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六章ー5.5話

「あの、海琉姫は本当に鈿女さんと沼垂主……さんの子供なんですよね……?」

 うっかり沼垂主を呼び捨てしかけ、乙葉は慌てて「さん」と敬称をつけた。


 現在、鈿女君の車に乗って移動中だ。沼垂主の車とは全然乗り心地が違う。

 あちらは妖獣に牽かせていたが、こちらは金色の雲に乗っているせいか、殆ど揺れない。

 天井には紅白の山茶花と翠色の小鳥が描かれ、車中は狭いながらも瀟洒で落ち着いた雰囲気だ。赤繻子張りの椅子もふかふかして座り心地が抜群だった。


 鈿女君は隣に並んで座っている。

 その膝の上では、海琉姫が丸くなってぐっすり眠り込んでいた。どうやらここに来るまでに散々はしゃいで疲れていたらしい。

「ええ。この子は末っ子で、唯一の女の子。そのせいかしら、ずいぶん甘やかしてしまって」

「末っ子ってことは……」

「海琉には兄が五人。みんな、今は夫の館で暮らしているの。男の子はつまらないわ。すこし大きくなると、もう一人前のような顔をして母親を煩わしがるんですもの」

 ため息交じりの言葉に、乙葉は若干頬を引きつらせた。

(お、思ったよりも子だくさん……夫婦仲はいいのかしら)


 先ほど、鈿女君が沼垂主に「あなた」と呼びかけた時。

 茫然という心情を心の底から味わった気分だった。

 鈿女君が沼垂主の妻。

 あの二人が夫婦。

 なんでこんな才色兼備が、あんな蛙そっくりの小物の奥さんに収まっているのだろう。考えれば考えるほど不思議だが、夫婦のやり取りも不思議と実にしっくりきていたのだ。



『そんなに急いでどちらにおいでなの、あなた。それも妾に内緒で、こんなに若くてかわいいお嬢さんを車に連れ込んでいたなんて』

 そう語り掛けた鈿女君に、上空に停まった車の中で硬直していた沼垂主は、雷に打たれたようにびくぅっと居竦んだものだ。

『お、おまえこそ、ななななぜに、こんな所へ!?』

『海琉の気晴らしに外へ出ていただけ。たまたまあなたの御車を見かけたから、こうしてわざわざ車を降りてきたのよ。だというのに……』

 もの言いたげな視線が、隣で茫然と佇んでいた乙葉に向けられる。

『だ、断じて浮気などではないぞ! その娘はたまたま車に乗っていただけで、よからぬことなどなんにも考えとらん! どこぞへ送り届けようとしとった最中だ、信じてくれ!』

 支離滅裂にもほどがある言い分だった。

 が、あっさり頷いた鈿女君である。

『そうでしたの。では、こちらの方は妾がお送りしようかしら。ちょうど女同士で話したい気分でしたし』

 遠目にも夫がごくりと唾を飲んだ。なにかを探るようにぎょろぎょろと目を動かしていた沼垂主だったが、やがて従者を引き連れて去ってしまったのだ。


(……鈿女さんは本当にあんなめちゃくちゃな言い訳を信じてるのかしら)

 鈿女君は、なにも言わずに乙葉を同乗させ、惺壽の屋敷まで送ってくれているのだ。


 美しい横顔をちらりと盗み見ると、気づいたのか、赤い唇が笑みを作った。

「なにかご用事、愛らしい方」

「い、いえ……」

「あら、本当に? 前にも言ったはずよ、あなたはこういう駆け引きには向いていないと」

 からかうように言われ、乙葉は困惑気味に眉間を寄せた。

(この人……どこまで事情を知ってるの?)

 乙葉の正体が人間だとは知らないはずだ。

 通りかかったのは偶然だとも言っていた。

 しかし、あんな状況であっさり引いたのは物分かりが良すぎないだろうか。

 

 夫である沼垂主もそれを警戒していたように思える。

 しかし結局は去ったのだ。短時間にも夫妻の力関係は明らかだった。


(鈿女さんがいなかったら、わたし今度こそ沼垂主に攫われてたわよね……)

 彼女の登場があったからこそ、天乃浮橋の番人はまたもや自分の失態を隠し損ねた。偶然にしてもあまりに出来すぎている。


「なんだか思い悩んでいらっしゃるようね。けれど心配しないで。妾はあなたの味方よ。これだけは確かな真実だから、安心してちょうだい」

 くすりと笑った鈿女君には曖昧な頷きを返すしかない。

「殿方は見栄を張ってなんでも隠したがる生き物ですもの。気づいていたとしても、知らないふりをしてあげるのが女の心得というもの」


 意味ありげな笑みにますます困惑した。

 

 やはりなにか気づいているのだろうか。

 「殿方」が誰を指すのかも不明だが、夫である沼垂主のことを言っているのなら、その大失態について知らないふりをしているということになる。


(だから責任を取ってわたしの味方をする……とか?)

 それならば合点がいく。さりげなく夫のフォローをしようとしているのだろう。


 しかし今度は、どこで乙葉の正体を知ったのかという疑問が浮かび上がる。

(沼垂主が話したってことはあり得ない……だとしたら、惺壽?)

 彼が頻繁に乙葉と鈿女君を引き合わせる理由にも辻褄が合う。


「愛らしい方、なにを考えているの? せっかくのお顔に皴が寄っていてよ」

 はっと我に返った。

 隣を見れば、艶やかな美女は余裕の笑みだ。

「……考えてただけです。惺壽と鈿女さんのこと」

 この人は誤魔化せないだろう。視線を逸らし、固い口調で白状する。

「妾たちのことなら、なんでもないとお話したはずだけれど」

「でも、沼垂主、さんが惺壽をあれだけ目の敵にするのって、やっぱり二人が恋人だったからじゃないかって思って……しかも不倫だったのなら、なおさら」


 一夜の恋人同士だという噂が立った二人。

 沼垂主が惺壽を策略に陥れた直後のことだという。

 もしもその時に、すでに鈿女君と沼垂主が夫婦だったのなら、どうだろう。

(いやだ)

 そんなことないと信じたい。

 しかし、今はひどく動揺して惺壽を信じきれなかった。


 顔を上げられず、腿の上できゅっとセーラー服のスカートを握りしめて返事を待つ。やがて、静かな声で返事があった。

「……そうね。惺壽どのとの間に噂が立った時、とうに妾はあの人の妻だったわ」 

 

 心臓が嫌な音を立てて跳ねた。

(やっぱり……)

 動揺を抑えようとスカートを握る手に力を込めれば、指先まで真っ白になる。



「ちょうど、この海琉が生まれた時だったわね。だから惺壽どのは見逃してくださった。妾とあの人、二人の罪を」

「……二人の罪?」

 意外な言葉だった。

 沼垂主の罪は察しがつくが、鈿女君も何かの罪を犯したというのか。


 思わず顔を上げた乙葉に、鈿女君は、膝の上からずり落ちそうになった海琉姫を揺すりあげながら頷いた。

「ええ。雲乃峰に賜った屋敷でのことだったわ。あの晩、あの方が訪れていらっしゃったのはまったくの偶然。そしてね、何度も申し上げた通り、あの方とは不貞を働いたことはないの」


 あの方とは、という言い方が気になりはしたが。

(どういうこと?)

 訝し気に瞬きを食い返す乙葉に、深い光を宿した藤色の双眸が向けられる。


「あなたにはお話しておきましょうか。殿方の見栄は時に優しさでもあるけれど、そのことが純真な心を徒に傷つけてはいけないもの」



いつもありがとうございます。

本題に踏み込んでいないので5.5話としました。

すみません、引き延ばすつもりはないのですが、今日はここまででご容赦ください;

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