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五章―14話

 しかし、それならば、惺壽はこんな思わせぶりな言い方はしないはず。

「違うの?」

 眉を潜めて尋ねた乙葉だが、惺壽は肩を竦めたのだった。

「言っただろう、あれの腹の底など読めはしないさ。そもそも底があるかのも不明だ」

「誤魔化さないでよ、なにかあるんでしょ。今、ちょっと黙ったの見逃さなかったわよ」

ほんのわずかだが返事に間があった。

それを指摘すると、惺壽はめずらしいことに目を見張ったのだ。わずかだが。

「案外にも鋭い眼をお持ちのようだ。それとも、それほど俺をよく見ておいでということかな」

「案外は余計よ。よく見てるわけでもない。ただ……これだけ一緒に居るんだから、嫌でもいろいろ分かるようになっただけよ」

 

 わずかだが乙葉は惺壽の言動の裏を察することができるし、逆に、惺壽も乙葉を理解している。

 以心伝心とはいかなくても、喧嘩ばかりだった二人の距離が近づいているのはたしかで、そのことをお互いに理解しているはずだ。


「――嫌でも、ね」

「え?」

瞬きを返した乙葉だが、惺壽は「いや」と短く言って目を伏せてしまった。

さりげなく視線を外されたようにも思えるが――まさか、乙葉の言い草が気に障ったのだろうか。「嫌でも」なんて単なる物の喩えなのに。

(なんなのよ、もう……。いつもはなに言ったってけろっとしてるくせに)

前言撤回。

惺壽がなにを考えているのかなんて、相変わらず自分には分からないままだ。

(――ううん、違う。全然分からないわけじゃない)

出会った当初こそ、冷血男だと決めつけて見限った。

けれど、今は。

少なくとも惺壽の感情の起伏や些細な嘘は見抜けるようになったし、誤魔化すときは大抵乙葉を慮る理由があるのだと予測がつくようになった。

それもこれも、惺壽と一緒に過ごしてきた時間が、彼の優しさに裏打ちされたものだったからだ。


「……前にも言ったわよね。わたしは惺壽を信用してる。だから同調もしたし、失恋の事だって打ち明けたわ。――でも、惺壽は違うの? まだわたしになにか隠し事するの? そんなに信じられない?」

 見上げる先で、薄青い双眸が再びこちらを捉えた。

「……信頼とはまた異なる問題だ。そしておまえが知ったところでなにが変わるわけでもない」

「わたしは知りたい」

 間髪入れずに答えた。

月光を受け、惺壽の淡い金の髪が燐光を放っている。


「もう、なんにも知らないままでいたくないの。全部話して。なに言われたって怖がったりしないわ。惺壽がなに隠してても、なに考えてても、絶対に怯んだりしない」 

 梛雉はなぜ乙葉を沼垂主の所に連れていこうとしたのだろうか。

 すでに、あの優しい笑顔に騙されて監禁された歴史がある。油断はならない。

 惺壽はなにかを察している。だったら隠さずに打ち明けてほしかった。


「教えて。……わたし、惺壽のこと、ちゃんと知りたい」


 なにを考えているのか。なにを見据えているのか。

知ったところでなにもできないかもしれない。

(だからって、なんにも知らなくてもいいわけじゃない)

  乙葉は口を噤んで惺壽を見上げた。

  月明かりの中に沈黙が落ちる。


こちらを見返す薄青の瞳は静かだ。

なにかを言いかけるように、薄い唇がわずかに開いた。

――が、それを押し留めるように閉じられる。


そして彼は軽く顔を背け、深く深く息をついたのだ。

「……とんだ勘違いをさせてくれる」

「え?」

 返事の意味が分からず、乙葉は軽く眉を上げた。

 「一つご忠告申し上げよう。仮にも男に向かって軽々しく口にすべき言葉ではないと。わざと誘っているのでなければ、知らず知らず己から身を差し出すだけでしかない」

「……なに言ってるのか分からないんだけど」

「そうかい。ならば、せいぜい(けだもの)に食われぬように祈るよ、お嬢さん」

 いかにも面倒くさそうな声音だ。

 会話を無理やりに断ち切ろうとしているようにも思える。

(なにそれ……)

 乙葉はただ、惺壽の考えを知りたかっただけだ。

 それなのに、どうしてこんなふうに話を逸らされなければいけないのだろう。

 まるでからかうみたいに、掴みどころのない言葉で、はぐらかされる。

「……あっそ。これだけ会話が通じないなら、獣も惺壽も同じよね。こっちは真剣に話をしてたのに」

 つっけんどんに言い捨てた。本気で怒っている。

 そして惺壽も冷ややかな表情で言ったのだ。

「獣ね。なろうものならなってみせようか。欲のままにすべてを曝け出し、……その時におまえがどんな顔をするのか、見て見たくもあるが」

「……は、はあ!?」

 怜悧な瞳に一瞬凶暴な光がちらつき、怒っていた思わず腰が引けた。

 それを見て、ふいっと惺壽の眼差しが再びそっぽを向く。

「……冗談だ。これでもわりあいに、理性はあるほうでね」

 低い呟き。乙葉はますます困惑に眉を潜める。

(なん、か……急に意地悪になってない……?)


 自分はただ、梛雉がなにを企んでいるのか知りたかっただけだ。

 それのなにが彼の神経を逆撫でしたのだろう。

 分からないまでも、惺壽がひどく機嫌を損ねているのは確かだ。

(わけわかんない……)

 惺壽が何を考えているのか。なにに怒っているのか。

 そして、なぜ自分がここまで彼に翻弄されなくてはいけないのか。


(ああ、もう……!)

 神 経 が 擦 り 減 る。


「――だったらもう、好きにすれば!?」

 痺れを切らしたように叫んだ。

「惺壽が何考えてるのか知らないけど、そんなに怒るんなら、もう好きにすればいいじゃない! わたしのことだって、なんだって好きにすればいい!」

「おや。好きなように……ね。では、今ここで追い出すことも可能なわけだが、居候どの?」

 ”追い出さなくたって自分から出ていくわよ、こんなとこ!”

 そう啖呵を切りたい。

 けれど――突き刺さるような眼差しを受け、乙葉はぐっと唇を引き結ぶしかなかった。


 ここで短気を発揮して、惺壽と決別するのは簡単だ。

 しかし、そうなれば確実に自分は途方に暮れる。

 そう、「好きにすればいい」なんて、他の誰が言ったとしても、自分だけは口にしてはいけない台詞だったのだ。

 ただの厄介で無力な居候にしかすぎないのだから。


 それでも。

「……惺壽が本当に追い出したいのなら、今すぐ出ていくけど」

 視線を落とし、食いしばるように低く呟いた。

 俯いた乙葉の耳に、聞こえよがしなため息が届く。

 まだ言うのか、と責めるようだ。

(言うわよ、だって)

 乙葉はきっと顔を上げた。視界が滲む。その瞳で真っすぐ見つめた。

「いつもいつも惺壽のことばっか考えて、一人でぐるぐるぐるぐる悩むの、もうたくさん……!」

 沼垂主のことも、梛雉のことも、鈿女君のことも。

 なぜこんなに思い悩むのか自分でも分からないまま悩むのに、乙葉だって疲れてしまった。彼の許から逃げ出すことで解放されるのなら、それはそれで楽かもしれない。

 

 すぐにぷいっと惺壽から視線を背けたから、彼がどんな顔をしているのかは見えなかったし、見たくもなかった。どうせまた呆れている。

「……おやすみ」

 ぶっきらぼうに言い、くるりと惺壽に背を向けて、月光にぴかぴか光る長い廊下を自室へと急いだ。木戸を開いて室内に飛び込み、後ろ手に戸を閉める。

「最悪……!」

 なんて子供っぽいのだ、自分は。自己嫌悪に涙声が混じる。



 ――一方の惺壽は、廊下に一人取り残されたわけだが。

「……おや」

 そう呟いていた。


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