四章ー2話
「……まあ」
屋敷を訪れた乙葉と惺壽を出迎えた鈿女君は、藤色の瞳を面白そうに見張った。
ちょうど乙葉は、麒麟姿の惺壽の背から降りたところだ。
「黎珪たちの話は本当だったのね。ほほ。まさかと思っていたのに」
紺青色の襦裙を纏う鈿女君が、銀糸の縫い取りがある袖で上品に口元を隠して笑う。
(まさかの話って……なに?)
乙葉は首を捻ったが、隣で人型をとった惺壽は表情を変えないでいる。
大したことではないのだろうか。そう思いつつ、丁寧に頭を下げた。
「あの、昨日はありがとうございました。お言葉に甘えて早速お邪魔しました」
「妾の屋敷へようこそ、乙葉さん。……惺壽どのも、よくお越しくださいました。近頃妾たち、よくお会いしますわね?」
鈿女君が意味深な視線を投げ、惺壽は飄々とした顔で頷いている。
「ええ、本当に。――これには手を焼くばかりですが、こうも頻々と貴女とお会いできるのなら、多少の我儘は大目に見なければ」
ちらりと嫌みっぽく横目に見られた乙葉は、むっと眉を寄せた。
(どこが大目よ。出かける前だってさんざん意地悪言ったくせに)
乙葉は今は、両腕で布包みを抱えている。
昨日、鈿女君が制服を包んできたものだ。
それに袍やら長裙やらの借りていた衣装一式を包んで返却しようと思ったのだ。
当然、移動には惺壽を頼るしかない。
だから今朝方、鈿女君の屋敷に行きたいと惺壽に相談したら、返ってきたのは「やれやれ、どうやら俺の背の上がたいそうお気に召したらしい」。
ほいほいと乗り物代わりにされるのが気に食わなかったらしい。それでまたひと悶着だ。
(借りたものはなるべく早く返すのが当然じゃない。けち)
そうは思うものの、結局彼の背に乗せてもらった以上、遠慮ない憎まれ口も叩きづらい。
無言の中、ばちばちと視線で火花を散らす二人を見て、また鈿女君が笑った。
「仲のよろしいこと。妬いてしまいそうだわ」
その言葉にはっと我に返った乙葉だが、すでに鈿女君は視線を巡らせ、一歩下がった場所に控えていた黎珪に声をかけている。
「あのお喋りな娘たちを呼んできてちょうだい」
「あ、お、お構いなく! 自分で返しに行きますから」
布包みを見て用件を察してくれたのだろうが、借りたものを返すのに相手を呼び立てるわけにいかない。
慌てて遮った乙葉に、鈿女君はちょっと笑う。
「そう? ……では、その間にお菓子とお茶でも用意しておきましょう。……黎珪」
名を呼ばれた黎珪が心得たように叩頭する。
ついてくるように促された乙葉は、この場に残る惺壽が気になったが、踵を返した黎珪を追いかけて、竜宮城みたいな建物へ歩き出した。
肩越しに振り返ると、鈿女君は背の高い惺壽を見上げ、何か話しかけている。
四季の花々が咲き誇る園林の中に、それぞれ白い装束と深い紺青の襦裙を纏った男女の姿は、ひどく美しく映った。
乙葉はきゅっと唇を噛み、視線を前に戻す。そのまま黎珪に従って屋内に入り、迷路のようにつながる曲廊を進んでいた最中だ。
「本当に乙葉さまは、惺壽さまに大切されていらっしゃるのですね」
「え? ……どこが?」
楽し気に話しかけてきた黎珪に、思い切り怪訝な顔を向けてしまった。
黎珪は「失礼しました」とくすくす笑うだけだ。
首を捻っている間に、先日、乙葉を大変身させてくれた少女たちの詰める広間にたどり着いた。
何人か顔の見えない子たちもいたが、丁寧に礼を言って、借りていた衣装やら簪やらを返却する。
その中には、乙葉の制服を着たまま一時行方不明になった少女もいて、ほっとした。詳しいことは分からないものの、たまたま大事な用事があったらしい。
賑やかでお喋り好きな少女たちは、また乙葉に根掘り葉掘りいろいろなことを聞きたそうだったが、今日は年長の黎珪がいるせいか引き留められはしなかった。
再び黎珪の案内で来た道を戻り、今度は園林の四阿に通される。
先日は惺壽がハーレムを築いていた場所だ。
屋内には鈿女君一人だけがいた。
備え付けられた御影石の卓子の上には、菊を象った焼き菓子や、蒸籠に入った蓮の形の饅頭、ふんわり膨らんだ黄身色の蒸しパンに、白桃入りの透き通った寒天よせ……などなど、食べきれないほどのお菓子が並んでいる。
(……惺壽は?)
姿が見えない。
勧められるままに卓子を挟んで鈿女君の向かいに腰を下ろすと、黎珪が茶器を取り上げ、甘い香りのするお茶を二つの湯呑に注ぎわけた。
当然、乙葉と鈿女君の前に置く。
白い湯気を立てる湯呑を前に、乙葉はおそるおそる尋ねてみた。
「……あの、惺壽はどこに……?」
「ええ。屋敷を出てしまわれたわ」
「え!?」
あっさりした返答に、思わず立ちあがってしまった。鈿女君が微笑む。
「安心なさいな。少しの間、お出かけになっただけよ」
「は、あ……どうして……」
「さあ。なにか大切なご用事でもあるのではなくて?」
鈿女君は肩を竦める。座って、と促され、乙葉は茫然と座り直した。
(出かけたって……わたしを置いて?)
しかもなにも告げずに。
どこに行ったのだろう。帰ってくるのだろうか。
まさか、このまま置き去りにされるのだろうか。
ぐるぐるぐるぐる、そんな考えが頭をよぎる。
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