四章ー4話
「本当に罪深いのは、“戯れに甘い夢を見せること”、ではなくて?」
確認のような問いかけには、なんて答えればいいのか分からなかった。
(たしかに、最初から遊びだって分かってたら、失恋で泣く人はいないだろうけど……)
失恋ですらないのだ。いつか終わるとお互いに納得していたのだから。
「…なんで、みんな、あんな冷血男に憧れるのかしら」
急にぶすっとした顔になった乙葉に、鈿女君の瞳が「あら」と丸くなる。
「あの惺壽どのを冷血男呼ばわりできるのはあなたくらいのものね」
「いけませんか」
「いいえ、愉快よ。なぜそう思うのかは聞かせてほしいけれど」
あっさり首を横に振った鈿女君は、煙管を煙草盆に戻している。
今の会話の流れなら、惺壽は分別ある遊び慣れた男性、ということになるのだろうが。
「結局、誰にも本気にならないし、誰の本気もいらないってことでしょう。そんなの、人を見下してるのと同じだわ」
乙葉はがぶっとお茶を呷った。天上世界のなせる業か、さっきからちっとも冷めてない。
「賢い方ね。けれど本当に、“本気にならない”だけだと思う?」
目を瞬かせる。鈿女君はふふっと笑った。
「気にしないで。惺壽どのの背に乗ることができる方には、無縁の話よ」
なぞなぞのような言葉だが。
(……惺壽って、あんまり人を背中に乗せないのかしら)
そういうことだろう。今朝もそれで小競り合いをしたくらいだ。へそ曲がりというか、プライドも高そうな彼のこと。そうそう他人を背中に乗せるとも思えない。
(ああ……だから、“可愛がられてる”?)
鈿女君のそういう言葉で始まった会話だった。
惺壽が乙葉を可愛がっていると。
(惺壽に言わせれば、『振り切るほうが面倒』らしいけど……)
今朝の攻防戦の締めくくりは、そういう投げやりな嫌味だった。
とても可愛がられているとは思えない。
ただ乙葉が粘り勝ちしているだけだ。
それもこれも、なんだかんだ嫌味を言いつつ、いつも惺壽が一歩引いてくれるからだろう。
(…………そう考えたら、たしかに冷血とは言えない……)
今朝だって、本当は惺壽と顔を合わせるのが気まずかった。
だが、鈿女君の屋敷に連れていってほしいと頼みにいった時、彼はいつもと変わらない態度だった。まるで、昨日の乙葉の傷心話など聞かなかったみたいに。
だから自分もいつも通りの態度でいることができた。気を遣われたら、こちらだって居たたまれなかっただろう。おかげで可愛げのない憎まれ口も叩き放題だ。
どこか人を侮ったような傲岸不遜さを漂わせていながら、その実、誰よりも懐の深い人。
飄々と掴みどころのない惺壽の、そういう一面に、乙葉は気づきつつある。
「どうなさったの、愛らしい方。なにか心配事でもおあり?」
「あ、い、いいえ……」
「そう。……さあ、遠慮なく召し上がって。惺壽どのが戻られるまで、もうすこしかかるようだから。ゆっくり楽しんでいってちょうだい」
そう親切に言ってもらったものの――
惺壽は、いつになったら迎えに来るのだろう。
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「身の程を知れ」
惺壽が冷たく言い捨てると、こちらを睨みつける深紅の瞳に憎悪が増した。
だが漆黒の獣はこれ以上向かってくることはせず、低い唸り声を残し、身を翻した。そのまま満身創痍の身を引きずるように、天高くに駆け上がっていく。
ここは鈿女君の屋敷近く。
石が転がるだけの渓谷だ。むき出しの岩肌には草の一本もない。
逃走する天虎を見送る惺壽に傷はなかった。
だが、それも今回はたまたまだろう。
天虎は決して残忍な習性ではないが、ひとたび牙を剥けば、その獰猛さは天乃原の妖獣の中でも一、二を誇る。
いくら双角の麒麟が勇猛とはいえ、まともにぶつかり合えば負傷は免れ得ない。
だからといって対峙を臆することはないが――
こう頻々と付きまとわれると、追い払うのが面倒だ。
乙葉を乗せて鈿女君の屋敷に向かう間、一切手出しをさせなかったのは、ひとえに惺壽が放つ殺気ゆえだった。
そして、この程度の牽制がいつまで効くのかも疑問だ。
根本を断つ必要がある。
遅々とした更新ですみません;
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