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三章ー3話

(気持ちはよかったけど恥ずかしかった……)

 大きな浴槽で香油を垂らした湯に蓮の花を浮かべ、どこかのお姫様のような入浴だった。

 ただし、大勢の少女たちに全身を洗われるという大サービスまでついていたが。

 そして湯上り後の乙葉に用意されたのは、少女たちが提供した衣服だ。

 

 襟の詰まった翠色の袍に、細かな襞のある深紅の長裙を合わせ、金糸で花と蝶々が縫い取られた幅広の黒い帯。

 透けるような白色の領巾にも、銀糸でさりげなく流紋の刺繍がある。

 癖の強い髪も丹念に梳られ、それぞれ顔の横の房だけを複雑に編み込んで、精緻な彫刻の簪が挿されている。


「思った以上に似合ってくれて嬉しいわ。腕を振るった甲斐があったわね」

「惺壽さまもびっくりして惚れ直すわよ」

 朱塗りの回廊を先導するのは、クジで選抜された二人の少女たちだった。

 彼女たちに腕を引っ張られるようにして歩く度、乙葉の手首や足首に嵌められた繊細な銀の輪たちがぶつかって、しゃらしゃらと儚い音を立てている。

「あ、待って。あれを挿してみない?」

 芍薬が咲き乱れる坪庭の横に差し掛かった時だ。

 一人が足を止め、花壇に走り寄っていった。そして小ぶりながら満開の一輪の枝を折ると、すぐに乙葉たちの許に駆け戻ってくる。

「はい、じっとして。……いいわぁ。ぐっと華やかさが増したわよ」

 乙葉の左耳のやや上に桃色の花を挿した少女が満足げに頷く。

(重い……)

 一応は礼を言いつつ、だが別の問題で心が沈んでいく。


(みんなには悪いけど、どんなに綺麗にしてもらっても、惺壽は喜んだりしないのに……)


 薄化粧を施された自分を鏡で見た時、たしかに文句なしの仕上がりだと思った。

 だが、盛装した姿を見せたところで、いつもの嫌味を返されるのが関の山だ。

 その嫌味男は、今現在、黎珪たちと園林(にわ)四阿(あずまや)で寛いでいるらしい。


「あ、いらっしゃった」

 建物が途切れたところで、乙葉を案内するうちの一人が弾んだ声を上げる。

 そちらに視線を向けた乙葉は、胡乱気な半目になった。

 

 様々な花が咲き乱れる丘の上に、六角形の四阿が建っている。

 屋内に、青硝子の酒器を泰然と傾けている惺壽の姿も見えた。

 だが、なによりも目を引くのはその周囲。

(想像以上のハーレムっぷり……明らかに女の人の数が増えてるし……)

 色鮮やかな装束を纏った女性たちが、思い思いに彼を取り囲んでいる。

 惺壽の隣には黎珪が座り、酌をしていた。

 ある人は大きな団扇でゆったりと彼を扇ぎ、その他、四阿内に入りきれない女性たちは各々地面に腰を下ろしている。

 蝶の羽のように広がる襦裙の裾は、百花繚乱の花々でさえ霞ませるほどの艶やかさだ。

 次々と話しかけられる中、惺壽は涼やかに微笑んで耳を傾けている。

 機嫌がよさそうだ。

 乙葉をセクハラまがいでからかう時とは違う、艶のある微笑。

「………………」

 立ち竦んでいた乙葉は、案内役の二人に手を引かれ、四阿へと丘を上った。

「……あら」

 最初に乙葉に目を留めたのは黎珪だった。

 他の女性たちも一斉にこちらを振り返る。

「愛らしいこと。ますます女っぷりに磨きがかかりましたね。ねえ、惺壽さま」

 黎珪が首を傾げて微笑む。

 その隣でようやく、惺壽はこちらに目を向けた。

 

 薄青の双眸と目が合う。

 ぴりっと背中がしびれた気がした。


「たしかに見事な化けようです。……だが、ああも愛想のない顔をしいては、せっかくの艶姿も甲斐がありませんね」

 ほら、やっぱり。

 手放しに褒めるつもりなんてない。

 むっと眉間を寄せた乙葉を見て、黎珪がころころと軽やかな笑い声を立てた。

「照れていらっしゃるのですわ。それが乙女心というものです。……さ、皆さん。お二人のお邪魔をしてしまう前に」

 柔らかく促す声に、女性たちが立ちあがった。丘を下り始める。

「じゃあ、あたしたちもこれで」

「もともと着ていた着物は、帰る時に返すからね」

 波が引くように去っていく女性たちに交じって、ここまで案内をしてくれた少女たちも、屋敷へ引き返していってしまった。おかげで礼を言う暇もない。

 最後に黎珪が一礼して去ると、その場にいるのは乙葉と惺壽の二人になった。


 ほのかに残っていた白粉の香りも風に散らされ、唐突に静けさが訪れる。

 二人とも無言だ。俯いていても、惺壽がこちらを見ているのが分かる。

「……みんなにも、いてもらったほうがよかったのに……」

 間を持て余し、結局口火を切ったのは乙葉の方だった。

 恨みがましく唇を尖らせると、惺壽は肩を竦めて盃を卓に置く。

「俺は口出ししていないさ。すべて黎珪どのの采配だ。……大方、おまえの機嫌が悪いのを察したのではないか」

 くすりと、からかうような視線を投げられる。

 乙葉はそっぽを向いた。

「馬子にも衣装とか言いたいんでしょ」

「馬子?」

「あ」

 そんな諺は天乃原にはないらしい。

 先走った自虐で失敗とは、無残にも程がある。 

再びむっつり黙り込むしかなくなると、ふと、惺壽が視線を明後日の方向にやった。

「どうしたの? ……あ、ねえ」

ゆったりと立ちあがった長身が、四阿を出て、李並木の小道を歩き出す。

「花の女神の化身のような乙女には、花々の中が相応しいだろう。――行くぞ」

 振り返った彼が微笑みかける。

 乙葉は息を飲み、慌ててその背中を追った。


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