四章ー5話
白雲を突き抜けた惺壽は、鈿女君の屋敷にたどり着いた。
出迎えた侍女の案内を丁重に断り、一人、真っ白な雪柳に挟まれた園林の小道を進んだ。乙葉と鈿女君は四阿にいるという。
やがて、牡丹と芍薬が咲き乱れるなだらかな丘上に、四阿が見えた。
屋内には向かい合う乙葉と鈿女君、そして慎ましやかに控えた黎珪の姿がある。
乙葉は鈿女君になにかを話しかけているようだ。さすがに声は聞こえない。
不意に、その横顔が真っ赤になった。対する鈿女君は、紺青の上衣の袖で口元を隠して笑っている。
話が弾んでいるらしい。
すこし意外な思いで見上げていると、乙葉が赤く染まった顔を隠すように、こちらに背ける。
遠目にも視線がかち合った。
惺壽を認めた乙葉の大きな瞳が、わずかに見開かれる。
次いで、ほっと細い肩が上下した。――安堵のため息のように。
惺壽はわずかに唇を緩め、緩やかな歩調のまま、ゆっくりと丘を上りきった。
「ずいぶんお待たせてしてしまったかい」
「な、なんのこと?」
横に立って話しかけると、乙葉はつんと顔を背けた。
澄ました顔で茶を啜っているものの、先ほど見せた表情は取り消しようがない。
惺壽の唇の端がますます緩んだ。
(よほど堪えたらしい)
一人で置き去りにされたことが。
だが、こうして惺壽が現れて心から安堵した――と、そういうところだろう。
どれほど意地を張ろうとも、なにを考えているのかが実に分かりやすい娘だ。
刺々しい態度も遠慮のない憎まれ口も、はじめは可愛げがないと辟易したが、慣れてきた今となっては、なぜか笑みしか誘わない。
「ええ。殿方にご心配頂かなくとも、妾たち、女同士でとても楽しい時間を過ごすことができたわ。ねえ、乙葉さん?」
口をへの字にした乙葉に代わり、鈿女君がくすくすと意味深げに言い添えた。
乙葉が慌てたように「あ」と言いかけるが、気づかぬふりで返事を返す。
「おや、男の身には不甲斐ない限りですが。……一体、どのようなお話を?」
「ふふ。乙葉さんの初恋の方のこと」
「鈿女さん!」
乙葉が再び顔を真っ赤にして立ちあがった。
惺壽はほんのわずかに、瞳を細める。
(鈿女君に話をしたのか)
失ったばかりの、恋とも呼べない恋の相手のことを。
真新しい傷はまだ痛むだろう。
そう思い、昨夜の話など聞かなかったような顔で接してきたが――想像よりもはるかに、乙葉の中では終わったこととして割り切られたのだろうか。
(いや……)
惺壽は乙葉にちらと視線を向けた。赤く染まった横顔はどこか苦しげに見える。
この様子では、話術に長けた鈿女君に、あれこれと本音を引き出されたのかもしれしれない。
「実に興味深いお話ですね。ぜひ私もお聞かせ願いたいものですが」
とりあえず、そう調子を合わせると、鈿女君がくすりと意味深げに笑う。
「だめよ。女同士だから出来たお話だもの」
「それは残念」
惺壽はあっさり肩を竦めた。この女性には言い縋っても無駄だと承知している。
「わ、わたし、……先、行ってる……」
居たたまれないように声をあげたのは、乙葉だった。
律儀に鈿女君に「お邪魔しました」と頭を下げ、こちらの顔は見ないまま、惺壽とすれ違って丘を下っていく。すかさずその背中を黎珪が追いかけていった。
遠ざかる小さな背中を見つめていると、鈿女君が楽し気に声をかけてきた。
「可愛らしい方ね。ついついからかいたくなってしまうわ」
「そうでしょう。その後、機嫌を取るのには難儀をしますが」
「それくらいの甲斐性はお持ちのはずよ。……ところで、愛らしい方を置き去りにしてまでお出かけになった、その成果はあったのかしら」




