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三章ー6話

話の繋がりに違和感がある方は、2015年10月15日の活動報告をご参照の上、三章5話からご覧くださいませ

 「……な、なにかの見間違いじゃないの?」

 少し間が落ちる。それから平坦な返事があった。

「……そうか」

「そうよ。わたし、そんなことお願いしてないし……そ、そもそも、本気で神頼みに行ったわけじゃないって昨日も言ったじゃない。だから惺壽の言う通り……今回は、願い事に反応して天乃原への扉が開いたっていうのには、当てはまらないと思うけど……」

 惺壽はしばらく沈黙していた。やがて「そうか」と繰り返す。

 そのうちに森に囲まれた屋敷が見えてくる。

無言のまま、惺壽は降下を始めた。


 翌朝。

 慌てて湖の畔で洗顔を済ませた乙葉は、こそこそと部屋に戻った。

 後ろ手に木戸を締め、背中を寄りかからせる。

 ため息をついて視線を落とすと、部屋の隅にまとめて置いてある、領巾や簪などが目に入った。鈿女君の屋敷で借りてきたものだ。

今は袍と帯、長裙といった、最低限のものだけを身に着けている。

「………………」

今度は視線を足元に落とした。そして、木戸から背中を離す。

再び部屋を出た乙葉は、躊躇い躊躇い、湖に面した部屋へ向かった。

躊躇いがちに戸口に立って、そっと、室内をのぞき込んでみた。

部屋の真ん中に立っていた人物が、長い髪を揺らして振り返る。

彼の朱金色の瞳と目が合った。

「これは……御機嫌よう、乙葉嬢! どうしたんだい、今日はとても可憐な装いを……」

「惺壽は?」

「さあ。私は今着いたばかりなんだ。惺壽にはまだ会っていないよ」

 賛辞を遮られたにも関わらず、梛雉はにっこり笑って答えた。

 乙葉は「そう」と小さく頷き、とぼとぼと彼に並んだ。

「いつもの元気がどこかに行ってしまったみたいだね。また惺壽に意地悪でも言われた?」

「……ううん、なんにも」

 意地悪どころか、結局、惺壽とはあれからまともに口をきいていない。

 彼との会話は、不自然に打ち切られたままだ。

(だから、会いにきたんだけどね……)

 今朝はまだ姿さえ見てない。まだ寝ているのだろうか。

 会うために、わざわざこうして足を運んでは見たものの、正直、彼に会えなくてほっとしてもいた。

 どんな顔をすればいいのか、自分でもよく分かっていないのだ。

 ひそかに息をついた乙葉は、気を取り直すように梛雉を見上げた。

「おはよう、梛雉。久しぶりね。……ね、ちょっと聞きたいんだけど、か――ええと、瓶とか壺とか、お皿とかが置いてある場所を知らない?」

「瓶や……壺?」

「そう。なんなら箱とかでもいいわ。屋敷のどっかにはあるんだろうけど、どこを探せばいいのか、見当もつかなくて……」

 半分嘘だ。探し回っている間に、惺壽と鉢合わせするのはこわい。

 梛雉は朱金色の髪をさらりと揺らし、考え込むように仰向いている。

「瓶や壺……うーん……そうだね、あることにはあると思うよ。酒器なんかはよく使わせてもらうし……でも……」

「でも?」

「仕舞ってある場所は私も分からないな。必要になれば惺壽がどこかから持ってくるから」

「……そう」

 乙葉は肩を落とした。梛雉は不思議そうに言う。

「彼に聞くのが早いんじゃない?」

「うん? ……うん。そうね。聞いてみるわ」

 曖昧に笑いを返した。それを見て、梛雉は気がかりそうに瞳を細めたが。

「御免候」

 男性の慇懃な声が響き、二人はそろってそちらを見た。

 湖の方角だ。

「え……っ」

 声を上げたのは梛雉だ。

 乙葉も驚いて、いつの間にか、湖上に浮かんでいた男性を見つめる。

 生成り色の狩衣のような衣を纏った、厳つい男性だった。

 草履を履いた足で小さな金色の雲に乗っている。

 浮いていられるのは雲のおかげらしい。

「じきに鈿女君が参られます。突然のご無礼、申し訳ない」

「え」

 今度漏らしたのは乙葉だった。

 だが男性は用件は言ったとばかりに一礼し、さっさと雲ごと上昇していく。

(鈿女さんが、ここに……?)

 一体、何の用で?

 考えるまでもない。惺壽に会いにきたのだろう。

 ――やっぱり、お二人は忍ぶ仲だということなんじゃない?

 昨日の言葉が、耳にこびりついて離れない。

(なんでこんなに気にしてんのよ。べつに、惺壽と鈿女さんが恋人同士でも、なにもおかしいことはないでしょ)

 わけの分からない動揺をしている自分をそう叱り飛ばし、努めて冷静になろうとする。

「梛雉、どうする? 惺壽を呼んでこないと。どの部屋にいるか分かる?」

「さあ。彼はふらふらと寝床を変えるから……っと、どうやらもう間に合わないみたいだね」

 遠くを見て梛雉が言った。

 しゃんしゃんと耳に心地いい、不可思議な音に気付く。

 乙葉は梛雉の視線の行方――湖の方へ、再び目を向けた。

(わ……)

 月の都の使者と見まがうような行列が、湖上から、部屋へと到達したところだった。

 整然と並んだ男女たちは、みな、生成り色の質素な着物に幅広の黒い帯を締めている。

 彼らが乗っているのは、巨大な一つの金色の雲だ。

 慎ましやかに目を伏せた人々の中央には、引手のいない漆塗りの車がある。

 蔓草の螺鈿細工が踊る車の前方にかけられた御簾が、内側からそっと持ち上げられた。

 その奥からこちらを覗いた藤色の双眸と目が合う。

(天女……)

 そうとしか表現しようのないほど、鈿女君は美しい女性だった。

 呆然と立ち尽くす乙葉の視線の先で、鈿女君は付き人たちの手を借り、車から降りる。

「不躾と知りながら、居てもたってもおられずに伺ってしまいましたわ。どうぞお許しくださいね」

 空気を揺らす弦楽器のような深い声。深い知性を湛えた紫水晶のような瞳。

 弧を描いた朱唇は艶めかしく、とりどりの簪で結い上げた黒髪は優美だ。

 鈿女君は深紅の長裙の裾を優雅に揺らしながら、金色の雲から、室内へと降り立った。

 彼女が近づいてくるごとに、室内にむせ返った甘い香りが濃度を増す。

 秀麗な白い額の花鈿が神秘的だ。

 海棠が縫い取られた紗の上衣は大胆に胸元が開かれ、黒髪が何房か高髷から零れている。

「あなたが……乙葉さんね。まあ、あの子たちの言っていた通り、愛らしいこと」

 すべるような足取りで近づいてきた鈿女君に、にっこりと微笑みかけられ、息が止まるかと思った。

 言葉もない乙葉の代わりに、隣で梛雉が声を上げる。

「御機嫌よう、美しい方。……ええと、失礼を承知でお尋ねしますが、一体どうなさったのです? あなたが訪ねていらっしゃるなんて」

 鈿女君は涼やかな瞳をちらと動かして梛雉を一瞥し、すこし冷たい声で答える。

「あなたを訪ねてきたわけではないわ、梛雉どの。妾はこちらの愛らしい人にご用事があって参っただけ」

「え……わ、わたし?」

 急に我に返り、乙葉はぱちぱちと瞬いた。

 鈿女君はにこやかに頷く。

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