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四章ー13話

 天乃原に来て、惺壽と出会って何日が経っただろう。

 昼夜の入れ替わりだけで数えるなら、すでに五日が経っている。

 決して短くはない。

 けれど、惺壽とはそれ以上に長い時間を過ごした気がするから不思議だ。

 この五日があまりにも目まぐるしかったせいだろうか。


(五日……)

 改めて日数を数えると、胸の底に重苦しいものが沈んだ。

 中乃国でも五日が経ったことになるのだ。

 天上と地上の時の流れが同じならば、だが。


「……ねえ、惺壽」

「ああ。……俺も読みが甘かったようだ。まさか、こうも豪胆なことをする御方だとは思わなくてね。これ以上、おまえに事実を伏せておくわけにもいくまい」

 小さく名前を呼んだけだったのに、心得たような返事があった。

 

 惺壽も分かっているのだ。乙葉の心中を。

 

 なぜ、沼垂主の手下とかくれんぼをする羽目になったのか。

 沼垂主の真意はなんなのか。

 今なにが起こっていて、自分はいつになったら元の世界に戻れるのか。


 知りたいのはそのこと。

 そして彼は、その答えを掴んでいながら、しばらく何も聞かずに待っていろと言った。つい先ほどのことだ。


 乙葉もそれを受け入れた。

 惺壽を信用していたからだ。それは今でも変わらない。

 

 けれど、決死の追いかけっこの後では、どうしても不安が顔を出してしまう。

(冷血嫌味男も、ちょっとは乙女心が分かるようになったってことね)

 これを乙女心と呼ぶかは別にして、惺壽にも、乙葉の言いたいことを察する技が身についたらしい。これもひとえに、嫌味と憎まれ口の応酬の賜物だろうか。

(本当に喧嘩しかしてないのにね)

 くたくたに疲れているのに、おかしくて笑みが浮かんできた。


「ありがと。話してくれる気になって嬉しいわ。一応言っとくけど、惺壽を信用してるっていう気持ちは、今でも変わってないからね」

 乙葉は顔を上げて言った。

 まっすぐに惺壽を見上げて告げたのに、月明かりを映した薄青の双眸は、一つ瞬いただけだ。

「……なによ。どうかした?」

「いや。……めずらしくも殊勝な態度なのでね、どう返したものかと困っただけだ」

「なにそれ……」

 通常運行の嫌味に呆れかけた乙葉だが、惺壽の説明は唐突に始まった。


「簡潔に言えば、おまえは入れ替わりに天乃原に来たことになる」

「……入れ替わり? って、誰と?」

 ぱちぱちと忙しなく瞬く。

 入れ替わりという以上、乙葉が地上からこちらに来たように、天上からあちらに行った人がいるということだろう。

「おそらく天虎だ」

「天虎って……この間、わたしや沼垂主を襲った天虎?」

「その同胞(はらから)だ。加えて言うならば、あの天虎はまだおまえを狙っている。先ほど、ここから鈿女君の屋敷に移動する最中も、背後をずっと付け回していた」

 初めて聞く事実にさっと血の気が引いたが、先回りするように惺壽が続けた。

「案じずとも早々に打ち払ったさ。俺の縄張りにある限り、奴の牙も爪もおまえに届くことはない」

 この雲上は惺壽の住処、いわば彼の縄張りだ。そして彼のそばにいる限り、天虎が直接乙葉に危害を加えることはない――と、彼はそう言っているのだろう。


(惺壽はいつもわたしを守ってくれてる……)

 陰になり日向になり。――そのことが嬉しいのに、胸が切なく締め付けられる。

 なぜだろう。

 答えを見つけられず、苦しさから目を逸らすように思考を切り替えた。

「なんで天虎がわたしを狙うのかが分からないんだけど」

「おおかた消えた天虎を探しているのだろう。そして同胞が姿を消した一件に、おまえと沼垂主が関わっていることに気づいた。しつこくつきまとうのはそのためだ」

「そんな……沼垂主はどうだか知らないけど、わたしは消えた天虎とは何の関係もないのに」

「あちらにしてみれば、じゅうぶんに関わりがあるのだろうよ。おまえと消えた天虎は入れ替わる際に場を共有している。その気配を嗅ぎつけたのかもしれない」

 消えた天虎の匂いでも染みついているのだろうか。

 

 それにしてもだ。

「なんでその天虎はわたしと入れ替わったのかしら」

 そもそもの疑問を率直にぶつけた。

「月読乃宮が、天照陽乃宮に献上する騎獣を探すように沼垂主に命じたそうだ」

 惺壽の答えはこうだった。やや趣旨が外れていないだろうか。

 

 そう思いかけた乙葉だが、はたと口元に手をやった。

「月読乃宮が、天照陽乃宮の乗り物を探してるってこと? それじゃあ、それなりに立派な動物じゃないとダメなわけで……」

 天乃原でも最も高貴な天人の騎獣となれば、賢くて、強くて、見栄えがする獣がいいだろう。

「……わたしと入れ替わったのが、騎獣に選ばれた天虎、……なの?」

 

 月光を頬に受け、惺壽は静かに頷いた。

「おそらく」

「なんで、そんなことに……」

「推測の域を出るものではないが……献上する騎獣を探すよう命じられた沼垂主は、一頭の天虎に白羽の矢を立てた。だが天虎は獰猛な妖獣だ。やすやすと捕らえられるはずもなく、たとえ捕らえたところで飼い馴らせる代物でもない。……さて、檻に捕らえられた誇り高い獣は、どうする?」

 試すような問いかけと眼差しを向けられ、乙葉は視線をさ迷わせながら考える。

「えっと……抵抗したり、逃げ出そうとしたりするんじゃないかしら」

「だろうな。必死で抗ったはずだ。沼垂主の魔手から逃れるべく、強い闘志で以て。――折しも、地上でも強い願いを発する者がいた」

 

 はっと顔を上げた。

 自分のことだ。

 中乃国は鏡野神社において、勇気を持てるようにと強く願ったのは乙葉だ。

「強い願いは天と地を繋ぎ、道を作る。天上と地上で、天虎とおまえの双方に条件が整った」

「……でも、それだけじゃ天乃原と中乃国を行き来できないでしょ? そんな簡単に済む話なら、天乃浮橋の番人がいる意味がないじゃない」

 ここで失恋を蒸し返されると思わなかったが、話を進めるしかない。

 歯切れ悪く尋ねた乙葉に、惺壽はごく自然に頷く。

「そうだ。いくら道が伸びようと、天乃浮橋という関所が開かれなければ天上と地上が繋がることはない。……おそらく沼垂主が、八雲乃(やくもの)(かい)を振るったのだろう」

「八雲乃櫂?」

「天乃浮橋を開くための鍵だ。番人に預けられている」

「なんで、沼垂主はそんな大切なものを使ったのかしら……」

 なにか橋を開く目的があったということだろうか。

 だが惺壽はこともなげに言った。

「捕らえた天虎の返り討ちに合いそうになり、とっさに櫂で応戦でもしたのだろう」

「……もしそうなら迂闊にもほどがあるけど、そんな使い方でも天乃浮橋を開けるの?」

「常時ならばありえない。そもそも橋が開いたとは言えないだろう」

 ますますわけが分からなくなってきた。

 

 口をへの字にした乙葉の前で、惺壽は一息つくように肩を落とす。

「八雲乃櫂は天上から地上へ道を作るための櫂だ。天乃浮橋と呼ばれるのは、八雲乃櫂によって正しく開かれた道だけを指す」

「じゃあ、わたしが通ったのは?」

「道とも呼べない代物だ。今回、天上と地上が繋がったのは奇跡に過ぎない。……おまえの願いが天に届き、偶然にも折よく八雲乃櫂が用いられた。そこで作用した櫂の神力が、天上と地上を隔てる戸のような空間に一時隙を作り、その狭間に吸い込まれたのがおまえと天虎だ」 

 そして乙葉は天上にたどり着き、入れ替わりに天虎は中乃国へ下った。


「たまたま起こった事故だったってこと……?」

「推測の域を出ないが。……沼垂主は、天虎が消えたことに焦りはしても、まさか入れ替わりに人間が天上に迷い込んだとは思いもしなかったのだろう」

「だからわたしが人間だって気づかなかった? ちょっと……信じられないくらいの小物なんだけど」

「否定はしないさ。そしてあの男ならば、その程度のお粗末さにも頷ける」

 事実をただの事実として言う口調だ。沼垂主の小物感にますます磨きがかかる。


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