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三章ー2話

「――なにをしているのですか、あなたたち。お客様さまをこんな場所にお引き留めしたままだなんて」

黎珪(れいけい)さま」

 彼女たちは一歩下がって、胸の前に両腕を掲げ、頭を下げる。

 人垣が割れたおかげで、背の低い乙葉にも、声の主を見ることができた。 

 涼し気な目元の美女がきびきびとした足取りで屋敷から出てきた。

 その背中を、数人の少女たちがばらばらと追いかけてくる。乙葉と同年代くらいの少女たちだ。

 黎珪と呼ばれた美女は、惺壽の前に進み出て、しとやかに頭を垂れた。

「惺壽さま。ようこそおいで下さいました。お通しもせず大変な失礼を」

「なに、今しがた着いたところですよ。……鈿女君はおいでですか」

 惺壽は鷹揚な笑みで答えている。

 だが黎珪は美しい眉をひそめた。

「それが……主はたった今、月読乃宮のお呼びを受けて、陽乃宮の御許に参内してしまいましたの。せっかく足をお運び頂いたのに申し訳ありません……」

「そうですか」

 惺壽はあっさり頷いた。目的の人物が留守でも落胆はしていないようだ。

「あら、そちらの方は……」

 ようやく黎珪の視線が、惺壽の陰にいる乙葉を捉えた。また不思議そうな顔をされる。

「すこしばかり面倒を見ている娘でしてね。屋敷にいるばかりでは鬱屈も溜まるだろうと、気晴らしにこちらに伺ったのですよ」

 惺壽が乙葉の背中に手を回し、軽く押しやる。

 押し出された乙葉は瞬いた。

(わたしのため……だったの?)

「惺壽さまのお屋敷で……」

「だから、背に乗せてらっしゃったんだわ……」

「嘘でしょう、惺壽さまの背に!?」

 だが、驚愕したような声に、女性たちを見上げる。

 彼女たちは珍獣でも見る顔つきだ。

 黎珪も目を丸くして乙葉を見つめていたが、すぐに白い面に笑みが浮かんだ。

「左様ですか。それではお客さまには、……失礼ながら、お名前を伺えますと……?」

「し、白羽乙葉です」

「乙葉さま。ようこそおいで下さいました。よろしければ、年の近い者たちにお相手をさせましょう」

 その申し出に頷いたのは惺壽だった。

「お言葉に甘えましょう。その間、私もこちらで待たせていただいても?」

「もちろんです。すぐに酒肴をご用意しますわ。そのうちに主も戻ってくるでしょうし」

 黎珪の笑みが艶やかなものに変わった。

 他の女性たちも一斉に色めき立つ。

「惺壽さまがいらっしゃるなら、もっときちんとお化粧をしておけばよかった」

「ばかね。あたしたちがいくら装ったって、惺壽さまのお目にも留まらないわよ」

 ひそひそと内緒話が聞こえてきて、乙葉の眉間がちょっと寄った。


 やはり惺壽は女性に人気があるのだ。

 それもそうか。容姿は申し分ないし、今日はいつもの皮肉も嫌味も封印して、愛想がいい。嫌われる要素が何一つない。

(本当は、ただの意地悪セクハラ冷血男のくせに)

 なんだか無性に腹が立つ。皆は、彼の本性を知らないのだろうか。


「それじゃあ乙葉さん、一緒に参りましょう」

 不意に乙葉の手を引く人がいた。黒髪を大きな二つの輪っかに結った少女だ。

「お茶を準備するわ。それにお菓子も!」

「変わった着物だけど、自分で仕立てたの?」

 たちまち数人の少女たちに囲まれる。

 みんな乙葉と同年代、もしくは年少の少女たちだ。

「え、えっと、惺壽……!」

 きゃあきゃあと賑やかに腕を引かれつつ、乙葉は目を白黒させながら振り返った。


 惺壽は、黎珪をはじめ、やや年嵩の女性たちに囲まれていた。

 さりげなく広い胸や肩に手を添えた彼女たちに、涼し気な微笑を返している。

 まるでこちらなど眼中にない――かと思いきや。

 黎珪たちの頭越しに、背の高い彼と目が合った。

 薄青の双眸が意味深げに細まる。

(わたしのためっていうより、自分がチヤホヤされたくて来たんじゃないの……!?)

 乙葉は楽し気な少女たちに手を引かれ、あっという間に彼から遠ざけられてしまった。


 花灯篭が吊られた曲廊を抜け、ほどなくたどり着いたのは広い一室だった。

 翡翠の玉飾りが下がる戸を潜ると、円形の窓に飾り格子のある瀟洒な部屋だ。

 室内には幾つかの方卓が据えられ、卓上には品のいい茶器が揃えられている。

 物珍しく室内を見回した乙葉は、十数人の少女たちに「さあさあ」と背を押され、小鳥と桃の花の彫刻がある椅子に腰を下ろした。

 何人かが手分けして硝子製の茶器に湯を注ぎ、しばらく待っていると、茶器の中で橙色と白色の小さな花がゆっくりと開く。茶器から立ち上る湯気に混じって甘い香りがした。

「はい、どうぞ。お菓子も食べてね」

 花の茶が注ぎわけられた湯呑を乙葉の前に置き、先ほどの黒髪の少女がにっこり笑う。

「ありがとう……」

「ねえねえ、それで、乙葉さんって惺壽さまの本命の恋人なの?」

 おずおずと湯呑に口をつけたところで、卓子の正面に座っていた少女が身を乗り出してきて、危うく茶を吹き出しそうになった。

 別の卓についていた十二、三歳くらいの別の少女が笑う。

「わあ、照れなくてる~。やっぱりそうなんだ~」

「そういうわけじゃなくて……!」

「でも惺壽さまの背に乗せてもらえて、しかもお屋敷にまで滞在しているとなると……」

「そうとしか考えらないわよねぇ」

 壁際の長椅子に腰かけた、こざっぱりと粋な装いの二人が頷き合う。

「ほ、本当にそういうんじゃないから! 屋敷で暮らしてるのは梛雉に無理やり連れていかれただけで、背中に乗ってたのはわたしは空を飛べないからで……!」

 しどろもどろに言いかけ、しまったと気づいた。

(あんまり喋ったら、あそこに監禁されてるのは人間だからだってバレちゃう……!)

 一斉にがたっと立ちあがった少女たちの剣幕に、血の気が引く。


「「「「梛雉さまともお知り合いなのっ!?」」」」


「…………………ハイ……」

 鬼気迫った問いかけに、椅子の背もたれに仰け反って頷くしかなかった。

 少女たちが「きゃーっ」と歓声を上げる。

「ということは、乙葉さんをめぐって梛雉さまと惺壽さまの三つ巴!?」

「妄想だけで粥が五杯はいけるわ」

「ああー、ときめくー。あたしもあの二人に取り合われてみたい」

「な、梛雉もやっぱり人気があるの?」

 うっとりする少女たちの様子に面喰うものの、興味が自分から外れるならありがたい。

 びくびくしながら声を上げた乙葉に、全員がしっかり頷いた。

「当り前じゃないの。天乃原の女性は、惺壽さま派か、梛雉さま派か、その二つのどちらかに分かれると言っても過言じゃないんだから」

「あたしは梛雉さま派かな~。鈿女さまに会いにいらっしゃる時は、いつもあたしにもお土産を持ってきてくださって、優しい言葉をかけてくださるの」

「あんただけが貰ってるわけじゃないでしょ。私たちによ。誰にでもお優しい方だもの」

「でもこの間は、あたち一人だけに、誰にも内緒だよってお花をくださったわ」

 この中で一番年少と思われる少女が、舌足らずに胸を張った。 

 たぶん五歳くらいだろう。

(あんな小さな子にまで……梛雉、節操無しにもほどがあるわよ……)

「それにしても惺壽さま、一昨日も鈿女さまを訪ねてらっしゃらなかった?」

「そうそう。こんなに間を空けずにおいでになって、一体どうなさったのかしら」

「それはやっぱり、お二人は忍ぶ仲だということなんじゃない?」

「……え」

 息を呑んだ乙葉に、何人かの少女たちがはっと気まずそうな顔をする。

「で、でも、お二人の噂なんて、ずいぶん昔に一度立ったきりよ。ねえ?」

「そ、そうね。今はもうよいご友人よ。惺壽さまと鈿女さまは」

「えっと……鈿女君っていう人は、その、どういう……?」

 どういう人だろうか。


 歯切れ悪く尋ねると、少女たちは不思議そうに顔を見合わせた。

「どういうって……ねえ」

「あたしたちの主人にして、天照陽乃宮のご寵愛も深い、素敵な女性よ。歌も楽器も見事な腕前だけれど、陽乃宮は、とくに鈿女さまの舞踊を気に入ってらっしゃるみたい」

「……その鈿女さんと、惺壽は恋人同士だったんですか?」

 口にした瞬間、聞かなきゃよかった、となぜか後悔に襲われた。

 少女たちは、そんな乙葉の様子に気づかなかったようだ。

「それが、よく分からないの。たしかにそう噂された時期もあったんだけど……」

「一回だけ、お二人が夜分遅くに密会してたのを見た、って人がいるだけだしねぇ」

「それにしても、こう頻繁に訪ねていらっしゃるのは珍しいわよね」

「もしかしたら、お二人はそのめくるめく一夜が忘れられず……」

「時を経て再び恋の炎が燃え上がった――とか!」

「あんたたち、そのお喋り癖を直さないと、また黎珪さんに叱られるわよ」

 長椅子に座る一人がそう窘めた。

 首を竦めた少女たちが、気まずげに乙葉を見る。

「ごめんなさい、あたしたちったら、また……」

「本気にしないで。だって惺壽さまは、乙葉さんを鈿女さまにご紹介するつもりだったはずだし。もしあのお二人がただならぬ仲なら、さすがにそんなことはなさらないわよ」

「惺壽ちゃまは、乙葉さんと鈿女ちゃまに喧嘩をさせて、楽しむおつもりだったのかも」

 一番年少の子が得意げに大人ぶった口をきき、乙葉以外の全員に睨まれた。

「あの……ごめんなさいね」

 一人がそっと声をかけてくる。心底申し訳なさそうな顔だ。

 乙葉は澄ました顔になり、湯呑に口をつけた。

「わたしと惺壽はそういう関係じゃないから、気にしないで」

 

 そうだ。彼女たちがそんなに気を遣う必要はない。

 惺壽と鈿女君が恋人であろうとなかろうと、乙葉には関係ないのだから。


(……ふぅん。一昨日のあの小鳥の伝言の主は鈿女さんだったんだ……)

 両手に包んだ湯呑に視線を落とす。

 琥珀色の水面に映る自分は無表情だ。

「ええと、ねえ。乙葉さん、そのお着物もとっても素敵だけど、よかったらあたしたちの着物を着てみない? 乙葉さんには華やかな衣がよく似合うと思うのよね」

 長椅子に座るうちの一人が言った。

 何人かがわあっと明るい声を上げる。

「楽しそう。せっかくだからお化粧もしてみましょうよ」

「あたしの帯を貸してあげる。一張羅の領巾もね」

「髪も結い上げて、ちょっと宝石を飾ってみるのはどう?」

「……え? ううん。遠慮す……」

 首を横に振りかけると、正面の少女がどんっと方卓を叩いて立ちあがった。

「若さと可愛いさだけじゃダメなのよ! もっと豪華に飾り立てて、誰よりも目立って興味を引かないと、うちのご主人さまに惺壽さまをぺろっと食べられちゃうわよ!」

「ぺ、ぺろっと? よく分からないけど、ご主人様を裏切ったらまずいんじゃ……」

 いわば恋敵の乙葉に肩入れするのはよくないと思うが。

「大丈夫よ。鈿女さまはそんなことでお怒りになるような心の狭い方じゃないもの」

「そして殿方の一人二人に袖にされたら、逆に千人の殿方を千切っては投げ飛ばすような方なのよ。乙葉さんも気合を入れてかからないと、鈿女さまの迫力には勝てないわよ!」

 鈿女君ってどんな人だ。たおやかな美人だった想像図がだんだん崩壊してくる。

「それにねえ。天乃原中の美姫と星の数ほどの恋をしながら、誰にも本気にならなかった惺壽さまが、初めて乙葉さんを選んだんだもの。あたしたち、精一杯応援したいのよ」

 一人が明るく笑った。そこに嫉妬や敵意は欠片もない。

「さあ、乙葉さん、すっかり見違えて、惺壽さまをびっくりさせてやりましょう」

「気持ちは嬉しいけど、わたしはやっぱり……」

 そんなことはしなくていい。――惺壽に見違えられたいなんて思っていない。

 どんなに綺麗に装ったって、今まで誰にも本気にならなかったという惺壽が、乙葉を選ぶわけがないのだから。

「まずは湯浴みね。湯殿の準備をしなくちゃ」

(湯浴み……お風呂!?)

 久しぶりの入浴の機会だ。

 きらんと瞳と光らせた乙葉だが、少女たちは意味不明なことを言っている。

「湯上りの肌に全身くまなく香油を塗りましょうよ。鈿女さま特製のび・や・く」

「いいわね。その前に隅々まで洗わないと。ごしごしこすって」

「だめよ、乱暴にしたらきれいな肌が傷ついちゃう。――あ、大丈夫よ、乙葉さん。任せて」

 爽やかに笑いかけられて、なぜだろう、背中の冷汗が止まらない。

「あ、あの? 手伝ってもらわなくても、お風呂くらい一人で入れ……」

「問答無用!」

「さあ、その地味な着物をとっとと脱いでおしまいなさーい!!」

「にゃああああああああああああああっ!?」

 無数の手が一斉に伸びてきて、涙目で絶叫するしかなかった。


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