表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
38/93

四章ー14話

(えっと、沼垂主が小物なのはひとまず置いといて……つまり、どうしてわたしが天乃原に来たのかっていうと……)

 

 中乃国から天乃原への道を作るためには、強い願いを発する必要がある。

 地上でそれを果たしたのは紛れもなく乙葉だ。

 しかも参拝場所は天人に所縁のある鏡野神社。

 ただでさえ天乃原へと道が繋がりやすい社だった。

 

 それだけで天上と地上が交わるはずがない。二つの世界を繋ぐ関所が開かれなければ、人間が天上世界に足を踏みいれることはあり得ない。

 

 だが偶然にも、天上と地上を隔てる空間が撓む事態が起こった。

 沼垂主がなんらかの理由で、関所を開くために必要な八雲乃(やくもの)(かい)の力を振るったのだ。

 

 正しく作用しなかった八雲乃櫂の力は、地上から届いた乙葉の願いとぶつかって、中乃国と天乃原を隔てる関所を歪んだ形で開かせてしまった。


 その隙間のような空間に飛び込んだのが、騎獣という飼い殺しの身から必死に逃れようとする、天虎だ。八雲乃櫂を振るった時に沼垂主のそばにいたのだろう。惺壽の言う通り、沼垂主に報復をしようとしたのかもしれない。


 そこまで考えた乙葉は、ふと閃いた。

「あ……境内の池で溺れてた、あの猫……!」

 池で溺れていた猫を助けようとして、天乃原にたどり着いたのだ。

 大きく見開いた瞳に、惺壽の頷きが映る。

(くだん)の天虎だろう。鏡乃社の池はすなわち水鏡だ。中乃国の風景を映しながら、その実、水面下に、天乃原へ通ずる道を押し隠している。鏡乃社を守護するのは一対の神鏡だ」

「ご神体は、あのぼろい鏡だけじゃなかったんだ……」

 鏡野神社の社には、小さな古ぼけた神鏡が安置されていた。 

 その他に、神社の神体はもう一つあったのだ。

 熊笹に囲まれた小さな池だ。

 そしてあの池こそ、天上と地上を結ぶ隠し扉だったという。


(……あれ?)

 引っ掛かりを覚えた。

 池で溺れた動物の話をしたのはいつだっただろう。

(たしか一昨日よね。あの時からもう、惺壽はわたしと天虎の入れ替わりに気づいてた?)

 乙葉と惺壽はその直後、同調して記憶を共有した。

 あの時から、彼は薄々この予測を立ていたのかもしれない。

 それくらい流暢な説明だ。

(どうしてずっと黙ってたの……)

 問い質したかったが、なんとなく今は気が引けてしまい、結局別のことを尋ねる。

「もし、わたしが天虎を助けようとしなかったら……どうなってたと思う?」

「こちらに迷い込むことはなかっただろう。おまえは自ら、天上と地上の隙間に足を踏み入れたというわけだ。――心優しさが仇になったな」

 惺壽は目を伏せて肩を竦めた。

 飄々とした仕草と言い草は、嫌味なのか事実を言っているだけなのか分からないところだが、どちらにしろ腹が立つのは間違いがない。

 むっと眉を寄せた乙葉だが、そこで恐ろしいことに気づいた。

「ちょっと待って……わたしの代わりに、天虎が中乃国に行ってるってことは……あんな危険な妖獣が、あっちの世界に紛れこんでるってこと……?」

 

 なぜ今まで思い当たらなかったのだろう。

 あの平和な世界で、人々が見たこともない猛獣が、野放しになったことに。

 怪我人? いや死人が出てもおかしくない。


 さっと顔を青ざめさせた乙葉だが、静かな声がそれを遮った。

「その心配は無用だ。天虎はおそらく、未だ水鏡に捕らわれたままだろう」

「え……」

 掠れた声を漏らし、瞬きをする。心臓がどくどくと不吉な脈を刻んでいた。


 不安げに見上げれば、惺壽の表情は揺るぎなく静謐だ。

「天虎は偶然にも天上を逃れただけだ。八雲乃櫂の加護がない以上、中乃国に足を踏み入れることはできない」

「でも、わたしは無事に天乃原に来たけど……」 

「おまえが受けた加護は八雲乃櫂から与えられたものではなく、鏡乃社から授かったものだ。……社に拝する前に、神鏡に姿を映しただろう」

「……う、うん」

 ぎこちなく頷いた。

 

 たしかに境内で賽銭箱に小銭を放り込む前に、乙葉は社の中を覗き込んで、古ぼけたご神体の鏡に自分を映した。

 できれば鏡面に映ったものは思い出したくないが、惺壽の追及がそれを許さない。

「なにが映った?」

 答えたくない、とは言えない。

 仕方なくぼそぼそと小さく呟く。

「……わたしの顔と、その後ろに、境内の風景がちょこっと映ってたわ……」

 そう。社に安置された神鏡には、乙葉と、その肩越しに境内の風景が映り込んでいた。

 

 凹凸の多い鏡面に映った自分の顔は、今でもはっきりと目に焼き付いている。

 張りつめて、今にも泣きだしそうな顔をしていた。

 今から失恋すべく森野に会いにいく直前だったからだ。


(そういえばあの時の顔、惺壽に見られてるのよね……)

 同調した時、彼にも同じものが見えたはずだ。

 どう思っただろう。

 いつも勝気な乙葉のあんな顔を。しかも恋愛絡みだからよけい居たたまれない。


 急に恥ずかしくなって顔を伏せると、頭上から予想外の言葉が降ってきた。

「水鏡が映ったはずだ」

「え、そっち? ……ああ、たしかに映ってたわね……」

「神鏡と神鏡との合わせ鏡。――そこには、わずかながら神力が生まれる」

「…………」

 一瞬、言葉を失った。その間にも淡々とした説明が続く。

「その神力に守られ、おまえは空間の(ひずみ)を超えて、天乃原にたどり着くことができた」

「……じゃあ、もしあの時、鏡を覗き込んでなかったら……」

「神力の守護はない。天虎と同様、永遠に水鏡に捕らわれていただろうよ」

 

 すべて偶然の産物だったのだ。

 なにか一つでも条件が欠けていたら、乙葉は今頃、地上からも天上からも姿を消していたかもしれない。自分でもわけが分からないまま、永遠に。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ