五章―13話
「じゃあ、今からでも早速私と一緒に……」
言いかけた梛雉の目が不意に聞こえなくなった。
「え?」
自分の声もくぐもって聞こえる。
どうやらなにかが、背後から乙葉の両耳を塞いでいるのだ。
そう気づいた直後。
「……つれないね。俺以外の男の誘いに、そうやすやすと乗る気か?」
耳を塞いでいた手がわずかにずらされ、鮮明になった聴覚に、そんな囁きが落ちる。その吐息におくれ毛が震えた。
「せ、……惺壽!! なんなのよ、いきなりっ!?」
一瞬で顔を真っ赤に染めた乙葉は、弾かれたように振り返った。
案の定、背後に立っているのは惺壽だ。
振り払われた手を中途半端に浮かせており、やがてそれを身体の脇に下ろす。
「失礼。少々妬けたもので」
「はあっ!?」
言葉の内容と、平坦な顔と口調との落差が激しすぎて、冗談どころか意味不明だ。
(ていうか、いつの間にこんなに近づいてきてたの?)
そう思いつつ、背の高い彼を振り仰いだ乙葉だが、ふと眉を潜めた。
惺壽の表情はいつもどおり飄然とし、その薄青の双眸は梛雉を見ていた。
眼差しは静かだ。だが、どこか鋭く研ぎ澄まされているようにも見える。
「御機嫌よう、惺壽。お邪魔しているよ」
「いつもながら、家主不在の屋敷にずかずかと上がり込むのはおまえくらいのものだな」
にこやかに梛雉が言い、対する惺壽は肩を竦めた。嫌味な言い草は健在だ。
(……気のせい、だったのかしら……)
一瞬、二人の視線に険悪なものが混ざった気がするが、どちらの態度もいつもどおりだ。
「あはは、怒らせてしまったかな。たまには乙葉嬢のご機嫌伺いをと思ったのだけれど……惺壽がいるのなら、私が出る幕でもないかな。却って邪魔をしてしまったみたいだ」
「い、いや、それ違うから……!」
乙葉が叫んだ瞬間、梛雉の全身がぱあっと赤い光を放つ。
一瞬後、月光に照らされているのは、雅やかな尾を引く華麗な鳳凰だ。
「それじゃあ、御機嫌よう、二人とも」
歌うように言い残した梛雉が、極彩色の両翼を広げて夜空に舞い上がる。
「ちょっと待ってよ、沼垂主のところは!?」
「嫉妬のあまり惺壽に八つ裂きにされたくはないからね。また来るよ、可愛い人。その時は君を奪ってでも出かけようかな」
歌うように言い残し、梛雉はあっという間に遠ざかっていった。もう羽音も聞こえない。
「……何しに来たのよ、一体……」
「さて。――昔から、あれの腹の底を読めたためしはないな」
夜陰に遠ざかる孤影をぽかんと見上げていた乙葉は、低い呟きに振り返った。
ちょうど視線を下げた惺壽と目が合う。
(……?)
なんだろう。やはりなにかがおかしい。
気圧されたように一瞬黙ったものの、それを誤魔化すように唇を尖らせる。
「腹の底が読めないのは惺壽も同じよ。いきなり耳塞いだりして、なにがしたかったの?」
「おや。妬けたと言ったつもりだがね」
「そ、そんなの本気にするわけないじゃない、真面目に答えてよっ! ……せっかく梛雉が沼垂主のところに連れてってくれるはずだったのに……」
飄々と言う惺壽に噛みつくように返しながらも、最後はぶつぶつと恨み言だ。
そんな乙葉を惺壽は凪いだ瞳で見下ろしていた。
「……なぜ、梛雉がおまえを沼垂主の許に誘う」
「え? 惺壽と一緒よりは、あの蛙とも冷静に話をできるからじゃないの?」
乙葉は小首を傾げた。
梛雉は騎獣探しのことも、乙葉が天乃原に迷い込んだ経緯も知っていたのだ。
だからこそ、沼垂主を説得するために協力しようとしたのだろう。




