表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
47/93

五章ー5話

 このまま引き下がったら中乃国に戻れない。

 

 だが、向けられた静かな眼差しに反論を封じられ、結局それを飲み込む。

「……分かった」

 乙葉がしぶしぶ頷くと、惺壽が足を曲げてわずかに体高を下げた。

 その背に跨る。

「お気が変われば、いつなりともお命じを」

 静かに言い残した惺壽は、蹄で空を蹴った。

 

 夜空に駆け上っていく視界の端で、沼垂主たちの姿がどんどん遠ざかっていく。

「どうしてあっさり帰っちゃうのよ? もっと言ってやりたいことがあったのに」

「ああも興奮していては、こちらの言い分が的を得ていても、耳を貸しはしないだろうさ。どうやら、たいそう俺に恨みを募らせていらっしゃるようでもある」

 たしかにそうだ。ああいう感情的な理由を持ち出されると、打つ手がない。

 沼垂主の頭が冷えるのを待つしかないのだろうか。

 ちゃんと冷えてくれればいいけれど。

「……惺壽の爛れた恋愛遍歴に、元の世界に戻るのを邪魔されるとは思わなかったわ。ねえ、沼垂主になにかしたの?」

 詰るように尋ねると、くすりと忍び笑いが聞こえた。

「さて。身に覚えはあるような、ないような」

「どっちなのよ」

「あるが、ない。……そうとしか答えようがなくてね」

 意味不明なことを言う惺壽は、楽しげでさえある。

 乙葉は眉根を寄せた。

(からかってるの?)

 こんな時に。

 沼垂主の鬱屈を取り除かなければ、乙葉は元の世界には戻れないのだ。

 どうしたら解決するのだろう。

 なにが沼垂主をあれほど意固地にさせているのだろうか。


 脳裏にふっと、一人の艶やかな女性の姿がよみがえった。

 大輪の牡丹のごとき美女。――鈿女君だ。

 沼垂主は彼女に入れあげているという。

 先ほどもはっきり名前を出したくらいだ。

 それも天照陽乃宮を差し置いて、一番に。


(昔、沼垂主が惺壽を嵌めたのも、鈿女さん絡みだったみたい……なのよね)

 初めて鈿女君の屋敷を訪ねた、その帰り道。

 彼に直球でそのことを質問し、答えをはぐらかされた。

 たぶん乙葉の読みが合っているからだろう。

 

 惺壽と鈿女君は一夜限りの恋人だったという噂だ。

 だが、本当に一夜限りだろうか。

 ただの偶然なのか故意なのか、今も彼らは頻繁に顔を合わせているし、並んで立つとこれ以上お似合いの二人はいないと思うほどだ。

 

 ――胸の奥が鈍くうずいた気がし、乙葉は唇を噛んだ。

 あの二人のことを考えると、いつもこんな説明のつかない感情が沸く。

 どうしてだろう。

(理由なんてどうでもいいわ。……わたしのことと関係ある以上、ちゃんと突き詰めて考えなくちゃいけないことなんだから)


 もし沼垂主の恨みが、惺壽と鈿女君の仲に関係あるのならば。

(……どうしようもないわよね。まさか二人に別れてくれなんて言えないし……)

 あまりに自分勝手だ。

 だからといって他にいい方法も考え付かない。

 手詰まりだ。


 乙葉はため息をついた。

 ほんの小さいものなのに、敏くも惺壽は聞きつけたようだ。

「どうした」

「……べつに。沼垂主ってどこまで器が小さい奴かしらと思っただけ」

 そう誤魔化した。

 どうせ直截に聞いても、先日のようにはぐらかされるのがオチだ。

 質問したいなら他を当たるしかないが、あいにくこちらの世界で気安く話せる相手は限られている。


 梛雉と、当事者でもある鈿女君。そして彼女の侍女たちくらいか。


「ねえ惺壽。今度はいつ梛雉が来るか知ってる?」

 何気なく尋ねると、少しだけ間が空いた。

「……なぜ」

「え? ええと……梛雉と話してると楽しいからよ」

 なんだか責められているような気分になり、もごもごと返した。

 

 まさか馬鹿正直に、惺壽と鈿女の仲について相談したいとは言えない。

 それに梛雉との会話が楽しいのも事実だ。

 彼はいつも朗らかだし、最初はうさんくさいと思っていた気障な台詞も極上スマイルも、天然の賜物と思えば受け入れられる。

 

 惺壽の返事はない。

 先ほどといい、変な間が空いている。さすがに乙葉は首を傾げた。

「どうかした?」

「……あまりあの男に近づくな」

「は?」 

 なにを言っているのだろう。

 友人をこんなふうに言うなんて。


「なに、もしかして喧嘩でもしたの? だからさっきも追い返したとか……」

 先ほど、月読乃宮の命令を携えてきた梛雉を、すげなくあしらっていたが、そのことと関係あるのだろうか。


 思わず心配した乙葉に、今度は惺壽がため息を漏らした。

「……あれに気を許し、涙に暮れた女人を星の数ほども知っているのでね。出過ぎた老婆心だ」

「……人のこと言えないんじゃないの……」

 そう憎まれ口を叩きつつ、本当にそれだけだろうかと内心思う。

 もっと他の意図があったような気がするが……かといって、今さら尋ねようもない。


(梛雉はともかく……鈿女さんとも、もう一度話をしたほうがいいわよね)

 なぜ沼垂主があれほどまでに惺壽を目の敵にするか、その鍵は鈿女君が握っているように思われる。

 彼女と話せば、天乃浮橋の番人を説得する手がかりも見つかるかもしれない。


(もうすぐ中乃国に戻れる。……そのために、わたしにもできることがある)

 天乃原に迷い込んだ日からずっと、自分はただ右往左往していただけだった。

 でも、今は違う。

 すくなくとも、なにをすればいいのか、自分で考えることができる。

 中乃国に戻る方法は惺壽が見つけてくれた。

 あとはそれを実行する方法を考えるのだ。


(あとで鈿女さんの所に連れていってくれるように頼まなきゃ。……惺壽が大人しくうんって言ってくれればいいけど)

 彼が承諾したら、その時には、あの二人が並び立つさまを見せつけられることになるが。

 一瞬よぎった考えを追いやるように、乙葉は、左右を流れ去る星々に目をやった。


活動報告も更新しています。

ぜひご覧ください。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ