 それもとびきり優美で精悍な。

 白い月光を頬に受けるその姿が、秀麗に艶美に映る。


(え、ど、どうしたら……)


 乙葉は硬直していた。

 そんなこちらを見上げ、惺壽の唇の端がわずかに上がる。

 

 その様子を見てピンときた。


(――まさか、もうからかってる?)


 つまり、惺壽はわざと乙葉を困らせることを言って、その反応を楽しみたいのだろう。


 膝に乗れなんて本気じゃないのかもしれない。

 ここで動揺したら彼の思う壺なのだ。


(な、なんでこんな時にまでこんなからかい方するのよ、この人……! 一緒にいられるのはあと少ししかないのに……!)

 

 こんなことを言い出せば乙葉が怒り狂うと想像しなかったのだろうか。

 いや、それを楽しみたかったのだろうが――。


 そこまで考えてはたと思い当たった。


 そう――あと少ししか、時間は残されていないのだ。


「…………」


 乙葉は唇を噛んだ。


 そうして顔を俯け、とことことこと惺壽の隣に引き返す。


 脇息が置かれていない側に回り込むと、薄青の瞳が不思議そうに見上げてきた。

 微妙に視線を逸らし口を開く。


「……す、座るわよ」

 

 ぼそっと言った。我ながら素っ気ない声だ。


 返事を待つ間に、怜悧な双眸が一つ瞬きした。



 そうして――惺壽は吐息を落とすようにふっと笑った。

 ついていた頬杖を悠然と解いて体を開く。


「どうぞ?」


 促すように小首を傾げられた。座りやすいように場所を空けてくれたらしい。


 白一色の細身の袴に包まれた脚は嫌味なほど長い。

 それを直視できずに乙葉はしゃっきり背筋を伸ばして再び宣言する。


「本当に座りますけどっ」


「ご自由にどうぞと言っている」


 平坦な声が聞こえた瞬間、さりげなく手を引かれる感覚とともに視界が反転した。


(ひゃ……っ)


 気が付けば、いつのまにか肩や頬のそばに、圧倒的な体躯の気配がある。

 視界に映るのは投げ出された自分の両脚と、冷たく光る床だ。


 どうやら自分は惺壽の膝の上に横向きに座っているらしい。


(あああー……やっちゃったー……)

 スカート越しに、逞しく引き締まった二本の脚の感覚をまざまざと感じながら、乙葉は両手で顔を覆って俯いた。


 惺壽の膝の上に座ってしまった。

 せめて後ろ向きに座ればよかったのかもしれないが、今さらもぞもぞ動いて位置を入れ替える勇気もない。


 それともやっぱり退こうか。今ならまだ間に合うかもしれない。


(……それも、いやだ)


 恥ずかしいけれど嫌なわけじゃない。

 むしろ、こんなにそばにいることが嬉しかった。


(出来るだけ長く、惺壽と一緒にいたいから)


 だったら死ぬほど恥ずかしかろうが腹を決めるしかない。

 そう。恥じらったりしたら意地の悪い惺壽を喜ばせるだけでもある。


 思い切って顔から手を離してみると、その横顔がどう見えたのか、頭上からひそやかな笑い声が降ってくる。


「ただの敷物にそれほど頑なになる必要もないが?」


「め、めちゃくちゃ言わないでよ。こんなこと初めてなんだから」


 眉根を寄せて不愛想に返した。

 憎まれ口は復活したが、まだまだ顔を上げるには至らない。

 たぶん近距離で視線が合うことになる。


 そんなことを想っていると、なぜかひどく楽し気な笑い声が耳をくすぐったのだった。


「なるほど。他は先を越されたが、これは俺が初めてというわけか」


2015年はたいへんお世話になりました。

2016年もどうぞよろしくお願いいたしますm(__)m

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