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時間よ、止まれ! (6200文字)

 ナカムラ氏は事業家であった。彼の経営している企業は、従業員数名のごく小さいものであったが、他の企業が扱わない、非常にユニークで高性能な製品を作ることで知られていた。彼の年齢がまだ三十歳になったばかりだということも合わせて、業界内ではそれなりに有名であった。

 ある日の午前中、事務所と兼用であるナカムラ氏の家に、数少ない従業員の一人が訪れた。

「やあ、調子はどうじゃ?ちょっと見て欲しい試作品があるのじゃが……」

 ナカムラ氏に、そう軽い調子で話しかけたのは、社内では博士という呼び名で親しまれている発明家であった。彼の年頃は、見たところナカムラ氏の倍ほどに見えたが、二人の間にその年齢差を気にしするような様子はなかった。

「いらっしゃい博士。見せたい試作品とはどれですか」

「うむ、今日見せたいのは、これじゃ」

 そういいながら、博士は箱を取り出した。箱は一辺が三十cm程の大きさであり、上部は一辺を蝶番で止められた蓋となっている。また、側面には小さなトグルスイッチが一つ付いていた。

「この箱は……なんですか」

「うむ、説明より前に実際にみてもらうのが、早いじゃろう」

 博士は、二つの腕時計を取り出した。どちらもデジタル表示の腕時計であり、時間も一致している。博士は、それらのうちの一方を箱のなかにいれると、蓋を閉じ、トグルスイッチを切り替えた。

「このトグルは、動作のオンオフの切り替えとともに、蓋の鍵にもなっている。動作中に蓋が開いたら、大変なことになるからの。このまま五分ほど待ってくれ」

 五分後、博士は箱から腕時計を取り出して、二つの腕時計をナカムラ氏に渡した。そこには、箱に入れる前は一致していたはずの時間が、ちょうど五分だけずれて表示されていた。

「これはどういうことですか」

「見ての通りじゃ。この箱の機能をオンにすると、なかに入っているものの時間は止まってしまう。さっき箱に入れた方の腕時計が五分遅れているのは、そのせいじゃ」

 博士は何でも無いように言った。しかし、鼻の頭が博士の上機嫌さを示すようにヒクヒクと動いている。

「これはまた、すごいものを発明しましたね」

「まあのう。アイディアが思い浮かんで、開発に着手したのはだいぶ前なのだが、なかなか苦労してな、ようやくこの試作品にまでこぎつけたのじゃ。これくらいの大きさならば、何かの製品には使えるじゃろう」

「なるほど。それで、博士はこの箱を使ってどんな製品を作ってみたいのですか」

「うむ、そこが問題なのじゃ……これで、なにが作れると思う」

 そういって博士は、さも難題だと言わんばかりの厳しい顔をしてみせた。

 博士は、技術的な知識も多く持ち、常識にとらわれない柔軟な発想ができ、試作品を自分でつくり上げるだけの指先も持ち合わせていたが、自分の発明品をどのように製品化し、売り出していくかというセンスはまったく持ち合わせていなかった。その上、実に善良でお人好しな性格をしているため、ろくでもない事業家に騙され、発明品だけを奪われてしまったことも、一度や二度ではなかった。さいわい、友人や家族には恵まれたため、いまでもその好人物らしさは失われてなかったが、金銭的に困窮していた時期も決して短くなかった。

 今回も、アイディアが浮かんで試作品を完成するところまではこぎつけたものの、それを使ってどんな製品を作り上げていくかまでは、考えていなかったのだ。

「うーん、中に入れたもの時を止める、ですか……冷蔵庫の代わりになりそうですが、それなら別に冷蔵庫を使えばいいですよね……」

 ナカムラ氏は、そうひとりごとのように呟きながら考えた。製品化について考えるのは彼の仕事だ。

「冷蔵庫がわりとしても使えなくはないが、すぐに大型化することはできぬぞ」

「すぐには大型化できない?普通は、小型化の方が大変なものじゃないんですか?」

「いやいや、時を止めなければならない箱のなかの体積は、大きさの三乗に比例するわけだから、大きくすればするほど必要なエネルギーが爆発的に大きくなってしまうんじゃ。このエネルギー消費の効率化に、実に苦労してのう。最初はサイコロ大の大きさがやっとじゃった」

「なるほど、そういうわけですか」

 ナカムラ氏は技術者としての専門的な教育は受けていなかったが、博士との付き合いの長さから、何が問題になっていたかは概ね理解した。

「大きさがこのままとなると、持ち運べる冷蔵庫、クーラーボックス代わりとなりますか。魚市場で使えば、魚の鮮度を落とさないまま運べて重宝されるかもしれませんね。いや、別に市場じゃなくて、漁船にのせれば、それこそ魚を生きたまま運べることになります。大型化に成功して、遠洋漁業船に乗せられた冷凍庫のかわりのせれば、これまでは冷凍魚として扱えなかった魚も生のまま扱えるようになるでしょう」

 ナカムラ氏は次々と考えを繋げていった。このように、小さな着想を次々と繋げていき、大きな構図をえがいてみせることは、彼の特技でもあり悪癖でもあった。

「生きたまま運ぶ、というのは別に魚だけに限定する必要はありませんね。それこそ人を運ぶことにも使えそうです」

「人を箱詰めして運ぶじゃと?時間を止めてまで運ぶ必要がある人なんて、どこにおるのじゃ」

「いくらでもいるんじゃないでしょうか。例えば、交通事故にあって重症の怪我を負った人は、いまはその場で最低限の応急処置をして、死ぬ前に病院まで運ぶことになってますが、すばやく箱詰めして時を止めてしまえば、それ以上症状が悪化することはなくなるので、命が助かる可能性は大きくなるでしょう。それに、そうだ……」

そこでナカムラ氏はいったん言葉をきり、博士に向き直ってつづけた。

「いいことを思いつきましたよ、博士。さきほど、事故現場から病院まで箱に入れて運ぶと言いましたが、箱に入れておく時間は別に短時間に限定する必要はないんですよね。ならば、現代ではまだ治療法が確立していない難病の患者を、治療法が確立するまで保存しておくこともできるはずです。いわゆるコールドスリープ

の一種です。保存対象も、別に病人に限定せず、いつまでも生きていきたいと考えている金持ちの御老人方まで拡張してもよい。こういった手合は、金に糸目を付けないというお方も多いはずです。これはなかなか大きなビジネスになりそうですよ」

 ナカムラ氏は自分のアイディアを気に入り、すっかり興奮した様子だったが、博士はそのアイディアは気に入らないようだった。

「わしの発明品の活用方法を考えてくれるのは嬉しいし、最終的にはキミの決定に反対するつもりもない。しかし、わしとしては、発明品は金持ちだけでなく、もっと大勢の人が幸せになるような、それも命が助かるとか金が儲かるとかそう言った大仰な話ではなく、もっと普段の生活のなかで使ってちょっと幸せな気持

ちになれるような、そんな方法で活用してほしいんじゃ。そういった方法を、もう少し考えてもらえんものかの」

 博士にそう言われると、ナカムラ氏も考えなおすしかなかった。彼もまた、博士が何を求めて発明品を開発しているのか、よく理解している。

「……わかりました、もうすこし別の案を考えてみます。博士の方も何かアイディアが湧いたら、言って下さい」


 空気が重くなってしまったのを感じたのか、ナカムラ氏は努めて明るい声でつづけた。

「ところで父さん、この後はどうしますか?このまま昼食を食べていくなら、もう一人分用意するように、妻に連絡しますが」

 博士は、ナカムラ氏の部下であると同時に父親でもあった。ナカムラ氏が事業家となったのも、父親の発明品がろくでもない事業家にいいようにされていることが、我慢ならなかったからである。

「昼食に誘ってくれるのは嬉しいが、今日は帰るとする。さっきの発明品で試したいことも思いついたからの。それに……キミの嫁さんには警戒されておるようじゃからのう……」

「あれは、完全に父さんの自業自得でしょう」

 ナカムラ氏は苦笑しながら言った。博士には、親しい人物に自分で作った奇妙な発明品を作って贈る癖があった。ナカムラ氏が結婚した時も、その妻に結婚祝いに発明品を送ったのだが、それが余計なお世話というか下世話なお世話というか、夫婦生活を盛り上げるような道具だったのだ。ナカムラ氏はその話を聞いて、実に父さんらしい冗談だと大笑いしたが、妻にとってはそれどころではなく、博士のことをいやらしい好色な舅だと考えたわけだ。

「ろくに知らない男から、あんなものをプレゼントされれば警戒もしますよ」

「そうじゃのう。反省している。……ところで、どうじゃ、使ってはみたのか?改良点を探すために、使用感のレビューが欲しいのだが」

 博士は真面目くさった声色を作りながら言った。しかし、目は笑っている。

「ええ、使いましたよ。取り回しや後始末などに、多少面倒な点もありますが、それほど問題になるほどではないでしょう。すぐにでも製品化もできそうですが、どうしますか」

 ナカムラ氏も大真面目な声色で答えた。こちらも、目が笑っている。

「ふむ、そうか、しかし改良点があるとことがわかっているものを、そのまま製品版とするわけにはいかないのう。もう一度こちらの方で問題点を洗い出した上で、考えようではないか」

 そこまで言って、遂に博士はたえきれなくなったのか、笑い出した。ナカムラ氏も釣られて笑い出す。もう仕事を続ける空気ではなかった。

 その後、博士はナカムラ氏と製品の売上や新発明のアイディア、互いの家族の近況などの四方山話をし、帰っていった。



 博士が帰った後、ナカムラ氏が書類の整理をしていると、赤ん坊を抱いた若い女がドアをノックして部屋へ入ってきた。

「あら、お義父(とう)さまはもう帰ってしまわれたの?この子がお昼寝から目を覚ましたから、あわせようと思って連れてきたのだけど」

 二人はナカムラ氏の妻と息子であった。

「父さんなら、さきほど帰ったよ。どうやらキミに嫌われていると思っているらしい」

 ナカムラ氏は、妻が渡してきた息子を抱き上げながら、そう答えた。

「プレゼントのことなら、最初は驚いたけど、今はもう気にしてないのに」

「父さんは繊細な人だからね。一度嫌われたと思うと、なかなか踏み込んでいけないんだよ」

「じゃあ、今度あった時にでもあらためて、あの事はもう気にしていないと伝えるとするわ」

「そうしてあげてください」

 そう答えたが、ナカムラ氏は父と妻の仲については特に心配していなかった。両者ともお人好しで、善意というものが存在していることを素直に信じることが出来る人物である。勘違いは時間が解決してくれるだろう、そうナカムラ氏は考えていた。

「ところでアナタ、今日は午後から何かご予定はありますか」

「いや、今日の午後は特別出かける予定はないよ」

「じゃあ、これからお弁当を持って、この子と三人でここに遊びに行きませんか」

 そう言って、妻はチラシのようなものを差し出した。チラシには最近オープンした、自然公園のことがかかれている。歩いていけるほどの距離しか離れていなかったが、これまでは行ったことはなかった。

「そうだね、たまには外を歩いて気分転換するのもいいね」

 ナカムラ氏は快諾した。妻が子供の面倒を見るために自由に出歩くことも出きず、ストレスをためていることに気がついている。ちょっとした散歩に付き合うことで、少しでも気晴らしになるのなら、それにこしたことはない。

「じゃあ、お弁当を用意してくるから、アナタも出かける準備をしておいてくださいね」

 そう言って、妻は部屋から出て行った。


 三人が公園につくと、気候がちょうど暖かくなり始める時期であり、また時間帯もお昼時であったせいか、平日だというのになかなかの賑いをみせていた。

 ナカムラ氏は息子をのせたベビーカーを押し、妻と話をしながら、緑のアーチのしたを歩いている内に、考え事に引きずり込まれていく自分に気がついた。

(そうか、博士と話していた時は、あの発明品で時間をこえることばかりを考えていたが、単純に空間をこえる方向で考えてもいいんだ。人をコールドスリープ状態にして他の惑星に送る移民船団。SFでは定番のネタではないか。これなら人類全体のためになるし、博士も満足するだろう。よし、明日にでもJAXAに連絡を取ろう)

 そこまで考えた時、妻が不機嫌そうな顔でこちらを見ていることにようやく気がついた。話をしているさいちゅうに、突然黙りこんで考え事をはじめたのだ。無視されたと思って、腹をたてるのものも無理はない。

「いや、散歩をしているとね、どうも血行がよくなるせいか、考え事をしたくなるんだよ、うん」

 ナカムラ氏はあたふたしながら、言い訳にもならないような事を言った。すると、妻はそれを聞いてニンマリと笑い、あわてるナカムラ氏に向かって言った。

「この子を散歩に連れて行ってくれる時、お義父さまも同じような事を言ってますよ。『足を動かしていると、考え事がまとまる』って」

 ナカムラ氏は恥ずかしくなり、周囲を見回すと、一方を指さしながらごまかすように言った。

「あんな所にベンチがあるじゃないか。ちょうどいい、あそこに座ってお弁当を食べるとしよう」

そう言って、あしばやにベンチに向かってベビーカーを押していった。妻も、ナカムラ氏のそんな様子を遠慮無く笑いならが、あとにつづいた。

 ベンチは丸太を二つに割ったものでテーブルと椅子を作った、ロッジ風のものだった。周囲の木々によって作られた日陰の中に入っており、風通しもよいため、なかなかに居心地がよい。三人は椅子に座ると、すぐにお弁当を取り出した。

「さあ、どうぞ」

お弁当は、おむすびをメインに、コロッケやら唐揚げやらの揚げ物、レタスやプチトマトのサラダ、ほうれん草のおひたし、付け合せの漬物といった変哲のないものであったが、ナカムラ氏は一口くちにするなり驚いた。お米はホカホカ、揚げ物はサクサク、サラダはシャキシャキとまるでどれも作りたてのような食感と

味であった。熱が加わるとすぐにグニャグニャとした気持ちの悪い感触になってしまうプチトマトすら、冷蔵庫から取り出したばかりのような歯ごたえで、彼の口を楽しませた。彼はいっしんに食べ、たちまちにすべてを平らげてしまった。

 ふりそそぐ木漏れ日は目に優しく、ときおり吹き抜けていく春の風は肌に涼しい。腹はくちく、耳には妻の声。なんと良い気分か。このまま昼寝でもしたら、もっと良い気分になれるだろう。

「いや、驚いた。キミの料理の腕は重々承知しているつもりだったが、ここまでだったとは」

 ナカムラ氏は、渡された水筒のお茶を飲みながら言った。このお茶もまたアツアツだ。

「ふふふ、ありがとうございます。でも、今日のお弁当が美味しいのは、私の腕だけじゃなくて、お義父(とう)さまからいただいた、このお弁当箱のおかげなのよ」

 そういって妻がかかげた弁当箱には、小さなトグルスイッチが輝いていた。




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