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五章ー18話

 そうは言っても、ここまで具体的な話をされては「そうだね」とも頷けない。

(でも、たしかに梛雉がそんなことで喜ぶような人だとも思えないし……)

 復讐なんて、あのにこにこと陽気な美青年にはもっとも縁遠いような気がする。

 わずかに眉根を寄せて考え込んでいた乙葉は、不意にくいっと顎を挙げられて瞬いた。

 視線の先には、こちらを見下ろす精悍な美貌がある。

「なにを考えているんだい、お嬢さん」

「な、なにって……梛雉のことだけど」

「おや。余所の男のことを考える余裕がおありとはね。それとも昨夜のごとく、俺に嫉妬を焼かせたいがゆえの駆け引きかな」

「は、はあっ? なんで惺壽が嫉妬するのよ。わたしはただ……梛雉の計画に付き合うのもありなんじゃないかって、そう考えてただけ」

 乙葉は努めて平坦な声を出しつつ、顎の下に添えられた手を振り払った。

 不意打ちに少々動揺している。一方、惺壽の表情はすこし険しくなった。

「べ、べつに危険な目に合いたいわけじゃないわよ。ただ、それで惺壽が認められるなら、そういうのもありかなと思って……」

 なにか言われる前に慌てて説明した。

 世話になっている恩返しがしたい。

 だがそこまでは素直に言えず、言葉は尻すぼみになる。


 項垂れるように返事を待っていると、静かな返事が降ってきた。

「言ったはずだ。人間であるおまえの存在が雲乃峰に知れれば、中乃国に戻ることも能わなくなると」

「あ……」

 そうだ。失念していた。

 人間の乙葉が天上世界にいるのは大問題なのだ。

 他の人に知られれば、二度と元の世界に返してもらえなくなるかもしれない。

 梛雉の計画が乙葉の存在の公表を前提にしている以上、割を食うのは自分一人だ。


 思わず乙葉はため息を落とした。

「自分のバカさ加減に呆れるわ……これじゃあ、昨夜、惺壽があんなに怒ったのも当然よね。せっかく元の世界に戻る方法を探してくれてるのに……」

 あのまま梛雉についていっていたら、今頃、元の世界に戻る唯一の道を自分の手で握りつぶしていたかもしれないのだ。

 能天気は梛雉ではなく、むしろ乙葉だ。

「さあ。……それを咎めたつもりはないが」

「え? じゃあなんで……まさか本当に嫉妬したとか言うつもり?」

「だとしたら?」

 平然と返され、硬直した。

(嫉妬って……なにに?)

 昨夜彼はなんと言っていたっけ。

 自分以外の男の誘いに乗るのがどうのこうの言っていた気がする。――が、もちろんそんなの、いつものからかい交じりの冗談だろう。


 惺壽の唇の端がくすりと緩められる。

「なんにせよ、梛雉の思惑に乗るつもりはない。人の書いた筋書きに踊らされる趣味はなくてね。ことに男からの節介など、(ほむら)にくべて灰にしてこその使い道だ」

「そ、そんな言い方……梛雉だって惺壽を心配してるから、こんなこと仕組んだんじゃないの?」

 梛雉の計画は、乙葉を惺壽に預けた時からすでに始まっていたのかもしれない。

 惺壽の手元に置いておけば、なんだかんだ言いつつ彼が乙葉を見放さないことは、友人である梛雉にはよく分かっていたのだろう。

 そうして一度は庇護下に置いた乙葉が危機に晒されれば、惺壽が静観しているはずないことも。


 あまりに回りくどいやり方だし、たしかに独善的なお節介かもしれない。

 

「わたしは――梛雉の気持ち、ちょっと分かるわ。皆に惺壽を認めてほしいって……」

 そう。間違った方向であっても、それは梛雉の友情には違いないと思うのだ。

「当人がそれを望んでいない以上、恩の押し売りも甚だしいな。他人から下された評価で己のすべてが決まるとでも?」

「そうは言ってないわよ。でも、人からよく見られたいって思うのは当然でしょ? みんな、誰かに好きになってもらいたいし、嫌われたくないし、認めてほしいって思ってる。……だから、必死に努力するんじゃない」

 あれこれ頭を悩ませて、時には歯を食いしばってでも。


 ぽつりと付け加えた言葉が夜気に溶けるころ、惺壽はいつも通りに肩を竦めた。

「誰かで変わるような己など、はじめから存在しないに等しい気もするが」

「惺壽は自分に自信があるから、そんなこと言えるんだろうけど……」

 そこまで言いかけ、はっと我に返った。

(そう、か……惺壽は……)

 なんとなく腑に落ちるものがあった。

「なんだ」

 途切れた言葉を追いかけ、惺壽はわずかに首を傾げていた。広い肩を流れた金の髪が闇に淡い光を放つ。

 なにか言いかけた乙葉だが、結局首を横に振る。

「……なんでもない」

 なんでもないことはない。

 しかし、今はうまく伝えられる気がしなかった。

「えっと、わたし、とりあえず顔を洗いたいから……この話はまた今度ね。靴、取ってこなきゃ……」

 乙葉はそう言葉を濁し、回れ右をした。靴は自室に置いてある。


「――乙葉」

 名を呼ばれ、ふっと瞬いた。

 振り返ると、惺壽は静かにこちらを見返している。

「おまえの意思も、心も、すべておまえのものだ。干渉するつもりも押し付けるつもりもない。……が、早計だけは控えてくれ。あまり気を揉ませるな。身が持たない」

「……あ、うん……?」

 戸惑い気味にそう返した。とにかく梛雉にはついていくなと言いたいのだろう。

「ならばけっこう。……用向きの折には声をかける」

 そう言った惺壽は、身を翻して、薄暗い廊下の奥へと歩き去っていった。




 革靴を履き乙葉は湖の畔に出た。

(惺壽は人からどう思われようと、そんなの関係ないって言えるほど、強い……)

 それくらい己に揺るぎない自信のある人なのだろう。

(でも……)

 ぼんやりと思いを巡らせながら、水際ぎりぎりにしゃがみ込む。

 ふと視線が足元に落ちた。

 そこには小石が並べられ、囲いができている。乙葉が森で拾って来たものだ。これを広いに行ったおかげで沼垂主の手下の魔の手から逃れることができた。


 浅瀬にできた石の囲い。

 その中央では、白い蕾をつけた木の枝が水面に揺蕩っている。 

「……もう少しで咲くかしら」

 この枝は、初めて鈿女君の屋敷を訪れた時、惺壽が折った李の花だ。

 同じく一緒に持ち帰った芍薬は残念ながら翌日に散ってしまったが、この李はなんとか生き延びていたのだ。だが水がなくては枯れてしまう。

 しかし活けようにも花瓶が見当たらないし、惺壽に準備を頼むのもちょっと気が引けた。

 そういうわけで、この湖を大きな水瓶に見立てて、水際に置いておくことにしたのだ。

 ただし、そのまま浮かせるとぷかぷかどこかに流れていってしまいそうなので、こうして石で囲いを作っている。

 少々乱暴な“生け花”だが、甲斐あって、白い可憐な蕾は確実に膨らんでいた。

 このまま順調に咲いてくれればいい。

 いや、きっと咲くに決まっているけれど。

「乙葉、だって……」 

 蕾に目をやったまま、ぽつりと呟いた。

 初めて惺壽が名前を呼ぶのを聞いた。


 なぜだろう。その時のことを思い出すと、勝手に笑みが零れるのだ。


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