四章ー11話
ただの留守番だ。用心するのは、むしろ妖獣の討伐に赴く惺壽のほうだろう。
なにに用心するべきなのか、まったく心当たりがない乙葉は、早々に頭を切り替えた。水際にしゃがみ、後ろ手に持っていたものを置いてみる。
「……このままじゃ不安ね。流されそう……」
首を捻り、立ち上がる。
そして、しんと神秘的なほどに静まり返った森の中に一人で分け入っていった。
数分後、手早く用を済ませて屋敷近くに戻ってくる。両腕には小石を抱えている。先ほどと同じく水際にしゃがみ、その小石を順番に浅瀬に並べた。
「うん。これなら……」
なかなか上手くいった配置に、一人で頷きかけたのだが。
「屋敷にはいなかった。外に出たのかもしれん」
「娘を連れ帰らなければお叱りを受けるのは我々だ」
不意に遠くでそんな声が聞こえた。
「誰かいる……?」
さっと緊張を走らせながら立ちあがる。
惺壽の声ではない。乙葉が森に入った間に、誰かが屋敷を訪れたのだ。
今の時点では誰の姿も見えないが、建物の曲がり角の向こうから、確実に、荒々しい足音が近づいてきている。
乙葉は身を翻した。木立に駆け込み、太い幹の陰に身体を寄せる。
そっと顔を出して屋敷のほうを窺えば、先ほどまで乙葉がいた場所に、揃いの生成り色の着物を着た男が二人立っていた。
鋭い眼光で周囲を見回す彼らに、もちろん見覚えはない。
間一髪だ。決断が一瞬でも遅ければ見つかっていたに違いない。
(“わたし”を探してるわよね……?)
娘を連れ帰るとかなんとか言っていた。――しかし誰の許に?
「沼垂主さまの厳命だ。徹底的に娘を探さなければ」
再び男の野太い声が響く。
さっと戦慄が走った。
(沼垂主がわたしを探してる!? どうして……)
他人の屋敷にずかずかと踏み込んで、これではまるで強盗紛いの誘拐だ。
なぜ、あの蛙男はこんな強硬手段に出たのだ?
(まさか、わたしが人間だってバレたんじゃ……!?)
どこぞの森で出くわした時、沼垂主は乙葉を人間だと認識していなかった。
あれは、直前に乙葉が口にした香玉花の木の実のおかげだったと教えてくれたのは惺壽だ。小粒でも神気の塊である実を口にしたことで、人間の気配が薄らいだのだという。
今になって沼垂主は乙葉の存在に気づいたのだろうか。
それとも単純に乙葉の生足に未練があるとか? あの粘っこい視線はたしかに忘れられない。
(どっちにしたって捕まるわけにいかないわ。エロ蛙がどういうつもりにしろ、どうせロクなことは考えてないだろうし)
ひとまず森に逃げようと思った。身を隠すにはうってつけだ。
そっと木の幹から離れようとしたとき、男たちの話し合いが漏れ聞こえた。
「森を探すしかないか」
「あるいは屋敷の主が娘を連れて出かけたのかもしれん。だとすれば探すだけ無駄だ」
「どちらにしろ、隅々まで探せば判明することだ。娘が不在と分かれば、沼垂主さまもきつくはお咎めになるまいよ」
「難儀なお役目だ。……おい、屋敷に残っている者たちも呼び出すぞ」
頷き合い、男たちは屋敷へ引き返していった。
(増援がくる)
その前にできるだけ遠くへ。
乙葉は木立のさらに奥へと駆けだした。




