五章ー9話
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献上の騎獣の捕獲がまだ続行されているのか確かめにいった惺壽だが、三岐と争った場の周辺を巡っても、沼垂主一行の姿を見つけることはできなかった。
どうやら懲りて引き上げたらしい。
そう確信して鈿女君の屋敷に取って返したが、内心で、このまま沼垂主は騎獣探しを諦めはしないだろうと思う。
(難儀なことだ)
沼垂主が、月読乃宮ご所望の騎獣を探し当てようが、しくじろうが、それ自体には一筋の興味も沸かない。
ただ、理不尽にもねぐらを荒らされ続ける妖獣たちは不憫である。
そして同じく、一方的に巻き込まれているだけの、中乃国の娘。
(見事にあの男の策略に嵌められたな)
目の前に中乃国の人間――乙葉が現れた当初、自分はあの娘に関わるつもりはなかった。
あの場に自分一人だけだったのならばまだしも、泉の畔には梛雉がいた。
自分が手出しをせずとも、あの女と見れば誰にでも甘い優男がうまく始末をつけるだろう。
だからこそ早々に関りを断つべく、惺壽は、乙葉と梛雉を残して場を去った。
不運な乙葉に憐れみを感じなかったわけではない。
だが、骨を折って厄介事に関わろうと思うほどに、あの色香の欠片もない小娘に興味を惹かれもしなかった。
現状はどうだ。
あの娘の進退を掛けて、この自分がこうして駆けずり回っている。
我ながら驚嘆だ。
たかだか人間の小娘一人に、なぜここまで心を傾けている?
やがて鈿女君の屋敷に辿り着いた。
門扉が開き、その合間をすり抜ける。
闇夜にほの白く浮かび上がる月下美人の園林をゆるやかに駆け抜け、屋敷の入り口にたどり着いた惺壽は、そこで獣から人へと姿を変えた。
出迎えたのは侍女の一人だ。
黎珪より年若いが、慎み深く叩頭し、乙葉の許へ案内される。
鈿女君の屋敷には幾つかの独立した平屋があり、それぞれの建物を繋ぐのは朱塗りの曲廊だ。
侍女に従い、ぽつりぽつりと紅灯の吊られた曲廊を渡って、一つの建物に入った時だった。
「……あら。お早いお戻りだったのね」
行く手から、紫紺の襦裙に身を包んだ鈿女君が歩いてくるのに行き会った。
乙葉の相手をしているのかと思ったが、違う建物からやって来たところらしい。
足を止めた惺壽は、彼女に向き直る。
「思いかけず、早々に事が済みましたもので。……あなたには子守ばかりをお願いして申し訳ありませんが」
「かまわないわ。若い娘の面倒には慣れていますもの」
鈿女君は、思わせぶりに視線を侍女に向けた。
この屋敷に仕える女たちは皆、幼い頃に彼女に引き取られたのだと聞いている。ここで行儀見習いとして使え、年頃になれば、よい伴侶を見つけて屋敷を去っていく者がほとんどだ。
だが、“乙葉”を預けるのはまた勝手が違う。
そして、その事情を殊更に言葉を尽くして訴えるのも野暮だ。
代わりに肩を竦めてこう言う。
「貴女の許に足繁く通っていることが公になれば、余所の男から狂わんばかりに嫉妬を買うことでしょう」
「今日はよくその言葉を聞くわね。けれど殿方の嫉妬は女の勲章、妬きたい方には妬かせていればいいの。……それとも妾のためと言いながら、恋敵の恨みつらみを恐れているのはあなたのほうかしら」
淡く色づいた唇が挑発するように微笑んだ。
今日は申し訳程度の薄化粧だが、それが逆にくずれた色気を醸している。どこぞのかしましい小娘も見習ってほしいものだ。
「絶世の美女を我が物にできるならば、たとえ天上中の男に刺し殺されようと悔いはありませんよ」
「あら。女冥利に尽きるお言葉だわ。世辞だとしても嬉しいこと」
「心からの言葉ですよ。……だが、男の嫉妬は時として女人よりも性質が悪い。こじらせて、後々難儀をするのは避けたいのですがね」
乙葉を預けるためとはいえ、惺壽が鈿女君に接近していると知れば、間違いなく、愛すべき天乃浮橋の番人どのは頑なになり、八雲乃櫂を振るうことを拒む。
乙葉を中乃国に戻す手立てがますます遠ざかるのだ。
だがどうしてもあの娘を同行させたくない折に、目を離して一人きりにしておくのも危険だった。留守を狙い、いつ何時、拐しの手が伸ばされるか分からない。
だからこそ乙葉の身柄は鈿女君に任せるしかなく――そして連鎖は負を帯びる。
「ふふ。惚気られてしまったわね」
不意に鈿女君がくすりと悪戯っぽく笑った。
惺壽は瞬いて目を上げる。
「……惚気?」
「そうよ。あなたが案じていらっしゃるのは、先ほどから妾ではなく別の方のことだもの」
「………………」
見抜かれている。




