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六章ー8話

「そんな、出来るわけない……」

 

 まさか惺壽は、乙葉を連れて時空の迷路を越える気だろうか。

 

 思わず呟いた乙葉に、惺壽の声はいつもどおり淡々としたものだ。


「試さなければ分からないだろう」

「試せないから危険なんじゃない。下手したら永遠に迷子になるのよ」

「迷わなければ済む話だ」

「そんな簡単に言うけど……!」


「おまえは中乃国に戻りたいのだろう」

 切り込むように言われ、すぐには答えられなかった。


 地上に、元の世界に戻りたい。

 その想いは、天乃原に来たその日からずっと途切れたことはない。 

 でも。

「……惺壽を巻き込むわけにいかないわ」


「殊勝なことだ。これまで散々に巻き込んでおきながら」

 いつもの嫌みっぽい言い草。

 答える乙葉の声もついつい尖る。

「それとこれとは問題が違うじゃない」

「そうかい。では、中乃国に戻ることを諦めるということだな」

「それは……」


 肯定と否定の両方もできない。


 だって諦めたくない。

(帰りたくないわけ、ないんだから……)


 脳裏に、元の世界に残してきた人たちの顔が浮かんだ。

 両親、幼馴染、失恋予定の初恋の人。その他にもそれぞれに大切な人たち。

 いきなり引き裂かれて、二度と会えないなんてあんまりだ。


(だからって、惺壽を危険な目にあわせたいわけでもない)


 時空の狭間で道を失えば、二人に待つのは永遠に彷徨い果てる運命だ。


 乙葉はまだいい。自分が帰りたいと願い、敢えて危険を冒したのだから。

 しかし惺壽はいわば無関係だ。そんな危険を冒す理由がない。


 言葉を失った理由などお見通しだろう。

 惺壽はいつもと変わらぬ口調で言う。

「戻りたいのならば時空の狭間を越えるしかない。おまえ一人ならば確実に迷い果てる」


 たしかにそうだ。

 一度目は奇跡だった。二度同じことが起きるわけがない。


 だからといって、帰りたいと思う気持ちを振り切ることもできない。


(どうしたらいいの)

 ここで惺壽の言葉に甘えれば、間違いなく彼を危険に晒すことになる。


「どうやら、先ほどの言葉は上っ面だったようだな」


 不意に冷ややかな声が響き、乙葉ははっと顔を上げた。


 惺壽はゆっくりと方向転換し、屋敷へと降下を始めている。

 星空に螺旋を描くような軌跡だ。


「さっきのって……惺壽を信用してるって言葉? 上っ面なんかじゃないわ。惺壽のことは信頼してる。本当に、一緒なら雲の果てでも行けると思ってるわよ」

「では、なぜおまえは迷っている?」

「それとこれとは問題が別よ。わたしはともかく、惺壽まで危険な目にあう理由がないじゃない!」


 そう。惺壽には、ここまで乙葉の願いを守ろうとする義理などないはずだ。


「危険だと決まったわけもあるまい」

 惺壽は言う。なんの理由にもなっていない。


 そう怒鳴りたい衝動を堪え、乙葉は目を閉じて深呼吸を繰り返した。

「……危険だから、だからわたしだって迷ってるのよ。惺壽が言うみたいに、迷い果てる可能性のほうが高いんだから」

「だからこそ俺が守ると言っている」

 鼓動が小さく跳ねた。


「なに言って……」

「おまえこそ先ほどからなんの理屈を並べ立てている? 一人ならば迷う道だ。しかし導く(しるべ)があれば開けることもある」


 道標(みちしるべ)。それが惺壽だろうか。


(惺壽と一緒なら……)

 心が揺れる。たしかに途方のない道も、惺壽が一緒なら心強い。

 少なくとも一人じゃない。


 それでも、ここで譲るわけにいかない。


 突っぱねるべきだ。食いしばるように唸った。

「惺壽と一緒だから安全って保障はないわ」


 だんだん屋敷が近づいてくる。

 白けたような声が聞えた。

「やはり、俺を信用すると言った言葉は偽りだということらしい」

「違う、そうじゃなくて……!」


 どう言ったら伝わるのだろう。

 もどかしかった。必死に彼に届く言葉を探す。


「惺壽だって時空の狭間なんか行ったことないんでしょ。なにがあるか分からないわ。そんな危険な場所に連れていくわけには……!」


「荒れ狂う嵐中(らんちゅう)疾風(はやて)のごとく駆け抜けよう」


 必死な訴えを、静かな声に遮られた。

 不意打ちのように乙葉は言葉を飲む。


「襲い来る万雷を星と変え、深淵の闇ならば月虹を掲げて道を照らす。身を焼く劫火を花と散らし、――なにが待ち受けようと、その髪の一筋でさえ傷つけさせはしない」


 静謐な、そして揺るぎない声。


 乙葉のか細い肩が震える。



 何も言えないまま、ついに屋敷にたどり着いた。


 欄干を飛び越えた途端、乙葉を背に乗せたまま惺壽の全身がかっと光を放つ。


 ふわりと身体が浮き、気が付くと人間姿の惺壽が乙葉の腰を抱えていた。


 瞬く間に、乙葉はそっと自分の足で床に立たされる。


 茫然と顔を上げる。

 向かい合って立つ惺壽がこちらを見下ろしている。


 月光を映した双眸は怜悧だ。


 それを見て悟った。

 もう、これ以上抗っても無駄だ。


 乙葉がどう訴えても、彼は決意を翻しはしない。


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