四章ー1話
大幅に改稿を致しました。
それに伴い、最終更新日10月11日より、話数が変更になっています。
話の繋がりに違和感がある方は、2015年10月15・16日の活動報告をご参照の上、三章5話からご覧ください。
お手数をおかけします。
四章
『……所詮は能無しか』
冷ややかな声を思い出すたびに身が竦む。
飼いならした妖獣が引く車の中で一人、沼垂主はだらだらと汗をかいていた。
車を囲むのは屈強な護衛たちだ。
あの日から天虎が周囲をうろつかない日はない。
「そ、そうだ。いっそあの天虎を捕えればよいではないか……」
ぽんと手を打ちかけたが、直後にいやいやと自分の考えを打ち消す。
あの天虎では獰猛すぎる。とても飼い馴らせる代物ではない。
早く早く。さらなる失態をあの御方に咎められる前に、手を打たなければ。
『とにかくあの乙女を取り戻すことが第一でしょう』
にこやかに微笑んだ優男の言葉は、癪だが、的を射ている。
天上にいるはずのない人間の小娘。
その存在は、すなわち天乃浮橋の番人である沼垂主の汚点に他ならない。
このことを、雲乃峰でしのぎを削り合っている貴人共に知られればどうなるだろう。足元を掬われるに決まっている。
天乃浮橋の番を任されるまでに至ったというのに、築き上げてきた栄光が一瞬で崩れ落ちかねない事態だ。
なによりも、小娘を手元に置いているのが、あの男だということが沼垂主を焦らせる。
あの男は過去の因縁から、自分に恨みを募らせている。
妻に迎えたいというのは建前で、その実、娘を利用して、再びの報復を企てていてもおかしくない。
そんなことはあってはならない。必ず、小娘は奪取しなければ。
――だが、もしも、あの男が本当に小娘の色香に惑わされていたら?
恋しい娘が突如目の前から姿を消せば、あの男は真っ先に沼垂主の許を訪れるだろう。そうなれば自分はさらなる窮地に立たされるかもしれない。
『大丈夫。その時は私に任せてください。彼の気を他の女人に向けさせればよいのです』
優男はそう請け負った。
それにしても不可解だ。
優男はあの男と長年の友人のはず。
それなのに、なぜ、沼垂主の肩を持つような真似をするというのだ。
『たしかに私と彼は友人です。けれど、だからといって、あの乙女が無用な騒動に巻き込まれるのは忍びない』
天上と地上の時の流れは異なる。
天乃原に留め置かれる時間が長くなればなるほど、中乃国ではそれだけ早く年が過ぎる。
小娘が中乃国に戻った頃には、すでに知人はすべて世を去った、などという事態もありうるのだ。その時に小娘が味わうのは絶望的な孤独に他ならない。
『よしんば、彼が本当にあの乙女を妻に迎えたいほど愛していたとしても……きっと今だけの激情だ。いつか彼女に飽きる日が来ると、目に見えている。――沼垂主どの、あなたもご存じでしょう。彼がとても薄情で、移り気だということは』
そうだ。
あの男は、沼垂主の永遠の想人を横から掠め取った。
それも、たった一夜の戯れに。
麒麟は憐れみ深い仁獣だなどと、とんでもない。あの男だけは別物だ。
きっと小娘も早晩打ち捨てられる。
そうなれば、辿るのは同じく哀れな末路だろう。
『私は、誰であっても女人が悲しむ様を見過ごせないのです。……どうか、あの乙女は一刻も早く中乃国に送り返してください。私は友人を裏切ってまで、あなたにこのことを教えて差し上げたのですから、願いを聞き届けてくださいますね?』
そう必死頼み込んだ優男は必死な表情だった。
恩着せがましい言葉と、気障な台詞が癇に障ったが、たしかに密告がなければ小娘の存在を見落とし続けたことは事実だ。
だが――もう、沼垂主にはあまり時間が残されていない。
あの御方の怒りが頂点に達しようとしている。
「い、いざという時には、あの小娘を亡き者にしなければ……!」
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